- アルゼンチン大統領について
- リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合 (1810年 – 1831年)
- 軍事政権大統領(Junta presidents) (1810年 – 1811年)
- コルネリオ・サアベドラ
Cornelio Saavedra - ドミンゴ・マテウ
Domingo Matheu - 第一回三頭政治(1811年 – 1812年)
- 第二回三頭政治(1812年 – 1814年)
- 最高執政官(1814年 – 1820年)
- ガルバシオ・アントニオ・デ・ポサーダス
Gervasio Antonio de Posadas - カルロス・マリア・デ・アルベアル
Carlos María de Alvear - 第三回三頭政治
- ホセ・ロンド
José Rondeau - イグナシオ・アルバレス・トーマス
Ignacio Álvarez Thomas - アントニオ・ゴンザレス・デ・バルカルセ
Antonio González de Balcarce - フアン・マルティン・デ・プエイレドン
Juan Martín de Pueyrredón - ホセ・ロンド
José Rondeau - フアン・ペドロ・アギーレ
Juan Pedro Aguirre - 国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1820年 – 1826年)
- マティアス・デ・イリゴージェン
Matías de Irigoyen - マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea - フアン・ラモン・ゴンザレス・バルカルセ
Juan Ramón González Balcarce - マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea - イルデフォンソ・ラモス・メキシア
Ildefonso Ramos Mexía - ブエノスアイレスカビルド
Buenos Aires Cabildo - ミゲル・エスタニスラオ・ソレール
Miguel Estanislao Soler - マヌエル・ドレーゴ
Manuel Dorrego - マルティン・ロドリゲス
Martín Rodríguez - フアン・グレゴリオ・デ・ラス・ヘラス
Juan Gregorio de Las Heras - 第一次大統領政府 (1826年 – 1827年)
- ベルナルディーノ・リバダビア
Bernardino Rivadavia - ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes - 国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1827年 – 1831年)
- マヌエル・ドレーゴ
Manuel Dorrego - フアン・ラバイェ
Juan Lavalle - フアン・ホセ・ビアモンテ
Juan José Viamonte - フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas
- アルゼンチン連合(1831年 – 1861年)
- 国際関係を管理する州知事(1831年 – 1852年)
- フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas - フアン・ラモン・ゴンザレス・バルカルセ
Juan Ramón González Balcarce - フアン・ホセ・ビアモンテ
Juan José Viamonte - マヌエル・ビセンテ・マーサ
Manuel Vicente Maza - フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas - ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes - フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza - アルゼンチン連合暫定理事長(1852年 – 1854年)
- フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza - 連合の大統領 (1854年 – 1861年)
- フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza - サンティアゴ・デルキ
Santiago Derqui - フアン・エステバン・ペデレーナ
Juan Esteban Pedernera
- アルゼンチン共和国 戦前 (1861年 – 1946年)
- バルトロメ・ミトレ
Bartolomé Mitre - ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント
Domingo Faustino Sarmiento - ニコラス・アベヤネーダ
Nicolás Avellaneda - フリオ・アルヘンティーノ・ロカ
Julio Argentino Roca - ミゲル・ファレス・セルマン
Miguel Juárez Celman - カルロス・ペイェグリーニ
Carlos Pellegrini - ルイス・サエンス・ペーニャ
Luis Sáenz Peña - ホセ・エバリスト・ウリブル
José Evaristo Uriburu - フリオ・アルヘンティーノ・ロカ
Julio Argentino Roca - マヌエル・キンターナ
Manuel Quintana - ホセ・フィゲロア・アルコルタ
José Figueroa Alcorta - ロケ・サエンス・ペーニャ
Roque Sáenz Peña - ビクトリーノ・デ・ラ・プラサ
Victorino de la Plaza - イポリト・イリゴージェン
Hipólito Yrigoyen - マルセロ・トルクァト・デ・アルベアール
Marcelo Torcuato de Alvear - イポリト・イリゴージェン
Hipólito Yrigoyen - ホセ・フェリクス・ウリブル
José Félix Uriburu - アグスティン・ペドロ・フスト
Agustín Pedro Justo - ロベルト・マリア・オルティス
Roberto María Ortiz - ラモン・カスティーヨ
Ramón Castillo - ラモン・カスティーヨ
Ramón Castillo - アウトゥーロ・ローソン
Arturo Rawson - ペドロ・パブロ・ラミレス
Pedro Pablo Ramírez - エデルミロ・フリアン・ファーレル
Edelmiro Julián Farrell - エデルミロ・フリアン・ファーレル
