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歴代日本銀行総裁 Governors of the Bank of Japan

歴代日本銀行総裁 Governors of the Bank of Japan マネジメント
「井上準之助」「一萬田尚登」「黒田東彦」歴代日本銀行総裁 Governors of the Bank of Japan

日本銀行総裁について

日本銀行には、役員として、

  • 総裁
  • 副総裁(2人)
  • 審議委員(6人)
  • 監事(3人以内)
  • 理事(6人以内)
  • 参与(若干人)

が置かれている。このうち、総裁、副総裁および審議委員で政策委員会を構成する。

政策委員会は、❶通貨及び金融の調節に関する方針を決定する、❷その他の業務の執行の基本方針を定める、❸役員(監事および参与を除く)の職務の執行を監督する権限を有する。

その中で総裁は、日本銀行を代表し、政策委員会の定めるところに従い、日本銀行の業務を総理する。

総裁、副総裁、審議委員は、衆参両議院の同意を得て内閣が任命する国会同意人事の一つである。

歴代日銀総裁一覧

氏名在職期間出身備考
1吉原重俊よしはらしげとし1882.10.6 – 1887.12.19大蔵省大蔵少輔(次官)
2富田鐵之助とみたてつのすけ1888.2.22 – 1889.9.3大蔵省大蔵大書記官
3川田小一郎かわだこいちろう1889.9.3 – 1896.11.7民間三菱事務総監
4岩崎彌之助いわさきやのすけ1896.11.11 – 1898.10.20民間三菱財閥総帥
5山本達雄やまもとたつお1898.10.20 – 1903.10.19民間郵便汽船三菱会社(現日本郵船)
6松尾臣善まつおしげよし1903.10.20 – 1911.6.1大蔵省大蔵省主計局長、大蔵省理財局長
7高橋是清たかはしこれきよ1911.6.1 – 1913.2.20農商務省特許局初代長官、第20代内閣総理大臣
8三島彌太郎みしまやたろう1913.2.28 – 1919.3.7民間横浜正金銀行頭取
9井上準之助いのうえじゅんのすけ
(第1期)
1919.3.13 – 1923.9.2日銀日本銀行はえぬき第1号、横浜正金銀行頭取
10市来乙彦いちきおとひこ1923.9.5 – 1927.5.10大蔵省大蔵次官、大蔵大臣
11井上準之助いのうえじゅんのすけ
(第2期)
1927.5.10 – 1928.6.12日銀貴族院議員、東洋文庫初代理事長
12土方久徴ひじかたひさあきら1928.6.12 – 1935.6.4日銀日本銀行、日本興業銀行総裁
13深井英五ふかいえいご1935.6.4 – 1937.2.9民間國民新聞社外報部長、松方正義蔵相秘書官
14池田成彬いけだせいひん1937.2.9 – 1937.7.27民間三井銀行筆頭常務取締役、
三井合名会社筆頭常務理事
15結城豊太郎ゆうきとよたろう1937.7.27 – 1944.3.18日銀日本銀行、日本興業銀行総裁、
商工組合中央金庫初代理事長
16渋澤敬三しぶさわけいぞう1944.3.18 – 1945.10.9民間第一銀行副頭取
17新木栄吉あらきえいきち
(第1期)
1945.10.9 – 1946.6.1日銀日本銀行理事
18一萬田尚登いちまだひさと1946.6.1 – 1951.5.31
1951.6.1 – 1954.12.10
日銀日本銀行最長在職、「法王」と呼ばれた
19新木栄吉あらきえいきち
(第2期)
1954.12.11 – 1956.11.30日銀東京電力会長、駐米大使
20山際正道やまぎわまさみち1956.11.30 – 1961.11.29
1961.11.30 – 1964.12.17
大蔵省大蔵事務次官、日本輸出入銀行総裁
21宇佐美洵うさみまこと1964.12.17 – 1969.12.16民間三菱銀行頭取
22佐々木直ささきただし1969.12.17 – 1974.12.16日銀日本銀行副総裁
23森永貞一郎もりながていいちろう1974.12.17 – 1979.12.16大蔵省大蔵事務次官、東京証券取引所理事長
24前川春雄まえかわはるお1979.12.17 – 1984.12.16日銀日本銀行副総裁
25澄田智すみたさとし1984.12.17 – 1989.12.16大蔵省大蔵事務次官、日本輸出入銀行総裁、
日本銀行副総裁
26三重野康みえのやすし1989.12.17 – 1994.12.16日銀日本銀行副総裁
27松下康雄まつしたやすお1994.12.17 – 1998.3.20大蔵省大蔵事務次官、太陽神戸銀行頭取、
さくら銀行会長
28速水優はやみまさる1998.3.20 – 2003.3.19日銀日本銀行理事、日商岩井会長、
経済同友会代表幹事
29福井俊彦ふくいとしひこ2003.3.20 – 2008.3.19日銀日本銀行副総裁、富士通総研理事長、
経済同友会副代表幹事
30白川方明しらかわまさあき2008.3.20 – 2008.4.9
2008.4.9 – 2013.3.19
日銀日本銀行理事、京都大学教授
31黒田東彦くろだはるひこ2013.3.20 – 2013.4.8
2013.4.9 – 2018.4.8
2018.4.9 – 2023.4.8
大蔵省
(財務省)
財務官、一橋大学教授、
アジア開発銀行総裁
32植田和男うえだかずお2023.4.9 – 現任民間東京大学大学院経済学研究科長

