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世界史年表 世紀別/地域別(8世紀)

世界史年表 世紀別/地域別(8世紀) リベラルアーツ
「カール大帝」「唐の玄宗」「盧舎那仏」世界史年表 世紀別/地域別(8世紀)
世界史年表 世紀別/地域別(8世紀)
世界史年表 世紀別/地域別(8世紀)
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8世紀(A.D.701 – A.D.800)の世界

世界

  • 温暖化と海進
  • 文明圏の衝突
    • 732: トゥール・ポワティエ間の戦(フランク王国 vs ウマイヤ朝)
    • 751: タラス河畔の戦(アッバース朝 vs 唐)

西欧

  • 西ゴート王国(415/18/19 – 711)
  • フランク王国
    • メロヴィング朝(486 – 751)
    • カロリング朝(751 – 843)
  • ランゴバルト王国(568 – 774)
  • 後ウマイヤ朝(756 – 1031)

東欧

  • 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)(395 – 1453)

中東/アフリカ

  • ウマイヤ朝(661 – 750)
  • アッバース朝(749/750 – 1258)
イスラム帝国の拡大
イスラム帝国の拡大 Wikimedia Commons

インド/東南アジア

インド分裂時代

  • パッラヴァ朝(275 – 897)
  • 西ガンガ朝(350 – 1000)
  • 前期チャールキヤ朝(543 – 753)
  • パーラ朝(750 – 1174)
  • プラティーハーラ朝(ca.750 – 1018/1036)
  • ラーシュトラクータ朝(753 – 973)

東南アジア

  • シュリーヴィジャヤ王国(650 – 1377)
  • シャイレーンドラ朝(ca.752 – ca.832)

北アジア

  • 突厥(552 – 582)
    • 東突厥(582 – 745)
    • 西突厥(582 – 741)
  • 吐蕃(618 – 842)
  • ウイグル/回鶻(744 – 840)

中国

  • 唐(618 – 907)
    • 周(武周)(690 – 705)

朝鮮

  • 新羅(57 B.C. – A.D. 935)
  • 渤海(698- 926)

日本

  • 701: 大宝律令
  • 710: 平城京(奈良時代)
  • 794: 平安京(平安時代)

年表

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使い方

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凡例

B.C. / BC: Before Christ(紀元前)
A.D. / AD: Anno Domini(紀元後)
ca. : circa(近似、この頃)
黒字:政治・一般
赤字:国家の盛衰
緑字:文化・芸術
青字:経済・技術
太字:重要

年代西欧/アメリカ東欧中東/アフリカインド/東南アジア北アジア中国朝鮮日本
7018C:
古代英語詩『ベオウルフ』成立
ベオウルフ
西ゴート王ウィティザの独裁
ランゴバルド王アリペルト2世即位
(-712)
アリペルト2世
ローマ教皇ヨハンネス6世即位(-705)
ヨハンネス6世
テルヴェル、ブルガール王となる
(-718)
テルヴェル
ca.北アフリカ総督ハッサーン、ベル
ベル人女予言者カーヒナ軍を破る
カーヒナ
ca.真臘が北部の陸真臘と、南部の水
真臘とに分離(8C初め)
真臘
ca.中央ジャワにマタラム王国興る

マタラム王国
ジャワのシャイレーンドラ王家、大
乗仏教を信奉
シャイレーンドラ朝
ca.抒情詩人アマル『アマル・シャタ
カ』成る
則天武后の命により中宗の嫡男李重
潤(懿徳太子)・七女永泰公主らを
処刑
則天武后
慈恩寺大雁塔改築
大雁塔
大宝律令の撰定が完成 刑部皇子・
藤原不比等らに禄を賜う
藤原不比等
この時期までに令制国が成立
702北庭都護府、庭州に置かれる
北庭都護府
初めて武挙(武官の登用試験、武科
挙)を定める
詩人陳子昂没
陳子昂
第八次遣唐使が派遣され、執節使粟
田真人・少録山上憶良が則天武后に
謁見
粟田真人
この遣唐使は663年以来40年ぶりの
もので、「倭」に代わる国名「日
本」を承認させる目的もあった
703東ローマ皇帝ユスティニアヌス2
世、ブルガリアへ逃亡
アラブ軍、アルメニア侵入
ca.東方総督ハッジャージュ、イラク
にワーシト市を建設、忠実なシリア
軍が常駐
南吐蕃乱れ、器弩悉弄出征の陣中に
死す 后妃、政を執る
魏元忠と張説、武后の寵臣張易之・
張昌宗兄弟によって左遷される
則天武后により長安光宅寺七宝台仏
龕の仏像群が作られる(後に宝慶寺
(花塔寺)に移動)
持統太上天皇没、天皇経験者として
最初の火葬にされる
704コタイバ=ビン=ムスリム、ホラー
サーン総督となり、中央アジア征
服に活躍(-715)
張柬之、宰相となる 武后、病床に
臥す
705ローマ教皇ヨハンネス7世即位(-707)
ヨハンネス7世
テルヴェルが助けて、東ローマ皇帝
ユスティニアノス2世がティベリオ
ス3世を打倒し復位を果たす(-711)
レオンティス、殺害される
ティベリオス3世ユスティニアノス2世レオンティオス
ウマイヤ朝カリフのアブド=アルマ
リク没、ワリード1世、第6代カリフ
となる(-715)
ウマイヤ朝ワリード1世
吐蕃 ティデ=ツグツェン即位(-755)張柬之・桓彦範ら、張易之・張昌
宗兄弟を殺す:武后の退位、復位し
た中宗により唐が再興される(神龍
革命)
張柬之・桓彦範ら、5人が王
となる 則天武后没 弘文館を昭文館と
改称 詩文楊炯没

楊炯
親王・王臣に食封を加え、五位に位禄を
与える
706ウマイヤ朝カリフのワリード1世に
よりダマスクスのヨハネ教会堂をウ
マイヤド・モスク(ウマイヤ家のモ
スク)に改築(-ca.714)

ウマイヤド・モスク
十道巡察使、20人(各道2人)・任
期2年となる 張柬之ら、韋后派の武
三思により左遷される 衛王重俊、皇
太子となる 武三思、五王中の存命
者を殺す 文人崔融没 北宗禅の祖神秀

神秀
昭文館が修文館と改称される
慶雲の改革 王公諸臣の山野独占を禁
止 田租を1町に稲15束とする
707アラブ人、北アフリカのベルベル人
を征服:北アフリカ全土を支配
唐の張仁愿、突厥を大破武三思ら、皇太子を廃し安楽公主の
皇太女擁立を図る 唐の皇太子李重俊
(節愍太子)が中宗皇后韋氏に対し
反乱を起こし、武三思らを殺害後、
敗死 魏元忠、連座して左遷途上に没
詩人杜審言没
杜審言
文武天皇没、第43代元明天皇が即位
元明天皇
708ローマ教皇シシンニウス没後、コン
スタンティヌス1世即位(-715)
シシンニウスコン<br />
スタンティヌス1世
アヴランシュのオベールがモン・ト
ンブ山に礼拝堂を建てる(モン・サ
ン=ミシェル修道院の始まり)

