- ドイツ首相の名称について
- 北ドイツ連邦(1867年-1871年)
- ドイツ帝国(1871年-1919年)
- オットー・フォン・ビスマルク
Otto von Bismarck - レオ・フォン・カプリヴィ
Leo von Caprivi - クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
Chlodwig Karl Victor Fürst zu Hohenlohe-Schillingsfürst - ベルンハルト・フォン・ビューロー
Bernhard von Bülow - テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald von Bethmann Hollweg - ゲオルク・ミヒャエリス
Georg Michaelis - ゲオルク・フォン・ヘルトリング
Georg von Hertling - バーデン大公マクシミリアン
Prinz Maximilian von Baden
- オットー・フォン・ビスマルク
- ドイツ国 ヴァイマル共和政(1919年-1933年)
- フリードリヒ・エーベルト
Friedrich Ebert - フィリップ・シャイデマン
Philipp Scheidemann - グスタフ・バウアー
Gustav Bauer - ヘルマン・ミュラー
Hermann Müller - コンスタンティン・フェーレンバッハ
Konstantin Fehrenbach - ヨーゼフ・ヴィルト
Joseph Wirth - ヴィルヘルム・クーノ
Wilhelm Cuno - グスタフ・シュトレーゼマン
Gustav Stresemann - ヴィルヘルム・マルクス
Wilhelm Marx - ハンス・ルター
Hans Luther - ヴィルヘルム・マルクス
Wilhelm Marx - ヘルマン・ミュラー
Hermann Müller - ハインリヒ・ブリューニング
Heinrich Brüning - フランツ・フォン・パーペン
Franz von Papen - クルト・フォン・シュライヒャー
Kurt von Schleicher
- フリードリヒ・エーベルト
- ドイツ国 ナチス・ドイツ(1933年-1945年)
- 占領下(1945年-1949年)
- ドイツ民主共和国(東ドイツ)(1949年-1990年)
- ドイツ連邦共和国(西ドイツ)(1949年-現在)
- コンラート・アデナウアー
Konrad Hermann Joseph Adenauer - ルートヴィヒ・エアハルト
Ludwig Wilhelm Erhard - クルト・ゲオルク・キージンガー
Kurt Georg Kiesinger - ヴィリー・ブラント
Willy Brandt - ヴァルター・シェール
Walter Scheel - ヘルムート・シュミット
Helmut Heinrich Waldemar Schmidt - ヘルムート・コール
Helmut Josef Michael Kohl - ゲアハルト・シュレーダー
Gerhard Fritz Kurt Schröder - アンゲラ・メルケル
Angela Dorothea Merkel - オラフ・ショルツ
Olaf Scholz
- コンラート・アデナウアー
- 参考リンク
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ドイツ首相の名称について
カンツラー(独: Kanzler、英: chancellor)は、神聖ローマ帝国において「宮廷や法廷の門衛、案内役、事務員、秘書官、書記官」を意味した。これが帝国内の最高書記官の意味で「Erzkanzler」と呼ばれるようになる。
北ドイツ連邦成立時に「Bundeskanzler(連邦宰相)」、帝政ドイツ成立時に「Reichskanzler(帝国宰相)」と呼称した。
「宰相」の訳語が用いられたのは、「大臣」のように内閣を構成しておらず、宰相が単独で君主に対して行政上の責任を負っていたからである。
冷戦下の東ドイツ(ドイツ民主共和国)では、建国時には「総理大臣」(Ministerpräsident)とされていたが、1968年の憲法改正で「閣僚評議会議長」(Vorsitzende des Ministerrates)に改められた。
一方、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)では「連邦宰相」(Bundeskanzler)に戻された。慣行上、日本では「連邦首相」や単に「首相」と訳されることが多い。
本稿では一括して「首相」として表記する。
北ドイツ連邦(1867年-1871年)
代
氏名
在任期間
事績
初代
1867.7.1 – 1871.3.21
1862: プロイセン国王ヴィルヘルム1世からプロイセン首相に任命
1867: 普墺戦争の勝利で北ドイツ連邦を樹立
ドイツ帝国(1871年-1919年)
代
氏名
在任期間
事績
初代
オットー・フォン・ビスマルク
Otto von Bismarck
無所属
1871.3.21 – 1890.3.20
1871: 普仏戦争の勝利で南ドイツ諸国も取り込んだ統一ドイツ国家「ドイツ国(ドイツ帝国)」を建国
1871-78 文化闘争
1878.6-7 ベルリン会議:露土戦争の結果起こった国際紛争解決
ビスマルク体制
3代
クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
Chlodwig Karl Victor Fürst zu Hohenlohe-Schillingsfürst
自由保守党(FKP)
1894.10.29 – 1900.10.17
5代
テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald von Bethmann Hollweg
無所属/内務省
1909.7.14 – 1917.7.13
1911.7.1 第二次モロッコ事件(アガディール事件)
1914.7.28 第一次世界大戦勃発
1916.8.31 ヒンデンブルグ計画発表
1917.7.13 ライヒ議会でマティアス・エルツベルガーの平和決議が社会民主党、ドイツ進歩党、中央党の連合で可決→辞任
8代
バーデン大公マクシミリアン
Prinz Maximilian von Baden
無所属/軍人
1918.10.3 – 1918.11.9
1918.10 帝国憲法を大幅に改正(イギリス型の立憲君主制に移行)
1918.11.3-1919.8.11 ドイツ革命
1918.11.9 ヴィルヘルム2世のドイツ皇帝位(及びプロイセン王位)からの退位を発表→ドイツ共和国宣言
ドイツ国 ヴァイマル共和政(1919年-1933年)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
初代
フリードリヒ・エーベルト
Friedrich Ebert
ドイツ社会民主党(SPD)
初代
1918.11.9 – 1919.2.13
ドイツ社会民主党(SPD)とドイツ独立社会民主党(USPD)による臨時政府
2代
フィリップ・シャイデマン
Philipp Scheidemann
ドイツ社会民主党(SPD)
2代
1919.2.13 – 1919.6.20
ヴェルサイユ条約受諾に反対して首相とSPD党首を辞任
3代
3代
1919.6.21 – 1920.3.26
4代
4代
1920.3.27 – 1920.6.8
6代
7代
ヴィルヘルム・クーノ
Wilhelm Cuno
無所属(ドイツ人民党を離党)
8代
1922.11.22 – 1923.8.12
1923.1.11 ルール占領
ルール地方の労働者にストライキを呼びかけ受動的な抵抗運動を試みる 政府がスト中の労働者の給料を建て替えたことにより財政危機を招く
1923 ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション
9代
ヴィルヘルム・マルクス
Wilhelm Marx
10代
11代
ヴィルヘルム・マルクス
Wilhelm Marx
12代
16代
1928.6.28 – 1930.3.27
社会民主党とドイツ人民党、中央党などの大連立により成立(ヴァイマル共和政下で最長の在任期間)
1929.9.4 世界恐慌起る
世界恐慌(大恐慌)のあおりを受け、失業保険への税金投入のための資金調達方法で合意できずに辞職
13代
ハインリヒ・ブリューニング
Heinrich Brüning
17代
1930.3.30 – 1931.10.7
大統領内閣の時代始まる(大統領大権である「緊急令」(憲法第48条)を強引に利用した政権運営)
1930.5.17 ヤング案(ドーズ案をさらに緩和、1929.9.1に遡及適用)が発効
1931.6.20 フーヴァーモラトリアム(債務支払猶予措置)発表
14代
フランツ・フォン・パーペン
Franz von Papen
無所属(中央党を除名)
19代
1932.6.1 – 1932.11.17
7.20 プロイセン・クーデタ:大統領権限でプロイセン州首相オットー・ブラウン首相(社民党)の政府を解体、代わりにパーペンをプロイセン国家弁務官に任命
「新国家案」がシュライヒャーの反対に遇い総辞職
15代
クルト・フォン・シュライヒャー
Kurt von Schleicher
無所属(軍人)
20代
1932.12.3 – 1933.1.28
シュトラッサーらナチス左派を取り込んでのナチ党分断策に失敗、辞職
ドイツ国 ナチス・ドイツ(1933年-1945年)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
16代
アドルフ・ヒトラー
Adolf Hitler
ドイツ国家人民党→国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)
21代
1933.1.30 – 1945.4.30
1933.2.27 ドイツ国会議事堂放火事件
2.28 ドイツ国民と国家を保護するための大統領令
3.23 全権委任法
1934.1.26 ドイツ・ポーランド不可侵条約
6.30 長いナイフの夜事件
1934.8.2 ヒンデンブルク大統領が在任のまま死去→「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」を発効
1935.3.16 ドイツ再軍備宣言
1935.9.15 ニュルンベルク法が制定
1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック
6.18 英独海軍協定が締結
1936年ベルリンオリンピック
1936.3.7 ラインラント進駐
1936.11.25 日独防共協定→1937.11 日独伊防共協定
1937.4.26 スペイン内戦中のゲルニカ爆撃
1938.3.13 オーストリア併合
1938.9.29-30 ミュンヘン会談
1939.3.15 チェコスロバキア併合
8.23 独ソ不可侵条約締結
9.1 ポーランド侵攻により第二次世界大戦勃発
1940.9.27 日独伊三国同盟
1941.6.22 独ソ開戦
1944.7.20 7月20日事件(アドルフ・ヒトラー暗殺未遂とナチ党政権に対するクーデター未遂事件)
1945.4.30 アドルフ・ヒトラー自殺
17代
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス
Paul Joseph Goebbels
