- メキシコ大統領について
- メキシコ第一帝政(1821年 – 1823年)
- 第一摂政(1821年の摂政)
- フアン・オドノジュ
Juan de O’Donojú y O’Ryan - アグスティン・デ・イトゥルビデ
Agustín de Iturbide - マヌエル・デ・ラ・バルセナ
Manuel de la Barcéna - ホセ・イシドロ・ヤニェス
José Isidro Yañez - マヌエル・ベラスケス・デ・レオン
Manuel Velázquez de León y Pérez - アントニオ・ペレス・マルティネス・イ・ロブレス
Antonio Joaquín Pérez Martínez - 第二摂政(1822年の摂政)
- アグスティン・デ・イトゥルビデ
Agustín de Iturbide - ホセ・イシドロ・ヤニェス
José Isidro Yañez - ミゲル・ヴァレンティン・イ・タマヨ
Miguel Valentín y Tamayo - マヌエル・デ・ヘラス・ソト
Manuel de Heras Soto - ニコラス・ブラボー
Nicolás Bravo
- 暫定政府 (1823年 – 1824年)
- 第一連邦共和国 (1824年 – 1835年)
- グアダルーペ・ビクトリア
Guadalupe Victoria - ビセンテ・ゲレーロ
Vicente Guerrero - ホセ・マリア・ボカネグラ
José María Bocanegra - ベレス–キンタナール–アラマン(三頭政治)
- ペドロ・ベレス
Pedro Vélez - ルイス・デ・キンタナール
Luis de Quintanar - ルーカス・アラマン
Lucas Alamán - アナスタシオ・ブスタマンテ
Anastasio Bustamante - メルチョル・ムスクィス
Melchor Múzquiz - マヌエル・ゴメス・ペドラサ
Manuel Gómez Pedraza - バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - ミゲル・バラガン
Miguel Barragán
- グアダルーペ・ビクトリア
- メキシコ共和国(中央主義共和国) (1835年 – 1846年)
- ミゲル・バラガン
Miguel Barragán - ホセ・フスト・コロ
José Justo Corro - アナスタシオ・ブスタマンテ
Anastasio Bustamante - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - ニコラス・ブラボー
Nicolás Bravo - アナスタシオ・ブスタマンテ
Anastasio Bustamante - フランシスコ・ハビエル・エチェベリア
Francisco Javier Echeverría - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - ニコラス・ブラボー
Nicolás Bravo - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - バレンティン・カナリソ
AValentín Canalizo - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - ホセ・ホアキン・デ・エレーラ
José Joaquín de Herrera - バレンティン・カナリソ
AValentín Canalizo - ホセ・ホアキン・デ・エレーラ
José Joaquín de Herrera - マリアノ パレデス
Mariano Paredes - ニコラス・ブラボー
Nicolás Bravo - ホセ・マリアーノ・サラス
José Mariano Salas
- ミゲル・バラガン
- 第二連邦共和国 (1846年 – 1863年)
- ホセ・マリアーノ・サラス
José Mariano Salas - バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - ペドロ・マリア・デ・アナヤ
Pedro María de Anaya - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - マヌエル・デ・ラ・ペーニャ・イ・ペーニャ
Manuel de la Peña y Peña - ペドロ・マリア・デ・アナヤ
Pedro María de Anaya - マヌエル・デ・ラ・ペーニャ・イ・ペーニャ
Manuel de la Peña y Peña - ホセ・ホアキン・デ・エレーラ
José Joaquín de Herrera - マリアーノ・アリスタ
Mariano Arista - フアン・バウティスタ・セバージョス
Juan Bautista Ceballos - マヌエル・マリア・ロンバルディーニ
Manuel María Lombardini - アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna - マルティン・カレーラ
Martín Carrera - ロムロ・ディアス・デ・ラ・ベガ
Rómulo Díaz de la Vega - フアン・アルバレス
Juan Álvarez - イグナシオ・コモンフォート
Ignacio Comonfort
- ホセ・マリアーノ・サラス
- レフォルマ戦争(1858年 – 1860年)
- メキシコ第二帝政 (1863年 – 1867年)
- 回復共和国 (1867年 – 1876年)
- ポルフィリアート (1876年 – 1911年)
- メキシコ革命 (1911年 – 1928年)
- アグアスカリエンテス会議による臨時大統領
- メキシコ憲法制定以後の大統領(1917年 – 1928年)
- マキシマート (1928年 – 1934年)
- 現代メキシコ (1934年 – 現在)
- ラサロ・カルデナス
Lázaro Cárdenas del Río - マヌエル・アビラ・カマーチョ
Manuel Ávila Camacho - ミゲル・アレマン・バルデス
Miguel Alemán Valdés - アドルフォ・ルイス・コルティネス
Adolfo Ruiz Cortines - アドルフォ・ロペス・マテオス
Adolfo López Mateos - グスタボ・ディアス・オルダス
Gustavo Díaz Ordaz - ルイス・エチェベリア
Luis Echeverría Álvarez - ホセ・ロペス・ポルティージョ