明治時代

氏名

在職期間

事績

1代

吉原重俊
よしはらしげとし

吉原重俊

薩摩藩出身

1882.10.6 – 1887.12.19

明治15年10月6日 – 明治20年12月19日

1882.6.27 日本銀行条例(明治15年太政官布告第32号)公布

日本銀行創立事務委員に任命

1884.5.26 兌換銀行券条例制定

政府と全国各地の「国立銀行」が発行していた不換紙幣の回収整理を進める

集権的な倉荷証券付手形割引制度を創設

1885: 日本銀行兌換銀券発行、銀本位制を確立

2代

富田鐵之助
とみたてつのすけ

富田鐵之助

仙台藩出身

1888.2.22 – 1889.9.3

明治21年2月21日 – 明治22年9月3日

公定歩合制度の確立(公定歩合を弾力的に操作し、変動の激しかった当時の経済の安定化に努める)

外国為替の整備

外国為替専門銀行であった横浜正金銀行への低利融資枠の大幅拡大を要請する松方大蔵大臣に対し、金融調節の一元化を企図して反論したことにより罷免される

3代

川田小一郎
かわだこいちろう

川田小一郎

土佐藩出身

1889.9.3 – 1896.11.7

明治22年9月3日 – 明治29年11月7日

1890.2.26 日本銀行兌換券制限外500万円発行認可

米価暴騰による金融梗塞対策で、日本初の制限外発行、発行額に対し5分の税率

5.17 日本銀行兌換券の保証準備発行限度を7000万円から8500万円に拡張する旨公布

5.18 日本鉄道会社株券など15種の株券を担保とする手形割引の道をひらく(担保付手形割引制度)

1894.6.12 国庫金出納上一時貸借に関する法律公布

政府が国庫余裕金を日銀に預入れ、国庫不足金を日銀から借入れることを認める

11.14 政府は日銀に950万円の借上げを令達、以後数度の借上げで戦費を応急調達

1895.8.19 大蔵省は日銀に1000万円の増資を許可、資本金3000万円となる

1896.5.16 預合勘定をひらき、在外正貨を正貨準備に繰り入れる

4代

岩崎彌之助
いわさきやのすけ

岩崎彌之助

三菱財閥の2代目総帥

1896.11.11 – 1898.10.20

明治29年11月11日 – 明治31年10月20日

1897.6.14 個人取引を公開、個人と銀行とで利率に差を設ける(1899.11.27 差別廃止)

