歴代オランダ首相(Minister-presidents van Nederland)追加しました
PR

国名・国号の歴史 History of Country Name Type

国名・国号の歴史 History of Country Name Type リベラルアーツ
国名・国号の歴史 History of Country Name Type

国号(こくごう)・国名とは

「国名」は国家の名称であり、特に「国号」と表現すると、国名でも国の「称号」を意識した言葉遣いになる。「国号」「称号」として、「固有名詞」+「政体」の組み合わせが一般的な形式であるといえる。

「政体(polity)」は、政治体制または政治体(政治組織)の意味で、識別可能な政治的実体であり、集合的アイデンティティーを持ち、何らかの形の制度化された社会関係によって組織され、資源を動員する能力を持つ人々のグループを指す。

例 
タイ王国→「タイ」+「王国」
ロシア連邦→「ロシア」+「連邦」

もちろん一般・通例があれは、例外も存在する。

❶固有名詞のみ:カナダ

❷普通名詞(政体など)のみ:ソビエト社会主義共和国連邦(ソビエトとはロシア語で評議会の意)、「帝国」(後世でいう「神聖ローマ帝国」の前身。当時は帝国を名乗る国が他になかったため、固有名詞が不要だった)

❸普通名詞(政体など)+固有名詞の順:民主カンプチア

❺固有名詞に複数の普通名詞(政体など):ユーゴスラビア社会主義連邦共和国→「ユーゴスラビア」+「社会主義」+「連邦」+「共和国」

❻国名無し:【王朝名で代替】マウリヤ朝・ウマイヤ朝・漢・唐、【後人による通称】ローマ帝国(ラテン語 SPQR: Senatus Populusque Romanus(セナートゥス・ポプルスクェ・ローマーヌス)、「ローマの元老院と人民」)

古典的な政体区分

古くは古代ギリシアで、アリストテレスが政体を君主政貴族政民主政の3つに分類した。その後、ポリュビオスがそれら3つの政体が堕落することでそれぞれ専制寡頭政衆愚政になり、別の政体に移行するという政体循環論を唱えた。

この中では、現代でも国名・国号に用いられる政体としては、「君主国」「民主国」の2つが一般的である。

貴族政については、概念としてはそのまま存続したが、国名・国号としては一般的にはならず、君主を国家元首に戴かないという意味合いで、共和政ローマの時代にラテン語で「レス・プブリカ: res publica」という用語が執政官(元首)・貴族(元老院)・平民(民会)による統治体制(混合政体)として用いられるようになった。

この語が、後に英語の「リパブリック: republic」の語源となった。これを漢語に翻訳したものが「共和」であり、「共和国」の元となった。

なお、「共和」という訳語の元になったと思われる話には諸説ある。

❶『史記』周本紀に、周の厲王が国人の暴動により出奔を余儀なくされて王が不在となったとき(841 B.C. – 828 B.C.)、周定公、召の穆公の二人が政務を執り「共和」と称したという説、❷『竹書紀年』の記述から、厲王の亡命後に「共伯和」が政務を執ったという説、❸共伯和は、共国を封地とし伯の爵位を持つ和(か)という名の人物で、衛の武公のことであるとする説等が有名だ。

諸説あるが、その数の分だけ、特定の君主を戴かない政体を指して「共和」と呼ぶことに抵抗がなく、しっくりきたのであろうことは想像に難くない。ちなみに、「republic」 に「共和」の訳を初めて当てたのは漢籍に造詣の深かった江戸時代の日本人である。

話を古代ローマが王政から共和制に移った紀元前509年に一旦戻す。

古代ギリシアに起源をもつ民主政の概念は、古典ギリシア語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力・支配)をあわせた「デモクラティア: democratia」と呼ばれ、これが英語の「デモクラシー: democracy」の語源となった。

しかし、当時はこの「デモクラティア」には、衆愚政治という語感も含まれていたため、王政を打倒した貴族たちは、そのニュアンスを忌避し、公共事・公益・公法という意味の「レス・プブリカ: res publica」をもって自分たちの政体を表現したのである。

なお、国号として、貴族共和政を表した「貴族共和国」を用いたケースはあまり例がない。「黄金の自由(Aurea Libertas)」の語で表される貴族共和国または貴族民主主義が成立した、ルブリン合同(1569年)後の「ポーランド・リトアニア共和国」では単に「共和国」である。

なぜなら、近代以降に誕生した「民主・・共和国」概念と対比して「貴族・・共和国」の概念・表現法が対比的に後付けで生まれたので、それ以前に登場していた「貴族共和国」にわざわざ「貴族」という名称をつける必然性は無かったからである。

