原価計算基準 二四(二)原価配分法 4. 簡便法(加工費計算の省略) 追加しました
PR

歴代イタリア首相 Prime Ministers of Italy

歴代イタリア首相 Prime Ministers of Italy リベラルアーツ
「カヴール」「ジョリッティ」「デ・ガスペリ」「ベルルスコーニ」「メローニ」歴代イタリア首相 Prime Ministers of Italy
  1. イタリア首相の名称について
  2. イタリア王国 (1861年–1946年)
    1. カミッロ・カヴール
      Camillo Benso, Conte di Cavour
    2. ベッティーノ・リカーソリ
      Bettino Ricasoli
    3. ウルバーノ・ラッタッツィ
      Urbano Rattazzi
    4. ルイージ・ファリーニ
      Luigi Farini
    5. マルコ・ミンゲッティ
      Marco Minghetti
    6. アルフォンソ・マルモラ
      Alfonso Ferrero, Marchese de La Marmora
    7. ベッティーノ・リカーソリ
      Bettino Ricasoli
    8. ウルバーノ・ラッタッツィ
      Urbano Rattazzi
    9. フェデリーコ・メナブレーア
      Federico Luigi, Conte Menabrea
    10. ジョヴァンニ・ランツァ
      Giovanni Lanza
    11. マルコ・ミンゲッティ
      Marco Minghetti
    12. アゴスティーノ・デプレーティス
      Agostino Depretis
    13. ベネデット・カイローリ
      Benedetto Cairoli
    14. アゴスティーノ・デプレーティス
      Agostino Depretis
    15. ベネデット・カイローリ
      Benedetto Cairoli
    16. アゴスティーノ・デプレーティス
      Agostino Depretis
    17. フランチェスコ・クリスピ
      Francesco Crispi
    18. アントニオ・ルディニ
      Antonio Starabba, Marchese di Rudinì
    19. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    20. フランチェスコ・クリスピ
      Francesco Crispi
    21. アントニオ・ルディニ
      Antonio Starabba, Marchese di Rudinì
    22. ルイージ・ペルー
      Luigi Pelloux
    23. ジュゼッペ・サラッコ
      Giuseppe Saracco
    24. ジュゼッペ・ザナルデッリ
      Giuseppe Zanardelli
    25. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    26. トンマーゾ・ティットーニ
      Tommaso Tittoni
    27. アレッサンドロ・フォルティス
      Alessandro Fortis
    28. シドネイ・ソンニーノ
      Sidney Sonnino
    29. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    30. シドネイ・ソンニーノ
      Sidney Sonnino
    31. ルイージ・ルッツァッティ
      Luigi Luzzatti
    32. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    33. アントニオ・サランドラ
      Antonio Salandra
    34. パオロ・ボセッリ
      Paolo Boselli
    35. ヴィットーリオ・オルランド
      Vittorio Orlando
    36. フランチェスコ・ニッティ
      Francesco Nitti
    37. ジョヴァンニ・ジョリッティ
      Giovanni Giolitti
    38. イヴァノエ・ボノーミ
      Ivanoe Bonomi
    39. ルイージ・ファクタ
      Luigi Facta
    40. ベニート・ムッソリーニ
      Benito Mussolini
    41. ピエトロ・バドリオ
      Pietro Badoglio
    42. イヴァノエ・ボノーミ
      Ivanoe Bonomi
    43. フェルッチョ・パッリ
      Ferruccio Parri
    44. アルチーデ・デ・ガスペリ
      Alcide De Gasperi
  3. イタリア共和国 第一共和政(1846年–1992年)
    1. アルチーデ・デ・ガスペリ
      Alcide De Gasperi
    2. ジュゼッペ・ペッラ      
      Giuseppe Pella
    3. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    4. マリオ・シェルバ
      Mario Scelba
    5. アントニオ・セーニ
      Antonio Segni
    6. アドネ・ツォーリ
      Adone Zoli
    7. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    8. アントニオ・セーニ
      Antonio Segni
    9. フェルナンド・タンブロニ
      Fernando Tambroni
    10. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    11. ジョヴァンニ・レオーネ
      Giovanni Leone
    12. アルド・モーロ
      Aldo Moro
    13. ジョヴァンニ・レオーネ
      Giovanni Leone
    14. マリアーノ・ルモール
      Mariano Rumor
    15. エミリオ・コロンボ
      Emilio Colombo
    16. ジュリオ・アンドレオッティ
      Giulio Andreotti
    17. マリアーノ・ルモール
      Mariano Rumor
    18. アルド・モーロ
      Aldo Moro
    19. ジュリオ・アンドレオッティ
      Giulio Andreotti
    20. フランチェスコ・コッシガ
      Francesco Cossiga
    21. アルナルド・フォルラーニ
      Arnaldo Forlani
    22. ジョヴァンニ・スパドリーニ
      Giovanni Spadolini
    23. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    24. ベッティーノ・クラクシ
      Bettino Craxi
    25. アミントレ・ファンファーニ
      Amintore Fanfani
    26. ジョヴァンニ・ゴリーア
      Giovanni Goria
    27. チリアーコ・デ・ミータ
      Ciriaco De Mita
    28. ジュリオ・アンドレオッティ
      Giulio Andreotti
  4. イタリア共和国 第二共和政(1992年–現在)
    1. ジュリアーノ・アマート
      Giuliano Amato
    2. カルロ・チャンピ
      Carlo Ciampi
    3. シルヴィオ・ベルルスコーニ
      Silvio Berlusconi
    4. ランベルト・ディーニ
      Lamberto Dini
    5. ロマーノ・プローディ
      Romano Prodi
    6. マッシモ・ダレマ
      Massimo D’Alema
    7. ジュリアーノ・アマート
      Giuliano Amato
    8. シルヴィオ・ベルルスコーニ
      Silvio Berlusconi
    9. ロマーノ・プローディ
      Romano Prodi
    10. シルヴィオ・ベルルスコーニ
      Silvio Berlusconi
    11. マリオ・モンティ
      Mario Monti
    12. エンリコ・レッタ
      Enrico Letta
    13. マッテオ・レンツィ
      Matteo Renzi
    14. パオロ・ジェンティローニ
      Paolo Gentiloni
    15. ジュゼッペ・コンテ
      Giuseppe Conte
    16. マリオ・ドラギ
      Mario Draghi
    17. ジョルジャ・メロー二
      Giorgia Meloni
  5. 参考リンク
  6. あわせて読みたい