6.14 担保品付手形割引を廃止、見返品付手形割引を開始(実質的には前者を存続)

1898.4.19 財界の金融逼迫救済のため、政府委託により償金の一部で公債を買入れ(日本銀行による初の市場操作)

公定歩合引下げ時期をめぐり蔵相と対立し岩崎辞職

5代

山本達雄
やまもとたつお

山本達雄

銀行家

1898.10.20 – 1903.10.19

明治31年10月20日 – 明治36年10月19日

1899.3.10 日銀券発行税に関する法律公布

4.15 横浜正金銀行へ対清国事業拡張資金として金貨1000万円を年利2分で預入る旨通告

6月 第一銀行に対し韓国産金購入資金として10万円預入

7.7 横浜正金銀行へロンドン支店為替資金970万円を年利2分で預入

1900.4.24 公定歩合引上げの影響で東京株式相場暴落

1901.10.24 北清事変の軍費支弁のため、政府へ12月までに11回にわたり1500万円を貸上げ

1902.7月 卸売物価指数を発表(1900年10月基準)

6代

松尾臣善
まつおしげよし

松尾臣善

宇和島藩・大蔵省出身

1903.10.20 – 1911.6.1

明治36年10月20日 – 明治44年6月1日

1903.12.29 軍備補充費を政府へ貸上

1904.2.11 制限外兌換券発行(-1909.2)

4.21 臨時事件費として政府へ1904年3月までに計2億3900万円を貸上、1905年4月25日以降同じく7800万円、1906年2月27日以降同じく5500万円をそれぞれ貸上、1906年10月15日返済完了

1905.12.4-1906.4.2 1160万ポンドをイングランド銀行へ貸し付け(-1907年まで断続的に続く)

1906.7.1 本支店における貸出利率を一律にし、国債抵当・保証を除く貸付・割引利率につき最高最低利子率を設定、金融調節手段の多様化を図る

1907.10.24 横浜正金銀行に対する低利(年2分)外国為替再割引限度を、1000万円から1500万円に拡張

7代

高橋是清
たかはしこれきよ

高橋是清

2・26事件で凶弾に倒れる

1911.6.1 – 1913.2.20

明治44年6月1日 – 大正2年2月20日

1911.7.1 横浜正金銀行に対する外国為替手形再割引制度を、外国為替手形引当の外国為替貸付金制度に改める

1913.1.6 蔵相が日銀兌換券制限外発行税率を1分引上げ、年6分とする

大正時代

氏名

在職期間

事績

8代

三島彌太郎
みしまやたろう

三島彌太郎

薩摩藩出身

1913.2.28 – 1919.3.7

大正2年2月28日 – 大正8年3月7日

1914.7.31 政府との間で、日銀所有正貨および横浜正金銀行などから買入れるべき正貨を政府に売却することを協定

11.1 台湾銀行に対し南方為替資金を預け金として預入れ

1915.11月 ロンドン・ニューヨーク向け為替資金をふくめ2000万円までを預入れ

1915.1.18 見返担保品の範囲を拡張し、東京市債・勧銀債券・興銀債券を加える

1916.12.15 金融界の安定をはかるため進んで低率の貸出を行う旨発表

1917.11.16 見返品の範囲を拡張し、品目指定をやめ、一定基準に合致する有価証券は見返担保品として認める

9代

井上準之助
いのうえじゅんのすけ

井上準之助

日本銀行はえぬき総裁の第1号

1919.3.13 – 1923.9.2

大正8年3月13日 – 大正12年9月2日

1919.6月 銀行引受手形の再割引を行うことを決定(貿易金融の改善・割引市場の発達促進・日銀券増発防止のため)

8.1 スタンプ手形制度実施(輸出金融円滑化のため、横浜正金銀行が売出すスタンプ押捺為替手形の再割引を優遇。のちに台湾銀行・住友銀行にも実施)