Edelmiro Julián Farrell
- バルトロメ・ミトレ
- アルゼンチン共和国 戦後 (1846年 – 現在)
- フアン・ドミンゴ・ペロン
Juan Domingo Perón - エドゥアルド・ロナルディ
Eduardo Lonardi - ペドロ・エウヘニオ・アランブル
Pedro Eugenio Aramburu - アルトゥーロ・フロンディシ
Arturo Frondizi - ホセ・マリア・ギド
José María Guido - アルトゥーロ・ウンベルト・イリア
Arturo Umberto Illia - 軍司令官のフンタ
- フアン・カルロス・オンガニーア
Juan Carlos Onganía - 軍司令官のフンタ
- ロベルト・マルセーロ・レビングストン
Roberto M. Levingston - 軍司令官のフンタ
- アレハンドロ・アグスティン・ラヌーセ
Alejandro Agustín Lanusse - エクトル・ホセ・カンポラ
Héctor José Cámpora - ラウル・アルベルト・ラスティーリ
Raúl Alberto Lastiri - フアン・ドミンゴ・ペロン
Juan Domingo Perón - イサベル・ペロン
Isabel Martínez de Perón - 軍事政権(軍事評議会)
- ホルヘ・ラファエル・ビデラ
Jorge Rafael Videla - ロベルト・エドゥアルド・ビオラ
Roberto Eduardo Viola - オラシオ・トマス・リエンド
Horacio Tomás Liendo - カルロス・ラコステ
Carlos Lacoste - レオポルド・ガルティエリ
Leopoldo Galtieri - アルフレッド・オスカル・サン・ジャン
Alfredo Oscar Saint Jean - レイネルド・ベニト・ビニョーネ
Reynaldo Bignone - ラウル・アルフォンシン
Raúl Alfonsín - カルロス・メネム
Carlos Menem - フェルナンド・デ・ラ・ルア
Fernando de la Rúa - ラモン・プエルタ
Ramón Puerta - アドルフォ・ロドリゲス・サア
Adolfo Rodríguez Saá - エドゥアルド・カマーニョ
Eduardo Camaño - エドゥアルド・ドゥアルデ
Eduardo Duhalde - ネストル・キルチネル
Néstor Kirchner - クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
Cristina Fernández de Kirchner - フェデリコ・ピネド
Federico Pinedo - マウリシオ・マクリ
Mauricio Macri - アルベルト・フェルナンデス
Alberto Ángel Fernández - ハビエル・ミレイ
Javier Milei
- フアン・ドミンゴ・ペロン
- 参考リンク
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アルゼンチン大統領について
大統領は、連邦共和国の元首であり、副大統領とともに直接選挙で選ばれ、任期は4年(かつては6年)。現職大統領の大統領選挙への再出馬(当選した場合は再選)は1回のみ認められている。
大統領と内閣は行政権を行使し、首相(Jefe de Gabinete de Ministros)を含む内閣の大臣は大統領によって任命される。大統領による職務執行が一時的(療養など)または永続的(弾劾・辞任・死去に伴う欠位が発生した場合)に困難となったときは副大統領がそれを代行、もしくは大統領に昇格する。
リオ・デ・ラ・プラタ諸州連合 (1810年 – 1831年)
元々は、南アメリカ連合州(西: Provincias Unidas de Sudamérica)としても知られていた、旧リオ・デ・ラ・プラタ副王領の反乱地域
- 1810年:五月革命に始まるアルゼンチン独立戦争
- 1813年:主権者会議
- 1816年:トゥクマン会議にて独立宣言
軍事政権大統領(Junta presidents) (1810年 – 1811年)
- フンタ(Junta):すでに存在しているアユンタミエント(参事会)に、司教などの社会の著名なメンバーを追加することにより結成された自治政府を表す言葉、「政治委員会」とも
- 1810.5.18-25 アルゼンチン五月革命:リオ・デ・ラ・プラタ副王バルタサール・イダルゴ・デ・シスネロスが失脚、現地の政府プリメラ・フンタ(自治委員会)が樹立
- プリメラ・フンタ(英 First Junta, 西:Junta Provisional Gubernativa de las Provincias del Río de la Plata):リオ・デ・ラ・プラタ州暫定統治フンタ、リオ・デ・ラ・プラタ州暫定知事軍事政権、リオ・デ・ラ・プラタ州暫定統治委員会等の呼び名がある
代
氏名
期
在任期間
事績
(1)
コルネリオ・サアベドラ
Cornelio Saavedra
1
1810.5.25
–
1810.12.18
アルゼンチン独立戦争勃発時のプリメラ・フンタ大統領
2
1810.12.18
–
1811.8.26
グランデフンタ大統領
北方軍への勤務のため退役
第一回三頭政治(1811年 – 1812年)
フェリシアーノ・チクラーナ Feliciano Chiclana 1811.9.23 – 1812.10.8 | マヌエル・デ・サラテア Manuel de Sarratea 1811.9.23 – 1812.10.8 | フアン・ホセ・パソ Juan José Paso 1811.9.23 – 1812.3.23 |
フアン・マルティン ・デ・プエイレドン Juan Martín de Pueyrredón 1812.3.23 – 1812.10.8 |
第二回三頭政治(1812年 – 1814年)
- 1813.1.31 ブエノス・アイレスで憲法制定会議を開催
- 6.11 憲法制定会議、アルティガスによる派遣代議員を拒絶
ニコラス・ロドリゲス・ペーニャ Nicolás Rodríguez Peña1812.10.8 – 1814.1.31 | アントニオ・アルバレス ・ホンテ Antonio Álvarez Jonte1812.10.8 – 1813.8.19 | フアン・ホセ・パソ Juan José Paso 1812.10.8 – 1813.2.20 |
ホセ・フリアン・ペレス José Julián Pérez1813.2.20 – 1813.11.5 | ||
ガルバシオ・アントニオ ・デ・ポサーダス Gervasio Antonio de Posadas1813.8.19 – 1814.1.31 | ||
フアン・ラレア Juan Larrea1813.11.5 – 1814.1.31 |
最高執政官(1814年 – 1820年)