イタリア首相の名称について

正式名称は閣僚評議会議長で、イタリア語では Presidente del Consiglio dei Ministri 。イタリアの行政府の長として、すなわち首相として「内閣の首席」という位置づけで行政権を統括する。そこから、日本語訳では「首相」ということになっている。

首相は大統領が任命する。内閣成立後10日以内に両議院(上院:共和国元老院、下院:代議院)の信任を得なければならない。この時、被任命権が国会議員に限るという憲法上の規定が無いため、両院からの信任(支持)を取り付けることができれば非議員でも首相に就任できる。

首相に議会解散権は無く、大統領のみが有する。議院内閣制をとっており、内閣は議会の信任を得なければならない。

イタリア王国 (1861年–1946年)

サルデーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がイタリア国王に即位し、イタリア王国が成立した。

サルデーニャ王国の宰相だったカミッロ・カヴールが新たにイタリア王国の首相に就任した。彼は、それまで3回内閣を率いているので、イタリア王国としては、彼の第4次内閣から数える。

イタリア王国期、イタリア王国閣僚評議会の議長 ( Presidente del Consiglio dei ministri del Regno d’Italia ) と呼ばれていた。

ムッソリーニが閣僚評議会議長に就任後、1925年12月24日に独裁体制を確立、独裁権を持つ国家指導者として認識され、ドゥーチェ: Duce(国家指導者、統帥、統領)の称号で呼ばれた。

氏名

内閣

在任期間

事績

初代

カミッロ・カヴール
Camillo Benso, Conte di Cavour

カミッロ・カヴール Camillo Benso,
Conte di Cavour

国民統一派=歴史的右翼

初代

1861.3.17 – 1861.6.6

第4次カヴール内閣

イタリア統一運動において、ガリバルディ、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」と称される

6.6 カヴール急死

2代

2代

1861.6.6 – 1862.3.4

第1次リカーソリ内閣

1861.6: ローマ教皇庁との和解失敗

1861.10.9 旧サルデーニャ王国のラッタッツィ法に基づく地方行政制度(県・コムーネ)を全国に施行→中央集権化

南部で山賊大反乱が続く(-1863.8)

