- トルコ首相について
- 大国民議会政府(1920 – 1923)
- 第一共和制・一党独裁時代(1923 – 1946)
- 第一共和制・多党制時代(1946 – 1961)
- 第二共和制(1961 – 1980)
- ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel - エミン・ファフレッティン・オズディレク
Emin Fahrettin Özdilek - イスメト・イノニュ
İsmet İnönü - スアト・ハイリ・ウルギュプリュ
Suad Hayri Ürgüplü - スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel - ニハト・エリム
Nihat Erim - フェリト・メレン
Ferit Melen - ナイム・タル
Naim Talu - ビュレント・エジェヴィト
Bülent Ecevit - サーディー・ウルマク
Sadi Irmak - スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel - ビュレント・エジェヴィト
Bülent Ecevit - スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel - ビュレント・エジェヴィト
Bülent Ecevit - スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel
- ジェマル・ギュルセル
- 第三共和制(1980 – 2018)
- ビュレント・ウルス
Bülent Ulusu - トゥルグト・オザル
Turgut Özal - アリ・ボゼル
Ali Hüsrev Bozer - ユルドゥルム・アクブルト
Yıldırım Akbulut - メスト・ユルマズ
Mesut Yılmaz - スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel - タンス・チルレル
Tansu Çiller - メスト・ユルマズ
Mesut Yılmaz - ネジメッティン・エルバカン
Necmettin Erbakan - メスト・ユルマズ
Mesut Yılmaz - ビュレント・エジェヴィト
Bülent Ecevit - アブドゥラー・ギュル
Abdullah Gül - レジェップ・タイイップ・エルドアン
Recep Tayyip Erdoğan - アフメト・ダウトオール
Ahmet Davutoğlu - ビナリ・ユルドゥルム
Binali Yıldırım
- ビュレント・ウルス
- 参考リンク
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トルコ首相について
トルコ首相の地位は、トルコ独立戦争中の1920 年に設立された。首相は、議院内閣制の下、内閣とともに政府の行政府の長だった。2017 年の憲法に関する国民投票の後、首相職は廃止され、2018 年の総選挙の後、大統領が行政府の長となった。
大国民議会政府(1920 – 1923)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
2
フェヴズィ・チャクマク
Mustafa Fevzi Çakmak
3
ラウフ・オルバイ
Hüseyin Rauf Orbay
4
1922.7.12
– 1923.8.4
1922.10 連合国とムダニヤ休戦協定締結
11. トルコ大国民議会、スルタン制廃止を決議、オスマン朝滅亡
1923.1 ローザンヌ会議でトルコ・ギリシア住民交換協定調印
7.24 ローザンヌ条約(独立戦争で防衛した土地がトルコの領土となり、トルコが独立国となることが承認)
第一共和制・一党独裁時代(1923 – 1946)
- 1923.10.29 大国民議会が政共和制を宣言、トルコ共和国が建国
- 1924.4.20 共和国憲法:国権の各権限を大統領と議会を中心に統合、共和人民党の一党独裁制が確立
- 1946 最初の多党制選挙が実施
代
氏名
内閣
在任期間
事績
初
3
4
1925.3.4
– 1927.11.1
1925.6.3 シェイフ・サイードの反乱に加担したとして進歩主義者共和党が解党
11.30 タリーカの集会場・修道場・聖廟の閉鎖
12.8 「クルド」「クルディスターン」等の用語使用を禁止する教育省通達
12.26 太陽暦採用
1926.2.17 新民法制定、3.1 新刑法制定、5.29 新商法制定→法体系の西洋化
4.22 イラン・トルコ友好条約調印
5
1927.11.1
– 1930.9.27
1928.4.10 イスラームを国教とする憲法条項の削除
11.1 ローマ字使用に関する法律制定
1929.8 ローザンヌ条約の規定により、関税自主権を回復
9.1 公立学校でのアラビア語・ペルシア語授業廃止
1930.4.3 女性参政権(市議会選挙投票権)承認
8.13 フェトヒが自由共和党を結党、数ヵ月後に自発的に解党
6
1930.9.27
– 1931.5.4
7
1931.5.4
– 1935.3.1
1931.5.10 第5回共和人民党大会でケマリズム6原則を採択
1932.2.19 共和人民党の国民啓蒙施設「人民の家」の設置始まる
7.12 トルコ言語研究協会設立(36年にトルコ言語教会に改称)、トルコ語純化運動を推進
1933.6.3 国営シュメール銀行設立
1934.1.8 第1次五ヵ年計画
2.9 バルカン協商(ギリシア・トルコ・ルーマニア・ユーゴスラビア)
6.21 姓名法制定
