- アルゼンチン大統領について
- リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合 (1810年 – 1831年)
- 軍事政権大統領(Junta presidents) (1810年 – 1811年)
- コルネリオ・サアベドラ
Cornelio Saavedra - ドミンゴ・マテウ
Domingo Matheu - 第一回三頭政治(1811年 – 1812年)
- 第二回三頭政治(1812年 – 1814年)
- 最高執政官(1814年 – 1820年)
- ガルバシオ・アントニオ・デ・ポサーダス
Gervasio Antonio de Posadas - カルロス・マリア・デ・アルベアル
Carlos María de Alvear - 第三回三頭政治
- ホセ・ロンド
José Rondeau - イグナシオ・アルバレス・トーマス
Ignacio Álvarez Thomas - アントニオ・ゴンザレス・デ・バルカルセ
Antonio González de Balcarce - フアン・マルティン・デ・プエイレドン
Juan Martín de Pueyrredón - ホセ・ロンド
José Rondeau - フアン・ペドロ・アギーレ
Juan Pedro Aguirre - 国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1820年 – 1826年)
- マティアス・デ・イリゴージェン
Matías de Irigoyen - マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea - フアン・ラモン・ゴンザレス・バルカルセ
Juan Ramón González Balcarce - マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea - イルデフォンソ・ラモス・メキシア
Ildefonso Ramos Mexía - ブエノスアイレスカビルド
Buenos Aires Cabildo - ミゲル・エスタニスラオ・ソレール
Miguel Estanislao Soler - マヌエル・ドレーゴ
Manuel Dorrego - マルティン・ロドリゲス
Martín Rodríguez - フアン・グレゴリオ・デ・ラス・ヘラス
Juan Gregorio de Las Heras - 第一次大統領政府 (1826年 – 1827年)
- ベルナルディーノ・リバダビア
Bernardino Rivadavia - ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes - 国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1827年 – 1831年)
- マヌエル・ドレーゴ
Manuel Dorrego - フアン・ラバイェ
Juan Lavalle - フアン・ホセ・ビアモンテ
Juan José Viamonte - フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas
- アルゼンチン連合(1831年 – 1861年)
- 国際関係を管理する州知事(1831年 – 1852年)
- フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas - フアン・ラモン・ゴンザレス・バルカルセ
Juan Ramón González Balcarce - フアン・ホセ・ビアモンテ
Juan José Viamonte - マヌエル・ビセンテ・マーサ
Manuel Vicente Maza - フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas - ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes - フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza - アルゼンチン連合暫定理事長(1852年 – 1854年)
- フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza - 連合の大統領 (1854年 – 1861年)
- フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza - サンティアゴ・デルキ
Santiago Derqui - フアン・エステバン・ペデレーナ
Juan Esteban Pedernera
- アルゼンチン共和国 戦前 (1861年 – 1946年)
- バルトロメ・ミトレ
Bartolomé Mitre - ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント
Domingo Faustino Sarmiento - ニコラス・アベヤネーダ
Nicolás Avellaneda - フリオ・アルヘンティーノ・ロカ
Julio Argentino Roca - ミゲル・ファレス・セルマン
Miguel Juárez Celman - カルロス・ペイェグリーニ