ガリバルディの志願兵のほとんどを正規軍に編入、マッツィーニの追放を取り消し

1862.2.1 シチリアの総督制廃止

3代

3代

1862.3.4 – 1862.12.9

第1次ラッタッツィ内閣

1862.3.22 サンマリノ共和国との最初の条約に調印

1862.8.24 通貨リラを導入

1862.8.29 アスプロモンテの戦:ガリバルディ義勇軍と王国正規軍の衝突

4代

4代

1862.12.9 – 1863.3.24

ファリーニ内閣

ポーランドのロシアに対する反乱でロシアに宣戦布告→ガリバルディ義勇軍から派兵

精神を病み辞職

5代

5代

1863.3.24 – 1864.9.23

第1次ミンゲッティ内閣

1863.8.15: 山賊大反乱に対する軍事法廷措置を定めたピーカ法公布

1864.9.15 九月条約:ローマに駐屯していたフランス軍を 2 年以内に撤退させる(秘密条項で、首都をトリノからフィレンツェに遷都することを約する)

この秘密条項が公になることでトリノ虐殺が起き辞任

6代

アルフォンソ・マルモラ
Alfonso Ferrero, Marchese de La Marmora

アルフォンソ・マルモラ Alfonso Ferrero, Marchese de La Marmora

歴史的右翼

6代

1864.9.23 – 1865.12.31

第2次マルモラ内閣

(第1次の組閣はサルデーニャ王国時代)

1964.12.8 ローマ教皇ピウス9世が回勅『クワンタ・クラ』(誤謬表)を発表

1865.3: 行政統一法(県・コムーネ法)

1865.4: 民法統一

1865.7.5 スペインにイタリア王国を承認させる

1865.11.5 仏軍ローマから撤兵開始

7代

1865.12.31 – 1866.6.17

第3次マルモラ内閣

1866.4.8 伊プロイセン攻守同盟の秘密協定締結

第三次独立戦争が勃発したラ・マルモーラ首相時代のイタリア

5.1 不換紙幣(コルソ・フォルツォーゾ)導入

7代

8代

1866.6.17 – 1867.4.10

第2次リカーソリ内閣

1866.6-8: 第三次イタリア独立戦争(普墺戦争, -7月)

第三次イタリア独立戦争

10.21 住民投票でヴェネト(ヴェネツィア)がイタリア領となる

1866.9: 7日半の反乱(パレルモ蜂起)

1866.12.11 仏軍、ローマから撤兵完了

8代

9代

1867.4.10 – 1867.10.27

第2次ラッタッツィ内閣

1867.8.15 教会所有地没収法公布

10.19 ガリバルディの逮捕に失敗、教皇領へ逃す

9代

10代

1867.10.27 – 1868.1.5

第1次メナブレーア内閣

1867.11.3 ローマ解放のため挙兵したガリバルディ、メンターナで教皇軍を破るが仏軍に敗れる

11代

1868.1.5 – 1869.5.13

第2次メナブレーア内閣

1868.5 下院で製粉法可決

北部の閣僚だけで構成され、ピエモンテのみでなく地主や南部の急進派からも厳しい批判を受ける

1869.1 第三次イタリア独立戦争の戦費調達に発行した国債支払のため、製粉税を導入

12代

1869.5.13 – 1869.12.14

第3次メナブレーア内閣

1869.12.8 バチカン公会議開会

10代

13代

1869.12.14 – 1873.7.10

ランツァ内閣

1870.2.5 ルバッティーノ海運会社、スエズ運河経由インド航路開発、3月に紅海沿岸アッサブ取得

8.11 財政オムニバス法案可決(財政赤字削減措置)

1870.9: 普仏戦争のセダンの戦で仏軍が降伏

10.2 ローマ併合

普仏戦争とドイツ統一後の欧州

1871.5.15 教皇保障法(教皇と聖座の諸大権の保障ならびに国家と教会の関係についての法)を制定

7.1 フィレンツェからローマへの遷都完了

7.13 マッツィーニ、国際労働者協会(インター)批判とパリ・コミューンへの否定的評価

1872.8 リミニで反権威主義反マルクス派国際労働者協会イタリア連合結成

11代

14代

1873.7.10 – 1876.3.25

第2次ミンゲッティ内閣

1874.6 第1回イタリア・カトリック会議開催

8月 リミニで共和派指導者28名逮捕、アナーキスト蜂起計画失敗、バクーニンはスイスに逃れる

9.1 国家の経済介入に批判的なアダム・スミス教会設立

9.10 教皇ピウス9世、回勅「ノン・エクスペディト」でカトリック教会の国政選挙への参加を禁止

1975.1 国家による社会政策を求める経済研究促進協会設立

1876.3.16 財政均衡の達成を議会報告、鉄道の国有化方針の承認を求める

製粉税に対する動議が否決され、内閣象辞職(15年続いた右派政権が終焉)

