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歴代トルコ首相 Prime Ministers of Turkey

歴代トルコ首相 Prime Ministers of Turkey リベラルアーツ
歴代トルコ首相 Prime Ministers of Turkey
  1. トルコ首相について
  2. 大国民議会政府(1920 – 1923)
    1. ムスタファ・ケマル・アタテュルク
      Mustafa Kemal Atatürk
    2. フェヴズィ・チャクマク
      Mustafa Fevzi Çakmak
    3. ラウフ・オルバイ
      Hüseyin Rauf Orbay
    4. フェトヒ・オクヤル
      Ali Fethi Okyar
  3. 第一共和制・一党独裁時代(1923 – 1946)
    1. イスメト・イノニュ
      İsmet İnönü
    2. フェトヒ・オクヤル
      Ali Fethi Okyar
    3. イスメト・イノニュ
      İsmet İnönü
    4. ジェラル・バヤル
      Celal Bayar
    5. レフィク・サイダム
      Refik Saydam
    6. シュクリュ・サラジオウル
      Şükrü Saracoğlu
  4. 第一共和制・多党制時代(1946 – 1961)
    1. レジェプ・ペケル
      Mehmet Recep Peker
    2. ハサン・サカ
      Hasan Saka
    3. シェムセッティン・ギュナルタイ
      Şemsettin Günaltay
    4. アドナン・メンデレス
      Adnan Menderes
    5. ジェマル・ギュルセル
      Cemal Gürsel
  5. 第二共和制(1961 – 1980)
    1. ジェマル・ギュルセル
      Cemal Gürsel
    2. エミン・ファフレッティン・オズディレク
      Emin Fahrettin Özdilek
    3. イスメト・イノニュ
      İsmet İnönü
    4. スアト・ハイリ・ウルギュプリュ
      Suad Hayri Ürgüplü
    5. スュレイマン・デミレル
      Süleyman Demirel
    6. ニハト・エリム
      Nihat Erim
    7. フェリト・メレン
      Ferit Melen
    8. ナイム・タル
      Naim Talu
    9. ビュレント・エジェヴィト
      Bülent Ecevit
    10. サーディー・ウルマク
      Sadi Irmak
    11. スュレイマン・デミレル
      Süleyman Demirel
    12. ビュレント・エジェヴィト
      Bülent Ecevit
    13. スュレイマン・デミレル
      Süleyman Demirel
    14. ビュレント・エジェヴィト
      Bülent Ecevit
    15. スュレイマン・デミレル
      Süleyman Demirel
  6. 第三共和制(1980 – 2018)
    1. ビュレント・ウルス
      Bülent Ulusu
    2. トゥルグト・オザル
      Turgut Özal
    3. アリ・ボゼル
      Ali Hüsrev Bozer
    4. ユルドゥルム・アクブルト
      Yıldırım Akbulut
    5. メスト・ユルマズ
      Mesut Yılmaz
    6. スュレイマン・デミレル
      Süleyman Demirel
    7. タンス・チルレル
      Tansu Çiller
    8. メスト・ユルマズ
      Mesut Yılmaz
    9. ネジメッティン・エルバカン
      Necmettin Erbakan
    10. メスト・ユルマズ
      Mesut Yılmaz
    11. ビュレント・エジェヴィト
      Bülent Ecevit
    12. アブドゥラー・ギュル
      Abdullah Gül
    13. レジェップ・タイイップ・エルドアン
      Recep Tayyip Erdoğan
    14. アフメト・ダウトオール
      Ahmet Davutoğlu
    15. ビナリ・ユルドゥルム
      Binali Yıldırım
  7. 参考リンク
  8. あわせて読みたい

トルコ首相について

トルコ首相の地位は、トルコ独立戦争中の1920 年に設立された。首相は、議院内閣制の下、内閣とともに政府の行政府の長だった。2017 年の憲法に関する国民投票の後、首相職は廃止され、2018 年の総選挙の後、大統領が行政府の長となった。

大国民議会政府(1920 – 1923)

氏名

内閣

在任期間

事績

1

1920.5.3
– 1921.1.24

第1次内閣

1920.8.10 セーヴル条約(オスマン帝国の解体)