12.5 国政選挙全般に女性参政権承認
8
1935.3.1
– 1937.10.25
1936.7.20 モントルー条約でボスポラス海峡とダーダネルス海峡の主権回復
1937.3 政府軍によるデルスィム制圧、クルド系住民強制移住、虐殺起る
7. サーダーバード条約調印
4
5
6
シュクリュ・サラジオウル
Şükrü Saracoğlu
14
1943.3.9
– 1946.8.7
1945.2.23 国連原加盟国の地位を得るためドイツと日本に対して宣戦布告
6.11 農地分配法制定
1946.1.7 バヤルによる民主党結成
7.21 総選挙で民主党62/465議席獲得(複数政党制による初の選挙)
8.7 連合国からの圧力、とりわけソ連から東部領土の割譲要求を突きつけられ首相辞任
第一共和制・多党制時代(1946 – 1961)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
7
15
1946.8.7
– 1947.9.10
イノニュ大統領の指名によって首相に就任
1947.3 米国がギリシア・トルコ援助法(トルーマン・ドクトリン)を議会へ提出
1947 前年策定の新五ヵ年計画を廃棄、トルコ開発計画が採択
8
10
アドナン・メンデレス
Adnan Menderes
19
1950.5.22
– 1951.3.9
20
1951.3.9
– 1954.5.17
1951.6.27 ティジャーニー教団シャイフ、ケマル・ピラーヴオール逮捕、この頃同教団員が各地でアタテュルク像を破壊、7.25 「反アタテュルク行為の犯罪に関する法律」制定
12. キプロス紛争始まる
1952.2.18 NATOに正式加盟
1954.5.2 総選挙で民主党が再び地滑り的勝利、首相に再任
21
1954.5.17
– 1955.12.9
1955.2.24 トルコ・イラク間でバグダード条約締結(9月パキスタン、10月イランが加盟、バグダード条約機構成立)、翌年にイラクが脱退し、代わって中央条約機構(CENTO)成立
1955.9 キプロス問題を契機に戒厳令
イスタンブールでギリシア系住民に対するポグロムが発生(九月六日事件)
11. メンデレスに対する不信任決議が成立、内閣改造を強いられる
23
1957.11.25
– 1960.5.27
1959 ガトウィック空港の手前で乗っていた飛行機が墜落したが生還
欧州経済共同体との協力条約を締結(1964年発効)
1960.4.2 カイセリ事件
1960.5.1 U-2撃墜事件
5.5 555K事件
1960.5.27 軍部による無血クーデタ、ギュルセル陸軍大将を議長とする国家統一委員会が全権掌握、バヤル大統領・メンデレス首相らを逮捕、民主党政権崩壊
28. ギュルセル国家元首・首相兼国防相・参謀総長に就任
11
ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel
無所属(軍人)
24
1960.5.30
– 1961.1.5
第1次ギュルセル内閣
非文民内閣
1960.8.16 イギリスから独立してキプロス共和国が成立
第二共和制(1961 – 1980)
- 1961 新憲法が制定
- 大国民議会の最高権限が緩和、従来の議会に加えて上院が設置され、二院制に改められる
- 比例代表制が導入
- 司法が立法から完全に独立して三権分立が確立
- 議会の独走を防ぐために、憲法裁判所が最高裁判所とは別に設立
代
氏名
期
在任期間
事績
11
ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel
無所属(軍人)
25
1961.1.5
– 1961.10.27
第2次ギュルセル内閣
非文民内閣
1961.2 トルコ労働者党結成
1961.7.9 国民投票で新憲法が承認
9.17 旧民主党議員への判決(メンデレスら3名処刑、バヤルは高齢により終身刑)
10.15 民政移管のための総選挙実施
・下院:共和人民党36.7%、公正党34.7%
・上院:公正党が第1党
10.26 ギュルセル国家統一委員会議長、第4代大統領に選出
–
エミン・ファフレッティン・オズディレク
Emin Fahrettin Özdilek
無所属(軍人)
臨時
1961.10.27
– 1961.11.20
暫定内閣
非文民内閣
1961.10.27 新憲法が発効してギュルセル首相が大統領に就任するのに伴い、翌月の選挙で文民政権が成立するまでの暫定首相に就任
10.30 西ドイツと雇用双務協定締結
12
26
1961.11.20
– 1962.6.25
第8次イノニュ内閣
公正党と連立(トルコ史上初の連立政権)
1962.2 アイデミルによるクーデタ未遂事件(1回目)
1963.4 チーリ基地に配備されたNATO軍のジュピター・ミサイルの撤去完了
1963.5.20 アイデミルによるクーデタ未遂事件(2回目)
13
スアト・ハイリ・ウルギュプリュ
Suad Hayri Ürgüplü
29
1965.2.20
– 1965.10.27
第1次ウルギュプリュ内閣
暫定連立(選挙管理内閣)
1965.2 ジェマル・ギュルセル大統領から組閣を要請、議会の信任を経ておらず、10月の総選挙までの管理内閣
1965.8.1 国民情報機関(MIT)設立
1965.10 総選挙で公正党が地滑り的勝利(52.9%)
1965 エジェヴィトが共和人民党の中道左派 (Ortanın Solu)路線を提唱
14
スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel
15
ニハト・エリム
Nihat Erim
無所属
17