12代

15代

1876.3.25 – 1877.12.25

第1次デプレーティス内閣

右派から左派への政権移行(議会革命)

1877.3.15 議会に農業と農業階層に関する調査委員会(委員長ヤチーニ)設置

ヤチーニ Stefano Jacini

5.7 共和派インブリアーニ、未回復イタリアのための協会設立

7.15 コッピーノ法(学校改革、義務教育期間を、6~12歳から6~9歳へ、聖俗的・無償教育の実施)

16代

1877.12.25 – 1878.5.25

第2次デプレーティス内閣

Depretis の第 2 次政権は短命で、左翼内の紛争により崩壊

1878.1.9 国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世没

2.7 教皇ピウス9世没

13代

17代

1878.5.25 – 1878.12.19

第1次カイローリ内閣

1878.7.1 仏との新通商協定(関税率引き上げ)発効

8.18 モンテ・アミアータの預言者ラッザレッティ、軍隊との交戦で射殺

1878.11.17 アナキストのパッサナンテによるウンベルト 1 世の暗殺未遂(カイローリ自身も負傷)

15代

19代

1879.7.14 – 1879.11.25

第2次カイローリ内閣

1879.8.3 コスタ、アナーキズムから合法的社会主義活動に転ずる公開書簡発表

20代

1879.11.25 – 1881.5.29

第3次カイローリ内閣

1881.5: チュニスの平手打ち

16代

21代

1881.5.29 – 1883.5.25

第4次デプレーティス内閣

1881.7.7 コッローディ、ピノッキオの冒険連載第1回

8月 コスタ、ロマーニャ革命社会党結成

9.25-26 ロンバルディア労働者連合第1回大会

1882.1.22 選挙法改正

18825.20 独墺伊どくおうい三国同盟

独墺伊三国同盟

10.8 デプレーティス首相、左派・右派共に「変移(トラスフォルマツィオーネ)」して両派連携を訴える

ゴッタルド鉄道トンネル開業

ゴッタルド鉄道トンネル

1882.12.20 グリエルモ・オベルダンが絞首刑

1883.4.12 不換紙幣(コルソ・フォルツォーゾ)廃止

22代

1883.5.25 – 1884.3.30

第5次デプレーティス内閣

1883.7.8 全国労働災害保険公庫設立

11.25 デプレーティス首相のトラスフォルミズモに批判的な議会左派の5幹部がペンタルキーア(5人組)形成

1884.1.1 製粉税廃止

1月 エディソン式電気会社設立

23代

1884.3.30 – 1885.6.29

第6次デプレーティス内閣

1884.7 ヤチーニの農業調査委員会報告書全15巻提出

1885.2.5 イタリア軍、紅海沿岸マッサワ占領

4.27 鉄道経営を3会社に委託する法布告

24代

1885.6.29 – 1886.5.30

第7次デプレーティス内閣

1886.2.11 児童労働禁止法成立(9歳以下)

3.1 地租平準化法公布

25代

1886.5.30 – 1887.4.4

第8次デプレーティス内閣

1887.1.6 ドガリの戦: エチオピア帝国軍に敗北

ドガリの戦

26代

1887.4.4 – 1887.7.29

17代

27代

1887.7.29 – 1889.3.9

第1次クリスピ内閣

1887.9.30 フリードリッヒスルー会談

12.12 第二次地中海協定

1888.2.18 仏との通商交渉決裂、両国の通商戦争始まる

1888.12.30 クリスピ法(地方政府改革:県・コムーネ法、移民の自由を認めた移民法)

28代

1889.3.9 – 1891.2.6

第2次クリスピ内閣

1889.5.2 エチオピアのメネリク1世とウッチャリ条約

6.30 ザナルデッリ法(死刑廃止)、治安法(ストライキの権利が正式に認められる)