モン・サ<br />
ン=ミシェル修道院
アンキアルスの戦:ビザンツのユ
スティニアノス2世、第一次ブルガ
リア帝国を討って敗北
唐の張仁愿、対突厥策として河北に
三受降城(東中西の3城)を築く
西突厥のトゥルギシュ(突騎施)の
婆葛可汗、安西4鎮に侵入
修文館、大学士4、直学士8、学士
12人を置く

韋后・諸公主ら、金銭納入者に勝手
に降勅授官を行う:斜封官の始まり
武蔵国から銅を献上
銀銭の和同開珎を鋳造
銅銭の和同開珎を鋳造

和同開珎
709フランク 中ピピン、アラマン族を
討伐・征服(-712)
アラブ軍、初めてイベリア半島に渡
ウマイヤ朝カリフのワリード1世に
よりエルサレムのアル=アクサー・
モスク(銀のモスク)が完成する
(705 -)

銀のモスク アル=アクサー・モスク
長安の小雁塔が建てられる(707-)
小雁塔
710西ゴート最後の王ロドリコ即位
(-711)
ロドリコ ロデリック
ビザンツ軍、ラヴェンナ攻略
ウェセックス王イネ、ブリトン人
ノドゥムノニア王国の軍を撃破
アラブの将ターリク、イベリア半島
に上陸
コンスタンティノープル、ブルガー
ル族に攻撃される
ca.ブルガリアのマダラの騎士像が作
られる

マダラの騎士像
ca.風刺・頒詩人アフタル没涼州に最初の節度使である河西節度
使が設置
吐蕃王ティデ・ツグツェンが王妃と
して唐の金城公主を迎え入れる
韋后・安楽公主ら、中宗を毒殺し
温王李重茂(中宗第4子、殤帝)を
擁立 臨湽王李隆基(相王の子、のち
玄宗)・太平公主ら、韋后・安楽公
主らを殺す 睿宗(相王)復位し、
隆基を皇太子とする 張柬之・桓彦範
らの官爵を追復 斜封官廃止 薛訥、幽
州鎮守経略節度大使となる
元明天皇が平城京へ遷都
(奈良時代の始まり)
平城京
銀銭を禁止
711フランク王ダゴベルト3世即位(-715)
ダゴベルト3世
グアダレーテ河畔の戦(ヘレス=デ
=ラ=フロンテラの戦):
グアダレーテ河畔の戦い
ウマイヤ朝ターリクが西ゴート王ロ
ドリクを敗死させ、西ゴート王国を
滅ぼしイベリア半島を占領

ターリク・イブン・ズィヤード
東ローマ皇帝ユスティニアノス2世
が反乱により殺害され、ヘラクレイ
オス朝が断絶、フィリッピコス即位
(-713)
フィリピコス・バルダネス
ウマイヤ朝のムハンマド=ビン=カー
シムがシンド地方(現パキスタン)
を征服、シンド王ターヒル敗死
唐 十道に按察使(巡察使改め)を
派遣

青龍寺建立
青龍寺
蓄銭叙位令を制定
712ランゴバルド王リウトプラント即位
(-744):中南部イタリアに進出し
て、王国の全盛期を現出
リウトプラント
ウマイヤ朝ターリク、セビーリャを
占領
ウマイヤ朝のホラーサーン総督クタ
イバ=イブン=ムスリムがサマルカン
ドを占領し、マー・ワラー・アン
ナフル全域の征服完了
クタイバ・イブン・ムスリム
唐 睿宗、皇太子の李隆基に譲位、
宗即位
睿宗を太上皇、王氏を皇后と
する
玄宗 (唐)
唐は最盛期を迎える(開元の治)
慧能没(律・禅宗)、賢首(法蔵)没
慧能法蔵
(華厳宗)、詩人宋之問没
太安万侶(安万侶)が『古事記』を撰上
713セゴイエラの戦:アラブ軍、イベリ
ア半島の大部分を制圧 更にピレネー
山脈を越えてナルボンヌを占領
ビザンツ 皇帝フィリッピコス暗殺、
重臣のアナスタシオス2世即位(-715)
アナスタシオス2世
唐 太平公主、玄宗廃位を謀り殺さ
れる(先天の変)
諸道按察使廃止
姚元之(崇)、宰相となる 開元と
改元 張説、姚崇と対立し左遷され

四川の楽山大仏の建設が始まる
(-803)
楽山大仏
詩人沈佺期没 詩人李嶠没
新羅 開城に築城
唐の玄宗が大祚栄を渤海郡王に封じる
震国が国号を渤海と改称
渤海
丹後・美作・大隅の3国を置く
諸国に『風土記』の編纂を命ずる
714フランク宮宰中ピピン没
「ドイツ人の使徒」と呼ばれるイ
ングランドの修道士ボニファティウ
ス(ウィンフリド)、第1回ドイツ
伝道

ボニファティウ<br />
ス
ウマイヤ軍、イベリア半島のサラゴ
サを攻略
ウマイヤ朝 東方総督ハッジャージュ没唐の薛訥、契丹に大敗
薛訥、吐蕃を大破
唐 長安に楽舞用の左右教坊(外教
坊)設置全国の僧尼の偽妄還俗の者
1万2000余人を数える
十道按察使
復活員外官・試官・検校官を廃止
奢侈を取り締るため、珠玉・錦繍を
焼く 次子の郢王嗣謙、皇太子となる
唐で最初の市舶司が広州に設置
『続日本紀』に奄美・信覚・球美な
どの人々が来朝したとされる
715フランク ヒルペリヒ2世即位(-720) 
中ピピンの子カール=マルテル、ア
ウストラシアの宮宰となる(-741)
カール・マルテル
ローマ教皇グレゴリウス2世即位
(-731)
グレゴリウス2世
ビザンツ アナスタシオス2世退位 そ
の将軍テオドシウス3世が即位(-717)
テオドシウス3世
ウマイヤ朝 ホラーサーン総督クタイ
バ=イブン=ムスリム、フェルガナを
征し、カシュガル地方に侵攻
スライマーン・イブン・アブドゥル
マリク、ウマイヤ朝第7代カリフと
なる(-717)
唐の薛訥、突厥を討つ唐 侍読、置かれる
僧義浄没『南海寄帰内法伝』
義浄
浮浪人に逃亡地で調・庸を課徴 元明
天皇が譲位し、第44代元正天皇が即
位 里を郷と改称
元正天皇
郷を2~3里に分ける
越前国氣比神宮に託宣により神宮寺
が設けられる(日本最初の神仏習合
に伴う神宮寺の記録)
716マーシア王エゼルバルド即位
(-757):ノーサンブリアを除く全イ
ングランドに宗主権確立、強勢を誇

