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歴代イタリア首相 Prime Ministers of Italy

歴代イタリア首相 Prime Ministers of Italy リベラルアーツ
「カヴール」「ジョリッティ」「デ・ガスペリ」「ベルルスコーニ」「メローニ」歴代イタリア首相 Prime Ministers of Italy
  1. イタリア首相の名称について
  2. イタリア王国 (1861年–1946年)
    1. カミッロ・カヴール
      Camillo Benso, Conte di Cavour
    2. ベッティーノ・リカーソリ
      Bettino Ricasoli
    3. ウルバーノ・ラッタッツィ
      Urbano Rattazzi
    4. ルイージ・ファリーニ
      Luigi Farini
    5. マルコ・ミンゲッティ
      Marco Minghetti
    6. アルフォンソ・マルモラ
      Alfonso Ferrero, Marchese de La Marmora
    7. ベッティーノ・リカーソリ
      Bettino Ricasoli
    8. ウルバーノ・ラッタッツィ
      Urbano Rattazzi
    9. フェデリーコ・メナブレーア
      Federico Luigi, Conte Menabrea
    10. ジョヴァンニ・ランツァ
      Giovanni Lanza
    11. マルコ・ミンゲッティ
      Marco Minghetti
    12. アゴスティーノ・デプレーティス
      Agostino Depretis
    13. ベネデット・カイローリ
      Benedetto Cairoli
    14. アゴスティーノ・デプレーティス
      Agostino Depretis
    15. ベネデット・カイローリ
      Benedetto Cairoli
    16. アゴスティーノ・デプレーティス
      Agostino Depretis
    17. フランチェスコ・クリスピ
      Francesco Crispi
    18. アントニオ・ルディニ
      Antonio Starabba, Marchese di Rudinì
    19. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    20. フランチェスコ・クリスピ
      Francesco Crispi
    21. アントニオ・ルディニ
      Antonio Starabba, Marchese di Rudinì
    22. ルイージ・ペルー
      Luigi Pelloux
    23. ジュゼッペ・サラッコ
      Giuseppe Saracco
    24. ジュゼッペ・ザナルデッリ
      Giuseppe Zanardelli
    25. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    26. トンマーゾ・ティットーニ
      Tommaso Tittoni
    27. アレッサンドロ・フォルティス
      Alessandro Fortis
    28. シドネイ・ソンニーノ
      Sidney Sonnino
    29. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    30. シドネイ・ソンニーノ
      Sidney Sonnino
    31. ルイージ・ルッツァッティ
      Luigi Luzzatti
    32. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    33. アントニオ・サランドラ
      Antonio Salandra
    34. パオロ・ボセッリ
      Paolo Boselli
    35. ヴィットーリオ・オルランド
      Vittorio Orlando
    36. フランチェスコ・ニッティ
      Francesco Nitti
    37. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    38. イヴァノエ・ボノーミ
      Ivanoe Bonomi
    39. ルイージ・ファクタ
      Luigi Facta
    40. ベニート・ムッソリーニ
      Benito Mussolini
    41. ピエトロ・バドリオ
      Pietro Badoglio
    42. イヴァノエ・ボノーミ
      Ivanoe Bonomi
    43. フェルッチョ・パッリ
      Ferruccio Parri
    44. アルチーデ・デ・ガスペリ
      Alcide De Gasperi
  3. イタリア共和国 第一共和政(1846年–1992年)
    1. アルチーデ・デ・ガスペリ
      Alcide De Gasperi
    2. ジュゼッペ・ペッラ      
      Giuseppe Pella
    3. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    4. マリオ・シェルバ
      Mario Scelba
    5. アントニオ・セーニ
      Antonio Segni
    6. アドネ・ツォーリ
      Adone Zoli
    7. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    8. アントニオ・セーニ
      Antonio Segni
    9. フェルナンド・タンブロニ
      Fernando Tambroni
    10. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    11. ジョヴァンニ・レオーネ
      Giovanni Leone
    12. アルド・モーロ
      Aldo Moro
    13. ジョヴァンニ・レオーネ
      Giovanni Leone
    14. マリアーノ・ルモール
      Mariano Rumor
    15. エミリオ・コロンボ
      Emilio Colombo
    16. ジュリオ・アンドレオッティ
      Giulio Andreotti
    17. マリアーノ・ルモール
      Mariano Rumor
    18. アルド・モーロ
      Aldo Moro
    19. ジュリオ・アンドレオッティ
      Giulio Andreotti
    20. フランチェスコ・コッシガ
      Francesco Cossiga
    21. アルナルド・フォルラーニ
      Arnaldo Forlani
    22. ジョヴァンニ・スパドリーニ
      Giovanni Spadolini
    23. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    24. ベッティーノ・クラクシ
      Bettino Craxi
    25. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    26. ジョヴァンニ・ゴリーア
      Giovanni Goria
    27. チリアーコ・デ・ミータ
      Ciriaco De Mita
    28. ジュリオ・アンドレオッティ
      Giulio Andreotti
  4. イタリア共和国 第二共和政(1992年–現在)
    1. ジュリアーノ・アマート
      Giuliano Amato
    2. カルロ・チャンピ
      Carlo Ciampi
    3. シルヴィオ・ベルルスコーニ
      Silvio Berlusconi
    4. ランベルト・ディーニ
      Lamberto Dini
    5. ロマーノ・プローディ
      Romano Prodi
    6. マッシモ・ダレマ
      Massimo D’Alema
    7. ジュリアーノ・アマート
      Giuliano Amato
    8. シルヴィオ・ベルルスコーニ
      Silvio Berlusconi
    9. ロマーノ・プローディ
      Romano Prodi
    10. シルヴィオ・ベルルスコーニ
      Silvio Berlusconi
    11. マリオ・モンティ
      Mario Monti
    12. エンリコ・レッタ
      Enrico Letta
    13. マッテオ・レンツィ
      Matteo Renzi
    14. パオロ・ジェンティローニ
      Paolo Gentiloni
    15. ジュゼッペ・コンテ
      Giuseppe Conte
    16. マリオ・ドラギ
      Mario Draghi
    17. ジョルジャ・メロー二
      Giorgia Meloni
  5. 参考リンク
  6. あわせて読みたい

イタリア首相の名称について

正式名称は閣僚評議会議長で、イタリア語では Presidente del Consiglio dei Ministri 。イタリアの行政府の長として、すなわち首相として「内閣の首席」という位置づけで行政権を統括する。そこから、日本語訳では「首相」ということになっている。

首相は大統領が任命する。内閣成立後10日以内に両議院(上院:共和国元老院、下院:代議院)の信任を得なければならない。この時、被任命権が国会議員に限るという憲法上の規定が無いため、両院からの信任(支持)を取り付けることができれば非議員でも首相に就任できる。