José López Portillo y Pacheco - ミゲル・デ・ラ・マドリード
Miguel de la Madrid Hurtado - カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ
Carlos Salinas de Gortari - エルネスト・セディージョ
Ernesto Zedillo - ビセンテ・フォックス・ケサーダ
Vicente Fox Quesada - フェリペ・カルデロン
Felipe de Jesús Calderón Hinojosa - エンリケ・ペーニャ・ニエト
Enrique Peña Nieto - アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール
Andrés Manuel López Obrador - クラウディア・シェインバウム
Claudia Sheinbaum Pardo
- ラサロ・カルデナス
- 参考リンク
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メキシコ大統領について
メキシコ合衆国の国家元首たる政府の長として、現行憲法下では、メキシコ合衆国大統領(Presidente de los Estados Unidos Mexicanos)とされる。別の公文書では、役職名をメキシコ合衆国立憲大統領(Presidente Constitucional de los Estados Unidos Mexicanos)とする場合もある。
大統領の主な権限には、全閣僚の任命権と罷免権、メキシコ連邦区知事の任命権(1997年まで)、州知事の罷免権がある。
大統領選挙は1934年以来6年ごとに実施され、有権者の直接投票で得票数が1位の者が大統領に選出される。決選投票はないため得票率が過半数に満たない者が大統領に選ばれる。
メキシコ第一帝政(1821年 – 1823年)
- 1821.9.28 34名からなる暫定統治委員会が設置。委員会は、メキシコ帝国の独立宣言を布告して署名、6 人の摂政を任命
- 1822.5.19 独立議会が独立運動の指導者アグスティン・デ・イトゥルビデを皇帝に指名
- 1822.7.21 イトゥルビデが皇帝アグスティン1世を名乗り、政権成立
- 1823.2.1 グアダルーペ・ビクトリア、アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナらを筆頭とする各州の知事や軍隊の司令官が「カサ・マタ綱領」(Plan de Casa Mata)を作成、イトゥルビデを倒してメキシコ共和国を樹立することを宣言
- 1823.3.19 アグスティン1世は流血を起こすことなく退位、出国に合意(イタリア→ロンドン)
- 7. 中米諸地域がメキシコから分離独立
第一摂政(1821年の摂政)
代
氏名
在任期間
事績
第二摂政(1822年の摂政)
代
氏名
在任期間
事績
2
アグスティン・デ・イトゥルビデ
Agustín de Iturbide
1822.4.11 – 1822.5.18
議会の秘密会議で任命された第二摂政の大統領
1922.5.19 皇帝アグスティン1世として即位(-23.3)
暫定政府 (1823年 – 1824年)
1823年3月31日、議会は、1822年5月1日以来帝国の下で機能していた行政府を公式に廃止。憲法制定会議は3人(ニコラス・ブラボー、グアダルーペ・ヴィクトリア、ペドロ・セレスティーノ・ネグレテ)からなる暫定政府 (三頭政治) を形成する。最初の2人は当時首都にいなかったので、三頭政治のメンバーが揃わない間、ホセ・マリアーノ・ミケレナとホセ・ミゲル・ドミンゲスが代理として選出される。毎月このメンバー間で輪番の最高行政権の大統領を務めることになる。
代
氏名
在任期間
事績
–
ニコラス・ブラボー
Nicolás Bravo
1823.3.31 – 1824.10.10
1824.7.15 イトゥルビデがタマウリパス州ソトラマリーナに上陸、パディーリャの町の当局者に逮捕、その場で直ちに射殺
10.4 憲法制定により連邦共和国樹立
–
グアダルーペ・ビクトリア
Guadalupe Victoria
1823.3.31 – 1824.10.10
1824.8.18 北方領土 (アルタ カリフォルニア、ニューメキシコ、コアウイラ州北部とテキサス州) に住民を移住させる法令が発令
第一連邦共和国 (1824年 – 1835年)
- 1824.10.4 新憲法が採択、連邦共和制のメキシコ合衆国が成立
- 初代大統領のグアダルーペ・ビクトリアを除き、第一共和制時代の政権はすべて軍事クーデターによって打倒された
代
氏名
在任期間
事績
1
グアダルーペ・ビクトリア
Guadalupe Victoria
無所属
1824.10.10
–
1829.3.31
1824.10.10 憲法に基づいて選出された初のメキシコ大統領
1825.4.1 大統領に就任
9.16 グリト デ ドロレス(ドロレスの叫び)を祝った際に奴隷制度の廃止を宣言
11. スペイン最後の拠点サン・ファン・デ・ウルーア陥落
1826.12.21 – 1827.1.31 フレドニアの反乱
1827.12 スペイン人、メキシコから追放
1827.12.23 スコットランドロッジはトゥランシンゴ(現在のイダルゴ州)でモンターニョ計画を宣言
1828.11.30 アコルダダの反乱
2
1829.4.1
–
1829.12.17
1929.4.1 マヌエル・ゴメス・ペドラサ次期大統領の「辞任」を受けて議会によって任命
7.26-9.11 タンピコの戦い
9.16 奴隷制度の完全廃止
12. ブスタマンテ反乱。大統領就任を承認
3
ホセ・マリア・ボカネグラ
José María Bocanegra
1829.12.17
–
1829.12.23
ゲレーロが保守派のブスタマンテ副大統領の反乱と戦うために辞任した際、議会によって暫定大統領に任命
–
1829.12. 23
–
1829.12.31
ペドロ・ベレスは最高裁判所長官であり、ルーカス・アラマン、ルイス・キンタナールとともに行政評議会によって行政三頭政治の長に任命
4
アナスタシオ・ブスタマンテ
Anastasio Bustamante
1830.1.1
–
1832.8.13
1830.1.1 ゲレーロに対する保守派クーデターの後、副大統領として大統領に就任
1830年4月6日の法律の制定:アラマン、テキサスへの外国人の入植を禁止
10. アラマン、融資銀行を設立
1831.2.14 クイラパムでゲレーロが処刑
1832.1 サンタ・アナ、ベラクルスで反乱
5
メルチョル・ムスクィス