スコットランドのアイオナ修道院、
カトリック下に入る

アイオナ修道院
アラブ、リスボンを占領
ウマイヤの将マスラマ、コンスタン
ティノープルを包囲攻撃(-717)
カパガン(黙啜)可汗、鉄勒のバイ
ルク(抜曳固)部に殺され、ビルゲ
(■伽)(■は田に比)が立つ トン
ユクク(暾欲谷)を重用、ビルゲの
弟キュル=ティギン(闕特勤)、左
賢王としてビルゲに協力
唐 太上皇(睿宗)没 姚崇辞め、宋
璟・蘇頲、宰相となる 十道按察使、
再び廃止
インドの無畏三蔵(善無畏)、長安
に来る

善無畏
東国の高句麗人を武蔵国に移し、高
麗郡を置く
717ヴァンシーの戦:カール=マルテ
ル、ネウストリアの宮宰ラゲンフリ
ートを破り、ネウストリアを支配
ヴァンシーの戦い
アウストラシア王クロタール4世即
位(-719)
テマ・アナトリコン長官であったレ
オーン3世が東ローマ皇帝に即位
(-741)、イサウリア朝(-867)を開く
レオーン3世
アラブ海軍、コンスタンティノープ
ルを攻撃、レオーン3世、再度「ギ
リシア火』で撃退(-718)
ウマル2世、ウマイヤ朝第8代カリ
フとなる(-720)、税制改革に着手
唐 明堂を乾元殿とし旧に復す 中書・
門下省や侍中など官名を旧に復す
新羅 医博士・算博士を置く遣唐使派遣:遣唐押使多治比県守
吉備真備・僧玄昉・安倍仲麻呂ら
留学
僧行基らの活動を禁止
行基
718アンダルシア総督サフム、ナルボン
ヌを攻略
西ゴート人ペラーヨ、アラブ軍を破
り、アストゥリアス王国を建設
:国
土回復運動の初め
アストゥリアス王国
ca.詩人ウマル=ビン=アビー=
ラビーア没
唐 悪銭を禁じ良銭流布を図る 州県官
の俸給に百姓の常賦(平常徴収の
税)外の加賦が充てられる

画家李思訓没
李思訓
渤海王大祚栄没、子の大武芸立つ
(-737)
新羅 漏刻博士を置く
能登・安房・石城・石背の4国を置く
養老律令、編集される
719アラブ軍、アキテーヌ地方に侵入
ボニファティウス、本格的なドイ
ツ布教を開始(-754)
720フランク テウデリヒ4世即位(-737)
テウデリヒ4世
アラブ人、西南ガリアに侵入
突厥、甘州・涼州などに侵寇唐 宋璟・蘇頲辞め、源乾曜・張嘉
貞が宰相となる 十道按察使、復活さ
れる
インドの金剛智、セイロンの不空三
蔵と共に長安に来たる
金剛智不空金剛
趙縣安済橋建設

安済橋
『日本書紀』完成
日本書紀
舎人親王が『日本紀』30卷・系図1
卷を撰上

舎人親王
大隅国国司陽侯麻呂が殺害され、隼
人の反乱が起る(-721)
隼人の反乱
ca.柿本人麻呂没
柿本人麻呂
721アラブ人、シチリア・サルディーニ
ャを攻撃
トゥールーズの戦:アキテーヌ公
ウード、アラブ軍を撃破
イングランドの修道士ボニファティ
ウス、教皇グレゴリウス2世からド
イツ司教に叙任される

ペラーヨ、アラブ人からガリキア・
レオンを奪回
ヤジード2世、ウマイヤ朝第9代カ
リフとなる(-724)
朔方節度使を置く唐 宇文融、括戸政策(戸籍に入って
いない戸を調査把握して戸籍に編入
し、田の耕作による生活安定と租税
確保を目指す政策)を建議 姚崇没
張説、宰相となる 劉知幾(子玄)没
『史通』
新羅 北辺に長城を築く
722コバドンガの戦:ペラーヨがイスラ
ム勢力からアストゥリアスを奪回
(最初のレコンキスタ)
コバドンガの戦い
唐の楊思勗、ヴェトナムに出兵唐 張説の建議で壮士を募集して彍騎
(都で皇帝の護衛や首都の防衛に当
る兵)に充てる:兵農分離の募兵制
の初め(725完成)
新羅 百姓に丁田(成年男子に与え
る田)を給す:丁田制

ca.新羅人僧慧超がインドに渡る
(-727)

慧超
良田百万町歩開墾を計画
723セビーリャ司教ヨハンネス、聖書を
アラブ語に翻訳
ウマイヤ朝ヤズィード2世がキリス
ト教徒の聖画像を禁止
唐 麗正書院を置き文学の士を集める
宇文融、覆田使として括戸政策に当
蘇頲没
田地開墾のため三世一身法を施行
太安万侶が死去
太安万侶
現奈良市此瀬町の「太安万侶墓」に
墓誌が残る
724ピルミニウスによりボーデン湖(コ
ンスタンツ湖)の島にライヒェナウ
修道院が創設

ピルミニウスライヒェナウ修道院
ウマイヤ朝のヒシャーム=イブン=ア
ブドゥルマリクが第10代カリフとな
る(-743)
ウマイヤ朝最後の安定期をもたら
し、モザイク床遺跡で知られるヒシ
ャーム宮殿を建設
ca.カシミールのムクターピーダ=ラ
リターディティヤ王、カールコータ
朝盛時を形成
唐 諸道按察使、廃止される
王皇后廃され庶民となり没
元正天皇が譲位し、第45代聖武天皇
(首皇子)が即位
聖武天皇
陸奥国に多賀城を設置
多賀城
725フランク カール=マルテル、バイエ
ルンへ遠征
アラブ軍、カルカッソンヌを占領、
オータンを略奪
ca.西ガンガ朝のシュリープルシャ即
位(-788):パッラヴァ朝とパーンデ
ィヤ朝の間にあって勢力を維持
パーンディヤ朝
唐 宇文融、客戸税銭を常平倉に充て
る また勧農社を設置 彍騎の制完成
(12衛12万人で編成し、6番制とす
る):府兵制崩壊
玄宗、泰山で封禅の儀を行う
726東ローマ皇帝レオーン3世が聖像禁
止令を公布(イコノクラスム(聖像
破壊運動/聖像崇拝論争)の始まり)
イコノクラスム
唐 李元紘、宰相となる 張説、宇文
融・源乾曜・李林甫らに収賄の罪で
弾劾される
国水靺鞨、唐に通じる
靺鞨
727マーシア王エゼルバルド、ブリタニ
アの盟主となる
イタリア・ギリシアなどで聖像禁止
令に対する反乱起る
唐の王君毚、吐蕃を青海西方で大破
王君毚、回紇の護輸に殺される
吐蕃、交州を攻略 トカラの使者来た
りアラブの圧政を訴える
唐 玄宗、朋党の争いを嫌い、張説
(科挙派)を解職 宇文融(門閥派)
を左遷 文人蘇頲没 僧・天文学者
の一行没

