トルコ大統領について
トルコの大統領府は、1923年10月29日のトルコ共和国の宣言により設立され、建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクが初代大統領となる。
アタテュルクの後は、伝統的に、大統領職は主に儀式的な地位であり、実際の行政権は、議院内閣制を採る首相によって行使されていた。
しかし、1982年憲法第104条で、三権に対する大統領の一定程度の権限が認められた(法案の議会への差し戻し、首相の任命権、トルコ軍の最高司令官としての指揮権、裁判官任命権など)。
さらに、2017年の憲法国民投票で承認された憲法改正により、首相職が廃止され、2018年の総選挙で発効した完全な行政権が大統領に付与され、大統領制に移行した。
第一共和制(1923 – 1961)
- 1923.10.29 大国民議会が政共和制を宣言、トルコ共和国が建国
- 1924年制定の共和国憲法:国権の各権限を大統領と議会を中心に統合、共和人民党の一党独裁制が確立
- 1946 最初の多党制選挙が実施
代
氏名
期
在任期間
事績
初
ムスタファ・ケマル・アタテュルク
Mustafa Kemal Atatürk
1
1923.10.29
– 1927.11.1
1924.3 カリフ制廃止、4. 新憲法制定、メドレセ(宗教学校)やシャリーア法廷を閉鎖、政教分離法を制定
11. カラベキルを党首とする進歩主義者共和党が設立
1925.2-5 シェイフ・サイードの反乱
6.3 シェイフ・サイードの反乱に加担したとして進歩主義者共和党が解党
1926.6 大統領暗殺未遂事件
1926 鉄鋼国有法と石油国有法が議会で可決
2
1927.11.1
– 1931.5.4
1928.4 イスラム教を国教と定める条文を憲法から削除、11. トルコ語と相性の良くないアラビア文字を廃止してラテン文字に改める文字改革
3
1931.5.4
– 1935.3.1
1931.5.10 第5回共和人民党大会でケマリズム6原則を採択
- 共和主義
- 民族主義
- 人民主義
- 国家資本主義
- 世俗主義
- 革命主義
1932 ソ連スターリンによる巨額融資と経済顧問団の派遣
1934 大国民議会への女性参政権を実現
1934 創姓法が施行
1934.2.9 バルカン協商(ギリシア・トルコ・ルーマニア・ユーゴスラビア)
1934.5 第1次五カ年計画を導入
4
1935.3.1
– 1938.11.10
1936.7.20 モントルー条約でボスポラス海峡とダーダネルス海峡の主権回復
1937 第二次五か年計画
1937 デルシムの乱
1938.11.10 ムスタファ・ケマル・アタテュルク大統領没
2
5
1938.11.11
– 1939.4.3
6
1939.4.3
– 1943.3.8
1939.6.23 ハタイ割譲に関するトルコ・フランス協定(アンカラ協定)、30. ハタイを併合
1942.11 富裕税導入(非ムスリム商工業者)、翌年廃止
1943 農産物税
7
1943.3.8
– 1946.8.5
1945.2.23 国連原加盟国の地位を得るためドイツと日本に対して宣戦布告
1945.6.7 四者提議(複数政党制の提唱)
1946.1.7 バヤルによる民主党結成
7. 総選挙で民主党62/465議席獲得
8
1946.8.5
– 1950.5.22
1947 前年策定の新五ヵ年計画を廃棄、トルコ開発計画が採択
1948.7.4 トルコ・アメリカ経済協力協定(マーシャル・プラン援助の受入開始)
1950.5.14 トルコ史上初の自由選挙となった総選挙で民主党圧勝、共和人民党敗北して内閣退陣、イノニュ大統領も退陣
3
9
1950.5.22
– 1954.5.14
1950.6.16 アラビア語によるアザーンの自由化、以後、民主党政権下で世俗化政策の緩和進む
7.25 朝鮮戦争下の韓国派兵(国連軍への参加)を正式表明
12. キプロス紛争始まる