- リオ・デ・ラ・プラタ州連合最高執政官(Director Supremo de las Provincias Unidas del Río de la Plata):リオ・デ・ラ・プラタ州連合幹部に与えられる称号
- 1814年、第二回三頭政治によって召集された議会 (XIII 年議会)によって設立された政府にて、最高執政官は2年の任期で権力を行使することになっていた
- 1816.7.9 トゥクマン市で開かれた国民会議で、リオ・デ・ラ・プラタ連合州の独立宣言
- 1820.2.1 セペダの戦い:ユニテリアン派の敗北を受けてホセ・ロンドーが辞任後、最高執政官の職には一時的にフアン・ペドロ・アギーレが就任
- 1820.2.16 国民議会が解散、アギーレがブエノスアイレス議会がブエノスアイレス州の知事を指名することを支持、事実上中央政府の中央集権主義に終止符が打たれる
代
氏名
在任期間
事績
(3)
ガルバシオ・アントニオ・デ・ポサーダス
Gervasio Antonio de Posadas
1814.1.31
–
1815.1.9
リオ・デ・ラ・プラタ連合州の初代最高執政官
1813年の議会によって選出
–
第三回三頭政治
ホセ・デ・サン・マルティン
José de San Martín
マティアス・デ・イリゴエン
Matías de Irigoyen
マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea
1815.4.18
–
1815.4.20
新しい最高長官が任命されるまでの暫定政府
(7)
アントニオ・ゴンザレス・デ・バルカルセ
Antonio González de Balcarce
1816.4.16
–
1816.7.9
暫定執政官
1816.7.9 トゥクマン市で開かれた国民会議で、リオ・デ・ラ・プラタ連合州の独立宣言
(8)
フアン・マルティン・デ・プエイレドン
Juan Martín de Pueyrredón
1816.7.9
–
1819.6.9
アルゼンチン独立宣言後初のアルゼンチン国家元首、アンデス山脈横断の軍事作戦を支援、アルゼンチン初の国立銀行と国立造幣局を設立した
1817.1.17 サン・マルティン、アンデス越えの遠征に着手
1817.2.12 チャカブコの会戦でアンデス部隊がスペイン軍を破る
1818.3.29 カンチャ・ラヤータの戦いで敗北
4.5 マイボの戦いで勝利、チリ解放に成功
1819.2 チリとペルー進行の資金・兵員の半分ずつの負担を取り決め
1819.4.22 共和国最初の憲法(中央集権主義憲法)を公布
(9)
ホセ・ロンド
José Rondeau
1819.6.9
–
1820.2.1
1820.2.1 セペーダの戦いで、 1819年の中央集権主義憲法に反対するカウディーヨ(連邦軍)に決定的に敗北、中央政府が崩壊、憲法は失効し、無政府状態に陥る
(10)
フアン・ペドロ・アギーレ
Juan Pedro Aguirre
1820.2.1
–
1820.2.11
暫定執政官
国民会議を解散し、これまでの市長職に代わってブエノスアイレス州知事を選出するブエノスアイレス議会を支持
国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1820年 – 1826年)
1820年のセペーダの敗戦で中央政府が崩壊、1820年から1826年の間、連合州は協定や条約によってまとめられた自治州の緩やかな同盟として機能
代
氏名
在任期間
事績
–
マティアス・デ・イリゴージェン
Matías de Irigoyen
1820.2.11
–
1820.2.18
1820.2.9から11まで知事市長を務め、マヌエル・デ・サラテアが任命されるまで暫定的に知事に昇進
–
マヌエル・デ・サラテア
Manuel de Sarratea
1820.2.18
–
1820.3.6
暫定知事
1820.2.23 ピラール条約:サンタフェ州、エントレリオス州、ブエノスアイレス州の統治者の間で署名された協定で、この国の連邦組織の基礎として認識される
政治危機により、サラテアの政府はブエノスアイレスと他の州の両方からの支持を欠いたため辞任
–
ブエノスアイレスカビルド
Buenos Aires Cabildo
イルデフォンソ・ラモス・メキシア
Ildefonso Ramos Mexía
ミゲル・エスタニスラオ・ソレール
Miguel Estanislao Soler
1820.6.20
–
1820.6.23
2人で同時に権力を掌握
–
ミゲル・エスタニスラオ・ソレール
Miguel Estanislao Soler
1820.6.23
–
1820.6.29
武装蜂起後に事実上の単独政権が数日間続き、下院議会がマヌエル・ドレーゴを任命
–
マルティン・ロドリゲス
Martín Rodríguez
1820.9.20
–
1824.4.2
1820.11.24 ベネガス条約:ブエノスアイレス州とサンタフェ州によって署名された平和条約
1821 リバダビア州内務大臣が内政改革に着手、永代借地法で土地寡占化が進行
1821 バンダ・オリエンタルがポルトガルに併合
1821 ブエノスアイレス大学が設立
1822.1.25 ベネガスと四か国条約(ブエノスアイレス州、サンタフェ州、エントレリオス州、コリエンテス州の間の協定)を締結
7.26-27 グァヤキルでシモン・ボリーバルとサン・マルティンが会見
9.7 ブラジル独立、バンダ・オリエンタルがブラジルの一部となる
–
フアン・グレゴリオ・デ・ラス・ヘラス
Juan Gregorio de Las Heras
1824.4.2
–
1826.2.7
1825.1 中央政府が不在の場合はブエノス・アイレス州が国の外交権を行使するとした基本法をブエノス・アイレス議会が制定
1825年の憲法会議:統一共和国を宣言するいくつかの法律を制定
1825.2.2 イギリスと友好通商航海条約を締結
1825.8 バンダ・オリエンタルがブラジルからの独立とアルゼンチンへの帰属を宣言
1825.10 ブエノス・アイレス議会がバンダ・オリエンタルのアルゼンチンへの編入を承認
1825.12.10-1828.8.27 シスプラティーナ戦争
1825.12 ブラジルがアルゼンチンに宣戦布告
1826.1.1 アルゼンチンがブラジルに宣戦布告
共和国成立に向けて大統領制度へ移行したため退任
第一次大統領政府 (1826年 – 1827年)
代
氏名
期
在任期間
事績
1
ベルナルディーノ・リバダビア
Bernardino Rivadavia
統一党(ユニテリアン)
1
1826.2.8
–
1827.6.27
1826年憲法公布前に、1826年の憲法制定議会によって選出
1826.12 中央集権的な憲法を制定→ほとんどの州が批准を拒否
1828.4.28 モンテビデオ条約:バンダ・オリエンタルはウルグアイ東方国として独立
1827.6.27 戦争・条約の結果が民衆の不満を引き起こしたため辞任
2
ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes
1
1827.7.7
–
1827.8.18
1826年の制憲議会で暫定大統領に選出
プラネウスの任務は議会を閉会し、ブエノスアイレスの新しい知事の選挙を呼びかけることに限定されていた
国際関係を管理するブエノスアイレス州知事(1827年 – 1831年)
代
氏名
在任期間
事績
–
1828.12.1
–
1829.6.26
クーデター、ドレーゴを殺害してブレノス・アイレス州知事に就く→連邦派と中央集権派との抗争がエスカレートしていく
1829.4.26 マルケス橋の戦いでフアン・マヌエル・デ・ロサスとサンタフェ州知事エスタニスラオ・ロペスに敗れる
ロサスはラバイェを包囲し続け、カニュエラ協定により辞任を強要、包囲下で辞任
–
フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas
アルゼンチン連合(1831年 – 1861年)
- リオ・デ・ラ・プラタ連合州(南アメリカ連合州)の領域は1835年以降、フアン・マヌエル・デ・ロサスがブエノスアイレスと国外での権威を掌握していた時、一つの連合であるかのように事実上行動した
- アルゼンチン連合の名前は1835年から1852年までの国家憲法が存在しないまま、諸州間の条約に連邦国家の基礎を置いたかのように理解される時期の呼称
国際関係を管理する州知事(1831年 – 1852年)
代
氏名
在任期間
事績
–
フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas
1831.1.4
–
1832.12.5
ブエノスアイレス州知事(1期目)
1931.11 シウダデラで連邦軍が中央集権同盟軍を打破
1832 サンタフェのロペスやラ・リオハのキロガらの地方諸州の連邦派カウディージョと同盟することによって全アルゼンチンを事実上統一
–
フアン・ラモン・ゴンザレス・バルカルセ
Juan Ramón González Balcarce
1832.12.5
–
1833.11.4
ブエノスアイレス州知事
1833.1.6 イギリス、マルビナス(フォークランド)諸島を占領
修復者の革命によって追放
1833.10.11 ロサスに対する裁判の知らせにより多数のガウチョと貧しい人々が議会の門前でロサスを称賛し、バルカルセの辞任を要求するデモを実施、デモと戦うために組織された軍隊が反乱を起こしてデモに参加、議会は最終的に裁判を断念し、バルカルセを追放
–
フアン・ホセ・ビアモンテ
Juan José Viamonte
1833.11.4
–
1834.6.27
ブエノスアイレス州知事、暫定
1834.6 ロサスがバルカルセ知事に辞任を強要したが、誰もそのポストに就くことを望まなかったため、辞任は容易には受け入れられず
10. ようやく議会は妥協に達し、マヌエル・ビセンテ・マーサが知事職に就かざるを得なくなった
–
マヌエル・ビセンテ・マーサ
Manuel Vicente Maza
1834.6.27
–
1835.3.7
ブエノスアイレス州知事、暫定
1835.2 サルタ州とトゥクマン州の知事間の紛争の調停者としてファクンド・キロガを派遣
キロガがブエノスアイレスへの帰国途中に暗殺されたため辞任を余儀なくされる
–
フアン・マヌエル・デ・ロサス
Juan Manuel de Rosas
1835.3.7
–
1852.2.3
1935.3.7 内陸部の連邦派指導者フアン・ファクンド・キロガが暗殺されたことによる内乱再発の危機により、州議会の請願を受けてブエノスアイレス州知事に就く(2期目)
1835.12.16 保護関税法制定
1937.5.19 アルゼンチン、ボリビアに宣戦布告
1838.3.28 フランスがラ・プラタ川を封鎖
1838.12 コリエンテス州ベロン・デ・アストラーダの反乱
1839.2-1851.10 ウルグアイとの抗争「大戦争」
1940.7 北部諸州が連合を結成
1840.10 封鎖解除に成功する
1845.7.28 サルミエントがチリで『ファクンド』刊行
1845.8.16 英仏共同でアルゼンチン諸港を封鎖
1845.12.4 パラグアイのロペス大統領がアルゼンチンに宣戦布告(-1846.9.15)
1849.11.24 イギリスの海上封鎖を解かせる
1850.8.31 フランスの海上封鎖を解かせる
1851年「アルゼンチン連邦の最高首長」に任命
1851.5.1 ウルキーサ、ロサス政府への反抗開始
1851.8.18-1852.2.3 ラ・プラタ戦争
1851.7.18 アルゼンチン連合、ブラジルに宣戦布告
1852.2.3 カセーロスの戦いでフスト・ホセ・デ・ウルキーサに敗北、辞任
–
ビセンテ・ロペス・イ・プラネス
Vicente López y Planes
1852.2.3
–
1852.4.6
ブエノスアイレス州知事、暫定
1852.4.6から7.26まで、ブエノスアイレス州知事を務めたが、国権は持たなかった
アルゼンチン連合暫定理事長(1852年 – 1854年)
代
氏名
在任期間
事績
–
フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza
1852.5.31
–
1854.3.5
同時にエントレ・リオス州知事およびブエノスアイレス州知事(1852.7.26 – 1852.9.4)
1852.9.11 ブエノスアイレス州が連邦から離脱
1853.5.1 アルゼンチンの現行憲法はブエノスアイレスを除くすべての州によって批准
1853.5.25 アルゼンチン連合、フアン・バウティスタ・アルベルディの考えに基づく憲法を公布し連邦共和国体制を樹立
連合の大統領 (1854年 – 1861年)
代
氏名
期
在任期間
事績
3
フスト・ホセ・デ・ウルキーサ
Justo José de Urquiza
2
1854.3.5
–
1860.3.5
間接選挙、アルゼンチン初の立憲大統領
1857.8.30 ブエノスアイレス市にアルゼンチン初の鉄道が開通
1859.10 セペダの戦いでバルトロメ・ミトレ率いる州軍を破り、戦後ブエノスアイレスは連邦への再加盟に同意
4
サンティアゴ・デルキ
Santiago Derqui
3
1860.3.5
–
1861.11.5
間接選挙により選出
1860.10.18 憲法改正が採択、アルゼンチン共和国が宣言
サン・ホセ・デ・フローレス協定の失敗
1860-1862 フランス人のオルリ・アントワーヌ・ド・トゥナンによっアラウカニア・パタゴニア王国がパタゴニアに建国
1861.9.17 パボンの戦いで中央政府がミトレ率いるブエノスアイレス州に結果として敗北、辞任
5
フアン・エステバン・ペデレーナ
Juan Esteban Pedernera
統一党(ユニテリアン)/軍部
3
1861.11.5
–
1861.12.12
デルキ政権下の副大統領からデルキ辞任後に大統領就任
解散に伴い辞任