ナイム・タル
Naim Talu
無所属
36
1973.4.15
– 1974.1.26
暫定内閣
公正党 ・共和信頼党と連立
スナイ大統領から上院議員に任命され、翌年実施される総選挙までの期間、選挙管理内閣の首班を務める
1973.10.14 総選挙が実施、共和人民党が第1党となるも、どの政党も過半数を制することができず、暫定政権として執務を続ける
1974.1 共和人民党と国民救済党の連立が成り、後継に政権を渡す
19
サーディー・ウルマク
Sadi Irmak
無所属
38
1974.11.17
– 1975.3.31
議会内の激しい政争で政局が混迷する中、コルテュルク大統領に指名されて暫定内閣を組閣
1975.2 キプロス連邦トルコ人共和国が成立
1975.3 議会で不信任決議が可決され、首相を辞任
20
スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel
39
1975.3.31
– 1977.6.21
第4次デミレル内閣
国民救済党・民族主義者行動党・共和信頼党と連立
1975.10 米国が対トルコ輸出禁止措置(-1978.8)
1977.1.3 イラク・トルコ(キルクーク=イスケンデルン)原油輸送パイプライン完成
5.1 イスタンブルで「血のメーデー事件」
6.7 総選挙が実施、共和人民党が総票数の41.4%を得票し、第1党を守る大勝利
22
スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel
41
1977.7.21
– 1978.1.5
第5次デミレル内閣
国民救済党・民族主義者行動党と連立
1977末、閣内不一致から議会の不信任を受けて総辞職
24
スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel
43
1979.11.12
– 1980.9.12
1980.1.24 オザルによる経済改革パッケージ(一・二四決定)
1980.3 米国と「防衛と経済に関する協力協定(DECA)」締結
1980.9.6 コンヤで国民救済党の大規模集会、世俗主義を公然と非難(コンヤ事件)
1980.9.12 軍事クーデタ、ケナン・エヴレン参謀総長を議長とする国家安全保障評議会が全権掌握、議会解散、憲法停止
第三共和制(1980 – 2018)
- 1981.6.29 新憲法制定
- 行政府への権力集中と大統領への権限強化
- 一院制へ戻る
代
氏名
期
在任期間
事績
25
ビュレント・ウルス
Bülent Ulusu
無所属(軍人)
44
1980.9.21
– 1983.12.13
暫定内閣
非文民内閣
エヴレン国家安全保障評議会議長の意向を受けて、退役軍人と官僚で構成される暫定政府の首相を務める
1981.11 高等文教法により、大学が高等教育審議会(YOK)の監督下に置かれる
1982.11 国民投票で新憲法成立
1983.4 政党活動解禁(民政移管)
1983.11 総選挙で旧公正党の系譜を引いた祖国党が単独過半数(211/400議席)を得る
民政移管が行われて退陣
26
30
31
53
1996.3.6 – 1996.6.28
32
ネジメッティン・エルバカン
Necmettin Erbakan
福祉党(繁栄党)
54
1996.6.28 – 1997.6.30
第1次エルバカン内閣
正道党と連立
1996.8.28 イスラエルと軍事産業協力協定締結
11.3 交通事故を発端に政界・警察・マフィアの癒着発覚(ススルルック事件)
1997.2.28 国家安全保障会議(軍部)が福祉党政権のイスラーム化政策に強く警告(書簡クーデタ)
6.18 軍部の圧力で退陣に追い込まれる
33
55
1997.6.30- 1999.1.11
第3次ユルマズ内閣
民主左派党・民主トルコ党と連立
1997.8.16 義務教育改革法案可決、5年制から小中8年制に延長され、新学期から実施
12.17 福祉党議員が美徳党を結成
1998.1.16 裁判所が福祉党(繁栄党)を憲法違反と判断、解党(→美徳党へ)
1998.10 トルコ・シリア危機(→10.20 アダナ合意)
1999.1.11 汚職疑惑により総辞職
34
ビュレント・エジェヴィト
Bülent Ecevit
56
1999.1.11
– 1999.5.28
1999.2.15/16 アブドゥッラー・オジャランPKK党首、ナイロビで逮捕されトルコへ連行、11.25 死刑確定
4.18 総選挙、民主左派党が第1党、民族主義者行動党が得票率18%で第2党に躍進
57
1999.5.28
– 2002.11.18
第5次エジェヴィト内閣
民族主義者行動党・祖国党と連立
1999.8.17 北西部のコジャエリ県で大地震、17,000人余死亡(イズミット地震・マルマラ大地震)
12.12 デュズジェ地震(ボル大地震)
12. IMFのインフレ抑制プログラムを受諾
12.30 EU加盟候補国となる(ヘルシンキ会議)
2000.2.9 PKK、武装闘争の停止を声明
2001.2.22 経済危機により変動相場制に移行
6.22 憲法裁判所が美徳党に解党命令(保守派が至福党、改革派が公正発展党に分裂)
2002 総選挙が実施、公正発展党の躍進のため、祖国党は議席を獲得できず、ユルマズが党首を辞任
35
アブドゥラー・ギュル
Abdullah Gül
58
2002.11.18- 2003.3.14
トルコ憲政史上初のイスラーム政党による単独政権
党首のエルドアンが被選挙権を剥奪されていたため、ギュルが首相に就任
2003 エルドアンが被選挙権を回復し補欠選挙で当選、首相職をエルドアンに譲り、自身は外相となる
36