首相に議会解散権は無く、大統領のみが有する。議院内閣制をとっており、内閣は議会の信任を得なければならない。

イタリア王国 (1861年–1946年)

サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア国王に即位し、イタリア王国が成立した。

サルデーニャ王国の宰相だったカミッロ・カヴールが新たにイタリア王国の首相に就任した。彼は、それまで3回内閣を率いているので、イタリア王国としては、彼の第4次内閣から数える。

イタリア王国期、イタリア王国閣僚評議会の議長 ( Presidente del Consiglio dei ministri del Regno d’Italia ) と呼ばれていた。

ムッソリーニが閣僚評議会議長に就任後、1925年12月24日に独裁体制を確立、独裁権を持つ国家指導者として認識され、ドゥーチェ: Duce(国家指導者、統帥、統領)の称号で呼ばれた。

氏名

内閣

在任期間

事績

初代

カミッロ・カヴール
Camillo Benso, Conte di Cavour

カミッロ・カヴール Camillo Benso,
Conte di Cavour

国民統一派=歴史的右翼

初代

1861.3.17 – 1861.6.6

第4次カヴール内閣

イタリア統一運動において、ガリバルディ、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」と称される

6.6 カヴール急死

2代

2代

1861.6.6 – 1862.3.4

第1次リカーソリ内閣

1861.6: ローマ教皇庁との和解失敗

1861.10.9 旧サルデーニャ王国のラッタッツィ法に基づく地方行政制度(県・コムーネ)を全国に施行→中央集権化

南部で山賊大反乱が続く(-1863.8)

ガリバルディの志願兵のほとんどを正規軍に編入、マッツィーニの追放を取り消し

1862.2.1 シチリアの総督制廃止

3代

3代

1862.3.4 – 1862.12.9

第1次ラッタッツィ内閣

1862.3.22 サンマリノ共和国との最初の条約に調印

1862.8.24 通貨リラを導入

1862.8.29 アスプロモンテの戦:ガリバルディ義勇軍と王国正規軍の衝突

4代

4代

1862.12.9 – 1863.3.24

ファリーニ内閣

ポーランドのロシアに対する反乱でロシアに宣戦布告→ガリバルディ義勇軍から派兵

精神を病み辞職

5代

5代

1863.3.24 – 1864.9.23

第1次ミンゲッティ内閣

1863.8.15: 山賊大反乱に対する軍事法廷措置を定めたピーカ法公布

1864.9.15 九月条約:ローマに駐屯していたフランス軍を 2 年以内に撤退させる(秘密条項で、首都をトリノからフィレンツェに遷都することを約する)

この秘密条項が公になることでトリノ虐殺が起き辞任

6代

アルフォンソ・マルモラ
Alfonso Ferrero, Marchese de La Marmora

アルフォンソ・マルモラ Alfonso Ferrero, Marchese de La Marmora

歴史的右翼

6代

1864.9.23 – 1865.12.31

第2次マルモラ内閣

(第1次の組閣はサルデーニャ王国時代)

1964.12.8 ローマ教皇ピウス9世が回勅『クワンタ・クラ』(誤謬表)を発表

1865.3: 行政統一法(県・コムーネ法)

1865.4: 民法統一

1865.7.5 スペインにイタリア王国を承認させる

1865.11.5 仏軍ローマから撤兵開始

7代

1865.12.31 – 1866.6.17

第3次マルモラ内閣

1866.4.8 伊プロイセン攻守同盟の秘密協定締結

第三次独立戦争が勃発したラ・マルモーラ首相時代のイタリア

5.1 不換紙幣(コルソ・フォルツォーゾ)導入

7代

8代

1866.6.17 – 1867.4.10

第2次リカーソリ内閣

1866.6-8: 第三次イタリア独立戦争(普墺戦争, -7月)

第三次イタリア独立戦争

10.21 住民投票でヴェネト(ヴェネツィア)がイタリア領となる

1866.9: 7日半の反乱(パレルモ蜂起)

1866.12.11 仏軍、ローマから撤兵完了

8代

9代

1867.4.10 – 1867.10.27

第2次ラッタッツィ内閣

1867.8.15 教会所有地没収法公布

10.19 ガリバルディの逮捕に失敗、教皇領へ逃す

9代

10代

1867.10.27 – 1868.1.5

第1次メナブレーア内閣

1867.11.3 ローマ解放のため挙兵したガリバルディ、メンターナで教皇軍を破るが仏軍に敗れる

11代

1868.1.5 – 1869.5.13

第2次メナブレーア内閣

1868.5 下院で製粉法可決

北部の閣僚だけで構成され、ピエモンテのみでなく地主や南部の急進派からも厳しい批判を受ける

1869.1 第三次イタリア独立戦争の戦費調達に発行した国債支払のため、製粉税を導入

12代

1869.5.13 – 1869.12.14

第3次メナブレーア内閣

1869.12.8 バチカン公会議開会

10代

13代

1869.12.14 – 1873.7.10

ランツァ内閣

1870.2.5 ルバッティーノ海運会社、スエズ運河経由インド航路開発、3月に紅海沿岸アッサブ取得

8.11 財政オムニバス法案可決(財政赤字削減措置)

1870.9: 普仏戦争のセダンの戦で仏軍が降伏

10.2 ローマ併合

普仏戦争とドイツ統一後の欧州

1871.5.15 教皇保障法(教皇と聖座の諸大権の保障ならびに国家と教会の関係についての法)を制定

7.1 フィレンツェからローマへの遷都完了

7.13 マッツィーニ、国際労働者協会(インター)批判とパリ・コミューンへの否定的評価

1872.8 リミニで反権威主義反マルクス派国際労働者協会イタリア連合結成

11代

14代

1873.7.10 – 1876.3.25

第2次ミンゲッティ内閣

1874.6 第1回イタリア・カトリック会議開催

8月 リミニで共和派指導者28名逮捕、アナーキスト蜂起計画失敗、バクーニンはスイスに逃れる

9.1 国家の経済介入に批判的なアダム・スミス教会設立

9.10 教皇ピウス9世、回勅「ノン・エクスペディト」でカトリック教会の国政選挙への参加を禁止

1975.1 国家による社会政策を求める経済研究促進協会設立

1876.3.16 財政均衡の達成を議会報告、鉄道の国有化方針の承認を求める

製粉税に対する動議が否決され、内閣象辞職(15年続いた右派政権が終焉)

12代

15代

1876.3.25 – 1877.12.25

第1次デプレーティス内閣

右派から左派への政権移行(議会革命)

1877.3.15 議会に農業と農業階層に関する調査委員会(委員長ヤチーニ)設置

ヤチーニ Stefano Jacini

5.7 共和派インブリアーニ、未回復イタリアのための協会設立

7.15 コッピーノ法(学校改革、義務教育期間を、6~12歳から6~9歳へ、聖俗的・無償教育の実施)