Melchor Múzquiz
主流派ヨーク・ライト(自由党の一部)
1832.8.14
–
1832.12.24
ブスタマンテがサンタ・アナの反乱と戦うために辞任した際、議会によって暫定大統領に任命
1832.12.23 サバレタ条約により反乱軍と和平、大統領職をマヌエル・ゴメス・ペドラサに引き継ぎ
6
マヌエル・ゴメス・ペドラサ
Manuel Gómez Pedraza
連邦主義ヨーク・ライト(自由党の一部)
1832.12.24
–
1833.3.31
ブスタマンテ大統領時代に帰国したスペイン人を追放する法令を可決
7
バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías
1833.4.1
–
1833.5.16
1833.4.1 サンタ・アナが大統領に就任、ファリアスが副大統領として、サンタ・アナに代わって大統領に就任(政権を担当する)
8
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1833.5.16
–
1833.6.3
1833.5.16 政権復帰
6.3 再び、政権をゴメス・ファリアスに委ねる
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1833.6.18
–
1833.7.5
1833.6.23 事件法:改革主義政権の反対者とみなされた50人の追放
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1834.4.24
–
1835.1.27
1834.4.24 大統領に就任、自由主義改革法令を廃止(リベラル改革を中止)
1835.1.27 第6回制憲議会はゴメス・ファリアスを副大統領から解任
9
1835.1.28
–
1836.2.27
1835.10.23 議会は1824年憲法と連邦制度を無効にする憲法根拠を制定
バラガンは第一連邦共和国の最後の大統領と中央主義共和国の初代大統領の両方を務める
11. テキサスで第1次独立宣言
12. サンタ・アナ、バラガンを暫定大統領に任命し、テキサスへ
メキシコ共和国(中央主義共和国) (1835年 – 1846年)
1835.10.23 議会は立憲議会であると宣言。新しい憲法(ラス シエテ レイエス:7つの法律)はフランシスコ・サンチェス・タグルとルーカス・アラマンによって起草され、年末に公布
代
氏名
在任期間
事績
10
1836.2.27
–
1837.4.19
1836.2.27 大統領任期を終えるために議会によって暫定大統領に任命
3.2 テキサス、ワシントンでメキシコからの分離独立を宣言(第2次)
3.6 サンタ・アナ、アラモ要塞を撃破
4.21 サンタ・アナ、サン・ハシントの戦いでテキサス軍の捕虜になる
5.14 サンタ・アナ、テキサス大統領とベラスコ条約を締結、テキサス独立を承認
6.30 独立後初の不動産税を布告
12.28 スペイン、メキシコの独立を承認
–
アナスタシオ・ブスタマンテ
Anastasio Bustamante
1837.4.19
–
1839.3.18
1838.11.27 – 1839.3.9 菓子戦争(第1次メキシコ干渉戦争)
1938.11.28 フランス軍、ペラクルスを占領
1939.3 ブスタマンテ、政権をサンタ・アナに委ねる
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1839.3.18
–
1839.7.10
ブスタマンテが連邦主義者の反乱と戦うために退任した際、保守最高権力によって暫定大統領に任命
1939.4 サンタ・アナ、政権をニコラス・ブラボーに委ねる
5. ユカタンで反乱(カスタ戦争)
–
アナスタシオ・ブスタマンテ
Anastasio Bustamante
1839.7.19
–
1841.9.22
1840.2 ユカタン州、連邦制を要求して独立を宣言
7. ゴメス・ファリアス、1824年憲法への復帰を求め反乱
1891.9 サンタ・アナ反乱
12
フランシスコ・ハビエル・エチェベリア
Francisco Javier Echeverría
1841.9.22
–
1841.10.10
ブスタマンテがマリアーノ・パレデス・イ・アリラガ、サンタ・アナ、ガブリエル・バレンシアら率いる反乱と戦うために退任した際、暫定大統領に任命
1841.10.6 ブスタマンテはエスタンスエラ協定を通じて正式に権力を放棄
10.10 反乱の勝利後に辞任
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1841.10.10
–
1842.10.26
1841.10.10 各省の代表委員会によって暫定大統領に任命
1842 産業庁が設置
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1843.3.4
–
1843.10.4
1843.4.3 暫定大統領として大統領に再就任
6. 制憲議会、「基本組織法」を公布し、行政府の権限を強化
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1844.6.4
–
1844.9.12
1844.1.2 議会によって憲法上の大統領に選出された後、大統領に再就任
–
バレンティン・カナリソ
AValentín Canalizo
1844.9.21
–
1844.12.6
1844.9.21 暫定大統領として大統領に就任
10.31 マリアノ・パレデスが議会に対して反乱を開始(グアダラハラ政府)
–
ホセ・ホアキン・デ・エレーラ
José Joaquín de Herrera
1844.12.6
–
1845.12.30
カナリソが議会解散を試みたとして逮捕された後、上院によって暫定大統領に任命され、その後は立憲大統領に任命
1845.6 サンタ・アナ、国外追放
12.14 マリアノ・パレデス率いるサン・ルイス・ポトシの軍隊が反乱
12.29 米国、テキサス併合
15
1845.12.31
–
1846.7.28
1845.12.31 デ・エレーラに対するクーデターによって大統領に就任
1846.5.13 米国、メキシコに宣戦布告[米墨戦争](-48)
6.12 暫定大統領に任命
7. 米国、カリフォルニアへ侵攻
7.28 パレデス、政権をブラボーに委ね、連邦主義者の鎮圧へ
–
1846.7.28
–
1846.8.4
パレデスが米墨戦争でアメリカ人と戦うために大統領の座を去ったときに就任
8. 米国、ヌエボ・メヒコへ侵攻
ホセ・マリアノ・サラスとバレンティン・ゴメス・ファリアスが率いる連邦主義者の反乱によって追放される