1920.4.12 株式市場救済のため月末受渡資金の融資を表明

4.15 銀行シンジケート経由の整理資金供給方式を決定

4.20 製糖会社に救済資金融資決定、引き続き製鉄業・産銅業・絹織物業・製糸業・毛織物業などに特別融資決定

1922.8.19 在外正貨を正貨準備に繰入れることを禁止、従来充当分も8月末日限り解除と決定

12.15 東京・大阪のシンジケート銀行と会合、金融界動揺の善後策を協議し、救済援助を声明、12月中の日銀救済融資は2億2000万円

10代

市来乙彦
いちきおとひこ

市来乙彦

薩摩藩・大蔵省出身

1923.9.5 – 1927.5.10

大正12年9月5日 – 昭和2年5月10日

1923.9.27 関東大震災発生により、日銀震災手形割引損失補償令公布(緊急勅令)、補償限度1億円、日銀の震災手形割引高は1924年3月末までで4億3081万円

9.29 副総裁は担保貸出の拡張など資金融通の方針を発表

1926.11.12 帝国蚕糸倉庫に、横浜正金銀行経由で生糸救済資金220万円を融資

11.20 政府・日銀は、鈴木商店・日本製粉の救済のため資金援助措置を決定、台湾銀行から両社に800万円ずつ融資

1927.3.21 市中銀行に対し非常貸出しを実施、3月23日までに6億円を突破

4.18 総裁が財界動揺防止に関し声明を発表

4.24 総裁が取引先以外の銀行へも援助を与える旨声明、4月25日までの対市中銀行貸出残高20億円を突破

5.9 日本銀行特別融通および損失補償法、台湾に金融機関に対する資金融通に関する法律それぞれ公布、2法による日銀貸出高8億7943億円

昭和時代(戦前)

氏名

在職期間

事績

11代

井上準之助
いのうえじゅんのすけ

井上準之助

血盟団事件で凶手に倒れる

1927.5.10 – 1928.6.12

昭和2年5月10日 – 昭和3年6月12日

1928.5.8 日銀特別融資打切り、特別融通法によるものは6億8793億円、金融市場は超緩和

5.15 総裁井上は全国手形交換所大会で特別融資の結果日銀が金融統制力を喪失した状況下では金解禁は尚早と発言

12代

土方久徴
ひじかたひさあきら

土方久徴

日銀出身

1928.6.12 – 1935.6.4

昭和3年6月12日 – 昭和10年6月4日

1931年: 金輸出再禁止に伴い管理通貨制度を確立

1932.3.12 蔵相は日銀の制限外発行税率を5分に決定

6.18 兌換銀行券条例改正、保証発行限度の拡張、限外発行税最低率の引下げ

6.18 日銀納付金法・日銀参与会法それぞれ公布

11.25 新規国債2億円(4%利半国庫債券)の直接引受

12.24 から売りオペ開始:所有国債の対市中売却操作を初実施

1934.4.7 日本銀行金買入法公布、政府の産金時価買入策の拡大

13代

深井英五
ふかいえいご

深井英五

銀行家・経済学者

1935.6.4 – 1937.2.9

昭和10年6月4日 – 昭和12年2月9日

1936年: 二・二六事件

二・二六事件

軍事費増大による赤字国債増発に抗しきれず辞職

14代

池田成彬
いけだせいひん

池田成彬

三井合名理事
「しげあき」とも

1937.2.9 – 1937.7.27

昭和12年2月9日 – 昭和12年7月27日

戦時色が強まる中で、産業金融に踏み込まざるを得なかった

諮問機関であった参与制度を廃止して議決権を持った参与理事制度を創設し金融政策を外部からチェックする仕組みを導入

15代

結城豊太郎
ゆうきとよたろう

結城豊太郎

日銀→安田財閥

1937.7.27 – 1944.3.18

昭和12年7月27日 – 昭和19年3月18日

1938.7.23 外国為替基金を設定

1940.8.7 満洲中央銀行に対する1億円の借款供与契約成立

1942.2.24 日本銀行法(以下旧法)公布、管理通貨制度の法的確立

5.1 旧法に基づく法人に改組、日本銀行条例・兌換銀行条例の廃止

6.18 タイ大蔵省と2億円の借款供与に関する協定に調印

7.28 中央儲備銀行に対する1億円の借款供与契約調印

11.18 政府保証軍需手形再割引とそれを担保とする貸付に優遇措置実施

昭和時代(戦後)