16代

1877.12.25 – 1878.5.25

第2次デプレーティス内閣

Depretis の第 2 次政権は短命で、左翼内の紛争により崩壊

1878.1.9 国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世没

2.7 教皇ピウス9世没

13代

17代

1878.5.25 – 1878.12.19

第1次カイローリ内閣

1878.7.1 仏との新通商協定(関税率引き上げ)発効

8.18 モンテ・アミアータの預言者ラッザレッティ、軍隊との交戦で射殺

1878.11.17 アナキストのパッサナンテによるウンベルト 1 世の暗殺未遂(カイローリ自身も負傷)

15代

19代

1879.7.14 – 1879.11.25

第2次カイローリ内閣

1879.8.3 コスタ、アナーキズムから合法的社会主義活動に転ずる公開書簡発表

20代

1879.11.25 – 1881.5.29

第3次カイローリ内閣

1881.5: チュニスの平手打ち

16代

21代

1881.5.29 – 1883.5.25

第4次デプレーティス内閣

1881.7.7 コッローディ、ピノッキオの冒険連載第1回

8月 コスタ、ロマーニャ革命社会党結成

9.25-26 ロンバルディア労働者連合第1回大会

1882.1.22 選挙法改正

18825.20 独墺伊どくおうい三国同盟

独墺伊三国同盟

10.8 デプレーティス首相、左派・右派共に「変移(トラスフォルマツィオーネ)」して両派連携を訴える

ゴッタルド鉄道トンネル開業

ゴッタルド鉄道トンネル

1882.12.20 グリエルモ・オベルダンが絞首刑

1883.4.12 不換紙幣(コルソ・フォルツォーゾ)廃止

22代

1883.5.25 – 1884.3.30

第5次デプレーティス内閣

1883.7.8 全国労働災害保険公庫設立

11.25 デプレーティス首相のトラスフォルミズモに批判的な議会左派の5幹部がペンタルキーア(5人組)形成

1884.1.1 製粉税廃止

1月 エディソン式電気会社設立

23代

1884.3.30 – 1885.6.29

第6次デプレーティス内閣

1884.7 ヤチーニの農業調査委員会報告書全15巻提出

1885.2.5 イタリア軍、紅海沿岸マッサワ占領

4.27 鉄道経営を3会社に委託する法布告

24代

1885.6.29 – 1886.5.30

第7次デプレーティス内閣

1886.2.11 児童労働禁止法成立(9歳以下)

3.1 地租平準化法公布

25代

1886.5.30 – 1887.4.4

第8次デプレーティス内閣

1887.1.6 ドガリの戦: エチオピア帝国軍に敗北

ドガリの戦

26代

1887.4.4 – 1887.7.29

17代

27代

1887.7.29 – 1889.3.9

第1次クリスピ内閣

1887.9.30 フリードリッヒスルー会談

12.12 第二次地中海協定

1888.2.18 仏との通商交渉決裂、両国の通商戦争始まる

1888.12.30 クリスピ法(地方政府改革:県・コムーネ法、移民の自由を認めた移民法)

28代

1889.3.9 – 1891.2.6

第2次クリスピ内閣

1889.5.2 エチオピアのメネリク1世とウッチャリ条約

6.30 ザナルデッリ法(死刑廃止)、治安法(ストライキの権利が正式に認められる)

1890.1.5 エリトリア植民地成立

18代

アントニオ・ルディニ
Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

アントニオ・ルディニ Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

歴史的右翼

29代

1891.2.6 – 1892.5.15

第1次ルディニ内閣

1891.5.15 教皇レオ13世、労働問題に関する回勅「レールム・ノワールム」

19代

30代

1892.5.15 – 1893.12.15

第1次ジョリッティ内閣

1893.1.19 ローマ銀行汚職で頭取タンロンゴ逮捕

7.30 コルレオーネでパレルモ県勤労者ファッシ大会

8.10 発券銀行を統一してイタリア銀行設立

8.17 仏エーグモルトでイタリア移民労働者30名殺害

20代

31代

1893.12.15 – 1894.6.14

第3次クリスピ内閣

1893.12 シチリア・ファッシ運動激化

32代※数えない場合もあるため後続内閣を32代とする

1894.6.14 – 1896.3.10

第4次クリスピ内閣

1894.1-8 シチリアに戒厳令

2.21 不換紙幣導入、財省ソンニーノ、財政再建策発表

10.12 兼営銀行タイプのイタリア商業銀行設立

1895.1.13 非合法下でイタリア勤労者社会党第3回大会開催、党名をイタリア社会党とし、団体加盟から個人加盟に変更

4.21 マッツィーニ派・ガリバルディ派の諸組織の参加したイタリア共和党成立

1896.3.1 イタリア軍、エチオピア軍とのアドワの戦いで6600人の戦死者を出して敗北

アドワの戦い

21代

アントニオ・ルディニ
Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

アントニオ・ルディニ Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

歴史的右翼

32代

1896.3.10 – 1896.7.11

第2次ルディニ内閣

1896.3.15 人口1万人以下のコムーネ首長も選挙による選出とする政令(7.29法制化)

4.5 1年期限でシチリアに文民コミッサリーオ制度導入(7月法制化)

33代

1896.7.11 – 1897.12.24

第3次ルディニ内閣

1896.9.30 チュニジアに関する協定をフランスと締結

10.26 エチオピアとアディス・アベバ講和条約締結

34代

1897.12.24 – 1898.6.1

第4次ルディニ内閣

1898.3.6 急進派指導者カヴァロッティ、王党派議員との決闘で死亡

3.17 労働災害保険法公布

4.26 凶作によるパン価格高騰、ロマーニャ地方で食糧暴動→全国に拡大

35代

1898.6.1 – 1898.6.29

第5次ルディニ内閣

1898.7.17 老齢・障害保険公庫設立

11.21 フランスと通商協定締結

22代

36代

1898.6.29 – 1899.5.14

第1次ペルー内閣

37代

1899.5.14 – 1900.6.24

第2次ペルー内閣

1899.7.11 トリノの自動車メーカー、フィアット社設立

23代

38代

1900.6.24 – 1901.2.15

サラッコ内閣

1900.7.29 国王ウンベルト1世、アナーキストに暗殺される

12.18 ジェノバ港湾労働者スト→リグーリア地方のゼネストに拡大

1901.1.31 新移民法制定(移民審査の委員会設置)