16
ホセ・マリアーノ・サラス
José Mariano Salas
1846.8.5
–
1846.12.23
連邦主義者の反乱(シウダデラ計画)の勝利後、暫定大統領に就任
8.22 1824年憲法を発効、サラスが中央主義共和国の最後の大統領と第二連邦共和国の初代大統領を務める
第二連邦共和国 (1846年 – 1863年)
代
氏名
在任期間
事績
16
ホセ・マリアーノ・サラス
José Mariano Salas
1846.8.5
–
1846.12.23
1846.12 連邦制を回復後、選挙を実施
サンタ・アナが選挙に勝利し、議会によって暫定大統領に選出
–
バレンティン・ゴメス・ファリアス
Valentín Gómez Farías
1846.12.23
–
1847.3.21
1846.12.2 米墨戦争で侵攻してきた米軍と戦っていたサンタ・アナに代わって副大統領に就任
1947.1 教会財産の接収令を公布
2.22-23 ブエナ・ビスタの戦い(アンゴスチュラの戦い)
2.27 ポルコスの反乱
17
ペドロ・マリア・デ・アナヤ
Pedro María de Anaya
1847.4.2
–
1847.5.20
サンタ・アナは米墨戦争に参戦するため辞任、ベラクルスへ
議会は副大統領職を廃止し、代理大統領に任命
1847.4.18 セロ・ゴルドの戦い
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1847.5.20
–
1847.9.15
デ・アナヤが米墨戦争のため辞任、サンタ・アナが大統領に再就任
9.13 チャプルテペックの戦い
9.14 米国、メキシコ市を占領、サンタ・アナが大統領辞任
18
マヌエル・デ・ラ・ペーニャ・イ・ペーニャ
Manuel de la Peña y Peña
1847.9.16
–
1847.11.13
1947.9.25 最高裁判所長官として、サンタ・アナの辞任後、大統領代行に就任
ユカタンでマヤ系住民の大反乱が勃発(カスタ戦争)
–
ペドロ・マリア・デ・アナヤ
Pedro María de Anaya
1847.11.13
–
1848.1.8
デ・ラ・ペーニャ・イ・ペーニャ大統領が米国との和平交渉のため辞任した際、議会によって暫定大統領に任命
–
マヌエル・デ・ラ・ペーニャ・イ・ペーニャ
Manuel de la Peña y Peña
1848.1.8
–
1848.6.3
1848.1.8 デ・アナヤが米国に土地を与えることを拒否して辞任したため暫定大統領に再就任
2.2 グアダルーペ・イダルゴ条約に署名
ニューメキシコとカリフォルニアを1500万ドルで割譲を余儀なくされる
–
ホセ・ホアキン・デ・エレーラ
José Joaquín de Herrera
1848.6.3
–
1851.1.15
1848.6.12 米軍、メキシコ撤退
6.14 財務省を改革する法令を可決、公務員と国家予算を削減
軍と協力し、国債整理のための計画を議会に提出
11.4 軍隊は1万人に削減、徴兵制廃止(後に撤回)
1849.11.1 メキシコ初の産業展示会がメキシコシティで開幕
1851 メキシコ-プエブラ間に電信回線を建設
1850年の選挙の勝者マリアーノ・アリスタ将軍に平和裏に大統領の座を譲る(初代大統領グアダルーペ・ビクトリア以来史上2番目に任期を全うした大統領となる)
19
マリアーノ・アリスタ
Mariano Arista
1851.1.15
–
1853.1.5
1852.10 保守党、サンタ・アナを再び大統領に選出することを目的としたオスピシオ計画発表
1853.1.5 オスピシオ計画の反乱と戦うための特別な権限を議会が与えることを拒否したためアリスタが大統領を辞任
20
フアン・バウティスタ・セバージョス
Juan Bautista Ceballos
1853.1.6
–
1853.2.7
最高裁判所長官としてアリスタ大統領によって後継者として提案され、同日議会によって暫定大統領として承認
1853.2.4 アロヨザルコ計画発表
2.7 大統領辞任
21
マヌエル・マリア・ロンバルディーニ
Manuel María Lombardini
1853.2.8
–
1853.4.20
プラン・デル・オスピシオの反乱によりセバージョスが辞任した際、議会によって暫定大統領に任命
サンタ・アナ復権までの繋ぎ役
–
アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ
Antonio López de Santa Anna
1853.4.20
–
1855.8.5
1853.4.20 サンタ・アナが亡命先のコロンビアから帰国、大統領として宣誓したが、独裁者として統治を開始。自分自身を「ス・アルテザ・セレニシマ」(穏やかな殿下)と呼んだ
12.13 政府、ガスデンとの交渉によりヒラ(ジラ)川南岸の土地約760万ヘクタールを米国に1000万ドルで売却
1854.3.1 自由党、アユトラ計画発表
3.11 アユトラ計画を修正したアカプルコ計画発表
22
マルティン・カレーラ
Martín Carrera
1855.8.5
–
1855.9.12
アユトラ計画の勝利後に暫定大統領に任命されたが、就任期間は8月15日までとなった
8.9 サンタ・アナがメキシコ市を去り、自由党が政権掌握
革命軍との和平が成らず辞任
23
ロムロ・ディアス・デ・ラ・ベガ
Rómulo Díaz de la Vega
1855.9.12
–
1855.10.3
カレーラ辞任後、革命指導者フアン・アルバレスが大統領就任のためにメキシコシティに到着するまで大統領の職務を引き継いだ
24
1855.10.4
–
1855.12.11
1855.10.4 アユトラ革命の勝利後、各州の代表者1名を統合した評議会によって暫定大統領に任命
11.20 元保守派牧師のミランダ神父がプエブラの自宅で逮捕
11.23 ファレス法を公布、軍事・教会裁判所の管轄を普通裁判所へ移管
25
イグナシオ・コモンフォート
Ignacio Comonfort
1855.12.11
–
1857.12.17
フアン・アルバレスの辞任に伴い暫定大統領に任命
1856.1.9 サンタ・アナとそのグループに対し、国家と個人に対する違法行為の責任を問う法令が可決
6.5 イエズス会の国外追放を可決
6.25 レルド法を公布、民間・宗教団体の土地の永代所有を禁止
1857.2.5 1857年自由主義憲法公布
12.1 立憲大統領に就任
12.10 サン・ルイス・ポトシの反乱
12.12 プエブラの反乱
12.17 タクバヤ計画(タクバヤの陰謀/スロアガ計画)
■タクバヤ計画支持
■タクバヤ計画不支持
■中立