君主制

君主号の違い

君主が存在する国家を「君主国」と呼び、君主国は通常、支配者の君主号によって、個別の政体名が決まる。

なお、ここでは、「大英帝国」のように、実際に政治・軍事大国として帝国主義的に振舞ったり、帝国と呼ぶに相応しいとして帝国を冠して呼ばれたりした国家については述べない。

政体君主
帝国皇帝・天皇・インペラトルローマ帝国、大日本帝国
王国ムガル帝国、タイ王国
スルターン国スルターンブルネイ・ダルサラーム国
首長国アミールアラブ首長国連邦
アフガニスタン・イスラム首長国
ハン国/汗国ハン・ハーンチャガタイ・ハン国、ブハラ・ハン国
ツァーリ国ツァーリ/царь/ツァール第二次・第三次ブルガリア帝国(王国)
ロシア・ツァーリ国
藩王国藩王/princeニザーム藩王国、マイソール藩王国
君侯国君侯/ベイ/ベグメンテシェ侯国
大公国大公
grand duke/grand prince/archduke
キエフ大公国、ルクセンブルク大公国
公国duke/princeノルマンディー公国、モナコ公国
専制公国専制公/専制侯
 δεσπότης(デスポテース)
エピロス専制公国
宮中伯国宮中伯/Pfalzgrafライン宮中伯(プファルツ選帝侯)
辺境伯国辺境伯/Margrave/Markgrafブランデンブルク辺境伯、モラヴィア辺境伯
城伯国城伯/都市伯/Burggrafニュルンベルク城伯
方伯国方伯/Landgraf/landgraveテューリンゲン方伯
伯国伯爵/count/earlシャフツベリ伯爵
子国子爵/Viscountボリングブルック子爵
男国男爵/baronウォルポール男爵
騎士団領騎士団/騎士修道会マルタ騎士団
司教領/司教国司教領主/Prince-bishopマインツ大司教領、ケルン大司教領
ヘーチマン国ヘーチマン/гетьманヘーチマン国家(ザポロージャのコサック軍)

諸王を任ずることもできるため、王の上に皇帝・天皇・インペラトル(エンペラーの語源)が位置し、彼らが納めた国を帝国と呼び、最上位に来ると考えることができる。

皇帝や王のように、政治的・宗教的に最上位の統治者という意味で、各地域ごと・各言語ごとにスルターン、ハン/カン、ツァーリと呼び名が変わるのも理解できる。

原音を厳密にカナ表記することは難しい。「カアン/ハーン」は、唯一人のモンゴル皇帝の意で、チンギス=ハーンという呼称は正しいものとされる。一方で、「カン/ハン」は、その他の王侯・君主の称号として使い分けていた。というより、チンギス=ハーンの偉大な業績に尊敬の念を込めて、彼の後は厳密に言い分けることにしたというのが実像だ。

一方で、近代主権国家の概念からは外れるが、皇帝や王からその地の統治を任せる者として任命された地位とその領域に対する命名として、藩王国や君侯国(土侯国)、アミール(首長国)がある。

同様に、皇帝や王から叙勲された爵位に応じて、公侯伯子男といった爵国で呼ばれる領域・地域の存在もある種の国号・国名といえる。

中華圏における国号の文字数について

欧米とアジアの政治理論とそれに基づく国号・国名の定義の違いについては、いくつかの論点があり、簡単に横並びで評価することは難しい。日本人の耳に慣れている「唐」や「清」は、東洋史的には十分に国号と呼べる代物のようにも思えるが、西洋史的視点からは、単なる王朝名の違いと断ずることもできる。

ここでの王朝名とは、血族や養子縁組による世襲君主制の君主の系列を分類する際に用いられる区分である。であるから、西晋→東晋への継受(317年)、北宋→南宋への継受(1127年)は、あくまで同一王朝内で行われた世代交代であるから、あくまで「晋」「宋」王朝が続いたと考えるべきである。

ただ、歴史理解と時代考証の便宜のために、この場合は都を南遷した時点で名称区分をつけている。同様のことは、「前漢」と「後漢」にも言える。しかし、本場中国ではこれもまた、都の相対位置から「西漢」「東漢」と呼び習わしている。長安(現西安)→洛陽と都が移ったからだ。

ちなみに、日本語では、25年 – 220年に続いた古代王朝は「後漢ごかん」と読み、五代十国時代の「後漢こうかん」(947年 – 950年)と慣用的に読み分けているが、この慣習は日本語圏でのみ有効である。

前置きが長くなったが、ここでの本題は、中国王朝名の文字数である。

日本人には、王朝名も人間の苗字(名字)も、漢字2文字の方がしっくりくるようだ。それゆえ、「楚」「秦」「韓」「魏」「趙」「斉」「燕」に加えて、「蜀漢」「北魏」「後梁(朱梁)」などと、2文字表記でも違和感なくごく自然に受け入れることができる。