24代

39代

1901.2.15 – 1903.11.3

ザナルデッリ内閣

1901.10 イタリア・コムーネ協会設立大会

1902.6.19 女性労働・児童労働保護法制定

11月 労働会議所連合と産業別労働組合の連絡機関として中央抵抗書記局設置

1903.3.29 公共サービス部門の行営化法公布

25代

40代

1903.11.3 – 1905.3.12

第2次ジョリッティ内閣

1904.3.31 バジリカータ特別法制定

7.28 教皇ピウス10世、カトリック組織「大会・諸委員会活動」を解散

26代

41代

1905.3.12 – 1905.3.28

ティットーニ内閣

27代

42代

1905.3.28 – 1905.12.24

第1次フォルティス内閣

1905.4.19 下院、鉄道国営化法可決

11.20 カトリック民主派ムッリ、全国民主同盟結成

43代

1905.12.24 – 1906.2.8

第2次フォルティス内閣

1906.2 カトリック人民連合、カトリック社会経済連合、カトリック選挙連合結成

28代

44代

1906.2.8 – 1906.5.29

第1次ソンニーノ内閣

1906.7.28 教皇ピウス10世、回勅でムッリの全国民主同盟を批判

29代

45代

1906.5.29 – 1909.12.11

第3次ジョリッティ内閣

1908.4 第1回全国女性会議開催、カトリック系と非カトリック系の不一致が表面化

4.30 パルマの労働会議所(革命的サンディカリスト派)、農業労働者のゼネスト突入を宣言、3か月に及ぶ闘争

1909.2.20 マリネッティ、パリ『フィガロ』誌で未来主義宣言

3.7 教皇庁、総選挙において72選挙区で「ノン・エクスペディト(ふさわしくない)」をやめ、カトリック議員16人当選

3.14 サルヴェーミニ、論文『暗黒街の大臣』を発表、ジョリッティ首相の南部政策を批判

30代

46代

1909.12.11 – 1910.3.31

31代

47代

1910.3.31 – 1911.3.30

ルッツァッティ内閣

32代

48代

1911.3.30 – 1914.3.21

第4次ジョリッティ内閣

1911.4 国家統一50周年記念としてトリノ・フィレンツェ・ローマ3都市で万国博覧会

6.4 初等教育法公布

9.29 オスマン帝国に宣戦布告(伊土戦争、リビア戦争 – 12.10.18)

伊土戦争

1912.4.4 全国保険機構(INA)設立

6.30 選挙法改正

7月 社会党第13回大会でムッソリーニら左派が多数派となり、改良派のビッソラーティ・ボノーミを除名

10.18 オスマン帝国とローザンヌ講和条約締結(トリポニタニア・キレナイカ取得)

11月 革命的サンディカリスト、労働総連合(CGdL)から脱退、イタリア労働組合連合(USI)結成

33代

49代

1914.3.21 – 1914.11.5

第1次サランドラ内閣

1914.6.7 アンコーナ市の反軍国主義デモをきっかけに全国的動乱(赤い一週間)

7.28 第1次世界大戦勃発

1914年時点で2つの陣営に分けられたヨーロッパ

8.2 政府、イタリアの中立を表明

11月 ムッソリーニ、参戦主義を掲げた日刊紙『イタリア人民』創刊、社会党から除名、「革命行動ファッシ」結成

50代

1914.11.5 – 1916.6.18

第2次サランドラ内閣

1915.4.26 協商側とロンドン秘密条約締結

5.3 政府、三国同盟破棄を通告

5.24 オーストリアに宣戦布告

8.21 オスマン帝国に宣戦布告

34代

51代

1916.6.18 – 1917.10.23

ボセッリ挙国一致内閣

1916.8.27 ドイツに宣戦布告

1917.10.24 イタリア軍、カポレットで大敗

35代

52代

1917.10.23 – 1919.6.23

オルランド内閣

1917.11.9 国防最高長官、カドルナからディアツに交代、イタリア軍ピアーヴェ川沿いに防衛体制構築

1918.9 社会党第15回大会で左派指導部選出

10.24-11.3 イタリア軍総攻撃、ヴィットーリオ・ヴェネートで勝利

11月 オーストリア・ドイツと休戦協定

12.11 社会党指導部、社会主義革命の目標を宣言(最大限綱領主義)

1919.3.23 ムッソリーニ「イタリア戦闘ファッシ」結成

4.24 イタリア代表団、パリ講和会議ボイコット

36代

53代

1919.6.23 – 1920.5.21

第1次ニッティ内閣

1919.8.9 下院、比例代表制選挙法可決

9.1 治安対策で王国警備隊設置

9.10 オーストリアとサン・ジェルマン条約締結、領土拡大(南チロルのドイツ語圏、トレンティーノ地方)

サン・ジェルマン条約

9.12 ダンヌンツィオらフィウメ占領

11.16 比例代表制による総選挙で社会党と人民党が進出

1920.3-4 トリノ労働争議

54代

1920.5.21 – 1920.6.15

第2次ニッティ内閣

37代

55代

1920.6.15 – 1921.7.4

第5次ジョリッティ内閣

1920.11.12 ユーゴスラビアとラパッロ条約締結

12.24 イタリア軍、フィウメ占領者を排除(血のクリスマス)

1921.1 社会党第17回大会で最左派分離

1.21 イタリア共産党結成

5.15 総選挙、全535議席のうちファシスト35名を含んだナショナル・ブロック275議席

38代

イヴァノエ・ボノーミ
Ivanoe Bonomi

イヴァノエ・ボノーミ Ivanoe Bonomi

社会改良党

56代

1921.7.4 – 1922.2.26

第1次ボノーミ内閣

1921.8.2 社会党とファシスト議員グループの間で平和協定

11.7 戦闘ファッシを国民ファシスト党(PNF)に改組

39代

57代

1922.2.26- 1922.8.1

第1次ファクタ内閣

58代

1922.8.1 – 1922.10.31

第2次ファクタ内閣

1922.10 社会党第19大会で改良派分離、改良派社会主義者「統一社会党」結成(書記長マッテオッティ)

10.27-28 北・中部でファシスト動員とローマ進軍

40代

59代

1922.10.31 – 1943.7.25

ムッソリーニ内閣

1922.11.24 議会、23年末まで行政・経済問題の全権を政府に委任する議決

1922.12 王家・党・政府の意見調整の場としてファシズム大評議会が設立

1923.2.1 政令で首相直属の国家機関として全国治安民兵隊(黒シャツ隊)を設置

黒シャツ隊

1923.4.27 文相ジェンテーレの教育改革

7.21 下院、新選挙法(アチュルボ法)可決

8.31 イタリア軍、コルフ(ケルキラ)島占領

コルフ島事件

1924.1.27 ユーゴスラヴィアとのローマ協定でフィウメ取得

6.10 統一社会党議員マッテオッティ、ファシストに拉致・暗殺される

6.27 野党議員、議会審議を拒否(アヴェンティーノ連合)