レフォルマ戦争(1858年 – 1860年)
ラ レフォルマ(改革法)は、メキシコ第二連邦共和国で1850 年代に制定された新しい憲法を含む重要な一連の法律
- 自由主義派:伝統的なローマカトリック教会と軍閥の影響力に基づく支配を制限し、連邦制を布くことを求める
- 保守派:教会と軍閥が伝統的な役割と、権力を保持しつつ中央集権的な体制を布くことを求める(君主制さえも除外しない)
自由党によって認められた大統領
代
氏名
在任期間
事績
26
1857.12.18
–
1872.7.18
1857.12.18 最高裁判所長官として、 1857年憲法に反対するイグナシオ・コモンフォートのセルフクーデターの後、暫定大統領となる
コモンフォートによって逮捕され、解放
1858.1.18 自由主義的な立憲政府を樹立
1.19 自由党と保守党との間で内戦勃発(-60)
4.11 ファレス政府、イグレシアス法を公布、カトリック教会による墓地の統制と貧者からの教区税徴収を禁止
5. ファレス、ベラクルスに政府を再建
1859 レフォルマ法制定
4.6 フアレス政権は米国から承認
7.12 教会の財産を国有化
12.14 マクレーン・オカンポ条約に署名
1861.1.11 ファレス、メキシコ市へ入城
6. 対外債務の2年間支払延期を宣言
10.31 フランス・イギリス・スペイン3国、メキシコ干渉を決議
12. スペイン軍、ベラクルス到着・占拠
1862.1 イギリス軍・フランス軍、ベラクルス到着
2. 政府と3国との間で交渉後、イギリスとスペインは撤退に合意
4. フランス軍と開戦
5.5 プエブラの会戦
1863.4.30 カマロンの戦い
1863.5.5 フランス軍、プエブラ占領
5.13 ファレス政府、サン・ルイス・ポトシへ移動
6.17 フランス軍、メキシコ市占領
1865.8 ファレス政府、パソ・デル・ノルテへ移動
1866.10 マクシミリアン、メキシコ市脱出
ディアス、オアハカ市占領
保守党が認めた大統領
代
氏名
在任期間
事績
–
イグナシオ・コモンフォート
Ignacio Comonfort
1857.12.17
–
1858.1.21
タクバヤ計画の宣言後、議会は彼がもはや大統領ではないと宣言したが、保守派によって絶対的な権限を持つ大統領として認められた
27
フェリックス・マリア・スロアガ
Félix María Zuloaga
1858.1.11
–
1858.12.24
コモンフォート辞任により、反憲法議会、保守派の将軍とカトリックの聖職者がスロアガ将軍を大統領にすると宣言
29
1859.2.2
–
1860.8.13
スロアガの退任に伴い、代理として保守派大統領に就任
1959.11 自由主義勢力と会談、休戦が宣言されるも破断
11.13 エスタンシア・デ・ラス・バカスの戦い
–
1860.8.15
–
1860.12.24
保守派を支持する「州の代表者」のグループによって選出され、保守派政府の暫定大統領に就任
12.22 カルプラルパンの戦いで敗北、大統領の座を辞任して国外に逃亡
–
フェリックス・マリア・スロアガ
Félix María Zuloaga
1861.5.23
–
1862.12.28
敗北したにも関わらず、保守派は12月28日までメキシコ帝国の再建を目指していた摂政を承認するまでスロアガを大統領に任命
1861.12.8 – 1867.6.21 フランスによるメキシコへの二度目の介入
メキシコ第二帝政 (1863年 – 1867年)
リージェンシー(上級統治委員会)
代
氏名
在任期間
事績
–
フアン・ネポムセノ・アルモンテ
Juan Almonte
1863.7.11
–
1864.4.10
上級軍事委員会から三頭政治の一人として選出
1864.4.10 オーストリア大公マクシミリアン、メキシコ皇帝に即位(-67)
–
ペラジオ アントニオ デ ラバスティダ
Pelagio Antonio de Labastida y Dávalos
1863.10.19
–
1864.4.10
上級軍事委員会から三頭政治の一人として選出
回復共和国 (1867年 – 1876年)
レプブリカ・レスタウラーダ(復興共和国/回復共和国)
代
氏名
在任期間
事績
–
1857.12.18
–
1861.6.11
1861.6.11
–
1865.11.30
1865.12.1
–
1867.11. 30
1867.3.11 フランス軍撤退完了。マクシミリアン、ケレタロで降伏
6.19 マクシミリアン処刑
7.15 メキシコ共和政に復帰
1867.12.1
–
1871.11.30
1867.12.1 ファレス、大統領に再選
1871.6 ファレス再選、反ファレス派各地で反乱
11.8 ディアス、オアハカでラ・ノリア計画を発表
1871.12.1
–
1872.7.18
1872.7.18 ファレス死去
31
セバスティアン レルド デ テハダ
Sebastián Lerdo de Tejada
1872.7.18
–
1872.11.30
最高裁判所長官として、フアレスの死後、暫定大統領に就任。1872年の臨時選挙で勝利し、立憲大統領となった。
1872.12.1
–
1876.11.20
1873.1.1 メキシコ市・ベラクルス間に鉄道開通
1875.7 レルド大統領再選
1876.11.20 トゥクステペック革命によって打倒され、憲法上の任期が終了する10日前に退任、米国へ亡命
32
ホセ・マリア・イグレシアス
José María Iglesias
1876.10.26
–
1876.11.28
最高裁判所長官として、議会がレルド・デ・テハダの再選が有効であると宣言した後、詐欺を理由に同氏の再選を無効にし、その後自らが暫定大統領になると宣言
11.20 レルド・デ・テハダが亡命すると、憲法上の暫定大統領となる
ポルフィリアート (1876年 – 1911年)
- ポルフィリアート:ポルフィリオ・ディアス将軍が大統領としてメキシコを統治していた時代
代
氏名
在任期間
事績
34
フアン N. メンデス
Juan Nepomuceno Méndez Sánchez
1876.12.6
–
1877.2.17
ディアスがレルド・デ・テハダの支持者らと戦うために辞任した際、代理大統領に任命
1877.1 ディアス、イグレシアスを撃破
–
ポルフィリオ・ディアス
José de la Cruz Porfirio Díaz Mori
1877.2.17
–
1880.11.30
1877.5.5 大統領に就任(第1期)し独裁開始(-1911)
–
マヌエル・ゴンサレス・フローレス
Manuel González Flores
1880.12.1
–
1884.11.30
1882 グァテマラと国境条約締結