1921.1 トルコ大国民議会、憲法制定

2

2

1921.1.24
– 1921.5.19

第2次内閣

1921.3 ソヴィエトと友好条約(モスクワ条約)締結

3

1921.5.19
– 1922.7.9

第3次内閣

1921.8-9 サカリヤ川の戦い、ギリシア軍を破る

3

4

1922.7.12
– 1923.8.4

第4次内閣

1922.10 連合国とムダニヤ休戦協定締結

11. トルコ大国民議会、スルタン制廃止を決議、オスマン朝滅亡

1923.1 ローザンヌ会議でトルコ・ギリシア住民交換協定調印

7.24 ローザンヌ条約(独立戦争で防衛した土地がトルコの領土となり、トルコが独立国となることが承認)

4

5

1923.8.14
– 1923.10.27

第5次内閣

1923.9 人民党結成(党首ムスタファ・ケマル、翌年に共和人民党に改称)

10. アンカラに遷都、共和制宣言(トルコ共和国成立)、ムスタファ・ケマルが初代大統領に就任

第一共和制・一党独裁時代(1923 – 1946)

  • 1923.10.29 大国民議会が政共和制を宣言、トルコ共和国が建国
  • 1924.4.20 共和国憲法:国権の各権限を大統領と議会を中心に統合、共和人民党の一党独裁制が確立
  • 1946 最初の多党制選挙が実施

氏名

内閣

在任期間

事績

1

1923.11.1
– 1924.3.6

第1次イノニュ内閣

1924.3.3 カリフ制廃止、シャリーア・ワクフ省廃止、教育統一法制定、オスマン王家一族の国外追放

2

1924.3.6
– 1924.11.22

第2次イノニュ内閣

1924.4.8 シャリーア法廷廃止

4.20 新憲法制定

11. カラベキルを党首とする進歩主義者共和党が設立

2

3

1924.11.22
– 1925.3.3

第1次オクヤル内閣

1925.2-5 シェイフ・サイードの反乱

シェイフ・サイードの反乱

3

4

1925.3.4
– 1927.11.1

第3次イノニュ内閣

1925.6.3 シェイフ・サイードの反乱に加担したとして進歩主義者共和党が解党

11.30 タリーカの集会場・修道場・聖廟の閉鎖

12.8 「クルド」「クルディスターン」等の用語使用を禁止する教育省通達

12.26 太陽暦採用

1926.2.17 新民法制定、3.1 新刑法制定、5.29 新商法制定→法体系の西洋化

4.22 イラン・トルコ友好条約調印

5

1927.11.1
– 1930.9.27

第4次イノニュ内閣

1928.4.10 イスラームを国教とする憲法条項の削除

11.1 ローマ字使用に関する法律制定

1929.8 ローザンヌ条約の規定により、関税自主権を回復

9.1 公立学校でのアラビア語・ペルシア語授業廃止

1930.4.3 女性参政権(市議会選挙投票権)承認

8.13 フェトヒが自由共和党を結党、数ヵ月後に自発的に解党

6

1930.9.27
– 1931.5.4

第5次イノニュ内閣

1930.12.23 ナクシュバンディー教団員らによる将校殺害事件(メネメン事件)

1931.4.15 トルコ歴史研究協会設立(35年にトルコ歴史協会に改称)

7

1931.5.4
– 1935.3.1

第6次イノニュ内閣

1931.5.10 第5回共和人民党大会でケマリズム6原則を採択

1932.2.19 共和人民党の国民啓蒙施設「人民の家」の設置始まる

7.12 トルコ言語研究協会設立(36年にトルコ言語教会に改称)、トルコ語純化運動を推進

1933.6.3 国営シュメール銀行設立

1934.1.8 第1次五ヵ年計画

2.9 バルカン協商(ギリシア・トルコ・ルーマニア・ユーゴスラビア)