1925.1.3 ムッソリーニ、議会演説で力による支配を宣言、ファシズム体制の建設始まる

10月 ロカルノ条約締結

11.4 ムッソリーニ首相襲撃未遂事件

12.24 首相の権限を強める政府首長大権法公布

1926.12.31 ファシスト暦導入

1927.12.21 1ポンド90リラで金本位制復帰

1929.2.11 ラテラノ条約でイタリア国家とローマ教皇庁と和解、バチカン市国形成

ラテラノ条約

1931.11.13 イタリア動産機構(IMI)設立

1933.1.23 産業復興機構(IRI)設立

1933.9.2 ソ連と5年間の友好条約締結

1935.10.3 イタリア軍、エチオピア侵攻開始(第二次エチオピア戦争)

第二次エチオピア戦争

1936.5.9 ムッソリーニ、帝国復活の演説、エチオピア・エリトリア・ソマリアをイタリア領東アフリカ(AOI)とし、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がエチオピア皇帝即位

11.1 ムッソリーニ、演説でローマ・ベルリン枢軸と表現

1937.11.6 日独伊防共協定

12.11 国際連盟脱退

1938.9 英仏独伊ミュンヘン会談

1939.4.6 イタリア軍、アルバニア侵略

9.1 第二次世界大戦勃発

第二次世界大戦

1940.6.10 英仏に宣戦布告(9月に仏と休戦)

9.27 日独伊三国同盟

12.11 独伊がアメリカに宣戦布告

1942.10.23 英軍、北アフリカのエル・アラメインで反攻

1943.7 ムッソリーニ首相罷免・逮捕

41代

ピエトロ・バドリオ
Pietro Badoglio

ピエトロ・バドリオ Pietro Badoglio

無所属/暫定軍事政権

60代

1943.7.25- 1944.4.17

第1次バドリオ内閣

(軍事政権)

1943.7.28 ファシスト党解散、ファシズム大評議会廃止

9月 連合国と休戦

9.9 国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とバドリオ首相、ローマ脱出しブリンディジに政権を置く

9.18 救出されたムッソリーニがサロでファシスト党再建とイタリア社会共和国樹立を宣言

10.13 バドリオ政権、ドイツに宣戦布告

1944.2.11 バドリオ政権、サレルノに移動

61代

1944.4.22 – 1944.6.18

第2次バドリオ内閣

1944.4.22 バドリオ首相にもとで反ファシズム諸政党が参加する国民統一内閣成立(サレルノ転換)

42代

イヴァノエ・ボノーミ
Ivanoe Bonomi

イヴァノエ・ボノーミ Ivanoe Bonomi

労働民主党

62代

1944.6.18 – 1945.6.19

第2次ボノーミ内閣

1944.10.27 連合軍、フィレンツェ-ボローニャ間のドイツ軍防衛線ゴート・ラインで進軍停止

12.12 社会党と行動党不参加の改造ボノーミ内閣成立

1945.4.28 北イタリア国民解放委員会、裁判権を行使してムッソリーニを銃殺刑

43代

フェルッチョ・パッリ
Ferruccio Parri

フェルッチョ・パッリ Ferruccio Parri

行動党

63代

1945.6.21 – 1945.12.8

パッリ内閣

(6党連立内閣)

44代

64代

1945.12.10 – 1946.7.1

第1次ガスペリ内閣

(6党連立内閣)

1946.5.9 国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世退位、エジプトへ亡命

6.18 国民投票により共和政イタリア成立

6.28 制憲議会、臨時大統領に自由主義者エンリコ・デ・ニコラを選出(7.1就任)

エンリコ・デ・ニコラ Enrico De Nicola

イタリア共和国 第一共和政(1846年–1992年)

氏名

内閣

在任期間

事績

初代

初代

1946.7.10 – 1947.2.2

第2次ガスペリ内閣

1946.12.26 ネオ・ファシスト党「イタリア社会運動」結成

1947.1 デ・ガスペリ訪米

1.9-11 社会党第25回大会、サーラガトら菟は分裂してイタリア勤労者社会党結成

2代

1947.2.2 – 1947.5.31

3代

1947.5.31 – 1948.5.23

第4次ガスペリ内閣

1947.6.5 マーシャル・プラン(欧州復興計画)発表

12.22 制憲議会、憲法採択(48.1.1 発布)

1948.4.18 共和政最初の総選挙でキリスト教民主党勝利

4代

1948.5.23 – 1950.1.27

第5次ガスペリ内閣

1949.4.18 下院、激論の後、北大西洋条約機構(NATO)加盟を承認

5代

1950.1.27 – 1951.7.26

第6次ガスペリ内閣

1950.3 南イタリアで未墾地の占拠広まる

5.12 シーラ屋山土地改革法公布

8.10 南部開発公庫設立

1951.4.18 欧州石炭鉄鋼共同体条約調印

5.1 イタリア勤労者社会党と統一社会党が合併してイタリア社会民主党結成

6代

1951.7.26 – 1953.7.16

第7次ガスペリ内閣

1952.5.9 トリエステ自由地区に関する米英伊3国会議

1953.1.21 下院、得票率50%以上に達した政党(連合)が385議席(65.3%)を獲得できる選挙法改正を可決

2.10 全国炭化水素公社(ENI)設立

6.7-8 共和政第2回総選挙、与党連合得票率48.95%

7代

1953.7.16 – 1953.8.17

第8次ガスペリ内閣

下院、第8次ガスペリ内閣信任せず

2代

8代

1953.8.17 – 1954.1.12

ペッラ内閣

(実務者内閣)

153.11.4-6 トリエステ帰属をめぐって情勢緊迫

4代

10代

1954.2.10 – 1955.7.6

シェルバ内閣

1954.10.5 トリエステ問題で米英伊ユーゴスラビア4国間で合意

1955.1.8 予算相ヴァノーニ、経済発展10か年計画を発表

5代

11代

1955.7.6 – 1957.5.15

第1次セーニ内閣

1955.10.14 国際連合加盟

1956.10.23 ハンガリー動乱

ハンガリー動乱

11.26 反共秘密防衛情報組織グラーディオ設置に関する米国との秘密情報機関の協定(90.10に明るみに出る)