氏名

在職期間

事績

16代

渋澤敬三
しぶさわけいぞう

渋澤敬三

渋澤栄一の嫡孫

1944.3.18 – 1945.10.9

昭和19年3月18日 – 昭和20年10月 9日

1944.4.4 貸出利率調整制度実施、従来の高率適用手続は廃止

17代

新木栄吉
あらきえいきち

新木栄吉

日本銀行出身

1945.10.9 – 1946.6.1

昭和20年10月9日 – 昭和21年6月1日

1945.12.27 インドシナ銀行東京支店の業務・財産の管理人となる(以後、同様措置の対象先は拡大)

1946.2月 ハイパーインフレーションの懸念から、新円切替と一昨年に続く預金封鎖を実施

1946.3.12 日銀券(新円)発行残高152億円、1945年8月15日以降最低、金融緊急措置実施の結果

公職追放令により、在任僅か7ヶ月余りで辞任

18代

一萬田尚登
いちまだひさと

一萬田尚登

「一萬田法王」の異名をとる

1946.6.1 – 1954.12.10

昭和21年6月1日 – 昭和29年12月10日

1946.7.17 日本興業銀行の復興資金融通手形を担保

7.22 連合国総司令部が米系銀行の在日支店の再開を許可

7.31 外貨債処理法による政府債務承継まで保管されていた利払い資金がGHQから日銀へ移管される。同日、ニューヨーク・ナショナル・シティー銀行、香港上海銀行、チャータード銀行、オランダ系銀行2行の以上5行がもつ国内支店について、戦時中の敵産管理法により横浜正金銀行がもっていた管理権を日銀が継承

1947.3.15 農地証券の交付および元利金支払に関する特別取扱に関する件公布施行

4.1 日銀法改正公布、日銀券発行限度の決定方法の変更(5月3日施行)

1948.12.20 閉鎖機関処理部廃止

1949.5.30 東証一部に上場、同年6月には大証一部、名証一部にも上場

6.1 社債消化促進のため市中銀行に社債買入額を限度とする復興金融金庫債の償還を認める、貸出政策と公開市場政策併用の初め

6.3 日銀法改正公布、政策委員会の新設、6.17 同委員会発足

11.1 外国為替管理委員会から外国為替資金に関する計算登記および報告事務を引き継ぐ

1950.6.7 外資委員会の事務の取扱いに関する政令を公布、翌日施行

1952.6.16 国際通貨基金へ出資する金塊15トンを政府へ売却

1953.7.15 金管理法(粗金取得者が地金に精製して一定期間内に政府に売却することを義務づけ)

10.8 世界銀行債200万ドルを買い入れ

12.18 連邦準備制度に口座開設

1954.1.16 輸入金融抑制措置を実施、貸付金利1厘引上げなど

3.10 優遇措置全廃など再度の引締強化を実施

7.22 輸出金融優遇措置を実施、輸出手形貸付金利引下げなど

8.16 輸出金融引締措置を実施、輸入決済手形貸付金利引上げ

19代

新木栄吉
あらきえいきち

新木栄吉

公職追放令解除後に復帰

1954.12.11 – 1956.11.30

昭和29年12月11日 – 昭和31年11月30日

1955.4.15 イングランド銀行に口座開設

11.8 市中金融機関に対し年内買戻条件付で売オペレーションを実施

1956年: それまで全額日銀引受で発行されていた政府短期証券(FB)の公募を実現

20代

山際正道
やまぎわまさみち

山際正道

大蔵省出身・池田勇人と同期

1956.11.30 – 1964.12.17

昭和31年11月30日 – 昭和39年12月17日

1958.11.28 政策委員会は農業手形制度の本年度限り廃止を決定、四国・中国・九州は1959.1.31に廃止

1959.9.11 普通銀・長信・外為銀行を対象に準備預金制度はじまる

1960.5月 東証、大証、名証から上場廃止

1961.11.24 外債2億USドルを外貨準備補強策として発行

1962.10.1 世銀債500万ドルを引受け(1964年同月同日にも同額引受け)