6.21 姓名法制定

12.5 国政選挙全般に女性参政権承認

8

1935.3.1
– 1937.10.25

第7次イノニュ内閣

1936.7.20 モントルー条約でボスポラス海峡とダーダネルス海峡の主権回復

1937.3 政府軍によるデルスィム制圧、クルド系住民強制移住、虐殺起る

デルスィム

7. サーダーバード条約調印

4

9

1937.10.25
– 1938.11.11

第1次バヤル内閣

1938.11.10 ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領没

10

1938.11.11
– 1939.1.25

5

11

1939.1.25
– 1939.4.3

12

1939.4.3
– 1942.7.8

第2次サイダム内閣

1939.6.23 ハタイ割譲に関するトルコ・フランス協定(アンカラ協定)、30. ハタイを併合

1939.10 英仏と相互援助条約締結

1941.6.22 ドイツと相互不可侵条約締結

1942.7.8 在任中に脳卒中のため急死

6

13

1942.7.9
– 1943.3.9

第1次サラジオウル内閣

イノニュ大統領の指名で第13代首相に就任

1942.11 富裕税導入(非ムスリム商工業者)、翌年廃止

1943 農産物税

14

1943.3.9
– 1946.8.7

第2次サラジオウル内閣

1945.2.23 国連原加盟国の地位を得るためドイツと日本に対して宣戦布告

6.11 農地分配法制定

1946.1.7 バヤルによる民主党結成

7.21 総選挙で民主党62/465議席獲得(複数政党制による初の選挙)

8.7 連合国からの圧力、とりわけソ連から東部領土の割譲要求を突きつけられ首相辞任

第一共和制・多党制時代(1946 – 1961)

氏名

内閣

在任期間

事績

7

15

1946.8.7
– 1947.9.10

第1次ペケル内閣

イノニュ大統領の指名によって首相に就任

1947.3 米国がギリシア・トルコ援助法(トルーマン・ドクトリン)を議会へ提出

1947 前年策定の新五ヵ年計画を廃棄、トルコ開発計画が採択

8

16

1947.9.10
– 1948.6.10

第1次サカ内閣

イノニュ大統領に首相に指名

17

1948.6.10
– 1949.1.16

第2次サカ内閣

1948.7.4 トルコ・アメリカ経済協力協定(マーシャル・プラン援助の受入開始)

9

18

1949.1.16
– 1950.5.22

第1次ギュナルタイ内閣

イノニュ大統領により首相に指名

1950.5.14 トルコ史上初の自由選挙となった総選挙で民主党圧勝、共和人民党敗北して退陣

10

19

1950.5.22
– 1951.3.9

第1次メンデレス内閣

1950.6.16 アラビア語によるアザーンの自由化、以後、民主党政権下で世俗化政策の緩和進む

7.25 朝鮮戦争下の韓国派兵(国連軍への参加)を正式表明

20

1951.3.9
– 1954.5.17

第2次メンデレス内閣

1951.6.27 ティジャーニー教団シャイフ、ケマル・ピラーヴオール逮捕、この頃同教団員が各地でアタテュルク像を破壊、7.25 「反アタテュルク行為の犯罪に関する法律」制定

12. キプロス紛争始まる

キプロスの分断地図

1952.2.18 NATOに正式加盟

北大西洋条約機構(NATO)の拡大

1954.5.2 総選挙で民主党が再び地滑り的勝利、首相に再任

21

1954.5.17
– 1955.12.9

第3次メンデレス内閣

1955.2.24 トルコ・イラク間でバグダード条約締結(9月パキスタン、10月イランが加盟、バグダード条約機構成立)、翌年にイラクが脱退し、代わって中央条約機構(CENTO)成立

1955.9 キプロス問題を契機に戒厳令

イスタンブールでギリシア系住民に対するポグロムが発生(九月六日事件)

11. メンデレスに対する不信任決議が成立、内閣改造を強いられる

22

1955.12.9
– 1957.11.25

第4次メンデレス内閣

1957.10.27 総選挙、得票率48%で民主党が第1党を守り、3選

23

1957.11.25
– 1960.5.27

第5次メンデレス内閣

1959 ガトウィック空港の手前で乗っていた飛行機が墜落したが生還

欧州経済共同体との協力条約を締結(1964年発効)

1960.4.2 カイセリ事件

1960.5.1 U-2撃墜事件

偵察機U-2

5.5 555K事件

1960.5.27 軍部による無血クーデタ、ギュルセル陸軍大将を議長とする国家統一委員会が全権掌握、バヤル大統領・メンデレス首相らを逮捕、民主党政権崩壊

28. ギュルセル国家元首・首相兼国防相・参謀総長に就任

11

ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel

ジェマル・ギュルセル Cemal Gürsel

無所属(軍人)