12.8-14 共産党第8回大会、構造改革路線と社会主義へのイタリアの道を提唱

12.22 国家持株省設置

6代

12代

1957.5.19 – 1958.7.1

ツォーリ内閣

1958.1.1 欧州経済共同体(EEC)発足

3.24 最高司法会議設置法公布

8代

14代

1959.2.15 – 1960.3.23

第2次セーニ内閣

1959.3.14 聖女ドロテーア修道院で開いたキリスト教民主党派閥集会で最大派閥ドロテーア派誕生

9代

15代

1960.3.25 – 1960.7.26

タンブロニ内閣

1960.3.25 キリスト教民主党単独内閣

4.8 ネオ・ファシスト党イタリア社会運動の賛成で内閣信任案可決

10代

16代

1960.7.26 – 1962.2.21

第3次ファンファーニ内閣

1960.8.25 ローマオリンピック開催

1960年ローマオリンピック

1961.2.10 ファシズム期に制定された国内移住の制限措置を撤廃する法公布、この時期、南イタリアから北イタリア都市への移住の大きな波

1962.1-2 キリスト教民主党第8回大会でモーロ書記長、中道左派路線を提唱

17代

1962.2.21 – 1963.6.21

第4次ファンファーニ内閣

社会民主党・共和党を加えた連立内閣

1962.3.23 障害・老齢年金の30%引上げと小学校教科書の無償化を閣議決定

7.7 トリノ憲法広場でフィアット労働者らと警官隊の衝突、組合の統制を越えた自立的労働運動の始まり

10.11 第2回バチカン公会議開催

11.27 下院で電力産業国有化法可決

1963.4.10 ローマ教皇ヨハネス23世、平和問題に関する回勅

4.28-29 総選挙

11代

18代

1963.6.21 – 1963.12.4

第1次レオーネ内閣

1963.10.25-29 社会党第35回大会でキリスト教民主党との連立方針が多数決

12代

19代

1963.12.4 – 1964.7.22

第1次モーロ内閣

中道左派連立内閣成立

1964.1.13 連立反対の社会党左派グループ、プロレタリア統一社会党結成

20代

1964.7.22 – 1966.2.23

21代

1966.2.23 – 1968.6.24

第3次モーロ内閣

1966.7.7 エディソン社とモンテカティーニ社の大型合併でモンテーディソン社誕生

10.30 社会党と社会民主党が合併して統一社会党成立

1967.5.16 文相グーイの大学改革案に反対して諸大学占拠・学生の闘争が続く

13代

22代

1968.6.24 – 1968.12.12

第2次レオーネ内閣

1968.10.23 統一社会党第1回大会で党名を社会党に変更

14代

23代

1968.12.12 – 1969.8.5

第1次ルモール内閣

1969.7.2 社会民主派、社会党から離脱

24代

1969.8.5 – 1970.3.27

第2次ルモール内閣

1169.11.25 共産党中央委員会、マニフェストグループを除名

12.12 ミラノ中心街の銀行で極右グループの爆弾で16名死亡 「緊張の戦略」始まる

12.12 ミラノ銀行爆破で誤認逮捕されたアナーキストが警察署で死亡

25代

1970.3.27 – 1970.8.6

第3次ルモール内閣

1970.5.16 州設置法により新たに15州が成立

5.20 労働者憲章制定

5.25 憲法に定められた国民投票制度(レファレンダム)設置

7.21 リビア政府、イタリア人入植者の追放と財産没収

15代

26代

1970.8.6 – 1972.2.17

コロンボ内閣

1970.11.5 中華人民共和国と国交回復

12.1 下院で離婚法可決

1971.12.18 先進国の多角的通貨調整(スミソニアン協定)でリラ7.48%切上げ

16代

27代

1972.2.17 – 1972.6.26

第1次アンドレオッティ内閣

キリスト教民主党単独内閣誕生

28代

1972.6.26 – 1973.7.26

第2次アンドレオッティ内閣

1972.7.13 プロレタリア統一社会党、解党して共産党に合流

12.15 良心的徴兵忌避を認める法制定

1973.1.22 リラ二重為替相場制(金融リラの変動制)導入、この後リラの下落続く

7.24 政府、インフレ抑制のため主要食料品価格を3か月凍結

17代

29代

1973.7.26 – 1974.3.14

第4次ルモール内閣

1973.9.28 共産党書記長ベルリングェル、キリスト教民主党との歴史的妥協を提唱

11.23 政府、経済情勢の悪化と石油危機に対処するため消費抑制の諸措置

30代

1974.3.14 – 1974.11.23

第5次ルモール内閣

1974.5.12 離婚法廃止請求の国民投票で廃止反対59.8%

10.30 週40時間から24時間に操業短縮することで労使合意

11.13 家族法改正を要求する女性の大規模デモ

18代

31代

1974.11.23 – 1976.2.12

第4次モーロ内閣

1975.1.25 工業総連盟と3大労組の間で賃金の物価スライド制を協定

3.8 選挙権を20歳から18歳に引き下げ

4.11 イタリア放送協会(RAI)の管理が政府から議会に移行、チャンネルの政党別割当が生じる

4.22 夫婦間の法的な同等の権利などを認めた家族法制定

5.21 治安維持法(レアーレ法)制定

7.12 イタリアとスペインの共産党首脳会談でユーロ・コミュニズム路線

10.1 ユーゴスラビアとのオージモ条約で国境線画定

1976.1.20 リラ防衛のため外国為替市場を閉鎖

2.10 政界にロッキード汚職の疑惑

32代

1976.2.12 – 1976.7.29

第5次モーロ内閣

1976.6.20-21 総選挙で共産党の進出と社会党の退潮

19代

33代

1976.7.29 – 1978.3.11

第3次アンドレオッティ内閣

1976.11.4 ロッタ・コンティーヌア(継続闘争)解散大会

1977.1.21 下院、人工妊娠中絶法案可決

3月 アウトノミーナ(自立派)運動と警官隊衝突

6.7 上院、人工妊娠中絶法案否決

34代

1978.3.11 – 1979.3.20

第4次アンドレオッティ内閣

共産・社会・社会民主・共和4党の閣外協力による国民連帯政府

1978.3.16 赤い旅団、護衛5人を射殺してモーロ誘拐

赤い旅団

5.9 モーロ殺害

5.29 上院、人工妊娠中絶法案可決(6.6公布)