1890.1.5 エリトリア植民地成立

18代

アントニオ・ルディニ
Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

アントニオ・ルディニ Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

歴史的右翼

29代

1891.2.6 – 1892.5.15

第1次ルディニ内閣

1891.5.15 教皇レオ13世、労働問題に関する回勅「レールム・ノワールム」

19代

30代

1892.5.15 – 1893.12.15

第1次ジョリッティ内閣

1893.1.19 ローマ銀行汚職で頭取タンロンゴ逮捕

7.30 コルレオーネでパレルモ県勤労者ファッシ大会

8.10 発券銀行を統一してイタリア銀行設立

8.17 仏エーグモルトでイタリア移民労働者30名殺害

20代

31代

1893.12.15 – 1894.6.14

第3次クリスピ内閣

1893.12 シチリア・ファッシ運動激化

32代※数えない場合もあるため後続内閣を32代とする

1894.6.14 – 1896.3.10

第4次クリスピ内閣

1894.1-8 シチリアに戒厳令

2.21 不換紙幣導入、財省ソンニーノ、財政再建策発表

10.12 兼営銀行タイプのイタリア商業銀行設立

1895.1.13 非合法下でイタリア勤労者社会党第3回大会開催、党名をイタリア社会党とし、団体加盟から個人加盟に変更

4.21 マッツィーニ派・ガリバルディ派の諸組織の参加したイタリア共和党成立

1896.3.1 イタリア軍、エチオピア軍とのアドワの戦いで6600人の戦死者を出して敗北

アドワの戦い

21代

アントニオ・ルディニ
Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

アントニオ・ルディニ Antonio Starabba, Marchese di Rudinì

歴史的右翼

32代

1896.3.10 – 1896.7.11

第2次ルディニ内閣

1896.3.15 人口1万人以下のコムーネ首長も選挙による選出とする政令(7.29法制化)

4.5 1年期限でシチリアに文民コミッサリーオ制度導入(7月法制化)

33代

1896.7.11 – 1897.12.24

第3次ルディニ内閣

1896.9.30 チュニジアに関する協定をフランスと締結

10.26 エチオピアとアディス・アベバ講和条約締結

34代

1897.12.24 – 1898.6.1

第4次ルディニ内閣

1898.3.6 急進派指導者カヴァロッティ、王党派議員との決闘で死亡

3.17 労働災害保険法公布

4.26 凶作によるパン価格高騰、ロマーニャ地方で食糧暴動→全国に拡大

35代

1898.6.1 – 1898.6.29

第5次ルディニ内閣

1898.7.17 老齢・障害保険公庫設立

11.21 フランスと通商協定締結

22代

36代

1898.6.29 – 1899.5.14

第1次ペルー内閣

37代

1899.5.14 – 1900.6.24

第2次ペルー内閣

1899.7.11 トリノの自動車メーカー、フィアット社設立

23代

38代

1900.6.24 – 1901.2.15

サラッコ内閣

1900.7.29 国王ウンベルト1世、アナーキストに暗殺される

12.18 ジェノバ港湾労働者スト→リグーリア地方のゼネストに拡大

1901.1.31 新移民法制定(移民審査の委員会設置)