1952.2.18 NATOに正式加盟
1954 総選挙で民主党が地滑り的勝利
10
1954.5.14
– 1957.1.11
1955.2.24 トルコ・イラク間でバグダード条約締結(9月パキスタン、10月イランが加盟、バグダード条約機構成立)、翌年にイラクが脱退し、代わって中央条約機構(CENTO)成立
1955.9 キプロス問題を契機に戒厳令
1957.10.27 総選挙、得票率48%で民主党が第1党
11
1957.1.11
– 1960.5.27
1960.4.2 カイセリ事件
1960.5.1 U-2撃墜事件
5.5 555K事件
–
ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel
無所属(軍人)
–
1960.5.27
– 1961.10.10
1960.5.27 軍部による無血クーデタ、ギュルセル陸軍大将を議長とする国家統一委員会が全権掌握、バヤル大統領・メンデレス首相らを逮捕、民主党政権崩壊
28. ギュルセル国家元首・首相兼国防相、参謀総長に就任
1960.8.16 イギリスから独立してキプロス共和国が成立
1961.7.9 国民投票で新憲法が承認
9.17 旧民主党議員への判決(メンデレスら3名処刑、バヤルは高齢により終身刑)
10.15 民政移管のための総選挙実施
・下院:共和人民党36.7%、公正党34.7%
・上院:公正党が第1党
第二共和制(1961 – 1980)
- 1961 新憲法が制定
- 大国民議会の最高権限が緩和、従来の議会に加えて上院が設置され、二院制に改められる
- 比例代表制が導入
- 司法が立法から完全に独立して三権分立が確立
- 議会の独走を防ぐために、憲法裁判所が最高裁判所とは別に設立
代
氏名
期
在任期間
事績
4
ジェマル・ギュルセル
Cemal Gürsel
無所属
12
1961.10.10
– 1966.2.2
1966.2.2 持病の治療のためワシントンD.C.の陸軍病院に緊急空輸
1962.2 アイデミルによるクーデタ未遂事件(1回目)
1963.5.20 アイデミルによるクーデタ未遂事件(2回目)
–
イブラヒム・シェヴキ・アタサグン
İbrahim Şevki Atasagun
無所属
12
1966.2.2
– 1966.3.28
大統領代行
1966.3.28 議会は憲法の規定に従い、病気を理由にギュルセルの大統領権限を停止
6
ファフリ・コルテュルク
Fahri Korutürk
無所属
14
1973.4.6
– 1980.4.6
1973.10 総選挙、共和人民党が第1党
1974.7 キプロスの親ギリシャ派によるクーデタに軍事介入、北部を制圧
1975.2 キプロス連邦トルコ人共和国が成立
1980.3 任期満了に伴う大統領後任の選出プロセスで100回を超す投票を経ても大統領選出できず
–
イフサン・サブリ・チャーラヤンギル
İhsan Sabri Çağlayangil
–
1980.4.6
– 1980.9.12
大統領代行(上院議長)
1980.9.6 コンヤで国民救済党の大規模集会、世俗主義を公然と非難(コンヤ事件)
1980.9.12 軍事クーデタ
任期満了前に辞任
第三共和制(1980 – 2018)
- 1981.6.29 新憲法制定
- 行政府への権力集中と大統領への権限強化
- 一院制へ戻る
代
氏名
期
在任期間
事績
–
ケナン・エヴレン
Kenan Evren
無所属(軍人)
–
1980.9.12
– 1982.11.9
参謀総長エヴレン・陸海空・憲兵隊司令官の5名による「国家安全保障会議」が国権の最高機関となり、エヴレンが国家安全保障評議会議長(国家元首)となる
1981.11 高等文教法により、大学が高等教育審議会(YOK)の監督下に置かれる
1982.11 国民投票で新憲法成立
7
ケナン・エヴレン
Kenan Evren
無所属
15