一行
渤海国王大武芸が高仁義らを日本に
派遣(第一回渤海使)翌年には日本
から遣渤海使が送られる
728フランク カール=マルテル、バイエ
ルンを征服
ローマ教皇グレゴリウス2世とラン
ゴバルド王リウトプランドの領土寄
進に関する合意がなされる(スート
リの寄進)
思想家ハサン=アルバスリー没ca.パッラヴァ朝ナラシンハヴァ
ルマン2世没(即位: ca.700-)
唐の彍騎改められ、左右羽林軍飛
騎となる 張説の進言により大衍暦
(僧一行の作)頒行される
金光明経を諸国に頒布
729唐 十道と京・都両畿按察使、復活さ
れる 宇文融、宰相となるも左遷後、
銅・鉛・錫などの私売を禁止
長屋王の変:長屋王、謀反の疑いで
糾問され自殺
長屋王
藤原光明子(光明皇后)が立后され
る(皇族以外の最初の立后)
730フランク カール=マルテル、アラマ
ニエンを併合
アラブ軍、アヴィニヨンを占領
東ローマ皇帝レオーン3世がイコン
擁護派のコンスタンティノポリス総
主教ゲルマノス1世を罷免、支配下
の教会財産を没収
ローマ教皇グレゴ
リウス2世、レオーン3世を破門
パーンディヤ朝マーラヴァルマン=
ラージャシンハ1世即位(-765)
ca.ナーガパタ(-756)、ウッジャイン
でプラティーハーラ朝(-1036)を
興す

プラティーハーラ朝
唐 京官の職田復給 裴光庭の建議によ
り官吏の昇進に循資格制(年功序列
的方法)が用いられる 張説没 この
頃から玄宗、宦官高力士らを寵任:
宦官の勢い振う 張説没
筑紫国大宰府にて大宰帥大伴旅人ら
により「梅花の宴」が催される

梅花の宴
皇后官職に施薬院を置く
731アラブ軍、中部ガリアに進出
ローマ教皇グレゴリウス2世没、グ
レゴリウス3世即位(-741)
グレゴリウス3世
ca.ベーダ・ヴェネラビリスが『イン
グランド教会史』を書き上げる
ベーダ・ヴェネラビリス
ca.『メルゼブルクの呪文』成る
メルゼブルクの呪文
古典期マヤのカラクムル遺跡から出
土の石碑51はこの年のユクノーム・
トーク・カウィール王のもの

カラクムル
カナウジのヤショーヴァルマン、唐
に遣使
ca.パッラヴァ朝ナンディヴァルマン
2世即位(-796)
突厥のキュル=ティギン(闕特勤)
大伴旅人没
大伴旅人
732トゥール・ポワティエ間の戦:カー
ル=マルテル率いるフランク王国軍
がアブドゥル=ラフマーン率いるウ
マイヤ朝軍を撃破、アラブ人のガ
リア侵入阻止(733とも)この戦いと、
718年の東ローマ帝国の勝利によ
り、キリスト教世界はイスラム帝国
の進撃を止めることに成功
トゥール・ポワティエ間の戦い
東ローマ皇帝レオーン3世がイリュ
リクムの裁治権をローマ教皇からコ
ンスタンティノポリス総主教に移管
東ローマ皇帝レオーン3世の息子
(後の皇帝コンスタンティノス5
世)がハザール王女チチャク(エイ
レーネー)と結婚
風刺・頒詩人ファラズダク没ca.中部ジャワでヒンドゥー教徒のサ
ンジャ王統治:マタラム王国
サンジャ王
オルホン川流域のホショ・ツァイダ
ムに東突厥のキュル・テギンの碑文
が建てられる
唐 開元礼成る渤海、登州を攻撃(-733)
新羅、唐の要請で渤海に出兵
東海・東山・山陰・西海道に節度使を
任命
733レオーン3世、南イタリアの教皇裁
判管轄権を奪う:教皇勢力弱体化
唐 裴光庭没 韓林、宰相となる 張
九齢、宰相となる
張九齢
宋璟、辞職し東郡(洛陽)に帰る
全国が15道に分けられ、各道に
采訪使を置く
遣唐使派遣:多治比広成を大使に任命
734ボーン川の戦:カール=マルテルが
フリースラント王国を完全に征服
アラブ人、一時アヴィニヨンを占領
ホラーサーンでハーリス率いるハワ
リージュ派が反乱を起す(-737)
日本の遣唐使船、崑崙国に漂着(平
群広成)
唐、吐蕃と和して赤嶺に大碑を建て
る 突厥のビルゲ(■伽)(■は田
に比)可汗、毒殺
される
唐 李林甫、宰相となる 張九齢、中書
令となる 裴耀卿らの漕運路改革
幽州節度使張守珪、契丹を大破、
契丹王を斬る
遣唐使留学生井真成36歳で長安で没
する
井真成
その2005年4月に発見された墓誌に
は、玄宗皇帝から官位授与や「国号
日本」も記録されている 「日本」表
記の現存資料としては最古
735カール=マルテル、ブルグントを
征服
ヨークに大司教座を置く(初代大司
教エグベルト)
アングロ=サクソンの神学者ベーダ
オルホン川流域のホショ・ツァイダ
ムに東突厥のビルゲ・カガンの碑文
が建てられる

ホショ・ツァイダム碑文
唐 楊玄琰の娘、玄宗の子寿王瑁の妃
となる(後の楊貴妃) 密教を伝えた
善無畏没 道士司馬承禎没『坐忘論』
『天隠子』

司馬承禎
唐、新羅の■江(■は氵に貝)
(大同江)以南の領有を認める
入唐留学生吉備真備・入唐僧玄昉
ら、大使多治比広成に従って帰国
736唐 安禄山、奚・契丹に敗北、斬刑
を免れる
奚
吐蕃のギルギット(小勃律)国攻撃
を機に、唐は盟約を破って吐蕃を攻
める
ギルギット
唐 張九齢、中書令を罷免され、李
林甫が中書令となる
インド僧菩提僊那・林邑僧仏哲・唐僧道
璿、来日
737フランク王テウデリヒ4世没:カー
ル=マルテル、後継王を立てず、自
ら王国の事実上の支配者となる
カール=マルテル、南ガリアのア
ラブ人をナルボンヌ付近で撃破
ドン川下流にアラブ人現る唐が吐蕃を青海の西で破る唐 初めて玄学博士を置く 崇玄学を玄
元皇帝(老子の尊号)廟に、道学を
諸州に置き、道挙(道士の官吏任用
法)を行うこととする(741とも) 科挙
の明経を定める 張九齢、左遷される
皇太子瑛ら、殺される 新しい律令格
式(開元律令格式)頒行される 宋璟没
武恵妃没
渤海王大武芸没、子の大欽茂立つ
(-794):渤海、盛時となる
私出挙を禁止 天平の疫病大流行(天
然痘)により藤原四兄弟:房前・麻
呂・武智麻呂・宇合が相次いで死去
藤原房前藤原麻呂
藤原武智麻呂藤原宇合
右大臣橘諸兄による政権が成立する
橘諸兄
738アラブ軍、フランスのワーヌ渓谷で
カール=マルテルに再敗
キリグア王カック・ティリウが反
乱を起こし、コパン王を斬首してマ
ヤ地域の覇権を握る
キリグア
トゥルギシュ(突騎施)の蘇禄可汗
殺され、分裂抗争起る
唐 忠王與(亨)、皇太子となる 唐が
皮羅閣に帰義の名を与え、雲南王に
冊封し南詔が建国

