内名と外名とは
内名と外名とは、特定の地名・民族名・言語名などを、命名の主体となった民族・言語に内生した呼称と外来の言語における呼称とに区分するときに用いられる。
地名に関する限り、エンドニムは内生地名、エクソニムは外来地名と和訳されることもある。
区別 | 内名 | 外名 |
---|---|---|
用語 | エンドニム(英: endonym) | エクソニム(英: exonym) |
例 | 日本(にほん、にっぽん、Nippon) | 英: Japan(ジャパン)、仏: Japon(ジャポン) 伊: Giappone(ジャッポーネ) |
ジパングと日本
「日本」の外名の元になったのは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』であるというのが通説である。「中国の東の海上1500マイルに位置する独立した島国で、莫大な金を産出する豊かな国」として紹介された「ジパング」が「ジャパン(Japan)」の起源だとされる。
尤も、『東方見聞録』で記述されるジパングのものとされる風習・習俗については、迷信や他地域との取り間違いが多々あり、全てが正しく伝えられているとは限らないが。
そもそも、『東方見聞録』の写本・刊本によっても「ジパング」なる綴りは様々で、英語「Chipangu」、中世仏語「Cipngu」、仏語「Sypangu」、ラテン語「Çipingu」、イタリア語「Zipangu」とばらつきがあり、『東方見聞録』の和訳本の中には「チパング」というものまである。
『東方見聞録』とほぼ同時期に書かれたラシードゥッディーンの『集史』にも、表記ゆれが存在するものの、「Jimingu」「Jipangu」「Jibangu」という地名で紹介されている。
いずれにせよ、中国南部沿岸地域の方言(閩語ないし呉語)を借用したマレー語で当時の「日本」を意味する言葉である「Japang」ないし「Japun」が、16世紀に同地を訪れたポルトガル人経由で英語圏に伝わり、「Giapan」という綴りになったことは分かっている。
何はともあれ、絶対とは言い切れないけれど、現代で一般的表記だとされる「ジパング(Zipangu )」という音こそが日本の外名の代表格であると考えても差し支えないだろう。
一方で、「日本」という内名も、その素性を調べればちょっとした迷宮にすぐに入り込んでしまう。そもそも、現在の日本列島に住んでいた人々は、自身の国・民族(住んでいた人々)を「やまと」と呼んでいた。元々、奈良県の一部のことを「やまと」と呼んでおり、ここを中心とする王権(ヤマト王権)がやがて日本列島を広く支配したことで、自身の国を「やまと」と呼び習わしたとされる。
当時の中国では日本のことを「倭」という漢字で表していた。これを現代日本語で音読みすると「倭」となり、この文字の訓読みとして「倭」という表記をとった。しかし、元々「倭」はあまり良い意味を持つ漢字ではなかった1ので、当時の人々は良い意味を持つと考えた「和」の漢字を次第に充てるようになった。これに、美称である「大」をつけて「大和」なる表記が誕生することとなる。
その後、700年代の遣唐使によって中国と交流を持っていた頃、対中国が主軸だった東アジア外交という国際交流の場で、「倭」の字義を避けるように「日本」という表記を使うようになったそうだ。
中国の正史での初出は「旧唐書」(945年)であるがそれに先だって、『史記正義』(736年)には「武后(日本では則天武后として知られている)が倭国を改めて日本国と為す」という記述があることが確認されている。
それでは、今後は「日本」と呼び習わすことになるのかと思いきや(実際に『古事記』や『日本書紀』では「倭」も「日本」も両方の記述がある!)、「日本」という漢字は当時の中国語の読み方で「niet(ニェット)+ puən(プァン)」と発音されたことから、当時の日本人も、「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)という漢字の中国語読みを用いて自称することが一般的になったというのだ。
そもそも中国との外交の場で自国を中国の文字である漢字を用いて「日本」と称したのだから、相手側の漢字の読み方を忖度して、従来の訓読み「やまと」ではなく音読みを採用したのだろう。外交上の必要性から。
その後、平安時代に入って『源氏物語』が書かれた1000年頃になると、「プア・ピイ・ピアウ・ボ・パウ(パピプペポの原音)」と発音されていたものが「ファ、フィ、フゥ、フェ、フォ」に変化した。ここに至り、「ニェットプァン」から始まった「日本」の読みは、「ニッポン/ジッポン」を経て「ニフォン」へと変わり、ようやく「二ホン」に辿り着くというわけだ。
<参考:当時の万葉仮名の読み方>
波=pua プア
比=pii ピイ
富=piau ピアウ
部=bo ボ
保=pau パウ
ちょっと横道に逸れるが、「日本」という漢字の訓読みには「ひのもと」というものもある。『万葉集』において、「ひのもと」との訓読みは、「ひのもとのやまと」というように、旧来の内名である「やまと」の枕詞として用いられていた。「ひのもと」が「やまと」にならぶ日本語風の国号として用いられるのは、平安時代以降のことだ。
※ その他、『古事記』『日本書紀』等に見られる和語としての「秋津」「葦原の中つ国」「大八洲」「瑞穂国」等の表現については別の機会に解説を加えたい。
「ニッポン」と「二ホン」
このように歴史的経緯が明らかになったからと言って問題や混乱がなくなるわけではない。現代において、「ニッポン」と「ニホン」の両方の読み方が並立しているのは間違いない。果たしてどっちが正しい(正式な)読み方なのだろうか?
近代に入り、1934年に文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記も「Japan」を廃して「Nippon」を使用するという案を示したが定着せず、同年日本放送協会(NHK)が「放送上、国号としては『にっぽん』を第一の読み方とし『にほん』を第二の読み方とする」旨の決定を行ったが、のちに日本政府は正式見解を出さなかった。その後、1970年に大阪万博の際に「ニッポン」に統一しようと国会で議論されたがやはり結論は出なかった。
近年でも、2009年に「日本国号に関する質問主意書」にあるように国会質問されたが、政府の公式見解や法律の規定で「日本」の読みを一義的に決めるようなことはなかった。
まあ、仮に法律で読み方がひとつに決められたとしても、人々の慣習や思い入れまで根こそぎ変えることは難しいだろう。「日本橋」という地名が大阪と東京にある。大阪の方は「ニッポンバシ」で東京の方は「ニホンバシ」だ。会社名でも「日本航空」は有価証券報告書等の正式名称は「にっぽんこうくう」だが、テレビ・ラジオのニュースといった通例では「にほんこうくう」とする事例の方が圧倒的に多い。
「ニッポン」と「二ホン」のいずれにせよ、内名と分類しておきながら、実の所、外国の文字と発音を借用してきて表現しているに過ぎない。ナショナリズムやパトリオティズム(愛国心)を持ち出して、「ニッポン」と「二ホン」のいずれが適切かで議論を戦わせてみても、その観点だけでは意味があるようには到底思えない。
こういう類の話はごまんとある。強制的に変える(一つに決める)ことの社会的・経済的コストをしのぐだけのメリットがないと、なかなか実行に移せそうにないようだ(当記事の続編として、そうした変更にまつわる諸外国の例を取り上げる予定)。
- 「説文解字」等の解説では『倭』は「従順な様、曲がりくねっている」という意味を持つ文字とされる。九州地方の小国家が用いた自分を指す一人称を意味する言葉「我」から、「wa」という音を得て名付けられたとか、日本流の丁寧にあいさつする「お辞儀」をする様から、腰を屈めている、小人である、背が低く見える、というイメージから「倭」の字を当てたともされる ↩︎
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