1963.2月 店頭登録(→ジャスダック市場に公開)

10.31 ニューヨーク連邦準備銀行と貸付予約方式で1億5000万ドル双務通貨協定調印(スワップ協定)

1964.11.25 主要11中銀・国際決済銀行・合衆国輸出入銀行との間に30億ドルのクレジット設定

9.4 政策委員会は日本証券金融を通ずる債券担保の特別融資を決定(株価安定のため)

9.17 大蔵省は日本共同証券資金の拡大などを決定、日銀も同調

9.22 蔵相田中は証券市場に財界の協力を要請

12.4 日本共同証券に400億円の特別融資、実質金利1銭5厘

21代

宇佐美洵
うさみまこと

宇佐美洵

三菱銀行出身

1964.12.17 – 1969.12.16

昭和39年12月17日 – 昭和44年12月16日

1965.1.19 日本証券保有組合にも特融決定

1965.5.28深夜、蔵相田中は記者会見で証券緊急対策として山一証券に無制限・無期限の日銀特別融資発表、日銀法第25条適用(山一証券事件)5月29日発動

6.7 山一証券に対する日銀特融第1回融資45億円(6月28日まで6回累計234億円)

6.18 証券14社に約600億円の救済融資決定、投資信託解約激増のため、日本証券金融に600億円までの公社債担保貸付を決定

6.25 市中銀行に対する貸出増加額規制の廃止を決定

7.16 預金準備率引下げ、景気刺激策

1967.2.2 国債653億円を買入れ(初の国債オペレーション)