7.9 社会党のペルティーニ、大統領就任

サンドロ・ペルティーニ

1979.3.13 欧州通貨制度(EMS)発足

35代

1979.3.20 – 1979.8.4

20代

36代

1979.8.4 – 1980.4.4

第1次コッシガ内閣

キリスト教民主・社会民主・自由3党連立政権

1980.2.12 赤い旅団、ローマ大学構内で最高司法会議副会長パシュレを射殺

37代

1980.4.4 – 1980.10.18

第2次コッシガ内閣

キリスト教民主・社会・共和3党連立政権

21代

38代

1980.10.18 – 1981.6.28

フォルラーニ内閣

1981.3.22 インフレ率21%に達し、リラの為替レートを6%引き下げ、公定歩合2.5%引き上げて19%とする

4.4 赤い旅団最高幹部モレッティ逮捕

5.20 フリーメイソン「ロッジP2」に加盟の政・財・軍・警察・メディア関係962人のリスト公表

22代

39代

1981.6.28 – 1982.8.23

第1次スパドリーニ内閣

5党連立内閣成立

1981.7.7-12 株価20%暴落でミラノ株式取引所閉鎖

1982.4.30 マフィア、共産党シチリア州書記長ラ・トッレ暗殺

40代

1982.8.23 – 1982.12.1

第2次スパドリーニ内閣

1982.9.3 マフィア、パレルモ県知事ダッラ・キエーザ夫妻と護衛を射殺

9.11 ラ・トッレの準備していた反マフィア法、議会で可決

23代

41代

1982.12.1 – 1983.8.4

第5次ファンファーニ内閣

1983.7.8 急進党候補者リストで当選したネーグリ、議員免責特権で釈放

24代

42代

1983.8.4 – 1986.8.1

第1次クラクシ内閣

5党連立内閣成立

1984.2.18 カトリックを国教とする規定を削除した新政教協約を政府と教皇庁間で締結

4.12 ロンバルディア同盟結成

1985.7.20 リラ・レート急落で、欧州経済共同体(EEC)通貨委員会がリラの6%引き下げと他国通貨2%引上げを実施

1986.5.2 チェルノブイリ原発事故(4.26)による放射能汚染伝播

43代

1986.8.1 – 1987.4.17

第2次クラクシ内閣

1986.9.28 南イタリアに広がった保険サービス制度悪用の医療費不正請求を摘発

26代

45代

1987.7.28 – 1988.4.13

ゴリーア内閣

1987.12.16 マフィア大裁判判決で被告456人のうち有罪342人(終身刑19人)、無罪114人

27代

46代

1988.4.13 – 1989.7.22

デ・ミータ内閣

5党連立内閣成立

1989.4.1 医療費有料化のためのチケット制導入の政令

28代

47代

1989.7.22 – 1991.4.12

第6次アンドレオッティ内閣

1989.11.9 ベルリンの壁崩壊

12.4 北部同盟誕生

1990.5.23 クラス担任制廃止の小学校教育改革法制定

1991.1-2 共産党第20回大会で解党、左翼民主党と共産主義再建党に分裂

2.8-9 北部同盟、書記長にウンベルト・ボッシ選出

ウンベルト・ボッシ

48代

1991.4.12 – 1992.6.28

第7次アンドレオッティ内閣

1992.2.7 欧州連合(EU)条約(マーストリヒト条約)調印

2.17 社会党ミラノ市幹部、収賄容疑で逮捕 「清い手」と呼ばれることになるミラノ検察チームの汚職捜査開始

4.5-6 総選挙実施、北部同盟が下院で55議席獲得

5.23 マフィア大裁判の立役者だった法務省刑事局長ファルコーネ夫妻と護衛警官がマフィアに爆殺

イタリア共和国 第二共和政(1992年–現在)

タンジェントポリ(イタリア語: Tangentopoli)は「汚職の町」という意味で、イタリアの政官業の癒着を表現した言葉である。1992年から始まった大規模な汚職捜査とその結果としての政界再編までを指す。

この過程で、初の非政治家内閣であるカルロ・アツェリオ・チャンピが内閣発足した。

氏名

内閣

在任期間

事績

29代

49代

1992.6.28 – 1993.4.28

第1次アマート内閣

4党連立内閣成立

1992.7.19 ファルコーネの同僚ボルセッリーノ判事と護衛警官がマフィアに爆殺

9.17 政府、リラ下落で欧州通貨制度の為替相場メカニズム(ERM)からの離脱および社会保障費抑制などの財政赤字削減策発表

1993.1.1 欧州共同体統一市場発足

3.25 県・市町村首長の選出を住民の直接選挙とする法制定

4.18 国民投票で上院選挙法の改正、国家持株省の廃止などが決まる

30代

カルロ・チャンピ
Carlo Ciampi

カルロ・チャンピ Carlo Ciampi

無所属/非政治家内閣

50代

1993.4.28 – 1994.5.10

チャンピ内閣

イタリア銀行総裁チャンピ首班の超党派内閣成立

1993.8.3 下院定数630のうち75%(475)を小選挙区、25%(155)を比例区で選出する併用方式の選挙法成立

11.1 マーストリヒト条約発効、欧州連合(EU)発足

1994.3.27-28 総選挙実施、フォルツァ・イタリアを中心とする右派連合が勝利

31代

51代

1994.5.10 – 1995.1.17

第1次ベルルスコーニ内閣

1994.9.27 政府、保険医療費削減と年金改革を盛り込んだ95年度予算案提出

11.12 年金改革案に対する戦後最大規模のデモ

12.6 汚職捜査の立役者ディ・ピエトロ検事辞任

ディ・ピエトロ

32代

ランベルト・ディーニ
Lamberto Dini

ランベルト・ディーニ Lamberto Dini

無所属/非政治家内閣

52代

1995.1.17 – 1996.5.17

ディーニ内閣

1995.1.27 イタリア社会運動が解党、国民同盟を結成

2.13 元産業復興機構(IRI)総裁プローディ、中道左派連合「オリーブの木」結成を提唱

オリーブの木

1995.8.4 年金改革法制定、年金額を現役世代の報酬額を基準に算定する報酬額方式から現役時代の納付額を基準に算定する納付額方式に変更

2.14 女性運動の長年の要求の「性暴力に対する法」成立

33代

53代

1996.5.17 – 1998.10.21

第1次プローディ内閣

共産主義再建党の閣外協力でプローディ内閣成立

1996.9.13-15 北部同盟、パダーニア共和国の独立を宣言してポー川デモ

11.24 欧州通貨統合参加を目標にリラ高水準で為替相場メカニズムに復帰

1997.10.13 労働時間を2001年度に週35時間に短縮する合意でプローディ首相続投決まる

10.20 テレコム・イタリア(イタリア通信・電話公社)民営化

34代

マッシモ・ダレマ
Massimo D’Alema

マッシモ・ダレマ Massimo D'Alema

左翼民主主義者(オリーブの木)