バンコ・ナシオナル・デ・メヒコが2番目の商業銀行として設立
1883.12.15 入植法制定
1884 メキシコ初の商法制定
–
ポルフィリオ・ディアス
José de la Cruz Porfirio Díaz Mori
国民ポルフィリスト党/
国民再選挙主義党
1884.12.1
–
1888.11.30
「政治よりも行政」
1885 外債処理法
1886 カデナの反乱
1887 憲法修正による大統領再選の可能化
1888.11.30 日本・メキシコ通商修好条約締結
1889 商法改正により株式会社設立のさらなる容易化
1888.12.1
–
1892.11.30
1890 憲法修正による終身大統領制
1892.6.4 新鉱山法制定(地下資源に対する私有権を認める)
1892.12.1
–
1896.11.30
1893 新企業誘致法(一定期間連邦税免除)
1893.7 ディアス政権、マリスカル=セント・ジョン条約で、イギリスのベリーズ領有を事実上認める
1894 入植法(公有地の分譲・未登記地の申請者取得制度)
1894 グァテマラ軍、国境条約を無視し、メキシコ南部国境地帯に侵入
1896.12.1
–
1900.11.30
1898 メキシコ初の映画館シネマグラフォ・ルミエーレが開館
1900.12.1
–
1904.11.30
1901.1.1 石油法公布
1904.5 大統領の任期を6年に改正
1904.12.1
–
1910.11.30
1905 貨幣鋳造権を各州から連邦政府に集約
金銀両本位制から金本位制への移行
1906.6 カナネア銅鉱山のスト暴動化
「1907年の不況」
1907.1 リオ・ブランコで労働者ストの暴動化
1908.6 コアウィラ、ユカタン、チワワなどで反乱
12. フランシスコ・マデロ「1910年の後継大統領選挙」を発表
1910.6 フランシスコ・マデロ投獄
1910.9.30 ディアス、大統領に当選
11.20 マデロ、サン・ルイス・ポトシ計画のもとで武装蜂起、メキシコ革命始まる
1910.12.1
–
1911.5.25
1911.5.25 ディアス、大統領を辞任
メキシコ革命 (1911年 – 1928年)
- メキシコ革命:ディアス独裁政権の打倒や民主化、農地改革、社会構造・経済構造の変革を目指す民族主義的な民主革命
代
氏名
在任期間
事績
36
フランシスコ・レオン・デ・ラ・バラ
Francisco León de la Barra
無所属
1911.5.25
–
1911.11.5
シウダー・フアレス条約に従って、暫定大統領に就任。直ちに選挙を呼びかけ
37
フランシスコ I. マデロ
Francisco I. Madero
1911.11.6
–
1913.2.19
1911.11.6 マデロ、大統領就任
11.28 サパタ、アヤラ計画を発表しマデロと決別
1912.1 オロスコ、チワワで反乱
1913.2.9-18 ビクトリアーノ・ウエルタ、フェリックス・ディアス、および米国大使ヘンリー・L・ウィルソンによって組織された「悲劇の10日間」として知られるクーデターによってマデロが打倒される
38
ペドロ・ラスクライン
Pedro Lascuráin Paredes
無所属
1913.2.19
外務長官として、憲法に従って暫定大統領に就任。約45分後にはビクトリアーノ・ウエルタ氏を内務長官に任命し、その後大統領を辞任
39
ビクトリアーノ・ウエルタ
Victoriano Huerta
無所属
1913.2.19
–
1914.7.15
1913.2.18 ウエルタ将軍、暫定大統領に就任
2.22 マデロは副大統領ピノ・スアレスとともに殺害される
3. チワワ州知事アブラハム・ゴンサレスを逮捕・殺害
3.26 コアウイラ州知事ベヌスティアーノ・カランサ率いる憲政軍、グァダルーペ計画を発表、ウエルタを否認
8. 米国による対メキシコ武器禁輸
1914.4.9 タンピコ事件
4.21 米軍、ベラクルス占領
6.23 サカテカスの戦い
7.12 ウエルタ辞任
アグアスカリエンテス会議による臨時大統領
- アグアスカリエンテス会議(革命主権会議):ビクトリアーノ・ウエルタ大統領の連邦軍を破って1914年7月にウエルタを辞職・亡命させた革命諸派の間で開かれた。会議は自身が主権を持つことを宣言し、自らメキシコ大統領を選出した。主催者の一人であるベヌスティアーノ・カランサはこれらの決定を拒絶した。
- 四大巨頭間の意見調整の目的で開催
- ベヌスティアーノ・カランサ(第44代大統領、大農園主の出身)
- パンチョ・ビリャ(チワワ州、護憲革命軍北部師団)
- エミリアーノ・サパタ(モレロス州、農地改革・インディオ解放、サパティスタの由来)
- アルバロ・オブレゴン(第46代大統領、護憲革命軍北西師団を率いる将軍)
代
氏名
在任期間
事績
メキシコ憲法制定以後の大統領(1917年 – 1928年)
代
氏名
在任期間
事績
44
ベヌスティアーノ・カランサ・ガルサ
Venustiano Carranza Garza
自由立憲党
1914.8.13
–
1917.4.30
憲政軍第一統領(行政府の初代長官)
1914.8.20 カランサ、暫定大統領に就任
10.10 革命軍、アグアスカリエンテス会議開催、ビリャ、サパタ派を味方につけ首都へ進軍
11.2 カランサとオブレゴンはベラクルスへ
11.23 米軍、ベラクルスから撤退
1915.1.6 農地改革法発表
4.5-6 セラヤの戦いでオブレゴン、ビリャ軍主力を破る
1916.2 カランサ、ケレタロに政府を移動
3.9 ビヤ、米国に侵入
9.14 カランサ、制憲会議を招集
1917.2.5 ケレタロで1917年革命憲法を公布
1917.5.1
–
1920.5.21
5.1 カランサ、メキシコ大統領に就任
1919.4.10 サパタ暗殺
6.15-16 第三次シウダー・フアレスの戦い(フアレスの戦い)でビリャ敗れて引退
9. ラテン・アメリカ最初の共産党設立
1920.4.22 アグア・プリエタ計画で、ソノラ出身の 3 人の革命将軍、アルバロ・オブレゴン、プルタルコ・エリアス・カレス、アドルフォ・デ・ラ・ウエルタがカランサ政府に反乱
5.21 カランサ、ベラクルスへ向かう途中で殺害
45
アドルフォ・デ・ラ・ウエルタ
Adolfo de la Huerta
自由立憲党
1920.6.1
–
1920.11.30
1920年の大統領選挙に民間人の後継者(イグナシオ・ボニージャス)を押しつけようとしたカランサに対するクーデターの指導者の一人。議会によって暫定大統領に任命
46
アルバロ・オブレゴン
Álvaro Obregón
1920.12.1
–
1924.11.30
カランサに対する反乱に参加。クーデターの余波で選挙が行われた1920年の大統領選挙の勝者