24

1960.5.30
– 1961.1.5

第1次ギュルセル内閣
非文民内閣

1960.8.16 イギリスから独立してキプロス共和国が成立

第二共和制(1961 – 1980)

  • 1961 新憲法が制定
    • 大国民議会の最高権限が緩和、従来の議会に加えて上院が設置され、二院制に改められる
    • 比例代表制が導入
    • 司法が立法から完全に独立して三権分立が確立
    • 議会の独走を防ぐために、憲法裁判所が最高裁判所とは別に設立

氏名

在任期間

事績

11

ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel

ジェマル・ギュルセル Cemal Gürsel

無所属(軍人)

25

1961.1.5
– 1961.10.27

第2次ギュルセル内閣
非文民内閣

1961.2 トルコ労働者党結成

1961.7.9 国民投票で新憲法が承認

9.17 旧民主党議員への判決(メンデレスら3名処刑、バヤルは高齢により終身刑)

10.15 民政移管のための総選挙実施
・下院:共和人民党36.7%、公正党34.7%
・上院:公正党が第1党

10.26 ギュルセル国家統一委員会議長、第4代大統領に選出

エミン・ファフレッティン・オズディレク
Emin Fahrettin Özdilek

エミン・ファフレッティン・オズディレク Emin Fahrettin Özdilek

無所属(軍人)

臨時

1961.10.27
– 1961.11.20

暫定内閣
非文民内閣

1961.10.27 新憲法が発効してギュルセル首相が大統領に就任するのに伴い、翌月の選挙で文民政権が成立するまでの暫定首相に就任

10.30 西ドイツと雇用双務協定締結

12

26

1961.11.20
– 1962.6.25

第8次イノニュ内閣
公正党と連立(トルコ史上初の連立政権)

1962.2 アイデミルによるクーデタ未遂事件(1回目)

1963.4 チーリ基地に配備されたNATO軍のジュピター・ミサイルの撤去完了

1963.5.20 アイデミルによるクーデタ未遂事件(2回目)

27

1962.6.25
– 1963.12.25

第9次イノニュ内閣
共和主義者農民国民党・新トルコ党と連立

1963.1 国家計画機構による五ヵ年計画が実施

28

1963.12.25
– 1965.2.20

第10次イノニュ内閣
共和主義者農民国民党・新トルコ党と連立

1965.2 連立崩壊により退陣

13

29

1965.2.20
– 1965.10.27

第1次ウルギュプリュ内閣
暫定連立(選挙管理内閣)

1965.2 ジェマル・ギュルセル大統領から組閣を要請、議会の信任を経ておらず、10月の総選挙までの管理内閣

1965.8.1 国民情報機関(MIT)設立

1965.10 総選挙で公正党が地滑り的勝利(52.9%)

1965 エジェヴィトが共和人民党の中道左派 (Ortanın Solu)路線を提唱

14

30

1965.10.27
– 1969.11.3

第1次デミレル内閣

1966.4.10 トルコ労働組合連合から革命的労働組合連合が分立

1968 トルコ国営放送がテレビ放送開始

1968.4 アンカラ大学神学部でヴェトナム反戦運動

31

1969.11.3
– 1970.3.6

第2次デミレル内閣

1970.1.26 ネジメッティン・エルバカン、国民秩序党結成(71年非合法化、72年後継政党の国民救済党結成)