アルゼンチン共和国 戦前 (1861年 – 1946年)
- 1861.9 にブエノスイアレスの指導者バルトロメ・ミトレがパボンの戦いでウルキーサを破る
- 1862 ブエノスアイレスが指導的な立場を確保したままアルゼンチン連合に加盟することによってアルゼンチン共和国が成立、アルゼンチン初の制度的な国家統一が実現された
代
氏名
期
在任期間
事績
6
4
1861.12.12
–
1862.4.12
パボンの戦いとフアン・エステバン・ペデルネラの辞任後、事実上のブエノスアイレス州知事
その後の数か月間、各州はミトレにさまざまな権限を与えた
1862.2-63.11 内陸部のラ・リオハ州からアンヘル・ペニャローサ(チャチョ)の反乱
5
1862.4.12
–
1862.6.2
法令により「国家行政権を担当するブエノスアイレス州知事」に任命される
6
1862.6.2
–
1862.10.12
国民会議は選挙が行われるまでブエノスアイレス知事を国家行政権の責任者に任命
7
1862.10.12
–
1868.10.12
1862.10.12 ミトレを唯一の候補とする間接選挙にて統一国家の初代大統領となる
1864-70 パラグアイ戦争(三国同盟戦争):1865.3 パラグアイがアルゼンチンへ宣戦布告)
1866.12-69.1 フェリペ・バレーラの反乱
7
ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント
Domingo Faustino Sarmiento
8
1868.10.12
–
1874.10.12
間接選挙
パラグアイ戦争(三国同盟戦争)を終結させた
西欧化路線主義者
1869.10 保守系新聞紙『ラ・プレンサ』創刊
1870.1.4 バルトロメ・ミトレが日刊紙『ラ・ナシオン』を創刊
1870.4 連邦派リカルド・ロペス・ホルダンがウルキーサを殺害
1872.11.28 ホセ・エルナンデス『マルティン・フィエロ』刊行
8
ニコラス・アベヤネーダ
Nicolás Avellaneda
国民自治党(PAN)
9
1874.10.12
–
1880.10.12
間接選挙により選出
1874.9.24 アベヤネーダ大統領就任に対してミトレらが反乱(-12.7)
1876 リカルド・ロペス・ホルダンが敗れたのを最後にカウディージョの乱は終わりを告げる
1876 移民法(アベヤネーダ法):外国移民の流入促進
1877 陸軍大臣フリオ・アルヘンティーノ・ロカ将軍による「砂漠の征服作戦」が開始
1879 ロカによる「原住民掃討作戦(砂漠の征服)」により、パンパの肥沃地が農牧用に解放される
1880年代:実証主義者の活躍(1880年代の世代)
1880.6.1 大統領選でロカに敗北したブレノス・アイレス州知事テヘドールが州軍を率いて蜂起
1880.9 テヘドールを破り、ブレノス・アイレス州から切り離してブエノスアイレス市が連邦化(連邦の首都)
10
ミゲル・ファレス・セルマン
Miguel Juárez Celman
国民自治党(PAN)
11
カルロス・ペイェグリーニ
Carlos Pellegrini
国民自治党(PAN)
11
1890.8.6
–
1892.10.12
フアレス・セルマン政権下で副大統領を務め、セルマン辞任後に大統領に就任
1890.11 ベアリング危機(1890年の恐慌)
12
ルイス・サエンス・ペーニャ
Luis Sáenz Peña
国民自治党(PAN)
12
1892.10.12
–
1895.1.22
間接選挙
1893.7.29 急進市民同盟、ラ・プラタ市など各地で武装蜂起(-9.29)
任期中、公共事業省は鉄道網の拡張に成功し、ラ リオハを除くすべての州都が鉄道で結ばれる
1893年の革命における政府の勝利
辞任
14
フリオ・アルヘンティーノ・ロカ
Julio Argentino Roca
国民自治党(PAN)
13
1898.10.12
–
1904.10.12
間接選挙(2期目)
1899 金本位制を導入
1901 徴兵制導入(兵役義務化)
1902 ドラゴ・ドクトリン発表(債務不履行による外国介入を阻止)
1902.5 チリと5月協定
1904.3.13 アンデスの救い主キリストを建立
16
ホセ・フィゲロア・アルコルタ
José Figueroa Alcorta
国民自治党(PAN)
14
1906.3.12
–
1910.10.12
キンターナ政権下で副大統領を務め、キンターナ死後大統領に就任
17
ロケ・サエンス・ペーニャ
Roque Sáenz Peña
国民自治党(近代主義路線)(PAN モダニスト)
15
1910.10.12
–
1914.8.9
間接選挙により選出
1912.2.13 選挙の公正化を期した新選挙法(サエンス・ペーニャ法)を推進
1912.6 小作農の間で、グリト・デ・アルコルタとして知られる、自分たちが働いている畑の所有者との契約条件の悪化に対する大規模な抗議運動(アルコルタの叫び)
1912.8.10 G. ベレスとともに軍用航空学校 (EMA) 創設
在職中に死去
18
ビクトリーノ・デ・ラ・プラサ
Victorino de la Plaza
国民自治党(近代主義路線)(PAN モダニスト)
15
1914.8.9
–
1916.10.12
サエンス・ペーニャ政権で副大統領を務め、ペーニャ死後に大統領に就任
19
イポリト・イリゴージェン
Hipólito Yrigoyen
16
1916.10.12
–
1922.10.12
自由間接選挙、サエンス・ペーニャ法に基づいて選出された初の大統領(1期目)
第一次世界大戦では中立を維持
1918.3 コルドバ大学で学生によるストライキ
1918.6.21 学生連盟がコルドバで宣言発表
1918.7 コルドバ市で第1回学生会議を開催
1918.10.9 コルドバ大学改革令を公布
1919 鉄道労働者のための年金法
1919.1.7 ブレノス・アイレス市のバセーナ冶金工場ストライキで軍隊出動「悲劇の一週間」
1921 公務員年金法
1921-22 農村労働者の争議で軍隊出動「パタゴニアの悲劇」
1922 国家石油公社(YPF)設立
20
マルセロ・トルクァト・デ・アルベアール
Marcelo Torcuato de Alvear
16
1922.10.12
–
1928.10.12
自由間接選挙、急進市民同盟保守派のアルベアールが大統領就任
1924.8.23 急進党内保守派が急進党反個人主義派(イリゴージェン個人の支配を拒否したことから)を結成し、イリゴージェン支持の進歩派と分裂
21
イポリト・イリゴージェン
Hipólito Yrigoyen
17
1928.10.12
–
1930.9.6
自由間接選挙で選出(2期目)
1930 ウルグアイで開催された第1回ワールドカップにて、アルゼンチン代表が決勝戦でウルグアイに敗れ、暴徒化したブエノスイアレスのアルゼンチンサポーターによりウルグアイ領事館投石事件おこる
軍事クーデターにより追放される