1921 文相にバスコンセロス就任(-24)、壁画運動を提唱
1923.8.13 ブカレリ条約を締結し、米国と国交回復
12. プルタルコ・エリアス・カリェスを後継者に指名。同じソノラの将軍アドルフォ・デ・ラ・ウエルタが革命軍の多大な支援を得て反乱を起こしたが、反乱を鎮圧
47
プルタルコ・エリアス・カリェス
Plutarco Elias Calles
1924.12.1
–
1928.11.30
1925.9 メキシコ国立中央銀行創設
1926 電気通信法
新石油法
1926.7.31 カトリック教会、聖務を停止、クリステロの反乱始まる(-33)
大統領の非連続選挙を可能にする憲法を改正し、1928年にオブレゴンが再び出馬できるようにした
1927.1 メキシコ政府は法律を遵守しない石油会社の認可を取消
1928.7.10 オブレゴンが大統領に再選
7.17 オブレゴン、宣誓前にカトリック信者により暗殺
マキシマート (1928年 – 1934年)
- カリェスはオブレゴンがつくりあげた、ボス、カウディーヨ体制を継承、「最高指導者(ヘフェ・マクシモ)」を自称。
- カリェスが大統領退任後も傀儡大統領を立て、陰の実力者であった時代をマキシマートと呼ぶ
代
氏名
在任期間
事績
48
エミリオ・ポルテス・ジル
Emilio Portes Gil
1928.12.1
–
1930.2.4
1928年の総選挙の勝者である次期大統領アルバロ オブレゴンの暗殺後、議会によって暫定大統領に任命
1929.10.24 ニューヨーク株式市場で株価大暴落、世界恐慌へと進展
1929.3.1 カイェス、国民革命党(PNR)結成
12. テキサス州での逮捕未遂事件
メキシコ国立大学に自治権を与える
49
パスクアル・オルティス・ルビオ
Pascual Ortiz Rubio
1930.2.5
–
1932.9.4
1929年の総選挙の勝者
1932.5 国際連盟に加盟
9.4 カリェスの政権介入を受けて辞任
現代メキシコ (1934年 – 現在)
Sexenio(セセニオ):メキシコ大統領の任期を表す一般的な用語。大統領の任期は 6年に限られており、たとえ暫定的な立場であっても大統領に立候補したり、再び大統領に就任したりすることは認められていない。ポルフィリアート時代(1876年から1911年)の一時期にメキシコで失敗した再選実験への反応とみなされている。
代
氏名
在任期間
事績
51
1934.12.1
–
1940.11.30
1934 第1次6か年計画
1936.2 メキシコ労働者総同盟(CTM)発足
4. カリェスとモローネスを国外追放
10. カルデナス、大規模な農地改革実施
11. 国有化法(外資企業接収)
1937.6 メキシコ政府、鉄道を国有化
1938.3.18 米英系石油会社を国有化
3.30 国民革命党 (PNR)を改組してメキシコ革命党(PRM)を結成
8. 全国農民総同盟(CNC)結成
1939.9 第二次世界大戦勃発(-45)
52
マヌエル・アビラ・カマーチョ
Manuel Ávila Camacho
1940.12.1
–
1946.11.30
1942.5.30 枢軸国側に対して宣戦布告
1943.5 エル・コレヒオ・デ・メヒコ設立
1945 選挙法改正、選挙管理委員会が政党を離れ中立機関へ
1946.1.18 メキシコ革命党(PRM)を制度的革命党(PRI)に改名
53
ミゲル・アレマン・バルデス
Miguel Alemán Valdés
1946.12.1
–
1952.11.30
制度的革命党(PRI)初の文民出身の大統領
1947 オアハカ州にミゲル・アレマン・ダムを着工(-55.完成)
1950.11 メキシコ市国際空港開設
1951 レルマ川の水を首都メキシコシティに導水し水問題を解決
1952 バハカリフォルニアを州に昇格
54
アドルフォ・ルイス・コルティネス
Adolfo Ruiz Cortines
1952.12.1
–
1958.11.30
1952.12 メキシコ市南部に大学都市が完成
1953.10 憲法第34条を改正、女性参政権成立
1954.4 「セマナ サンタ危機」でペソ切下げ(1ドル=12.5ペソ)
55
アドルフォ・ロペス・マテオス
Adolfo López Mateos
1958.12.1
–
1964.11.30
1959 鉄道労働者の争議
1959 オクタピオ・パス、『孤独の迷宮』刊行
1959 国立無償教科書委員会(Comisión Nacional de Libros de Texto Gratuito)を設立、小学校の教科書を無償化
1960 ラテンアメリカ自由貿易連合条約
1960.9 電力産業国有化
1962 農民運動の指導者ルベン・ハラミージョ暗殺される
国営食糧公社(CONASUPO)を設立
1962.7 ジョン・F・ケネディ米国大統領のメキシコ訪問
1963 選挙法改正(2.5%以上の得票数を得た政党は議席獲得)
1964.1.14 チャミサル紛争が決着
1964.9.17 国立人類学博物館が開館
56
グスタボ・ディアス・オルダス
Gustavo Díaz Ordaz
1964.12.1
–
1970.11.30
1966 労働会議を創設
1967.2.14 トラテロルコ条約(現ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約)にラテンアメリカ14か国が調印
1968 トラテロルコ事件で学生を虐殺
1968.10.12-27 メキシコシティーオリンピック
57
ルイス・エチェベリア
Luis Echeverría Álvarez
1970.12.1
–
1976.11.30
1971.5 新農地改革法施行
1971.6.10「血の木曜日事件」(コーパス クリスティの虐殺/エル ハルコナソ)
1974.10.8 連邦直轄地であったバハ・カリフォルニア・スル州とキンタナ ロー州を新たに創設する法令を発布
1975 カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』刊行
1975.7.2 女性の平等と開発と平和への貢献に関するメキシコ宣言
1976.8.31 国際収支危機により変動相場制へ移行し、ペソ切り下げを断行
58
ホセ・ロペス・ポルティージョ
José López Portillo y Pacheco
1976.12.1
–
1982.11.30
無投票で大統領に選出
1977 政党登録の要件を緩和する選挙制度改革を可決(比例代表制の導入)
1977.3 スペインとの外交関係回復
1979.1 教皇ヨハネ・パウロ2世が初めてメキシコを訪問
1979.6 カンペチェ湾の原油流出事故