しかし、劉備(昭烈皇帝)、拓跋珪(道武帝)、朱全忠(太祖)がそれぞれ宣言した国名(国号)は、「漢」「魏」「梁」の一文字である。あくまで後世の歴史家がそう呼び習わしているだけである。

二文字以上の国名(国号)は、文化・文明度が低い異民族(四夷)が用いるものであるという中華思想から忌避された。それゆえ、東夷の国にも関わらず、「倭」(あの『魏志倭人伝』と由来は同じ)の一文字で自称していた国が、後の世で「日本」と漢字2文字表記に改めたという話も伝わる。

日本だけに限らず、朝鮮半島の国々も「百済」「新羅」、北方騎馬民族を指す語も「鮮卑」「匈奴」と漢字2文字表記がデフォルトである。

なお、モンゴル民族による征服王朝である「元」の正式呼称は「大元」と漢字2文字だった。これはモンゴル語の「ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス(Dai-ön Yeke Mongγol Ulus)」の音訳からである。

これは、チンギス=ハーンの孫でモンゴル帝国の第5代皇帝に即位したクビライによるものだ。

「元」を引き継いだ統一王朝はその後、正式呼称を「大明」「大清」として、漢字2文字を引き継いでいる。

チンギス=ハーンの偉業は、その後の中華思想に基づく国号へのイメージをも変容させるほどだったことが分かる。

いずれ、劉邦(高祖・太祖)が興した「漢」も「漢」と後世の歴史家から呼称されるときも到来するかもしれないが、歴史トリビア的にはこれは少々まずいことになる。

短期政権・地方政権ではあるが、歴史上に「大漢」を正式国号として建国された王朝は既に2つも存在している。

  • 1039年:北宋の時代、チワン族の独立政権の指導者儂全福が建てた「大漢」
  • 1214年-1215年:元代に、張鯨(遼西王)が建てた「大漢」

もっとも、これらが世界史の入試問題となる可能性は限りなく小さいと考えられるため、学生の試験勉強の負荷には大してならないこともまた明白な事実ではある。

近代に成立した政体

民主共和国

啓蒙思想や社会契約論への理解が進み、アメリカ独立革命(1775年)、フランス革命(1789年)という一大契機を経て、基本的人権、代表制(代表なくして課税なし)、三権分立を重視した「共和政」+「民主政」の政体である「民主共和国」(民主主義共和国)という国号の基礎概念が成立した。

これは、古代・中世に存在した貴族を中心とした共和政(貴族共和政)から、主権在民の民主共和政への変化を表象とするものである。

「共和国」と同じ意味の訳語として「民国」があり、アジア圏では一部の国号に使われている。例:「中華民国」「大韓民国」。

イスラム共和制

中東およびアフリカのイスラム圏に広がる、共和制を布くイスラム国家の政治体制である。

君主ではなく、人民が選出した代表が統治を行う共和制という概念を基調とするが、国法がイスラームの教えに基づく、もしくはシャリーア(イスラーム法)そのものを法として扱うなど、政治にイスラームが深く根付いた体制である。

西洋近代の民主主義体制としては、議院内閣制を採用するパキスタン・イスラム共和国もあれば、大統領制を採用するモーリタニア・イスラム共和国のような例もある。

連邦制

1648年に締結された三十年戦争の講和条約(ヴェストファーレン条約・ウェストファリア条約)により、各国の個別性と領域支配を前提とした「主権国家」概念による世界秩序・外交関係が形成されるようになった。

比較的弱小な国家や都市、自治共同体(植民地の個々を含む)が、周辺の比較的強大な主権国家(宗主国含む)に対抗し、自治権もしくは独立を保つために連盟または同盟することで、対外的には単一の主権国家として、内部的には盟約(憲法を含む)を結んだ構成体どうしの独立関係を維持し統治する体制として「連邦国家」「連邦制」が誕生した。

7つの首長国の連合体である「アラブ首長国連邦」、46州・22共和国・9地方・4自治管区・3市・1自治州の「連邦構成主体」からなる「ロシア連邦」、16の州で構成される「ドイツ連邦共和国」などがある。

また、「連邦制」を採るが、「連邦」の国号を用いずに同義語による国名には、「アメリカ合衆国」「コモロ連合」「タンザニア連合共和国」などがある。

さらに、国名・国号に「連邦制」を意味する言葉を用いないが、実態は連邦制国家であるものには、28の州と8つの連邦直轄領、およびデリー首都圏から構成される「インド共和国」、17の自治州による「スペイン」などがある。

同君連合

連邦制の概念を君主国に当てはめたものに「同君連合」がある。同君連合を、「複数の君主国の君主が同一人物である状態・体制のこと」と解した場合、さらに2つの類型に大別される。