軍部の趣意:❶普通選挙を認めたロケ・サエンス・ペーニャ法を廃棄しない限り、保守派政権は誕生しないという認識、❷1929.10に始まった世界恐慌に対して無策で民意が離れたという認識
23
アグスティン・ペドロ・フスト
Agustín Pedro Justo
軍部/コンコルダンシア
19
1932.2.20
–
1938.2.20
民政移管選挙(不正選挙)が行われ、急進市民同盟(UCR)が選挙を禁止された間接選挙で大統領に就任
1933.5.1 ロカ=ランシマン条約:対英輸出の一定量確保と引き換えにイギリス資本に特恵待遇を与える
1935.3.21 アルゼンチン中央銀行を設立
1936 ブエノス・アイレス市交通局法
1937 全国交通調整法
24
ロベルト・マリア・オルティス
Roberto María Ortiz
軍部/コンコルダンシア
19
1938.2.20
–
1942.6.27
大統領就任直後に糖尿病で重篤な病気になり健康上の理由で退職、1か月後に死去
–
ラモン・カスティーヨ
Ramón Castillo
軍部/コンコルダンシア
19
1940.7.3
–
1942.6.27
オルティス政権下の副大統領。オルティス大統領が病気療養の間、大統領代行を務める
25
ラモン・カスティーヨ
Ramón Castillo
軍部/コンコルダンシア
19
1942.6.27
–
1943.6.4
オルティス政権下の副大統領を辞任後大統領に就任
第二次世界大戦中、アルゼンチンの中立を維持
クーデターにより失脚、「忌まわしき十年間」の終焉
26
アウトゥーロ・ローソン
Arturo Rawson
軍部
20
1943.6.4
–
1943.6.7
クーデター(43 年の革命)で実権を握るも直ぐに失脚(公職追放):クーデターを主導したのは統一将校団(GOU)という軍部内の秘密結社
GOUの趣意:❶第2次世界大戦における中立の維持、❷軍備強化、❸保守派の政治腐敗
27
ペドロ・パブロ・ラミレス
Pedro Pablo Ramírez
軍部
21
1943.6.7
–
1944.3.9
クーデターで軍部から推されて大統領就任
1943.10.27 ペロン、国家労働局長に就任
1944.2.25 一時的に権限をエデルミロ・ファーレルに委任、最終的には辞任(追放)
–
エデルミロ・フリアン・ファーレル
Edelmiro Julián Farrell
軍部
21
1944.2.25
–
1944.3.9
ラミレス政権下の副大統領から大統領代理へ
1944.7.8 ペロン、副大統領に就任
28
エデルミロ・フリアン・ファーレル
Edelmiro Julián Farrell
軍部
21
1944.3. 9
–
1946.6.4
1945.3.27 第2次世界大戦において枢軸国に対して宣戦布告
1945.8 戒厳令が解除
1945.9.19 反ペロン派による「憲法と自由の行進」
1945.10.9 一部の陸軍の反乱によってフアン・ドミンゴ・ペロンが公職追放され、マルティン・ガルシア島に幽閉
10.17 労働者によるペロン釈放を求めた五月広場における労働者による大規模デモが成功→ペロニズムの誕生
43年の革命の終結
アルゼンチン共和国 戦後 (1846年 – 現在)
代
氏名
期
在任期間
事績
29
フアン・ドミンゴ・ペロン
Juan Domingo Perón
22
1946.6.4
–
1952.6.4
自由間接選挙で選出(1期目)「❶社会正義」「❷経済的自由」「❸政治的主権」
1946 電話会社と中央銀行の国有化
1947.1.1 第1次5か年計画に着手
7.9 ペロン、トゥクマン市で「共和国の経済的独立宣言」を発表
1948.2.18 イギリス系鉄道の国有化を含めたアンデス協定に調印
1949.5.1 新憲法制定
1951.11.11 1949年憲法で再選、女性参政権を制定
23
1952.6.4
–
1955.9.19
女性参政権を認める初の選挙の直接選挙により選出(2期目)
得票率62.49%で勝利し、アルゼンチンの選挙では最高勝利となる
1952.7.26 大統領夫人:エバ・ペロン(エビータ)が急死
1954 離婚法を制定
1955.6 ペロン自身がローマ教皇に破門
1955.9.16 コルドバ市を中心とする軍事クーデター勃発(リベルタドーラ革命:解放革命の始まり)、1949年憲法を廃止
9.20 ペロン大統領辞職
30
エドゥアルド・ロナルディ
Eduardo Lonardi
軍部
–
1955.9.20
–
1955.9.23
法令により、自らを「暫定国家大統領」に任命
24
1955.9.23
–
1955.11.13
暫定大統領に就任
1955.10.3 ペロン、パラグアイへ移送(そこからスペインへ国外亡命)
「勝者も敗者もない」をスローガンにした融和路線に満足できない軍内部の反ペロン強硬派によって公職追放
31
ペドロ・エウヘニオ・アランブル
Pedro Eugenio Aramburu
軍部
32
アルトゥーロ・フロンディシ
Arturo Frondizi
26
1958.5.1
–
1962.3.29
1958.5.1 急進市民同盟非妥協派のフロンディシが大統領に就任
ペロン主義(ペロニスタ)を排除した間接選挙により選出、大統領就任後、ペロニスタに恩赦を実施
1958.12 IMFとの協定締結
1958.12 外資法を制定:外国資本の積極導入による重工業発展のモデルを目指す
1961 ウルグアイのプンタ・デル・エステでの米州機構の総会でキューバの閣僚となっていたチェ・ゲバラと会談
1962.3 議会選挙でペロニスタが大量当選
3.29 クーデターにより失脚
33
26
1962.3.29
–
1963.10.12
追放された大統領に代わる民事手続きが行われ、アレハンドロ・ゴメス副大統領が1958年に辞任したため、下院議長のギドが暫定大統領として行政権を行使
1963.7 民政移管のための大統領選挙を実施、ペロニスタが排除されたため、白票を投じた結果、急進市民同盟人民派のアルトォーロ・イリアが得票率26%で当選
–
軍司令官のフンタ
軍部
–
1966.6.28
–
1966.6.29
クーデターアルゼンチン革命の始まり:稀有な長期政権志向の軍事政権→「官僚主義的権威主義体制」
軍事政権のメンバー:
パスカル・ピスタリーニ
Pascual Pistarini
ベニーニョ・イグナシオ・バレラ
Benigno Varela
アドルフォ・テオドロ・アルバレス
Adolfo Álvarez
35
フアン・カルロス・オンガニーア
Juan Carlos Onganía
軍部
28
1966.6.29
–
1970.6.8
クーデター、「アルゼンチン革命」を掲げ外国資本を導入
1966.7.2 政党の解散を発令
1968 都市ゲリラ組織「ペロニスタ武装軍団(FAP)」結成
1969 都市ゲリラ組織「モントネーロス」結成
1969.5.29 学生・労働者共闘の反政府運動(コルドバソ)
1970.5.29 モントネーロスが元大統領アランブルを誘拐・殺害→責任をとって翌月オンガニーア退陣
–
軍司令官のフンタ