1980.3 メキシコ食料制度(SAM)創設
1981.10 カンクンで初の南北サミット開催
1982.8.12 政府が債務返済の猶予を宣言し、中南米債務危機が始まる
9.1 ペソ投機を理由に約50の民間銀行の国有化を宣言
11. ガルシア・ロブレス元外相、ノーベル平和賞を受賞
59
ミゲル・デ・ラ・マドリード
Miguel de la Madrid Hurtado
1982.12.1
–
1988.11.30
1983.1.7 コンタドーラ・グループの創設
8. 石油公社(PEMEX)元総裁ディアス・セラーノの疑獄事件
1984.11.19-20 サン・フアン・イスアテペク爆発事故
1985.9.19 メキシコ市に大地震(M8.1)
1986.1 メキシコがGATTへ加盟
1987.5 米国メキシコ移民管理法
1987.11.6 メキシコと米国、自由貿易促進協定に調印
1988.7.6 大統領選挙で与党PRI候補のサリナスが僅差で勝利
60
カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ
Carlos Salinas de Gortari
1988.12.1
–
1994.11.30
1990 オクタビオ・パス、ノーベル文学賞受賞
1991.7 グァダラハラでイベロアメリカ首脳会議を主催
12.5 憲法改正案を可決、共有農場たるエヒードの廃止、革命以来となる農地所有を承認・農地利用の市場経済化を推進
1992.7 最後の国営銀行バンコ・デル・セントロの民営化完了
9. メキシコ政府、ローマ法王庁と外交関係を樹立
10.7 米国・カナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)に調印
1993.1 デノミによるペソ切り下げ、新通貨ヌエボ・ペソを導入
11. アジア太平洋経済協力会議(APEC)に加盟
1994.1.1 北米自由貿易協定(NAFTA)発足
チアパスでサパティスタ国民解放軍(EZLN)が武装闘争を開始
3.23 与党PRI大統領候補コロシオ暗殺
4. 中南米諸国では初めて経済協力開発機構(OECD)に加盟
9. 与党PRI幹事長ホセ・フランシスコ・ルイス暗殺事件
61
エルネスト・セディージョ
Ernesto Zedillo
1994.12.1
–
2000.11.30
1994.12.20 ヘッジファンドによって通貨危機(テキーラ・ショック)
12.22 変動相場制に移行、通貨下落・株価暴落の危機に直面
1995.2 ホセ・フランシスコ・ルイス事件で、サリナス前大統領の実兄ラウル逮捕
1995.8 カリブ連合(ACS)首脳会議で米国の対キューバ経済封鎖解除の要求を協議
1996.2 政府とサパティスタ国民解放軍(EZLN)、「先住民の権利と文化」に関する協定(サン・アンドレス合意)
1996.6 ゲレロ州で革命人民軍(EPR)テロ活動開始
11. 人民反乱革命軍(ERIP)が反政府活動開始
1996.7 主要4政党と政治改革・民主化パッケージに合意、議会で全会一致で承認
1997.5.5 クリントン米大統領、メキシコ訪問
7.6 メキシコ中間選挙、制度的革命党(PRI)は得票率38.5%で連邦議会下院の過半数を失う。同時に行われた初のメキシコ市長選挙で、民主革命党(PRD)のクアウテモク・カルデナスが当選
9.8 サパティスタ国民解放軍(EZLN)の兵士ら約1,100人がジャングルを出発、政府への抗議のためメキシコ市へ
9.16 EZLNとその支持者、政治組織サパティスタ国民解放戦線(FZLN)を結成
12.22 チアパス州のアクテアル村でEZLN支持集落を武装集団が襲撃、45人を殺害(アクテアル虐殺)
1998.1.3 先住民虐殺でチュアイフェト内相、引責辞任
1.14 チアパス州オコシンゴでEZLN派数百人、先住民虐殺などに抗議して道路封鎖、政府機関3か所を占領
7.22 国連のアナン事務総長、政府軍とEZLNとの和平を促す発言
62
ビセンテ・フォックス・ケサーダ
Vicente Fox Quesada
2000.12.1
–
2006.11.30
2001.10.19 人権弁護士ディグナ・オチョア殺害事件
2006.5 オアハカの抗議活動開始
2006.5.3 サン・サルバドル アテンコの内乱
63
フェリペ・カルデロン
Felipe de Jesús Calderón Hinojosa
2006.12.1
–
2012.11.30
2000.12.11 メキシコ麻薬戦争開始(国内の麻薬カルテルに対する宣戦布告)
ミチョアカン作戦
2007 トルティーヤ価格安定協定
2007 国際貿易と投資におけるメキシコの利益を促進する公的信託基金(プロメヒコ)の設立
2008 刑事司法改革の可決(2016に完全施行)
2009 カウンターシクリカルパッケージが可決
2009 豚インフルエンザのパンデミック
2010 メキシコ・エスパーシャル・アジェンシア(メキシコ宇宙機関)の設立
2011 太平洋同盟(チリ、コロンビア、メキシコ、ペルーによって形成されたラテンアメリカ貿易圏)の設立
2012 セグロ・ポピュラー(フォックス政権下で可決)による国民皆保険の達成
64
エンリケ・ペーニャ・ニエト
Enrique Peña Nieto
2012.12.1
–
2018.11.30
2012.12.2 メキシコ協定を発効(国民行動党、民主革命党、2013.1.28からメキシコ緑の党が参加)、政党間の争いを鎮静化、法案強化)
2014.8 起亜自動車と共同でヌエボ・レオンに工場を建設する計画を発表
2014.9 アヨツィナパ(イグアラ)集団誘拐事件
2015 アルティプラノ刑務所からの麻薬王ホアキン・エル・チャポ・グスマンの逃亡
2016.5 経済的に低迷している南部の州に経済特別区を創設する法律に署名
65
アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール
Andrés Manuel López Obrador
2018.12.1
–
2024.9.30
2020.9 歴代の大統領を訴追の対象に含めることの是非を問う国民投票実施を表明、10. 連邦議会で投票実施が承認
2019 大統領の信任投票のための国民投票制度を導入、2022.4.10 国民投票が執行
2020.7.1 アメリカ合衆国、メキシコ合衆国およびカナダ間の協定 (USMCA)発効
2021.6 中間選挙でフントス・ハセモス・ヒストリア連合は下院で議席を失うが、与党連立政権で単純過半数を維持したものの、議会過半数の3分の2を確保できなかった
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