人的同君連合同君連合の各構成国がそれぞれ独立した主権をもち続ける
物的同君連合各構成国を超えた中央政府が置かれて一元的にコントロールされる

この違いを現代人(主にビジネスパーソン)にも分かりやすく理解してもらうために、会社形態(株式会社を想定)に比して説明する。

支配・非支配関係にない別法人のそれぞれの代表取締役を一人の人間が務めるのが「人的同君連合」で、トヨタ自動車と日産自動車の代表取締役をAさんが務めた場合、トヨタ自動車と日産自動車は人的同君連合にあるといえる。トヨタ自動車と日産自動車のそれぞれで取締役会が開かれ、それぞれの企業における執行・経営に関する意思決定がなされる。Aさんは代表取締役として、それぞれの意思決定機関に参加することになる。

持株会社(純粋持株会社・事業持株会社・金融持株会社)により複数企業からなるグループが実態をもって一つの集団を形成しているのが「物的同君連合」で、三井住友フィナンシャルグループの下に、三井住友銀行・SMBC日興証券・日本総研が属している様と同じである。

グループの取締役会はグループ全体の運営に関することを決議し、傘下企業における取締役会は、それぞれの企業体における執行・経営に関する意思決定を行う。このとき、グループと傘下企業の取締役を兼務している場合は、いずれの取締役会にも参加できるが、意思決定できるのは、それぞれの組織の職掌・定款範囲内に限られる。

政体・国制の歴史の中において、「人的同君連合」の例は、イギリス国王と英連邦王国(Commonwealth realm)・コモンウェルスの加盟国で、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなどが現存する中でも大掛かりなものである。

「物的同君連合」は、1867年に実施のアウスグライヒにより、オーストリア帝冠領とハンガリー王冠領それぞれの領域を別々の政府が統治しつつ、オーストリア皇帝はハンガリー国王を兼ね、軍事・財政・外交面を皇帝直轄としたのが有名で、この新体制を「オーストリア=ハンガリー二重帝国」と呼ぶ。

社会主義

憲法・国家理念・国家原則などの中に社会主義的な考え方を記載する共和国を社会主義国という。世界初の社会主義国は1917年に成立した「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国」である。

狭義ではマルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国を指し、「共産主義国家(Communist state、Marxist–Leninist state)」である。プロレタリアート独裁、一党独裁を是とする。

広義には、マルクス・レーニン主義を採用するかどうかは関係なく、社会主義的な諸政策を推進している全ての国を意味し、「社会主義国家(Socialist state、Workers’ republic)」である。一党独裁を採らず、議会民主主義を残している国家も含める。

全体としては「社会主義共和制」と呼ぶことができる。

その中で「人民民主主義(People’s Democracy)」という概念がある。単一のマルクス・レーニン主義政党の領導(指導)のもとに、一定の諸政党の存在と政権参画を許す体制のことである。ただし実態としては、憲法に共産主義の政権政党が国家を指導することが明記されているため、共産主義政党以外は指導政党の強力な統制下に置かれた衛星政党と化し、自主性はほぼ失われており、複数政党制は形式に過ぎないケースが多い。

そのような国の政体部分のネーミングには「人民共和国」が使用されることが多く、「中華人民共和国」「朝鮮民主主義人民共和国」「ラオス人民民主共和国」の例がある。

根底にあるマルクスの唯物史観により、生産手段の発展形態に応じた形で歴史が進展し、国家も線形的に発展していくという理論に基づき政体を分ける考え方がある。

❶まず、社会主義以外の価値観から離脱したばかりの社会主義実現を目指す途上にある国家を「人民共和国」とする→❷次に、ある程度政体が成熟して社会主義を実現して、次のステージである共産主義社会を目指すのが「社会主義共和国」とする、という段階的アプローチの考え方がある。

この理論によれば、国名に「人民共和国」を冠している社会主義国家は、未だ最終ゴールに到達していないと宣言しているのと同義であるとも解釈できる。

いずれにせよ、社会主義国は「自国を社会主義と標榜する全ての国」であり、人民共和国社会主義共和国も、広い意味では社会主義国の陣営とみることができる。

なお、通例には例外がつきもので、シノニム(異音同義語)とホモニム(同音異義語)の両方が存在する。

マルクス・レーニン主義諸国に用いられた政体称として、「人民共和国」以外には、

  • 民主主義共和国:「ドイツ民主共和国」「ユーゴスラビア民主連邦」
  • 社会主義共和国:「ヴェトナム社会主義共和国」「チェコスロバキア社会主義共和国」「ルーマニア社会主義共和国」

がある。

一方で、マルクス・レーニン主義ではないが「人民共和国(People’s Republic)」の称を用いている国名に、「アルジェリア民主人民共和国」「バングラデシュ人民共和国」がある。

参考リンク

あわせて読みたい

コメント