軍部
–
1970.6.8
–
1970.6.18
クーデター
軍事政権のメンバー:
ペドロ・アルベルト・ホセ・グナビ
Pedro Gnavi
(大統領)
アレハンドロ・アグスティン・ラヌーセ
Alejandro Agustín Lanusse
カルロス・アルベルト・レイ
Carlos Alberto Rey
36
ロベルト・マルセーロ・レビングストン
Roberto M. Levingston
軍部
29
1970.6.18
–
1971.3.23
軍事政権によって任命
民族資本家の保護に努める
1971.3 第二次コルドバ暴動により失脚
–
軍司令官のフンタ
軍部
–
1971.3.23
–
1971.3.26
クーデター
軍事政権のメンバー:
アレハンドロ・アグスティン・ラヌーセ
Alejandro Agustín Lanusse
(大統領)
ペドロ・アルベルト・ホセ・グナビ
Pedro Gnavi
カルロス・アルベルト・レイ
Carlos Alberto Rey
37
アレハンドロ・アグスティン・ラヌーセ
Alejandro Agustín Lanusse
軍部
38
エクトル・ホセ・カンポラ
Héctor José Cámpora
フレジュリ(FJL)
31
1973.5.25
–
1973.7.13
普通直接選挙で選出。どの候補も勝利に必要な票の50%を獲得できなかったため、カンポラとリカルド・バルビンの間で決選投票が行われるはずだったが、バルビンは立候補を取り下げ、カンポラが大統領となる
1973.6.20 エセイサ空港でのペロン帰国歓迎集会でペロニスタ同士の銃撃事件(ペロニスタ内部の左右対立激化)→党内融和のためペロン自身の大統領出馬の期待が高まる
1993.7.13 禁止後初のペロン派大統領カンポラは特にフアン・ペロンに対して残されていた禁止令を取り消し、副大統領とともに辞任
39
ラウル・アルベルト・ラスティーリ
Raúl Alberto Lastiri
フレジュリ(FJL)
31
1973.7.13
–
1973.10.12
下院議長が行政権を行使して暫定大統領となる
下院議長より優先されるべきアレハンドロ・ディアス・ビアレット上院議長は、当時アフリカ外交で国内を留守にしていた
40
フアン・ドミンゴ・ペロン
Juan Domingo Perón
正義党(ペロン党)
32
1973.10.12
–
1974.7.1
普通直接選挙で選出(3期目)
都市ゲリラの暗躍やインフレといった難題に解決を見ぬまま心臓病で在職中に急逝
41
–
1974.6.29
–
1974.7.1
フアン・ペロン政権下の大統領夫人および副大統領。病気の間、大統領代行を務めた
32
1974.7.1
–
1976.3.24
フアン・ペロン副大統領の急逝後に大統領に就任。アメリカ大陸初の女性大統領
政治経験の無さから政権が混乱、都市ゲリラの跳梁がますます目に余るようになり、インフレも高騰を続ける
事態を憂えた軍部によるクーデターで逮捕・失脚
–
軍事政権(軍事評議会)
軍部
–
1976.3.24
–
1976.3.29
クーデター
軍事政権のメンバー:
ホルヘ・ラファエル・ビデラ
Jorge Rafael Videla(陸軍)
エミリオ・エドゥアルド・マセラ
Emilio Eduardo Massera(海軍)
オーランド・ラモン・アゴスティ
Orlando Ramón Agosti(空軍)
都市ゲリラ鎮圧のための抑圧体制、テクノクラート主導の工業化
陸海空の三軍総司令官からなる軍事評議会が最高の決定機関となる
42
ホルヘ・ラファエル・ビデラ
Jorge Rafael Videla
軍部
43
ロベルト・エドゥアルド・ビオラ
Roberto Eduardo Viola
軍部
34
1981.3.29
–
1981.12.11
ビデラによって軍事政権大統領に任命される
政権発足後から半年で数次のペソ切り下げを強いられる→輸入品価格の高騰からインフレ熱が再燃
→ビオラの心臓病を理由に体よく退陣させる
1981.11.21 健康上の理由から権限と任務が停止
公職追放
44
レオポルド・ガルティエリ
Leopoldo Galtieri
軍部
35
1981.12.22
–
1982.6.18
軍事政権によって任命
公務員給与の物価スライド方式を停止→軍政に対する民衆の不満増加
1982.3.30 首都をはじめとする主要都市で軍政終焉を求める大規模デモ、警官隊と衝突
1982.3.19 国民の不満をそらすために フォークランド戦争(マルビナス戦争)を開始(4.20 アルゼンチン陸軍の侵攻始まる)
6.14 アルゼンチン側の敗北で戦争が終わる
公職追放された
45
レイネルド・ベニト・ビニョーネ
Reynaldo Bignone
軍部
36
1982.7.1
–
1983.12.10
退役後に軍事評議会により擁立
国家再編プロセスの終了
1983.5.31 中央銀行がデノミを発表
6.20 ブエノスアイレスで人権抑圧に抗議する2万人デモ
10.30 民政移管のための大統領選を実施
46
ラウル・アルフォンシン
Raúl Alfonsín
37
1983.12.10
–
1989.7.8
自由間接選挙で選出
1983年の年間物価上昇率343.8%
1984.9 IMFと協定を機に賃上げ抑制に転じる
1984.1.23 チリ・アルゼンチン両国の外相がバチカンで平和友好宣言に調印
11.29 ピクトン・レノックス・ヌエバ三島のチリ領有を認め、チリとの平和友好条約に調印
1985.5 インフレ率が1000%超える
6.14 賃金・物価の凍結(アウストラルプラン発表)→新自由主義的な経済政策に活路を見出そうとするも長続きせず失敗
1985.11 民政移管したブラジルのジョゼ・サルネイ大統領とのトップ会談で経済統合の協力を約す
11.3 下院選挙で与党急進市民同盟が勝利
1985.12 ビデラ元大統領・マセラ元海軍大臣に終身刑、軍政時代の首脳を有罪判決→文民政権が軍政時代の軍人の犯罪を裁くのはラテンアメリカ史上初
1986.4.16 南部パタゴニアへの遷都計画を発表
1986.5.31-6.29 メキシコで開催された第13回目FIFAワールドカップでディエゴ・マラドーナの活躍により、アルゼンチンが2度目の優勝
1986.7 アルゼンチン・ブラジル統合議定書を調印
1986.12 終結法:軍人に対する告発期限を限定
1987.4.16 コルドバ市で人権裁判に抗議する軍部の蜂起
1987.6 忠誠法を制定:下級士官による人権侵害を免責
9.6 中間選挙でペロニスタが躍進
1988.1 軍の一部が反乱
1988.10.31 フォークランド紛争(マルビナス戦争)当時の三軍の各司令官に禁固12年の判決
1988.12 軍の一部が反乱
1989.5 大統領選挙で急進市民同盟候補を破り、ペロン党候補カルロス・メネムが勝利
1989.7 ハイパーインフレが史上最高の月間196.6%を記録
任期を5か月残したまま辞任し、カルロス・メネムに政権をバトンタッチする→文民政権がクーデターによらずに他党へ任期満了前に政権移譲するのは史上初