24代

39代

1901.2.15 – 1903.11.3

ザナルデッリ内閣

1901.10 イタリア・コムーネ協会設立大会

1902.6.19 女性労働・児童労働保護法制定

11月 労働会議所連合と産業別労働組合の連絡機関として中央抵抗書記局設置

1903.3.29 公共サービス部門の行営化法公布

25代

40代

1903.11.3 – 1905.3.12

第2次ジョリッティ内閣

1904.3.31 バジリカータ特別法制定

7.28 教皇ピウス10世、カトリック組織「大会・諸委員会活動」を解散

26代

41代

1905.3.12 – 1905.3.28

ティットーニ内閣

27代

42代

1905.3.28 – 1905.12.24

第1次フォルティス内閣

1905.4.19 下院、鉄道国営化法可決

11.20 カトリック民主派ムッリ、全国民主同盟結成

43代

1905.12.24 – 1906.2.8

第2次フォルティス内閣

1906.2 カトリック人民連合、カトリック社会経済連合、カトリック選挙連合結成

28代

44代

1906.2.8 – 1906.5.29

第1次ソンニーノ内閣

1906.7.28 教皇ピウス10世、回勅でムッリの全国民主同盟を批判

29代

45代

1906.5.29 – 1909.12.11

第3次ジョリッティ内閣

1908.4 第1回全国女性会議開催、カトリック系と非カトリック系の不一致が表面化

4.30 パルマの労働会議所(革命的サンディカリスト派)、農業労働者のゼネスト突入を宣言、3か月に及ぶ闘争

1909.2.20 マリネッティ、パリ『フィガロ』誌で未来主義宣言

3.7 教皇庁、総選挙において72選挙区で「ノン・エクスペディト(ふさわしくない)」をやめ、カトリック議員16人当選

3.14 サルヴェーミニ、論文『暗黒街の大臣』を発表、ジョリッティ首相の南部政策を批判

30代

46代

1909.12.11 – 1910.3.31

31代

47代

1910.3.31 – 1911.3.30

ルッツァッティ内閣

32代

48代

1911.3.30 – 1914.3.21

第4次ジョリッティ内閣

1911.4 国家統一50周年記念としてトリノ・フィレンツェ・ローマ3都市で万国博覧会

6.4 初等教育法公布

9.29 オスマン帝国に宣戦布告(伊土戦争、リビア戦争 – 12.10.18)

伊土戦争

1912.4.4 全国保険機構(INA)設立

6.30 選挙法改正

7月 社会党第13回大会でムッソリーニら左派が多数派となり、改良派のビッソラーティ・ボノーミを除名

10.18 オスマン帝国とローザンヌ講和条約締結(トリポニタニア・キレナイカ取得)

11月 革命的サンディカリスト、労働総連合(CGdL)から脱退、イタリア労働組合連合(USI)結成

33代

49代

1914.3.21 – 1914.11.5

第1次サランドラ内閣

1914.6.7 アンコーナ市の反軍国主義デモをきっかけに全国的動乱(赤い一週間)

7.28 第1次世界大戦勃発

1914年時点で2つの陣営に分けられたヨーロッパ

8.2 政府、イタリアの中立を表明

11月 ムッソリーニ、参戦主義を掲げた日刊紙『イタリア人民』創刊、社会党から除名、「革命行動ファッシ」結成

50代

1914.11.5 – 1916.6.18

第2次サランドラ内閣

1915.4.26 協商側とロンドン秘密条約締結

5.3 政府、三国同盟破棄を通告

5.24 オーストリアに宣戦布告

8.21 オスマン帝国に宣戦布告

34代

51代

1916.6.18 – 1917.10.23

ボセッリ挙国一致内閣

1916.8.27 ドイツに宣戦布告

1917.10.24 イタリア軍、カポレットで大敗

35代

52代

1917.10.23 – 1919.6.23

オルランド内閣

1917.11.9 国防最高長官、カドルナからディアツに交代、イタリア軍ピアーヴェ川沿いに防衛体制構築

1918.9 社会党第15回大会で左派指導部選出

10.24-11.3 イタリア軍総攻撃、ヴィットーリオ・ヴェネートで勝利

11月 オーストリア・ドイツと休戦協定

12.11 社会党指導部、社会主義革命の目標を宣言(最大限綱領主義)

1919.3.23 ムッソリーニ「イタリア戦闘ファッシ」結成

4.24 イタリア代表団、パリ講和会議ボイコット

36代

53代

1919.6.23 – 1920.5.21

第1次ニッティ内閣

1919.8.9 下院、比例代表制選挙法可決

9.1 治安対策で王国警備隊設置

9.10 オーストリアとサン・ジェルマン条約締結、領土拡大(南チロルのドイツ語圏、トレンティーノ地方)

サン・ジェルマン条約

9.12 ダンヌンツィオらフィウメ占領

11.16 比例代表制による総選挙で社会党と人民党が進出

1920.3-4 トリノ労働争議

54代

1920.5.21 – 1920.6.15

第2次ニッティ内閣

37代

55代

1920.6.15 – 1921.7.4

第5次ジョリッティ内閣

1920.11.12 ユーゴスラビアとラパッロ条約締結

12.24 イタリア軍、フィウメ占領者を排除(血のクリスマス)

1921.1 社会党第17回大会で最左派分離

1.21 イタリア共産党結成

5.15 総選挙、全535議席のうちファシスト35名を含んだナショナル・ブロック275議席

38代

イヴァノエ・ボノーミ
Ivanoe Bonomi

イヴァノエ・ボノーミ Ivanoe Bonomi

社会改良党

56代

1921.7.4 – 1922.2.26

第1次ボノーミ内閣

1921.8.2 社会党とファシスト議員グループの間で平和協定

11.7 戦闘ファッシを国民ファシスト党(PNF)に改組

39代

57代

1922.2.26- 1922.8.1

第1次ファクタ内閣

58代

1922.8.1 – 1922.10.31

第2次ファクタ内閣

1922.10 社会党第19大会で改良派分離、改良派社会主義者「統一社会党」結成(書記長マッテオッティ)