Carlos Pellegrini - ルイス・サエンス・ペーニャ
Luis Sáenz Peña - ホセ・エバリスト・ウリブル
José Evaristo Uriburu - フリオ・アルヘンティーノ・ロカ
Julio Argentino Roca - マヌエル・キンターナ
Manuel Quintana - ホセ・フィゲロア・アルコルタ
José Figueroa Alcorta - ロケ・サエンス・ペーニャ
Roque Sáenz Peña - ビクトリーノ・デ・ラ・プラサ
Victorino de la Plaza - イポリト・イリゴージェン
Hipólito Yrigoyen - マルセロ・トルクァト・デ・アルベアール
Marcelo Torcuato de Alvear - イポリト・イリゴージェン
Hipólito Yrigoyen - ホセ・フェリクス・ウリブル
José Félix Uriburu - アグスティン・ペドロ・フスト
Agustín Pedro Justo - ロベルト・マリア・オルティス
Roberto María Ortiz - ラモン・カスティーヨ
Ramón Castillo - ラモン・カスティーヨ
Ramón Castillo - アウトゥーロ・ローソン
Arturo Rawson - ペドロ・パブロ・ラミレス
Pedro Pablo Ramírez - エデルミロ・フリアン・ファーレル
Edelmiro Julián Farrell - エデルミロ・フリアン・ファーレル
Edelmiro Julián Farrell
- バルトロメ・ミトレ
- アルゼンチン共和国 戦後 (1846年 – 現在)
- フアン・ドミンゴ・ペロン
Juan Domingo Perón - エドゥアルド・ロナルディ
Eduardo Lonardi - ペドロ・エウヘニオ・アランブル
Pedro Eugenio Aramburu - アルトゥーロ・フロンディシ
Arturo Frondizi - ホセ・マリア・ギド
José María Guido - アルトゥーロ・ウンベルト・イリア
Arturo Umberto Illia - 軍司令官のフンタ
- フアン・カルロス・オンガニーア
Juan Carlos Onganía - 軍司令官のフンタ
- ロベルト・マルセーロ・レビングストン
Roberto M. Levingston - 軍司令官のフンタ
- アレハンドロ・アグスティン・ラヌーセ
Alejandro Agustín Lanusse - エクトル・ホセ・カンポラ
Héctor José Cámpora - ラウル・アルベルト・ラスティーリ
Raúl Alberto Lastiri - フアン・ドミンゴ・ペロン
Juan Domingo Perón - イサベル・ペロン
Isabel Martínez de Perón - 軍事政権(軍事評議会)
- ホルヘ・ラファエル・ビデラ
Jorge Rafael Videla - ロベルト・エドゥアルド・ビオラ
Roberto Eduardo Viola - オラシオ・トマス・リエンド
Horacio Tomás Liendo - カルロス・ラコステ
Carlos Lacoste - レオポルド・ガルティエリ
Leopoldo Galtieri - アルフレッド・オスカル・サン・ジャン
Alfredo Oscar Saint Jean - レイネルド・ベニト・ビニョーネ
Reynaldo Bignone - ラウル・アルフォンシン
Raúl Alfonsín - カルロス・メネム
Carlos Menem - フェルナンド・デ・ラ・ルア
Fernando de la Rúa - ラモン・プエルタ
Ramón Puerta - アドルフォ・ロドリゲス・サア
Adolfo Rodríguez Saá - エドゥアルド・カマーニョ
Eduardo Camaño - エドゥアルド・ドゥアルデ
Eduardo Duhalde - ネストル・キルチネル
Néstor Kirchner - クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
Cristina Fernández de Kirchner - フェデリコ・ピネド
Federico Pinedo - マウリシオ・マクリ
Mauricio Macri - アルベルト・フェルナンデス
Alberto Ángel Fernández - ハビエル・ミレイ
Javier Milei
- フアン・ドミンゴ・ペロン
- 参考リンク
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アルゼンチン大統領について
大統領は、連邦共和国の元首であり、副大統領とともに直接選挙で選ばれ、任期は4年(かつては6年)。現職大統領の大統領選挙への再出馬(当選した場合は再選)は1回のみ認められている。
大統領と内閣は行政権を行使し、首相(Jefe de Gabinete de Ministros)を含む内閣の大臣は大統領によって任命される。大統領による職務執行が一時的(療養など)または永続的(弾劾・辞任・死去に伴う欠位が発生した場合)に困難となったときは副大統領がそれを代行、もしくは大統領に昇格する。
リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合 (1810年 – 1831年)