47
カルロス・メネム
Carlos Menem
38
1989.7.8
–
1995.7.8
自由間接選挙で選出(1期目)
1989.8 国家再建法
1989.9 経済緊急法
1989.10 ガルティエリ元大統領ら300人近くを赦免に
1989.10 イギリスとマドリードで大使級会議を開催
1990 湾岸戦争に他のラテンアメリカ諸国に先駆けて派兵
1990.11 国営アルゼンチン航空、電信電話公社を売却
1990.12 軍の蜂起→1985年の有罪判決を受けた軍人(ビデラ、ビオラ両元大統領含む)に恩赦を与えて軍部を懐柔
1991 非同盟諸国首脳会議から脱退
1991 ブラジルと核物質計量管理機関創設の二国間協定
1991.3 メルコスール(南米南部共同市場)設立を謳ったアスンシオン条約を締結
1991.3 兌換法:❶1ドル=1万アウストラレス、後にデノミして、1万アウストラレス=1ペソという固定相場制、❷中央銀行は外貨準備に見合う分のみ通貨発行→インフレが終息していく
1992.1.1 アウストラルにかえて新通貨ペソを導入
1993.10.3 下院選挙を実施、与党ペロニスタが勝利
10.22 大統領の連続再選を含む憲法改正案を上院で可決
12. 大統領の任期を6年から4年に短縮することで、急進市民同盟と憲法の改正に合意
1994.4.10 制憲議会選挙を実施、改憲派が改憲に必要な3分の2以上の議席を獲得
1994.8.23 1853年憲法改正:大統領任期を6年から4年に短縮するも連続1回の再選が認められる
1995.2 核不拡散条約に加入
39
1995.7.8
–
1999.12.10
普通直接選挙で選出(2期目)
メネムの任期が1994年憲法の第10暫定条項に従って1999.12.10まで延長→連続して10年以上在籍した共和国最初の大統領となる
1995.9.27 イギリスとマルビナス(フォークランド)諸島周辺海域の油田の共同開発に合意
10.23 メネム大統領、メージャー英首相と首脳会議を実施
1997.10.18 クリントン米大統領とメネム大統領、アルゼンチンがNATO非同盟の主要同盟国となることを共同発表
1998.10 メネム大統領、イギリスを公式訪問
12.1 メネム大統領、日本・アルゼンチン修好100周年記念式典への出席のため来日
1999.1.20 司法当局、軍政時代の乳児誘拐事件でビニョーネ元大統領を逮捕
3.9 チャールズ英国皇太子、アルゼンチンを公式訪問
7.8 NATOへの準加盟を申請
10.24 大統領選と下院議会選挙を実施、野党連合のフェルディナンド・デ・ラ・ルアが大統領に当選
48
フェルナンド・デ・ラ・ルア
Fernando de la Rúa
40
1999.12.10
–
2001.12.21
2000.4 4労働法改正案をめぐる複数のUCR所属上院議員と官僚の贈収賄が明るみに出、アルバレス副大統領が辞職
2000.12 IMFから380億米ドルの融資を引き出し
2001.12.1 カバーロ経済相が預金口座の引き出し制限に踏み切る。IMFと米州開発銀行 (IADB) 、世界銀行はこれを受け、4日後に50億米ドルを超す融資の凍結を公表
2001年12月の五月広場で起きたデモ隊と警官隊の衝突後に辞任
49
アドルフォ・ロドリゲス・サア
Adolfo Rodríguez Saá
正義党(ペロン党)
40
2001.12.23
–
2001.12.30
議会によって3か月の任期で選出、選挙を呼びかける指示が与えられる
デフォルト(債務不履行)を宣言
辞任
50
エドゥアルド・ドゥアルデ
Eduardo Duhalde
正義党(ペロン党)
40
2002.1.2
–
2003.5.25
デ・ラ・ルーアの任期を全うするよう指示され、議会によって選出
2003.4.27に早期選挙が召集
51
ネストル・キルチネル
Néstor Kirchner
41
2003.5.25
–
2007.12.10
普通直接選挙。デ・ラ・ルーアは当初、2003.12.10までの任期の残り数か月を終え、その後自身の任務を開始した。キルチネルは第1回投票でカルロス・メネムに次いで2位となり、勝利に必要な45%の票を獲得できた者がいなかったため決選投票が行われるはずだったが、メネムは立候補を取り下げ、キルチネルが大統領となった
2006.1 IMFからの債務を完済、対外債務問題以外の債務問題は解決
2006.7.9 独立190年記念式典が挙行
52
クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル
Cristina Fernández de Kirchner
42
2007.12.10
–
2011.12.10
普通直接選挙(1期目)アルゼンチン初の女性大統領が名簿のトップに選出
2010.2 フォークランド諸島(マルビナス諸島)の沖合でイギリスが行っている油田開発に対し、アルゼンチン海域で石油の盗掘を行っていると非難、マルビナス(フォークランド)諸島外交危機が起きる
43
2011.12.10
–
2015.12.10
普通直接選挙(2期目)
2013 アルゼンチン・イスラエル相互協会爆破事件の解決に向けたアルゼンチン・イラン二国間覚書を締結
2015.2 中華人民共和国を訪問、中国から056型コルベットを導入して「マルビナス級」と命名
司法判断により、彼女の任務は2015年12月9日深夜に終了した
–
–
2015.12.10
行政権を行使する上院の暫定大統領
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2015.12.10
0時から11時45分のマクリ大統領の宣誓まで大統領代行
53
44
2015.12.10
–
2019.12.10
普通直接選挙。ダニエル・シオーリを破り、投票で選出された初の大統領
大統領任務は2015年12月10日午前0時に始まるが、マクリが議会で宣誓した後の午前11時45分が実際の就任となる
2017.10.22 立法選挙:下院の半分と上院の 3 分の 1が選出、与党カンビエモス同盟が勝利
2018 アルゼンチン通貨危機
54
アルベルト・フェルナンデス
Alberto Ángel Fernández
45
2019.12.10
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現任
普通直接選挙
2019.12.23 社会連帯と生産的復興法案が議会で可決
2020.5.22 再びデフォルトに陥る
2023.10.22 大統領選で、セルヒオ・マサ(36.8%)、ハビエル・ミレイ(30.0%)が決選投票へ進む
11.19 決選投票でハビエル・ミレイが55.69%の得票率で当選
2023.12.11 「無政府主義の資本主義者」と自称するリバタリアン(自由至上主義者)ハビエル・ミレイの人物像に関する記事が掲載
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