南詔
『唐六典』成る
唐の玄宗が翰林学士院を設置
石壁山玄中寺の鉄仏成る
739ランゴバルド王リウトプラント、ロ
ーマ市を包囲、教皇グレゴリウス3
世、カール=マルテルに救援 カール
=マルテル、リウトプラントとの同
盟を重んじ、提携失敗
ランゴバルド
唐がトゥルギシュを破り、吐火仙を
賀羅嶺で捕える
唐 孔子、文宣王と追諡される渤海 第2回目の使節を日本に送る
(-919)
行信により夢殿を中心とする法隆寺東院
が建立

行信夢殿
740アクロイノンの戦:東ローマ帝国
レオーン3世がウマイヤ朝に勝利
し、小アジアの確保に成功
アクロイノンの戦い
クーファのシーア派(ザイド派)の
ザイド・ブン・アリーがカリフを宣
言して蜂起、敗死:ザイド・ブ
ン・アリーの乱
ca.チャールキヤ朝ヴィクラマーディ
ティヤ2世、パッラヴァ朝の首都カ
ーンチーに侵入
ヴィクラマーディティヤ2世
ca.カシミールのラリターディティ
ヤ、カナウジのヤショーヴァルマン
を破る
吐蕃に嫁した金城公主没 ハザールの
カガン、ブラン・カガン没(テュル
ク系遊牧国家ながらユダヤ教に改
宗)
唐 張九齢没 詩人孟浩然没
孟浩然
藤原広嗣の乱:大宰少弐藤原広嗣、
大宰府で反乱、誅殺される
藤原広嗣の乱
山背恭仁京に遷都 聖武天皇の東国
行幸(彷徨五年の始まり - 745)
恭仁京
741フランク カール=マルテル没、長子
カルロマンと次子ピピン、宮宰とし
て王国の支配権を二分
カールマン
ローマ教皇グレゴリウス3世没、ザ
カリアス即位(-752)

ザ<br />
カリアス
ビザンツ レオーン3世没、子のコン
スタンティノス5世即位(-775) 聖像
禁止令を強化し、内乱起る
コンスタンティノス5世
アルタヴァストスの暴動
東ローマ皇帝レオーン3世により
「ローマ法大全」を改訂した「エク
ロゲー(ギリシア語法選集)」が出
される(726とも)
唐が北庭・安西を分け、2節度とす

吐蕃、唐に侵寇し達化県・石堡城を
攻略
唐 諸州県での飢饉救済の策を改め、
迅速化を図る 玄元皇帝像を興慶宮に
置く 画像を各州の開元観に置く 密教
を伝えた金剛智没
聖武天皇の国分寺・国分尼寺建立の詔
国分寺
742フランク 小ピピン、名目的な王と
してヒルデリヒ3世(ヒルペリヒ2
世の子)を即位させる(743とも,
-751)
キルデリク3世
フランクフルト国民宗教会議
ビザンツ コンスタンティノス5世、
内乱を鎮圧
ハディース(伝承)史家ズフリー没ca.デカンのダンティドゥルガ、チャ
ールキヤ朝の知行を受ける
突騎施の莫賀達干が十姓可汗(阿史
那昕)を殺害し西突厥を滅ぼす
唐 安禄山、平盧節度使となる
韋堅、陝郡太守領江淮租庸転運使と
なる 中国最古のモスクである長安大
清真寺が建てられる
西安大清真寺
詩人王之渙没
近江に紫香楽宮を造営
紫香楽宮
743アラブ人、リヨンを略奪ヒシャーム没 ワリード2世、ウマイ
ヤ朝第11代カリフとなる
ワリード2世
唐 韋堅、広運潭を開き、江南の産物
を長安に運ぶ
崇玄学、崇玄館に改め
られる
墾田永年私財法を施行
紫香楽で廬舎那大仏造立を発願
744ソワソンの公会議
ザクセン人への宣教のためフルダ修
道院が設立

フルダ修道院
ワリード1世の子、ワリード2世
を敗死させ、ウマイヤ朝第12代カリ
フのヤジード3世となる ヤジード3
世急死し、イブラーヒームが第13代
カリフとなる 上イラクのハッラーン
総督マルワーン、イブラーヒームを
破り、第14代カリフのマルワーン2
世となる(-750)、ダマスクスからハ
ッラーンに遷都
マルワーン2世
回鶻(ウイグル)興る:フトルク=
ボイラ(骨力裴羅)、自立してフ
トルク=ビルゲ=キュル=カガン
(骨咄禄■伽闕可汗)(■は田に
比)と称し、唐が懐仁可汗に封じる
回鶻
西域における唐の勢力、再び確立
唐 安禄山、范陽節度使を兼ねる 楊太
真(後の楊貴妃)、宮中に召される
745フランク カルロマン、ザクセン討伐
小ピピン、南ドイツを討伐し、シュ
ヴァーベン地方を併合
ケルン大司教座設立
ca.ボニファティウスによりフランク
の教会統一され、またドイツへ恩布
教進む
ビザンツ コンスタンティノス5世、
シリアのアラブ軍を攻撃(-751)
ウイグルの懐仁可汗が白眉可汗(鶻
隴匐)を殺害し東突厥を滅ぼす 懐仁
可汗没
唐の玄宗が楊太真を貴妃とする(楊貴妃)
楊貴妃
安禄山、契丹を討つ
大秦国(東ローマ帝国)からネスト
リウス派聖職者の佶和(ゲワルギ
ス)が長安に来訪し玄宗に謁見する
僧行基を大僧正に任命 平城京へ遷都
金鐘寺に大仏造立工事を移す 僧玄
昉、筑紫に左遷される
746フランク カンスタットの血の法廷
(カンスタットの血統評議会)
ビザンツ、キプロス島回復唐 韋堅、反対派の李林甫により左遷
される 李適之、宰相を辞めて太子少
保となり、陳希烈、宰相となる
ca. 文筆家李瀚没『蒙求』
筑紫観世音寺を建立
筑紫観世音寺
747フランク カルロマン引退 小ピピン、
全王国の宮宰となる
マインツ大司教座設立
ビザンツ 悪疫がはびこるアッバース家の宣伝員(ダーイー)
アブー=ムスリム、アッバース家
を奉じてホラーサーン地方のメルブ
で蜂起し、同地のシリア軍を破る
前期チャールキヤ朝 キールティヴァ
ルマン2世即位(-ca.753)
唐の高仙芝、吐蕃を破りギルギット
(小勃律)王らを捕える
唐 韋堅ら、殺される 張彦遠『歴
代名画記』 書家李邕没

李邕
東大寺大仏の鋳造始まる
748ビザンツ 帝国軍、キプロスで
アラブ艦隊を撃滅
ムータジラ学派の始祖ワーシル=ビ
ン=アター没 ダマスクスのヨハネス
唐 高力士、驃騎将軍となる
南詔王皮羅閣(雲南王蒙帰義)没、
閣羅鳳即位(-779)
鑑真が日本への渡海の途上で暴風雨
に巻き込まれ、海南島に流される
(-751)
749ランゴバルド、再度ローマを攻撃キリスト教神学者ダマスコの
イオアン没『神学の泉』
アブー・アル=アッバース、がイラ
クのクーファでカリフとなり、サッ
ファーフと自称(-754)、アッバー
ス朝を建てる