元々は、南アメリカ連合州(西: Provincias Unidas de Sudamérica)としても知られていた、旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領の反乱地域
- 1810年:五月革命に始まるアルゼンチン独立戦争
- 1813年:主権者会議
- 1816年:トゥクマン会議にて独立宣言

軍事政権大統領(Junta presidents) (1810年 – 1811年)
- フンタ(Junta):すでに存在しているアユンタミエント(参事会)に、司教などの社会の著名なメンバーを追加することにより結成された自治政府を表す言葉、「政治委員会」とも
- 1810.5.18-25 アルゼンチン五月革命:リオ・デ・ラ・プラタ副王バルタサール・イダルゴ・デ・シスネロスが失脚、現地の政府プリメラ・フンタ(自治委員会)が樹立
- プリメラ・フンタ(英 First Junta, 西:Junta Provisional Gubernativa de las Provincias del Río de la Plata):リオ・デ・ラ・プラタ州暫定統治フンタ、リオ・デ・ラ・プラタ州暫定知事軍事政権、リオ・デ・ラ・プラタ州暫定統治委員会等の呼び名がある

代
氏名
期
在任期間
事績
(1)
コルネリオ・サアベドラ
Cornelio Saavedra

1
1810.5.25
–
1810.12.18
アルゼンチン独立戦争勃発時のプリメラ・フンタ大統領
2
1810.12.18
–
1811.8.26
グランデフンタ大統領
北方軍への勤務のため退役
第一回三頭政治(1811年 – 1812年)
フェリシアーノ・チクラーナ Feliciano Chiclana ![]() | マヌエル・デ・サラテア Manuel de Sarratea ![]() | フアン・ホセ・パソ Juan José Paso ![]() |
フアン・マルティン ・デ・プエイレドン Juan Martín de Pueyrredón ![]() |
第二回三頭政治(1812年 – 1814年)
- 1813.1.31 ブエノス・アイレスで憲法制定会議を開催
- 6.11 憲法制定会議、アルティガスによる派遣代議員を拒絶
ニコラス・ロドリゲス・ペーニャ Nicolás Rodríguez Peña ![]() | アントニオ・アルバレス ・ホンテ Antonio Álvarez Jonte ![]() | フアン・ホセ・パソ Juan José Paso ![]() |
ホセ・フリアン・ペレス José Julián Pérez ![]() | ||
ガルバシオ・アントニオ ・デ・ポサーダス Gervasio Antonio de Posadas ![]() | ||
フアン・ラレア Juan Larrea ![]() |
最高執政官(1814年 – 1820年)
- リオ・デ・ラ・プラタ州連合最高執政官(Director Supremo de las Provincias Unidas del Río de la Plata):リオ・デ・ラ・プラタ州連合幹部に与えられる称号
- 1814年、第二回三頭政治によって召集された議会 (XIII 年議会)によって設立された政府にて、最高執政官は2年の任期で権力を行使することになっていた
- 1816.7.9 トゥクマン市で開かれた国民会議で、リオ・デ・ラ・プラタ連合州の独立宣言
- 1820.2.1 セペダの戦い:ユニテリアン派の敗北を受けてホセ・ロンドーが辞任後、最高執政官の職には一時的にフアン・ペドロ・アギーレが就任
- 1820.2.16 国民議会が解散、アギーレがブエノスアイレス議会がブエノスアイレス州の知事を指名することを支持、事実上中央政府の中央集権主義に終止符が打たれる
代
氏名
在任期間
事績
(3)
1814.1.31
–
1815.1.9
リオ・デ・ラ・プラタ連合州の初代最高執政官
1813年の議会によって選出
–
第三回三頭政治
ホセ・デ・サン・マルティン
José de San Martín