32

1970.3.6
– 1971.3.26

第3次デミレル内閣

1970.11.23 ECに準加盟

1971.3.12 軍が大統領・上下院議長宛に書簡提出(書簡クーデタ)→内閣総辞職

15

ニハト・エリム
Nihat Erim

ニハト・エリム Nihat Erim

無所属

33

1971.3.26
– 1971.12.11

第1次エリム内閣
挙国一致内閣

1971.4 テロ事件が再発したため戒厳令を施行

12. 経済政策をめぐる閣内不一致から内閣総辞職

34

1971.12.11
– 1972.5.22

第2次エリム内閣
挙国一致内閣

スナイ大統領により首相に再任

1972.5.22 健康上の理由から辞任

16

35

1972.5.22
– 1973.4.15

17

ナイム・タル
Naim Talu

ナイム・タル Naim Talu

無所属

36

1973.4.15
– 1974.1.26

暫定内閣
公正党 ・共和信頼党と連立

スナイ大統領から上院議員に任命され、翌年実施される総選挙までの期間、選挙管理内閣の首班を務める

1973.10.14 総選挙が実施、共和人民党が第1党となるも、どの政党も過半数を制することができず、暫定政権として執務を続ける

1974.1 共和人民党と国民救済党の連立が成り、後継に政権を渡す

18

37

1974.1.26
– 1974.11.17

第1次エジェヴィト内閣
国民救済党と連立

1974.7 キプロスの親ギリシャ派によるクーデタに軍事介入、北部を制圧

11. 安定多数を狙って総辞職するも議会の反対で解散できず

19

サーディー・ウルマク
Sadi Irmak

サーディー・ウルマク Sadi Irmak

無所属

38

1974.11.17
– 1975.3.31

第1次ウルマク内閣

議会内の激しい政争で政局が混迷する中、コルテュルク大統領に指名されて暫定内閣を組閣

1975.2 キプロス連邦トルコ人共和国が成立

1975.3 議会で不信任決議が可決され、首相を辞任

20

39

1975.3.31
– 1977.6.21

第4次デミレル内閣
国民救済党・民族主義者行動党・共和信頼党と連立

1975.10 米国が対トルコ輸出禁止措置(-1978.8)

1977.1.3 イラク・トルコ(キルクーク=イスケンデルン)原油輸送パイプライン完成

5.1 イスタンブルで「血のメーデー事件」

6.7 総選挙が実施、共和人民党が総票数の41.4%を得票し、第1党を守る大勝利

21

40

1977.6.21
– 1977.7.21

第2次エジェヴィト内閣

単独内閣をつくるも議会で信任されず

22

41

1977.7.21
– 1978.1.5

第5次デミレル内閣
国民救済党・民族主義者行動党と連立

1977末、閣内不一致から議会の不信任を受けて総辞職

23

42

1978.1.5
– 1979.11.12

第3次エジェヴィト内閣

1978.12-23 カフラマンマラシュでスンナ派住民とアレヴィー住民が衝突し、多数の死傷者を出す

1979.10 上院選挙で共和人民党が敗北

24

43

1979.11.12
– 1980.9.12

第6次デミレル内閣

1980.1.24 オザルによる経済改革パッケージ(一・二四決定)

1980.3 米国と「防衛と経済に関する協力協定(DECA)」締結

1980.9.6 コンヤで国民救済党の大規模集会、世俗主義を公然と非難(コンヤ事件)

1980.9.12 軍事クーデタ、ケナン・エヴレン参謀総長を議長とする国家安全保障評議会が全権掌握、議会解散、憲法停止

第三共和制(1980 – 2018)

  • 1981.6.29 新憲法制定
    • 行政府への権力集中と大統領への権限強化
    • 一院制へ戻る

氏名

在任期間

事績

25

ビュレント・ウルス
Bülent Ulusu

ビュレント・ウルス Bülent Ulusu

無所属(軍人)

44

1980.9.21
– 1983.12.13

暫定内閣
非文民内閣

エヴレン国家安全保障評議会議長の意向を受けて、退役軍人と官僚で構成される暫定政府の首相を務める

1981.11 高等文教法により、大学が高等教育審議会(YOK)の監督下に置かれる

1982.11 国民投票で新憲法成立

1983.4 政党活動解禁(民政移管)

1983.11 総選挙で旧公正党の系譜を引いた祖国党が単独過半数(211/400議席)を得る

民政移管が行われて退陣

26

45

1983.12.13
– 1987.12.21

第1次オザル内閣

経済安定化プログラム

1983.11.15 キプロス北部のトルコ系住民が北キプロス・トルコ共和国樹立を宣言、トルコ政府はこれを承認

1984 クルディスターン労働者党(PKK)、反政府武装闘争を開始

1985.1.28 経済協力機構(ECO)創設

1987.4.14 ECへの正式加盟を申請

9.6 国民投票で旧指導者の政治活動が承認(デミレル、エルバカン、エジェヴィトらが政界復帰)

11.29 総選挙実施、祖国党圧勝

46

1987.12.21
– 1989.10.31

第2次オザル内閣

1988 党大会で暗殺未遂事件

アリ・ボゼル
Ali Hüsrev Bozer

アリ・ボゼル Ali Hüsrev Bozer

祖国党

代行

1989.10.31
– 1989.11.9

27

47

1989.11.9 – 1991.6.23

第1次アクブルト内閣

1991.1 ゼネスト(150万人参加)