10.27-28 北・中部でファシスト動員とローマ進軍

40代

59代

1922.10.31 – 1943.7.25

ムッソリーニ内閣

1922.11.24 議会、23年末まで行政・経済問題の全権を政府に委任する議決

1922.12 王家・党・政府の意見調整の場としてファシズム大評議会が設立

1923.2.1 政令で首相直属の国家機関として全国治安民兵隊(黒シャツ隊)を設置

黒シャツ隊

1923.4.27 文相ジェンテーレの教育改革

7.21 下院、新選挙法(アチュルボ法)可決

8.31 イタリア軍、コルフ(ケルキラ)島占領

コルフ島事件

1924.1.27 ユーゴスラヴィアとのローマ協定でフィウメ取得

6.10 統一社会党議員マッテオッティ、ファシストに拉致・暗殺される

6.27 野党議員、議会審議を拒否(アヴェンティーノ連合)

1925.1.3 ムッソリーニ、議会演説で力による支配を宣言、ファシズム体制の建設始まる

10月 ロカルノ条約締結

11.4 ムッソリーニ首相襲撃未遂事件

12.24 首相の権限を強める政府首長大権法公布

1926.12.31 ファシスト暦導入

1927.12.21 1ポンド90リラで金本位制復帰

1929.2.11 ラテラノ条約でイタリア国家とローマ教皇庁と和解、バチカン市国形成

ラテラノ条約

1931.11.13 イタリア動産機構(IMI)設立

1933.1.23 産業復興機構(IRI)設立

1933.9.2 ソ連と5年間の友好条約締結

1935.10.3 イタリア軍、エチオピア侵攻開始(第二次エチオピア戦争)

第二次エチオピア戦争

1936.5.9 ムッソリーニ、帝国復活の演説、エチオピア・エリトリア・ソマリアをイタリア領東アフリカ(AOI)とし、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世がエチオピア皇帝即位

11.1 ムッソリーニ、演説でローマ・ベルリン枢軸と表現

1937.11.6 日独伊防共協定

12.11 国際連盟脱退

1938.9 英仏独伊ミュンヘン会談

1939.4.6 イタリア軍、アルバニア侵略

9.1 第二次世界大戦勃発

第二次世界大戦

1940.6.10 英仏に宣戦布告(9月に仏と休戦)

9.27 日独伊三国同盟

12.11 独伊がアメリカに宣戦布告

1942.10.23 英軍、北アフリカのエル・アラメインで反攻

1943.7 ムッソリーニ首相罷免・逮捕

41代

ピエトロ・バドリオ
Pietro Badoglio

ピエトロ・バドリオ Pietro Badoglio

無所属/暫定軍事政権

60代

1943.7.25- 1944.4.17

第1次バドリオ内閣

(軍事政権)

1943.7.28 ファシスト党解散、ファシズム大評議会廃止

9月 連合国と休戦

9.9 国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とバドリオ首相、ローマ脱出しブリンディジに政権を置く

9.18 救出されたムッソリーニがサロでファシスト党再建とイタリア社会共和国樹立を宣言

10.13 バドリオ政権、ドイツに宣戦布告

1944.2.11 バドリオ政権、サレルノに移動

61代

1944.4.22 – 1944.6.18

第2次バドリオ内閣

1944.4.22 バドリオ首相にもとで反ファシズム諸政党が参加する国民統一内閣成立(サレルノ転換)

42代

イヴァノエ・ボノーミ
Ivanoe Bonomi

イヴァノエ・ボノーミ Ivanoe Bonomi

労働民主党

62代

1944.6.18 – 1945.6.19

第2次ボノーミ内閣

1944.10.27 連合軍、フィレンツェ-ボローニャ間のドイツ軍防衛線ゴート・ラインで進軍停止

12.12 社会党と行動党不参加の改造ボノーミ内閣成立

1945.4.28 北イタリア国民解放委員会、裁判権を行使してムッソリーニを銃殺刑

43代

フェルッチョ・パッリ
Ferruccio Parri

フェルッチョ・パッリ Ferruccio Parri

行動党

63代

1945.6.21 – 1945.12.8

パッリ内閣

(6党連立内閣)

44代

64代

1945.12.10 – 1946.7.1

第1次ガスペリ内閣

(6党連立内