サッファーフ
アラブ軍、メルブを攻略
唐 折衝府の上下魚書、廃される 府兵
関係官のみの存在となり、府兵制は
実質的機能を停止 『貞観政要』の編
著者で歴史家の呉兢没
新羅 天文博士を置く陸奥国司百済王敬福が朝廷に黄金を
献上(日本での産金の最古の記録)

東大寺大仏造営にあたり宇佐八幡宮
より八幡神が勧請され手向山八幡宮
が創建される
手向山八幡宮
東大寺大仏の鋳造終る

聖武天皇が譲位し、第46代孝謙天皇
即位する
孝謙天皇
光明皇太后の家政機関として
紫微中台が設置される
750ca.『ゲラシウスの典礼書』がフラン
ク王国で作られる
ゲラシウスの典礼書
ca.スウェーデンのゴットランド島の
「アードレの画像石(ルーン碑)」
が建立される

アードレの画像石
ザーブ河畔の戦:アッバース朝がウ
マイヤ朝残党に勝利、マルワーン2
世、上エジプトで殺され、ウマイヤ
朝滅ぶ アッバース朝が正式に成立す
る(-1258)

アッバース朝
アッバース朝初代宰相(ワズィー
ル)アブー・サラマが暗殺され、以
後シーア派の粛清が続く
ca.ゴーパーラ(-770)、ベンガル
地方にパーラ朝を興す

パーラ朝
南シベリアのテレホリ湖の島にウイ
グル人の王宮であるポル=バジンが
作られる

ポル=バジン
唐 安禄山、東平郡王となる 楊釗、楊
国忠の名を受ける 南詔王、雲南都護
府を攻略 書家張旭没 画家呉道玄没
ca.画家韓幹没
7518C後半:
マーシア王オッファ、通貨制度を改
革、統一的銀貨を発行

オッファ
フランク王国でソワソン会議により
メロヴィング朝のヒルデリク3世が
廃位(メロヴィング朝終わる)、
ール=マルテルの子ピピン3世(小
ピピン)が国王に選出され、カロリ
ング朝が創始(-987)

ピピン3世カロリング朝
ランゴバルド王アイストゥルフが東
ローマ帝国のラヴェンナ総督府を占

アイストゥルフ
ローマとラヴェンナを結ぶ「ビザン
ティン回廊(Byzantine Corridor:
フラミニア街道)」の終焉
ビザンツ アルメニア進軍8C半:
ジャワにシャイレーンドラ王国興る
(大乗仏教を信奉)
哲学者シャンカラ、不二一元論を
主張
不二一元論シャンカラ
ヴァークパティ=ラージャのプラー
クリット語叙事詩『ガウダヴァハ
(ガラダ王子の殺戮)』、劇作家
バヴァブーティの戯曲『ウッタラ・
ラーマ・チャリタ(ラーマ王後日物
語)』『マーラティー=マーダヴ
ァ』成る


8C後半:
シュリーヴィジャヤ、マライを征服
シャイレーンドラ家、ボロブドゥー
ルを造営
エローラのカイラーサナータ寺院成

エローラ石窟群
唐僧悟空、インドに入る
8C半:
ca.パドマサンバヴァ(蓮華生)、テ
ィソン=デツェンの招きで吐蕃に入

パドマサンバヴァ
唐の安西4鎮節度使高仙芝が中央ア
ジアに遠征し、タラス河畔でジヤー
ド・イブン・サーリフ率いるアッバ
ース朝に敗れる(タラス河畔の戦
い):中国の製紙法西伝、杜環捕わ
れ、帰国後『経行記』成る

タラス河畔の戦い
唐 安禄山、河東節度使を兼ねる 安禄
山、南詔に大敗 安禄山、契丹に大敗
新羅の宰相金大城が都の慶州に石窟
庵と仏国寺を建立

石窟庵仏国寺
『懐風藻』成る
752フランク 小ピピン、ピレネーを越
えてアラブ人を攻撃、カタロニア地
方の一部を奪う
ウェセックス王カスレッド、マーシ
ア王エゼルバルドを破る
ローマ教皇ザカリアス没、新教皇ス
テファヌス2世、3日後に没 別人のス
テファヌス2世(3世)即位(-757)
ステファヌス2世
ビザンツ皇帝との間に聖像論争続く
唐 李林甫没 楊国忠、右相となる
南詔王閣羅鳳、吐蕃王の義弟となる
遣唐使派遣:遣唐大使藤原清河・副
使大伴古麻呂ら 天竺僧菩提僊那を
導師として東大寺大仏の開眼供養
行われる
東大寺盧舎那仏像
東大寺二月堂が創建され、実忠によ
り最初の修二会(十一面悔過、お
水取り)が行われる

東大寺二月堂
753ca.ダンティドゥルガ、前期チャール
キヤ朝を滅ぼしラーシュトラクータ
朝を興す

ラーシュトラクータ朝
唐の隴右節度使哥舒翰、吐蕃を攻
め、河西九曲を奪回
唐 李林甫、官爵を追奪される唐の朝賀で遣唐使大伴古麻呂が新羅
の使者と席次を争う
唐僧の鑑真が阿児奈波嶋(現在の沖
縄本島)を経て日本に着く

阿倍仲麻呂・藤原清河は難破して安
南に漂着し日本に帰れず
阿倍仲麻呂
754教皇ステファヌス2世がフランク王
ピピン3世(小ピピン)に塗油:ポ
ンティオンの会見

小ピピン、イタリア遠征、ランゴバ
ルド王アイストゥルフと戦う
宣教師ボニファティウス(ドイツ人
の使徒)がフリースラントのドック
ムで異教徒により殉教

イスラム支配下のスペインで『754
年のモサラベ年代記』が執筆
ヒエレイア教会会議で聖像破壊論者
が聖像崇敬を断罪する
サッファーフ没し、マンスールが
アッバース朝カリフとなる(-775)
マンスール
マンスール、叔父のアブド=アッ
ラーフを破り捕える
ca.フッラム派、ホラーサーンで活動
吐蕃でティソン=デツェン(黎蘇籠
猟賛)即位(-797)
ティソン=デツェン
唐 李宓、南詔に大敗し没新羅 華厳寺舎利塔成る
皇龍寺鐘を鋳造
唐僧鑑真来日:戒律を伝える
鑑真、東大寺戒壇で授戒

鑑真
755ビザンツ コンスタンティノス5世、
ブルガール人と戦う(-764)
アッバース朝建国の功臣アブー・ム
スリムがカリフ・マンスールに処刑
される
唐で安史の乱が起こる(-763):安禄
山、楊国忠打倒を名目として范陽で
挙兵 平原太守顔真卿、安禄山征討の
義兵をあげる 安禄山、東京洛陽を占