12.1 米側の申入れにより米ニューヨーク連邦準備銀行とのスワップ協定限度額を4.5億ドルから7.5億ドルに増額

1968.3.18 連邦準備制度とのスワップ取引額上限が10億ドルに増加

22代

佐々木直
ささきただし

佐々木直

日銀のプリンス

1969.12.17 – 1974.12.16

昭和44年12月17日 – 昭和49年12月16日

1971.6.1 外国為替資金特別会計の外国為替銀行に対する外貨預託による輸入関係資金の供給を日本銀行の輸入資金貸付により行うようになる

1973.4.9 全国銀行データ通信システム稼動

公定歩合引き下げ、積極財政路線を呑まされ、狂乱物価の時代へ

1973.10月 第1次オイルショック

第1次オイルショック

23代

森永貞一郎
もりながていいちろう

森永貞一郎

日銀と大蔵省によるたすきがけ人事の慣行が始まる

1974.12.17 – 1979.12.16

昭和49年12月17日 – 昭和54年12月16日

第1次オイルショック後のマネーの適正管理に配慮をした政策運営

1979年1月 第2次オイルショック

24代

前川春雄
まえかわはるお

前川春雄

国際金融のスペシャリスト

1979.12.17 – 1984.12.16

昭和54年12月17日 – 昭和59年12月16日

1982.10.8 金融研究局を日本銀行金融研究所に改組

第2次オイルショック後のインフレーションを絶妙な金融引締め政策を実施して乗り切る

25代

澄田智
すみたさとし

澄田智

元大蔵事務次官

1984.12.17 – 1989.12.16

昭和59年12月17日 – 平成1年12月16日

1985.1.25 シティバンク他2行と国債元利支払取扱店契約を締結

1985.9.22 プラザ合意、ドル高是正が行われ、円レート決定は完全な自由相場制に移行し急激な円高となる

プラザ合意

無担保コールレートを上昇させるという短期市場金利の「高目放置」路線

1986.4.7 前川リポート公表

1988.8.15 本支店間で日本銀行金融ネットワークシステム稼動

平成時代

氏名

在職期間

事績

26代

三重野康
みえのやすし

三重野康

平成の鬼平

1989.12.17 – 1994.12.16

平成1年12月17日 – 平成6年12月16日

1989.12.29 日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録(バブル景気バブル崩壊

バブル崩壊

1990.5.28 日銀ネットによる国債関係事務の対外オンライン処理を開始

12.11 長期国債の募集・引受・発行事務がオンライン化

1992.5.26 払込みオンライン化

1994.4.11 国債資金同時受渡(国債DVP)システム稼動

1994.11.4 東京証券取引所と当座預金取引を開始

27代

松下康雄
まつしたやすお

松下康雄

元大蔵事務次官

1994.12.17 – 1998.3.20

平成6年12月17日 – 平成10年3月20日

1997.6.18 旧法の全部を改正する日本銀行法公布(翌年4月1日に施行)

11月 日銀出身者が社長を務める徳陽シティ銀行が破綻

  • 日米経済摩擦による超円高
  • 国内金融機関の腐敗と累積する不良債権
  • 忍び寄るデフレ経済の影

大蔵省接待汚職事件のスキャンダルに見舞われ、その責を問われる形で福井俊彦日銀副総裁と共に辞職

28代

速水優
はやみまさる

速水優

日銀・日商岩井社長

1998.3.20 – 2003.3.19

平成10年3月20日 – 平成15年3月19日

1998.4.1 日銀法改正

1999年2月 世界初のゼロ金利政策と時間軸を導入

2000.8月 これを解除

2000.11月 インターネット・バブル崩壊

インターネット・バブル

2001.1.4 当座預金決済および国債決済を即時グロス決済化

わずか半年で再びゼロ金利政策に復帰

2001.3月 世界初の量的金融緩和政策を開始

2002.11月 銀行保有株式の直接買入を実施

2002年: ペイオフ解禁、融機関保有株式の買入れ

  • 金融ビッグバンへの対応

29代

福井俊彦
ふくいとしひこ

福井俊彦

日本銀行出身

2003.3.20 – 2008.3.19

平成15年3月20日 – 平成20年3月19日

2003年: 自己資本比率(ROE)8%割れ、史上2度目の赤字決算となる

2006.3.9 5年超続いた金融の量的緩和政策を解除

7月 実質的に約8年間に及んだゼロ金利政策からも脱却、短期誘導金利を0.25%(ロンバート金利は0.4%)へ引き上げ

2008.3.19 総裁人事の国会承認で、武藤敏郎氏(元財務事務次官)、田波耕治氏(元大蔵事務次官)の人事案が参院で否決

→白川方明が副総裁就任と同時に総裁職務代行者につく

30代

白川方明
しらかわまさあき

白川方明

日本銀行出身

2008.3.20 – 2013.3.19

平成20年4月9日 – 平成25年3月19日

2011.1月 国際決済銀行(BIS)副議長に日銀総裁としては初めて就任

リーマン・ショックや東日本大震災、欧州債務危機に立て続けに見舞われ、5年の在任期間で15回の金融緩和に踏み切り、資産買い入れ額を101兆円まで増額

31代

黒田東彦
くろだはるひこ

黒田東彦

元財務官・アジア開発銀行総裁

2013.3.20 – 1023.4.8
平成25年3月20日 – 令和5年4月8日

2013.6.14 「日本再興戦略」でアベノミクス全体像が明示

  • 第1の矢: 大胆な金融政策(金融緩和で流通するお金の量を増やし、デフレマインドを払拭)

2016.1.29 マイナス金利政策を導入

2016.9月 長短金利操作を行う「イールドカーブ・コントロール(YCC)」と、物価上昇率が安定的に2%を超えるまでマネタリーベース拡大方針を継続する「オーバーシュート型コミットメント」を柱とする枠組みを導入

令和時代

氏名

在職期間

事績

参考リンク

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