1982.11.9
– 1989.11.9
1982.11.9 新憲法に則り、文民として大統領に就任
1983.11.15 キプロス北部のトルコ系住民が北キプロス・トルコ共和国樹立を宣言、トルコ政府はこれを承認
1984 クルディスターン労働者党(PKK)、反政府武装闘争を開始
1985.1.28 経済協力機構(ECO)創設
1987.4.14 ECへの正式加盟を申請
9.6 国民投票で旧指導者の政治活動が承認(デミレル、エルバカン、エジェヴィトらが政界復帰)
8
16
1989.11.9
– 1993.4.17
1989.11.9 ジェラル・バヤル以来29年振りに、文民出身の大統領に選出
1992.6 黒海経済協力機構(BSEC)設立
1993.4.17 在任中に急死
9
スュレイマン・デミレル
Süleyman Demirel
17
1993.5.16
– 2000.5.16
1996.6 福祉党と正道党以外の連立内閣となる組閣を指示
1997.2.28 国家安全保障会議(軍部)が福祉党政権のイスラーム化政策に強く警告
1998.10 トルコ・シリア危機(→10.20 アダナ合意)
1999.8.17 北西部のコジャエリ県で大地震、17,000人余死亡(イズミット地震)
1999.2.15/16 アブドゥッラー・オジャランPKK党首、ナイロビで逮捕されトルコへ連行、11.25 死刑確定
2000.5.16 任期満了により大統領を退任、政界を引退
10
アフメト・ネジデト・セゼル
Ahmet Necdet Sezer
無所属
18
2000.5.16
– 2007.8.28
2001.2.22 経済危機により変動相場制に移行
6.22 憲法裁判所が美徳党に解党命令(保守派が至福党、改革派が公正発展党に分裂)
2007.4.15 エルドアン首相の大統領選出馬に世俗主義者が猛反発、首都アンカラで35万人規模のデモが起こる
→公正発展党は、穏健とされるギュルを大統領候補に擁立
4.27 大統領選の第一回投票で議会第2党の共和人民党が投票をボイコット
5.6 大統領選の仕切り直しの第一回投票でも野党のボイコットにより出席者が定足数3分の2に満たなかったため、ギュルは大統領選への立候補を取り下げ
5.16 7年の大統領任期を一旦満了
7月に行われた解散総選挙の結果、公正発展党が再び議会の過半数を獲得→公正発展党はギュルを大統領候補に再び擁立
8月の大統領選挙でギュルが正式に次期大統領に選出されるまで、大統領の職務を行う
11
アブドゥラー・ギュル
Abdullah Gül
19
2007.8.28
– 2014.8.28
2007年の憲法改正以前、議会によって選出された最後の大統領
2010.9.28 国民投票により82年憲法の改正が決定→軍部の影響力低下
2014.8.10 初の直接選挙による大統領選でエルドアンが当選
12
レジェップ・タイイップ・エルドアン
Recep Tayyip Erdoğan
20
2014.8.28
– 2018.7.9
2014.9.16 コバニ包囲戦
2016 イスラエルとの関係正常化を発表
2016.7.15-16 クーデタ未遂事件
2017 大統領権限の拡大を目的とした憲法改正を発議、4月16日の国民投票では賛成が過半数を獲得して可決
5.21 公正発展党の党首に復帰
2018.6.24 大統領選挙にて再選
大統領制へ移行(2018 – )
代
氏名
期
在任期間
事績
12
レジェップ・タイイップ・エルドアン
Recep Tayyip Erdoğan
21
2018.7.9
– 現職
第66次内閣(議院内閣制からのナンバリング)
2019.10.9 トルコ軍によるシリア侵攻
2020.11.7 大統領令で中央銀行のウイサル総裁を解任
2023.5.28 野党統一候補のクルチダルオールを決選投票で破り、3選を決める
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