54代

1998.10.21 – 1999.12.22

第1次ダレマ内閣

1999.1.1 欧州単一通貨ユーロ導入

5.20 赤い旅団、労働法学者・労働相顧問ダントーナ暗殺

55代

1999.12.22 – 2000.4.25

35代

56代

2000.4.25 – 2001.6.11

第2次アマート内閣

2000.6.28 産業復興公社(IRI)解散

10.18 民主主義者(プローディ・グループ)と人民党などで政治団体マルゲリータ結成

2001.5.13 総選挙実施、フォルツァ・イタリアを中心とする右派連合「自由の家」が大勝

36代

57代

2001.6.11 – 2005.4.23

第2次ベルルスコーニ内閣

2001.7.20-22 ジェノヴァ開催のサミット(主要国首脳会議)に対する抗議行動デモで1名射殺

ジェノヴァ・サミット

10.14 第40回ペルージャ=アッシジ平和行進に20万人参加

11.7 議会、アフガニスタンへのイタリア軍派兵承認

2002.1.7 裁判官買収容疑の被告ベルルスコーニと側近弁護士プレヴィティの裁判官忌避請求で、政府と司法界の対立深まる

3.19 赤い旅団、福祉・労働相顧問ビアージ暗殺

3.23 労働者憲章18条改悪に反対する300万人デモ

3.24 政党マルゲリータ結成

6.20 政府の司法改革に反対する全国司法官協会スト

7.11 指紋押捺の義務化や強制排除を定めた移民対策法(ボッシ=フィーニ法)成立

11.5 下院、被告が進行中の裁判を別の裁判所に移す請求のできる条項を加えた刑事訴訟法改正案(チラーミ法)を可決

2003.1.28 破棄院(最高裁)、ベルルスコーニとプレヴィティによるミラノ地裁からブレッシャ地裁への裁判移行請求を却下

4.15 議会、イラクへのイタリア軍派遣を承認

6.18 大統領・首相・上下両院議長・憲法裁判所長官の5名は在任中の刑事訴追を免れ、係争中の裁判は凍結するという免責特権・裁判凍結法を下院可決

12.2 メディア所有規制を緩和するメディア法(ガスパッリ法)成立

12.15 チャンピ大統領、メディア法に署名せずに再議を求めて両議院に差し戻す

12.23 ベルルスコーニ所有のメディアを保護する緊急政令

2004.1.13 憲法裁判所、免責特権・裁判凍結法に違憲判決

4.20 憲法裁判所、移民対策法(ボッシ=フィーニ法)中の強制排除条項を違憲判決

4.29 メディア改革法(新ガスパッリ法)成立

11.23 司法改革案に反対する司法官・弁護士の終日スト

12.1 法相に強い権限を認める司法改革法を議会可決

12.16 チャンピ大統領、司法改革法に署名せずに再議を求めて両議院に差し戻す

12.10 ベルルスコーニの贈賄罪裁判で1件時効、1件無罪判決

58代

2005.4.23 – 2006.5.17

第3次ベルルスコーニ内閣

2005.7.20 司法制度改革法成立

11.16 地方分権推進(連邦制)と首相権限強化を図る憲法改正法案成立(但し議会賛成票3分の2以下のため憲法改正には国民投票が必要)

12.14 比例代表制を復活し、最多得票の政党ないし政党連合にボーナス議席を与え、得票率2%(上院は3%)以下の小政党には議席を配分しない選挙法成立

2006.2.10 トリノ冬季オリンピック開幕

トリノ冬季オリンピック

2006.4.9-10 総選挙実施、中道・左派連合「ウニオーネ」と中道・右派連合「自由の家」の得票僅差

4.19 破棄院(最高裁)、確定得票を発表、ウニオーネ勝利

37代

59代

2006.5.17 – 2008.5.8

第2次プローディ内閣

中道・左派9党連立内閣成立

2006.6.29 憲法改正を問う国民投票で反対61.3%

7.28 与党連合最左派の反対でもめたアフガニスタン駐留延長を上院で承認

7.29 閣内不統一のまま恩赦法成立

12.1 政府、アリタリア航空の保有株売却を表明

2007.2.8 同性婚を含む事実婚カップルに通常婚夫婦と同等の資格を認める共同生活に関する権利と義務(DICO)法案を閣議決定

38代

60代

2008.5.8 – 2011.11.16

第4次ベルルスコーニ内閣

自由の人民(自由国民党)による右派政権

2011.2 汚職に対する追及が本格化し、ミラノ地裁から未成年者売春罪と職権乱用罪で起訴

内閣退陣と政界引退

11.9 大統領ジョルジョ・ナポリターノがマリオ・モンティを名誉職の終身上院議員に指名

39代

マリオ・モンティ
Mario Monti

マリオ・モンティ Mario Monti

無所属/非政治家内閣

61代

2011.11.16 – 2013.4.28

第1次モンティ内閣

2011.12.4 総額300億ユーロに及ぶ緊縮財政策を発表

2012.6.27 企業が業績悪化時に従業員を解雇できるよう定める代わりに失業手当を拡充させる労働市場改革法を成立

40代

62代

2013.4.28 – 2014.2.22

レッタ内閣

中道右派と中道左派による史上初の大連立政権

2013.6.28 若者の失業対策としてヨーロッパの基金から15億ユーロを受け取ると発表

2013.10.3 リビアからイタリアへの移民を乗せた船がランペドゥーサ島沖で沈没

性急な経済政策を党内から批判され辞職

41代

63代

2014.2.22 – 2016.12.12

レンツィ内閣

わずか2カ月足らずの間にフィレンツェ市長から首相へと上り詰める

2016.12.4 上院や地方政府の持つ権限の削減を進める憲法改正を問う国民投票が否決、改正案否決を条件にしていたため首相を辞任

42代

64代

2016.12.12 – 2018.6.1

ジェンティローニ内閣

2017.1.10 フランスからの帰国途中に心臓の動脈の詰まりが原因で体調を崩す 帰国後血管を拡張する緊急手術を受ける

2017.5.26-27 タオルミーナ・サミット

タオルミーナ・サミット

2018.3.4 総選挙実施、左派ポピュリズムの五つ星運動が大勝

43代

ジュゼッペ・コンテ
Giuseppe Conte

ジュゼッペ・コンテ Giuseppe Conte

無所属/非政治家内閣

65代

2018.6.1 – 2019.9.5

第1次コンテ内閣

左派ポピュリズムの五つ星運動と右派ポピュリズムの同盟の支持により組閣

2019.3 中国の一帯一路協力の覚書にG7で初めて調印

4月 年金受給開始年齢を62歳へ引き下げ、ベーシックインカム制度導入

66代

2019.9.5 – 2021.2.13

第2次コンテ内閣

五つ星運動と中道左派の民主党が連立政権の樹立で合意して組閣

2020.3 新型コロナウイルス感染症の流行の際、ミラノやベネチアなどの都市を封鎖、イタリア全土に外出禁止令を発動

44代

マリオ・ドラギ
Mario Draghi

マリオ・ドラギ Mario Draghi

無所属/非政治家内閣

67代

2021.2.13 – 2022.10.22

ドラギ内閣

2022.7.15 連立政権を組む五つ星運動が政権に対する事実上の信任投票となるインフレ対策をめぐる採決への参加を拒否

7.20 上院で政権への信任投票が行われ、主要与党のうち、五つ星運動の他、同盟とフォルツァ・イタリアも投票をボイコットしたため辞任

2022.9.25 総選挙実施、イタリアの同胞が第一党となる

45代

68代

2022.10.22 – 現職

メローニ内閣

イタリアの同胞/同盟/フォルツァ・イタリアの右派による連立政権、イタリア初の女性首相

参考リンク

↗文字化けしているように見えるがリンクは生きている

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