マティアス・デ・イリゴエン
Matías de Irigoyen

マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea

1815.4.18
–
1815.4.20
新しい最高長官が任命されるまでの暫定政府
(7)
(8)
1816.7.9
–
1819.6.9
アルゼンチン独立宣言後初のアルゼンチン国家元首、アンデス山脈横断の軍事作戦を支援、アルゼンチン初の国立銀行と国立造幣局を設立した
1817.1.17 サン・マルティン、アンデス越えの遠征に着手
1817.2.12 チャカブコの会戦でアンデス部隊がスペイン軍を破る
1818.3.29 カンチャ・ラヤータの戦いで敗北
4.5 マイボの戦いで勝利、チリ解放に成功
1819.2 チリとペルー進行の資金・兵員の半分ずつの負担を取り決め
1819.4.22 共和国最初の憲法(中央集権主義憲法)を公布
(9)
1819.6.9
–
1820.2.1
1820.2.1 セペーダの戦いで、 1819年の中央集権主義憲法に反対するカウディーヨ(連邦軍)に決定的に敗北、中央政府が崩壊、憲法は失効し、無政府状態に陥る
(10)
1820.2.1
–
1820.2.11
暫定執政官
国民会議を解散し、これまでの市長職に代わってブエノスアイレス州知事を選出するブエノスアイレス議会を支持
国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1820年 – 1826年)
1820年のセペーダの敗戦で中央政府が崩壊、1820年から1826年の間、連合州は協定や条約によってまとめられた自治州の緩やかな同盟として機能
代
氏名
在任期間
事績
–
1820.2.11
–
1820.2.18
1820.2.9から11まで知事市長を務め、マヌエル・デ・サラテアが任命されるまで暫定的に知事に昇進
–
1820.2.18
–
1820.3.6
暫定知事
1820.2.23 ピラール条約:サンタフェ州、エントレリオス州、ブエノスアイレス州の統治者の間で署名された協定で、この国の連邦組織の基礎として認識される
政治危機により、サラテアの政府はブエノスアイレスと他の州の両方からの支持を欠いたため辞任
–
ブエノスアイレスカビルド
Buenos Aires Cabildo
イルデフォンソ・ラモス・メキシア
Ildefonso Ramos Mexía

ミゲル・エスタニスラオ・ソレール
Miguel Estanislao Soler

1820.6.20
–
1820.6.23
2人で同時に権力を掌握
–
1820.6.23
–
1820.6.29
武装蜂起後に事実上の単独政権が数日間続き、下院議会がマヌエル・ドレーゴを任命
–
1820.9.20
–
1824.4.2
1820.11.24 ベネガス条約:ブエノスアイレス州とサンタフェ州によって署名された平和条約
1821 リバダビア州内務大臣が内政改革に着手、永代借地法で土地寡占化が進行
1821 バンダ・オリエンタルがポルトガルに併合
1821 ブエノスアイレス大学が設立
1822.1.25 ベネガスと四か国条約(ブエノスアイレス州、サンタフェ州、エントレリオス州、コリエンテス州の間の協定)を締結
7.26-27 グァヤキルでシモン・ボリーバルとサン・マルティンが会見
9.7 ブラジル独立、バンダ・オリエンタルがブラジルの一部となる
–
1824.4.2
–
1826.2.7
1825.1 中央政府が不在の場合はブエノス・アイレス州が国の外交権を行使するとした基本法をブエノス・アイレス議会が制定
1825年の憲法会議:統一共和国を宣言するいくつかの法律を制定
1825.2.2 イギリスと友好通商航海条約を締結
1825.8 バンダ・オリエンタルがブラジルからの独立とアルゼンチンへの帰属を宣言
1825.10 ブエノス・アイレス議会がバンダ・オリエンタルのアルゼンチンへの編入を承認
1825.12.10-1828.8.27 シスプラティーナ戦争

1825.12 ブラジルがアルゼンチンに宣戦布告
1826.1.1 アルゼンチンがブラジルに宣戦布告
共和国成立に向けて大統領制度へ移行したため退任
第一次大統領政府 (1826年 – 1827年)
代
氏名
期
在任期間
事績
1
1
1826.2.8
–
1827.6.27
1826年憲法公布前に、1826年の憲法制定議会によって選出
1826.12 中央集権的な憲法を制定→ほとんどの州が批准を拒否
1828.4.28 モンテビデオ条約:バンダ・オリエンタルはウルグアイ東方国として独立
1827.6.27 戦争・条約の結果が民衆の不満を引き起こしたため辞任
2
ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes

1
1827.7.7
–
1827.8.18
1826年の制憲議会で暫定大統領に選出
プラネウスの任務は議会を閉会し、ブエノスアイレスの新しい知事の選挙を呼びかけることに限定されていた
国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1827年 – 1831年)
代
氏名
在任期間
事績
–
1828.12.1
–
1829.6.26
クーデター、ドレーゴを殺害してブレノス・アイレス州知事に就く→連邦派と中央集権派との抗争がエスカレートしていく
1829.4.26 マルケス橋の戦いでフアン・マヌエル・デ・ロサスとサンタフェ州知事エスタニスラオ・ロペスに敗れる
ロサスはラバイェを包囲し続け、カニュエラ協定により辞任を強要、包囲下で辞任
–
アルゼンチン連合(1831年 – 1861年)
- リオ・デ・ラ・プラタ連合州(南アメリカ連合州)の領域は1835年以降、フアン・マヌエル・デ・ロサスがブエノスアイレスと国外での権威を掌握していた時、一つの連合であるかのように事実上行動した
- アルゼンチン連合の名前は1835年から1852年までの国家憲法が存在しないまま、諸州間の条約に連邦国家の基礎を置いたかのように理解される時期の呼称


国際関係を管理する州知事(1831年 – 1852年)
代
氏名
在任期間
事績
–
1831.1.4
–
1832.12.5
ブエノスアイレス州知事(1期目)
1931.11 シウダデラで連邦軍が中央集権同盟軍を打破
1832 サンタフェのロペスやラ・リオハのキロガらの地方諸州の連邦派カウディージョと同盟することによって全アルゼンチンを事実上統一
–
1832.12.5
–
1833.11.4
ブエノスアイレス州知事
1833.1.6 イギリス、マルビナス(フォークランド)諸島を占領
修復者の革命によって追放
1833.10.11 ロサスに対する裁判の知らせにより多数のガウチョと貧しい人々が議会の門前でロサスを称賛し、バルカルセの辞任を要求するデモを実施、デモと戦うために組織された軍隊が反乱を起こしてデモに参加、議会は最終的に裁判を断念し、バルカルセを追放
–
1833.11.4
–
1834.6.27
ブエノスアイレス州知事、暫定
1834.6 ロサスがバルカルセ知事に辞任を強要したが、誰もそのポストに就くことを望まなかったため、辞任は容易には受け入れられず
10. ようやく議会は妥協に達し、マヌエル・ビセンテ・マーサが知事職に就かざるを得なくなった
–
1834.6.27
–
1835.3.7
ブエノスアイレス州知事、暫定
1835.2 サルタ州とトゥクマン州の知事間の紛争の調停者としてファクンド・キロガを派遣
キロガがブエノスアイレスへの帰国途中に暗殺されたため辞任を余儀なくされる
–
1835.3.7
–
1852.2.3
1935.3.7 内陸部の連邦派指導者フアン・ファクンド・キロガが暗殺されたことによる内乱再発の危機により、州議会の請願を受けてブエノスアイレス州知事に就く(2期目)
1835.12.16 保護関税法制定
1937.5.19 アルゼンチン、ボリビアに宣戦布告
1838.3.28 フランスがラ・プラタ川を封鎖
1838.12 コリエンテス州ベロン・デ・アストラーダの反乱
1839.2-1851.10 ウルグアイとの抗争「大戦争」
1940.7 北部諸州が連合を結成
1840.10 封鎖解除に成功する
1845.7.28 サルミエントがチリで『ファクンド』刊行
1845.8.16 英仏共同でアルゼンチン諸港を封鎖
1845.12.4 パラグアイのロペス大統領がアルゼンチンに宣戦布告(-1846.9.15)
1849.11.24 イギリスの海上封鎖を解かせる
1850.8.31 フランスの海上封鎖を解かせる
1851年「アルゼンチン連邦の最高首長」に任命
1851.5.1 ウルキーサ、ロサス政府への反抗開始
1851.8.18-1852.2.3 ラ・プラタ戦争

1851.7.18 アルゼンチン連合、ブラジルに宣戦布告
1852.2.3 カセーロスの戦いでフスト・ホセ・デ・ウルキーサに敗北、辞任
–
ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes

1852.2.3
–
1852.4.6
ブエノスアイレス州知事、暫定
1852.4.6から7.26まで、ブエノスアイレス州知事を務めたが、国権は持たなかった
アルゼンチン連合暫定理事長(1852年 – 1854年)
代
氏名
在任期間
事績
–
1852.5.31
–
1854.3.5
同時にエントレ・リオス州知事およびブエノスアイレス州知事(1852.7.26 – 1852.9.4)
1852.9.11 ブエノスアイレス州が連邦から離脱
1853.5.1 アルゼンチンの現行憲法はブエノスアイレスを除くすべての州によって批准
1853.5.25 アルゼンチン連合、フアン・バウティスタ・アルベルディの考えに基づく憲法を公布し連邦共和国体制を樹立
連合の大統領 (1854年 – 1861年)
代
氏名
期
在任期間
事績
3
2
1854.3.5
–
1860.3.5
間接選挙、アルゼンチン初の立憲大統領
1857.8.30 ブエノスアイレス市にアルゼンチン初の鉄道が開通
1859.10 セペダの戦いでバルトロメ・ミトレ率いる州軍を破り、戦後ブエノスアイレスは連邦への再加盟に同意
4
5
3
1861.11.5
–
1861.12.12
デルキ政権下の副大統領からデルキ辞任後に大統領就任
解散に伴い辞任
アルゼンチン共和国 戦前 (1861年 – 1946年)

- 1861.9 にブエノスイアレスの指導者バルトロメ・ミトレがパボンの戦いでウルキーサを破る
- 1862 ブエノスアイレスが指導的な立場を確保したままアルゼンチン連合に加盟することによってアルゼンチン共和国が成立、アルゼンチン初の制度的な国家統一が実現された
代
氏名
期
在任期間
事績
6
4
1861.12.12
–
1862.4.12
パボンの戦いとフアン・エステバン・ペデルネラの辞任後、事実上のブエノスアイレス州知事
その後の数か月間、各州はミトレにさまざまな権限を与えた
1862.2-63.11 内陸部のラ・リオハ州からアンヘル・ペニャローサ(チャチョ)の反乱
5
1862.4.12
–
1862.6.2
法令により「国家行政権を担当するブエノスアイレス州知事」に任命される
6
1862.6.2
–
1862.10.12
国民会議は選挙が行われるまでブエノスアイレス知事を国家行政権の責任者に任命
7
ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント
Domingo Faustino Sarmiento

8
1868.10.12
–
1874.10.12
間接選挙
パラグアイ戦争(三国同盟戦争)を終結させた
西欧化路線主義者
1869.10 保守系新聞紙『ラ・プレンサ』創刊
1870.1.4 バルトロメ・ミトレが日刊紙『ラ・ナシオン』を創刊
1870.4 連邦派リカルド・ロペス・ホルダンがウルキーサを殺害
1872.11.28 ホセ・エルナンデス『マルティン・フィエロ』刊行
8
9
1874.10.12
–
1880.10.12
間接選挙により選出
1874.9.24 アベヤネーダ大統領就任に対してミトレらが反乱(-12.7)
1876 リカルド・ロペス・ホルダンが敗れたのを最後にカウディージョの乱は終わりを告げる
1876 移民法(アベヤネーダ法):外国移民の流入促進
1877 陸軍大臣フリオ・アルヘンティーノ・ロカ将軍による「砂漠の征服作戦」が開始
1879 ロカによる「原住民掃討作戦(砂漠の征服)」により、パンパの肥沃地が農牧用に解放される

1880年代:実証主義者の活躍(1880年代の世代)
1880.6.1 大統領選でロカに敗北したブレノス・アイレス州知事テヘドールが州軍を率いて蜂起
1880.9 テヘドールを破り、ブレノス・アイレス州から切り離してブエノスアイレス市が連邦化(連邦の首都)
10
11
12
12
1892.10.12
–
1895.1.22
間接選挙
1893.7.29 急進市民同盟、ラ・プラタ市など各地で武装蜂起(-9.29)
任期中、公共事業省は鉄道網の拡張に成功し、ラ リオハを除くすべての州都が鉄道で結ばれる
1893年の革命における政府の勝利
辞任
13