1991 祖国党党大会での党首選挙で外相のメスト・ユルマズに敗れ、首相を辞任

28

48

1991.6.23 – 1991.11.20

第1次ユルマズ内閣

1991 総選挙が実施、正道党が第1党となり敗北、首相を辞任

29

49

1991.11.20
– 1993.6.25

第7次デミレル内閣
社会民主人民党と連立

1992.3 正式にクルド人の存在を認める

30

50

1993.6.25
– 1995.10.5

第1次チルレル内閣
社会民主人民党と連立

1993.7.2 スィヴァス事件(左翼・アレヴィー系作家らが宿泊のスィヴァスにあるホテルで放火)

1994.3.27 統一地方選挙で福祉党伸長

51

1995.10.5
– 1995.10.30

52

1995.10.30
– 1996.3.6

第3次チルレル内閣
共和人民党と連立

1995.12.13 欧州議会、トルコとEUとの関税同盟を承認

1995.12.24 総選挙、福祉党(繁栄党)が得票率21.4%を得て第1党に躍進

31

53

1996.3.6 – 1996.6.28

第2次ユルマズ内閣
正道党と連立

1996.6 デミレル大統領がイスラーム系政党の福祉党の政権獲得を阻止するために祖国党と正道党の連立内閣となる組閣を指示

両党間の確執から僅か3ヶ月で退陣

32

ネジメッティン・エルバカン
Necmettin Erbakan

ネジメッティン・エルバカン Necmettin Erbakan

福祉党(繁栄党)

54

1996.6.28 – 1997.6.30

第1次エルバカン内閣
正道党と連立

1996.8.28 イスラエルと軍事産業協力協定締結

11.3 交通事故を発端に政界・警察・マフィアの癒着発覚(ススルルック事件)

1997.2.28 国家安全保障会議(軍部)が福祉党政権のイスラーム化政策に強く警告(書簡クーデタ)

6.18 軍部の圧力で退陣に追い込まれる

33

55

1997.6.30- 1999.1.11

第3次ユルマズ内閣
民主左派党・民主トルコ党と連立

1997.8.16 義務教育改革法案可決、5年制から小中8年制に延長され、新学期から実施

12.17 福祉党議員が美徳党を結成

1998.1.16 裁判所が福祉党(繁栄党)を憲法違反と判断、解党(→美徳党へ)

1998.10 トルコ・シリア危機(→10.20 アダナ合意)

1999.1.11 汚職疑惑により総辞職

34

56

1999.1.11
– 1999.5.28

第4次エジェヴィト内閣

1999.2.15/16 アブドゥッラー・オジャランPKK党首、ナイロビで逮捕されトルコへ連行、11.25 死刑確定

アブドゥッラー・オジャラン

4.18 総選挙、民主左派党が第1党、民族主義者行動党が得票率18%で第2党に躍進

57

1999.5.28
– 2002.11.18

第5次エジェヴィト内閣
民族主義者行動党・祖国党と連立

1999.8.17 北西部のコジャエリ県で大地震、17,000人余死亡(イズミット地震・マルマラ大地震)

イズミット地震 トルコ北西部地震 トルコ・コジャエリ地震

12.12 デュズジェ地震(ボル大地震)

デュズジェ地震 ボル大地震

12. IMFのインフレ抑制プログラムを受諾

12.30 EU加盟候補国となる(ヘルシンキ会議)

2000.2.9 PKK、武装闘争の停止を声明

2001.2.22 経済危機により変動相場制に移行

6.22 憲法裁判所が美徳党に解党命令(保守派が至福党、改革派が公正発展党に分裂)

2002 総選挙が実施、公正発展党の躍進のため、祖国党は議席を獲得できず、ユルマズが党首を辞任

35

58

2002.11.18- 2003.3.14

第1次ギュル内閣

トルコ憲政史上初のイスラーム政党による単独政権

党首のエルドアンが被選挙権を剥奪されていたため、ギュルが首相に就任

2003 エルドアンが被選挙権を回復し補欠選挙で当選、首相職をエルドアンに譲り、自身は外相となる