安禄山安史の乱
高仙芝、斬処される 詩人王昌齢没
王昌齢
渤海国王大欽茂が中京顕徳府から上
京龍泉府に遷都
東大寺戒壇院建立
756フランク王ピピン3世(小ピピン)、
ローマ市を攻撃された教皇ステフ
ァヌス2世(3世)の救援に応じ、
再びランゴバルドを討伐、これを従
属させ、奪われた教会領(ラヴェン
ナとペンタポリス)を教皇に返還さ
せる:ピピンの寄進(ローマ教皇領
の始まり)

ピピンの寄進ローマ教皇領
ウマイヤ朝の王族アブド・アッラフ
マーン1世がムサラの戦いで勝利
し、コルドバでアミールを名乗る
アブド・アッラフマーン1世
これにより後ウマイヤ朝がイベリア
半島で独立(-1031)
し、イスラム帝
国は分裂する
後ウマイヤ朝
ビザンツ軍、ブルガール人
と戦う(-759)
シーア過激派シンバス処刑ラーシュトラクータ朝のクリシュナ
1世即位(-772)
ca.コンカン地方ムンバイ近郊
ガーラープリー島エレファンタ石窟
群もこの時代までに整備される

エレファンタ石窟群
安禄山が洛陽で大燕皇帝を自称 唐の
玄宗が長安から四川へ出奔 馬嵬にて
楊国忠・楊貴妃を処刑 玄宗に代わり
粛宗が霊武にて即位(-762)
粛宗 (唐)
玄宗を上皇とする
ca.画家張萱没『虢国夫人遊春図』
『搗練図』
聖武太上天皇没、聖武太上天皇の七
七忌に当たり、東大寺に遺品を施入
したのが正倉院の始まり

正倉院
筑前怡土城起工
757ランゴバルド最後の王デシデリウス
即位(-774)
デシデリウス
マーシア王オッファ即位(-796):マ
ーシア全盛期
オッファ
ローマ教皇パウルス1世即位(-767)
パウルス1世
イスラム世界で最初の製紙工場がサ
マルカンドに設立
安禄山が子の安慶緒に殺害される 唐
とウイグルの連合軍(郭子儀)が西
京長安を奪回、東京洛陽を回復
郭子儀
史思明降る 帰義王・范陽節度使と
なる
新羅 百官の月俸をやめ、再び禄邑と
する また全国を9州に分け、郡県の
名を改める
養老律令を施行
孝謙天皇が道祖王を廃太子とし、大
炊王を皇太子とする
橘奈良麻呂の乱
雑徭60日を半減
758ビザンツ軍、トラキアでスラブ人
を破る
ペルシア系過激派ラーワンディーヤ
の乱起る
ca.ラーシュトラクータ朝クリシ
ュナ1世即位(-773)
唐の粛宗の王女寧国公主がウイグル
の葛勒可汗と婚姻
唐 成王李俶、皇太子となる 史思明背
唐の塩鉄使の第五琦が塩の専売制
を行う、乾元重宝銭が鋳造

唐の顔真卿による「祭姪文稿」が書
かれる
孝謙天皇が譲位し、第47代淳仁天皇
が即位
淳仁天皇
太保藤原仲麻呂は恵美押勝の名を賜
与される
759フランク王ピピン3世(小ピピン)
がナルボンヌを奪回し、南フランス
からイスラム教徒を放逐
ウイグルで登里可汗即位(-779)史思明、大聖燕王を自称 史思明が
安慶緒を殺害 大燕皇帝を自称、順天
と改元、范陽を燕京と改称
李光弼、史思明を范陽に破る
李光弼
史思明、洛陽に入る 劉晏、戸部侍郎
となる 度支・鋳銭・塩鉄等使とな
る 宦官李輔国、太上皇を西内甘露殿
に移し、顔真卿・高力士らを流罪と
する 江淮都統劉展、反対勢力の攻
撃を受け乱を起す
鑑真により唐招提寺が創建される
唐招提寺
藤原仲麻呂の新羅征討計画が頓挫す

陸奥国桃生城・出羽国雄勝城築城
『万葉集』に採録された最も年代の
新しい大伴家持の和歌が詠まれる
この年以降に『万葉集』が成立する

大伴家持万葉集
760フランク王ピピン3世(小ピピ
ン)、アキテーヌに勢力を拡大
ca.散文学者イブン=アルム
カッファー没
揚州大虐殺 ca.書家僧懐素没
761ca.カウィール・チャン・キニチがド
ス・ピラスを放棄し、アグアテカに
遷都する
アグアテカ
唐 劉展敗死し、乱終る 史思明が長子
史朝義に殺害される 史朝義即位
詩人王維没

王維
下野薬師寺・筑紫観世音寺に戒壇を
立てる
762フランク アキテーヌで反乱起る
小ピピン、これを鎮圧
アッバース朝のカリフ・マンスール
がハーシミーヤからバグダードに遷
都(-766)
バグダード
シーア派のイブラヒームとムハンマ
ド、反乱を起す(-763)
回鶻(ウイグル)の牟羽可汗がマニ
教を受容

マニ教
唐で太上皇(玄宗)と粛宗が相次
いで死去 代宗即位(-779)
代宗 (唐)
:粛宗の張皇后と宦官李輔国を倒し
た宦官程元振が実権を握る
唐、ウイグルの助けを得て、史朝義
を破り、東京洛陽を回復
詩人李白没
李白
唐が大欽茂を渤海国王とする陸奥国国府に多賀城碑が建てられる
淡海三船が歴代天皇の漢風諡号を選
定する(-764)
淡海三船
763ナポリ公国が東ローマ帝国から自立
し、ローマ教皇側に与する
アンキアロスの戦:ビザンツ軍、
ブルガール軍を撃破
唐 劉晏、宰相となる ウイグル(回
鶻)の牟羽可汗が史朝義を自殺に追
い込み、安史の乱が終結 道挙廃止
僕固懐恩、吐蕃・回紇を誘い謀反を
起す:僕固懐恩の乱(-765) 代宗、陝
州に避難し、吐蕃が一時的に唐の長
安を占領 郭子儀、長安を回復
儀鳳暦を廃し、大衍暦を使用
764唐 雍王李适を皇太子とする 初めて五
紀暦(郭献之らの作)頒行(-783)
青苗銭(地頭銭)を徴して百官の俸
に充てる
李光弼没 郭子儀ら、
僕固懐恩を破る
藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の
乱):太政大臣押勝、近江で敗死
藤原仲麻呂の乱 恵美押勝の乱
乱を鎮圧した孝謙上皇が重祚して、
第48代称徳天皇となり、淳仁天皇を
廃して淡路国に配流とする
765フランク 宮廷をエクス=ラ=シャペ
ル(アーヘン)に置く
小ピピン、バグダードへ遣使
ビザンツ、ブルガール人と7年間の
休戦を約す
バルマク家のハーリド、モスル総督
となる 第6代シーア派イマームのジ
ャーファル=アッサーディク没:後
継イマームをめぐり、シーア派が十
二イマーム派(主流派)と七イマー
ム派(非主流派・イスマーイール
派)に分離する