国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)
22代
1945.4.30 – 1945.5.1
ヒトラーの遺書によってドイツ国首相に任命されるが家族と共に自殺
代行
ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク
Ludwig Graf Schwerin von Krosigk
国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)
–
1945.4.30 – 1945.5.1
占領下(1945年-1949年)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
ドイツ民主共和国(東ドイツ)(1949年-1990年)
最終的な決定権を持つ事実上の最高指導者は、ドイツ社会主義統一党(SED)の中央委員会書記長である。書記長の多くは国家元首としての国家評議会議長、内閣に相当する閣僚評議会議長、国家人民軍最高司令官の国防評議会議長を兼任する形で権力を集中させた。
ドイツ連邦共和国(西ドイツ)(1949年-現在)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
初代
コンラート・アデナウアー
Konrad Hermann Joseph Adenauer
ドイツキリスト教民主同盟(CDU)
初代
1949.9.15 – 1953.10.20
ドイツ社会民主党(SPD)候補のクルト・シューマッハーに1票差で競り勝って初代連邦首相に選出
1950 連邦援護法(戦争犠牲者の援護に関する法律)を制定
1951 西ドイツの外交主権が回復
欧州石炭鉄鋼共同体が設立
1952.9.10 イスラエルとルクセンブルク協定を結びホロコースト生存者に対する戦後賠償を定める
2代
1953.10.20 – 1957.10.29
3代
クルト・ゲオルク・キージンガー
Kurt Georg Kiesinger
ドイツキリスト教民主同盟(CDU)
8代
1966.12.1 – 1969.10.21
ドイツ社会民主党(SPD)と交渉し、新たな大連立政権を樹立
1967.7.1 ブリュッセル条約発効、欧州共同体(EC)が設立
東方外交(チェコスロバキア・ルーマニア・ユーゴスラビアと外交関係を樹立)
1968 非常事態法を施行
4代
9代
1969.10.21 – 1972.12.15
1969.10.28 初めての施政方針演説で「一民族二国家」を規定、東ドイツの承認に言及
1969.11 核不拡散条約に調印
1970.3.19 エアフルトで初の東西ドイツ首脳会談を実現
8.12 モスクワ条約(ソビエト・西ドイツ武力不行使条約)締結
12.7 ワルシャワ条約に署名(ポーランドとの国境画定)
1972.4.27 建設的不信任案否決
1972年ミュンヘンオリンピック
9.5 ミュンヘンオリンピック事件
6代
ヘルムート・コール
Helmut Josef Michael Kohl
ドイツキリスト教民主同盟(CDU)
15代
1983.3.30 – 1987.3.11
1984 フランス大統領フランソワ・ミッテランと共に第一次世界大戦の激戦地ヴェルダンを訪問
1985 ロナルド・レーガン大統領と共に第二次世界大戦の米独両軍の戦死者が眠るビットブルク墓地に献花(ビットブルク論争)
7代
ゲアハルト・シュレーダー
Gerhard Fritz Kurt Schröder
ドイツ社会民主党(SPD)
19代
1998.10.27 – 2002.10.22
1999.3.24-6.10 コソボ紛争にNATO軍として参加
2000.6.1-10.31 ハノーヴァー万国博覧会
2001.10.7-2014.12.28 アフガニスタンのタリバン政権に対する不朽の自由作戦に参加
2001.11 年金改革法案可決
12月 将来の原子力発電所全廃を決定
2002.1.1 ユーロ硬貨と紙幣の流通開始(1999.1.1 国際金融市場に会計通貨として導入)
8月 エルベ川が大洪水
連邦議会選挙で「ドイツの道」を提唱
20代
2002.10.22 – 2005.11.22
8代
21代
2005.11.22 – 2009.10.28
大連立政権
2007.6.6-8 ハイリゲンダムサミット
2008.1.1テロリズム防止のため通信事業者に対する通信履歴保存義務を最初に導入
10.8 リーマンショックを契機に起った金融危機で、預金保険に対する政府保証を実施
2009.1.14 9年以上経過の廃車/新車購入に2500ユーロの環境ボーナス導入
22代
2009.10.28 – 2013.12.17
2010.3 通信法及び刑事訴訟法の関連規定が連邦憲法裁判所の違憲判決によって一部無効
5月 EU理事会で最初のユーロ救済パッケージを決定(ユーロ危機、ギリシャ金融危機)
10.28 稼動中の17基の原子力発電所すべての稼働期間を延長
2011.3.1 徴兵制の一時停止
3.14 原子力モラトリアムを決定
5.30「2022年までに国内17基すべての原発を閉鎖する」という方針発表
6.6 8つの原子力発電所を停止し、2022年までに原子力発電を段階的に廃止することを決定
2012.9.27 欧州安定メカニズム(ESM)設立
23代
2013.12.17 – 2018.3.14
大連立政権
2015.9.4 難民危機におけるオーストリアとハンガリーの国境とブダペストの難民(主にシリアとアフガニスタンから) のドイツへの入国を許可
2017.7.7-8 G20ハンブルク・サミット
9代
25代
2021.12.8 – 現職
●2024.11.13 ドイツ総選挙2月実施へ
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