ジャアファル・サーディク
ca.パーンディヤ朝のネードゥンジャ
ダイヤン即位(-815)
パーンディヤ朝
ca.パッラヴァ朝、チェーラ朝との抗
争に勝つ
ca.セイロンでマヘーンドラ2世即位
(-785):内紛続く
吐蕃、唐に和を求める唐 第五琦の建議により麦に「什一の
税(10分の1税)」を課す
僕固
懐恩、回紇・吐蕃・吐谷渾などの
大軍で進攻の途上、鳴沙で没 宦官
魚朝恩、神策軍で禁軍統轄
詩人高適没
高適
新羅 恵恭王即位(-780)寺院以外の墾田開発を禁止
道鏡が太政大臣禅師となる
称徳天皇の発願で大和西大寺が創建
大和西大寺
この年(神護元年)記された木簡
に、式部省大学寮で破斯清道という
官吏が働いていたことが記される
破斯清道はペルシャ人とする説があ
766バグダードの建設成る(762-)ca.カルルク人、タリム盆地を支配
カルルク
唐 戸部尚書劉晏と侍郎第五琦、全国
の財政を分担して処理にあたる 民衆
の流亡が多いため、麦の什一税法
を停止
散文李華没
道鏡が法王になる
道鏡
藤原真楯没
藤原真楯
767総大司教コンスタンティヌス処刑さ
れる
ヘラートで予言者シースの反乱起る
ハニーファ派法学の祖アブー=ハニ
ーファ没 ca.歴史家イブン=イスハー
ク没『ムハンマド伝』

アブー・ハニーファ
シャイレーンドラ朝軍が北ベトナム
の安南都護府を攻撃
陸奥国伊治城を築く
768フランク王ピピン3世(小ピピン)
が死去、長子カール大帝(シャルル
マーニュ)
と次子カールマン(カル
ロマン)が共同のフランク王に即位
(-771)
カールマン
ローマ教皇ステファヌス3世(4世)
即位(-772)

ステファヌス3世
吐蕃、唐の霊武に侵寇唐 朱希彩、節度使李懐仙を殺し、幽
州留後を自称 幽州・盧竜節度使と
なる ウイグル系摩尼教徒により長安
に大雲光明寺が建てられる
新羅 大恭・大廉らの貴族、反乱を起
し平定される:以後、貴族の乱続発
藤原永手が鹿島・香取・枚岡各社の
祭神を勧請し春日大社を創建

藤原永手春日大社
769フランク アキテーヌで再び反乱起る
カール大帝、これを討伐
ヴェレガヴァの戦:ブルガール
軍、ビザンツ軍を撃破
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が
大隅国に流罪となる
称徳天皇への呪詛により異母妹不破
内親王が内親王位を剝奪
770フランク・ランゴバルド同盟ca.ダルマパーラ(-810)、パーラ朝
の基を築く
パーラ朝
唐 皇帝代宗と宰相元載により宦官魚
朝恩が誅殺 詩人杜甫・岑参没 ca.書家
李陽冰没

杜甫岑参
新羅 大阿飡金融の乱称徳天皇の命で法隆寺など有力寺院
に百万塔陀羅尼(三重小塔百万
基)が奉納される

百万塔陀羅尼
称徳天皇が死去し、第49代光仁天皇
が即位
光仁天皇
道鏡を下野国薬師寺別当に左遷する
光仁天皇の皇后井上内親王と皇太子
他戸親王が廃される
安倍仲麻呂が唐で没す
阿倍仲麻呂
771カールマンの死去によりカール大帝
がフランク単独の王となる
唐 李栖筠、御史大夫となる 尚書右丞
韓滉、戸部侍郎判度支となり、財政
再建に尽くす
772フランク王カール大帝によるザクセ
ン戦争(-804)
ランゴバルド王デシデリウス、ロー
マ市を攻撃
ローマ教皇ハドリアヌス1世即位
(-795)

ハドリアヌス1世 (ローマ教皇)
ビザンツ・ブルガール、戦争再開唐 幽州・盧竜節度使朱希彩、部下に
殺される 経略副使朱泚、弟朱滔の計
によって幽州・盧竜節度使となる
古文運動の先駆者元結没
開墾禁止令を解除
773ローマ教皇、カール大帝に救援 カー
ル大帝、ランゴバルドに遠征、パヴ
ィアを包囲
唐の郭子儀の諸将、吐蕃の侵攻に苦
しめられる
唐 循州刺史哥舒晃、嶺南節度使を
殺し嶺南で背く 魏博節度使田承
嗣、相となることを請う
良弁没
良弁
774フランク王カール大帝がランゴバル
ド王国を滅ぼし、その王を兼ね、
「ランゴバルドの鉄王冠」を取得
「ピピンの寄進」を確認
マーシア王オッファ、ケント・ウェ
セックスに勢力を伸ばす
唐 中国密教の大成者不空金剛没
不空金剛
魏博節度使田承嗣、昭義の将吏を誘
って乱を起す
新羅の宰相金大城による慶州の石仏
寺(現在の石窟庵)が完成
仏師・造東大寺次官の国中公麻呂没
775ビザンツ コンスタンティノス5世コ
プロニュモス没、その妃エイレーネ
ー、レオーン4世ハザロスと共治
(-780)、帝国の実権を握る
エイレーネー (東ローマ女帝)レオーン4世
アッバース朝カリフのマンスール
没、マフディーがカリフとなる
(-785)
この年建てられた「リゴール碑文」
によるとシャイレーンドラ王家がシ
ュリーヴィジャヤを支配した記録が
残る
吐蕃王ティソン=デツェンがサムイ
ェー寺を建設

サムイェー寺
唐 田承嗣、昭義の相州を奪う 衛州を
奪う 嶺南節度使路嗣恭、哥舒晃を討
ち、広州で斬る
ca.沈既済の伝奇小説『枕中記』成る
776ホラーサーン地方でムカンナーの反
乱(-783)
唐が対回紇策として、朔方5城の守
兵を増加
唐 相州・衛州奪取の田承嗣、罪を許
される 汴宋留後田神玉没し内紛起
る、田承嗣これに介入 李霊曜、汴宋
留後となる 京師で斬殺される
777サラゴサ知事の反抗
フランク パーデルボルンの国会
(-778)
ブルガール カルダム即位(-802)ハワリージュ派穏健派のイバード派
イブン=ルスタム、イマームと称
して西アルジェリアにルスタム朝を
興す(-909)

ルスタム朝
神秘主義者イブラーヒーム=ビン=
アザム没
唐 李霊曜を助けた田承嗣、再び罪を
許される 代宗、宰相元載を専横の罪
で殺し、王縉を左遷 段秀実、涇原・
鄭潁節度使となる 散文独孤及没
遣唐使派遣:遣唐副使小野石根らを派遣
778カール大帝、ウィトゥキントの率い
るザクセン人の反乱討伐
ヴィドゥキント
カール大帝、スペイン遠征、スペイ
ン辺境領を設置
スペイン辺境領
その帰途、バスク人などにより後衛
軍がロンスヴォーの戦で敗退