- オーストラリア連邦首相について
- オーストラリア連邦成立(1901年-)
- エドモンド・バートン
Sir Edmund Barton - アルフレッド・ディーキン
Alfred William Deakin - クリス・ワトソン
John Christian Watson - ジョージ・リード
Sir George Houstoun Reid - アルフレッド・ディーキン
Alfred William Deakin - アンドリュー・フィッシャー
Andrew Fisher - アルフレッド・ディーキン
Alfred William Deakin - アンドリュー・フィッシャー
Andrew Fisher - ジョゼフ・クック
Sir Joseph Cook - アンドリュー・フィッシャー
Andrew Fisher - ビリー・ヒューズ
William Morris “Billy” Hughes - スタンリー・ブルース
Stanley Melbourne Bruce - ジェームズ・スカリン
James Henry Scullin - ジョゼフ・ライオンズ
Joseph Aloysius Lyons - アール・ペイジ
Sir Earle Christmas Grafton Page - ロバート・メンジーズ
Sir Robert Gordon Menzies - アーサー・ファデン
Sir Arthur William Fadden
- エドモンド・バートン
- ウェストミンスター憲章批准(1942年-)
- ジョン・カーティン
John Joseph Curtin - フランク・フォード
Francis Michael Forde - ベン・チフリー
Joseph Benedict Chifley - ロバート・メンジーズ
Sir Robert Gordon Menzies - ハロルド・ホルト
Harold Edward Holt - ジョン・マッキュエン
Sir John “Black Jack” McEwen - ジョン・ゴートン
Sir John Grey Gorton - ウィリアム・マクマホン
Sir William “Billy” McMahon - ゴフ・ホイットラム
Edward Gough Whitlam - マルコム・フレーザー
John Malcolm Fraser - ボブ・ホーク
Robert James Lee Hawke - ポール・キーティング
Paul John Keating - ジョン・ハワード
John Winston Howard - ケビン・ラッド
Kevin Michael Rudd - ジュリア・ギラード
Julia Eileen Gillard - ケビン・ラッド
Kevin Michael Rudd - トニー・アボット
Anthony John “Tony” Abbott - マルコム・ターンブル
Malcolm Bligh Turnbull - スコット・モリソン
Scott John Morrison - アンソニー・アルバニージー
Anthony Norman Albanese
- ジョン・カーティン
- 参考リンク
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オーストラリア連邦首相について
オーストラリアは立憲君主制で、イギリス国王・女王と同一人物であるオーストラリア国王が国家元首とみなされる。実際にはオーストラリア総督が国王・女王の代行を務める。
オーストラリアは議院内閣制を採り、オーストラリア総督が特別な場合を除いて、常に下院多数党の党首をオーストラリア連邦政府首相に任命する。首相は、オーストラリア連邦政府の長である。
なお、首相代は、何人目で数える場合と、就任順で数える場合がある。下表は就任順で表記している(フィッシャーは、何人目だと第5代、就任順だと第6代・第8代・第10代)。
オーストラリア連邦成立(1901年-)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
初代
エドモンド・バートン
Sir Edmund Barton
初代
1901.1.1 –
1903.9.24
1901.1.1 オーストラリア連邦成立、首都メルボルン
12.10 ニューサウスウェールズ、強制労働仲裁法施行
12.17 太平洋諸島労働者法成立
12.23 連邦移民制限法成立、白豪主義政策の始まり
1902 パプア準州がオーストラリア管轄となる
1902.6 連邦議会選挙で女性参政権が承認される
後継にディーキンを指名して首相の座を辞し、オーストラリア高等裁判所判事となる
2代
アルフレッド・ディーキン
Alfred William Deakin
2代
1903.9.24 –
1904.4.27
1903.10.29 バララット演説「財政の平和」「特恵貿易」
1903.12 女性有権者が参加した連邦選挙で勝利、労働党の協力を得て政権維持
1904.1 演説で多数派政府と二大政党制の確立を訴える
1904.4 産業・労働政策にかかわる調停仲裁法案(Conciliation and Arbitration Bill)の対象に公務員を含めるかどうかで労働党ワトソンと決裂、首相を辞任
5代
アルフレッド・ディーキン
Alfred William Deakin
5代
1905.7.5 –
1906.12.12
1905 著作権法が成立
1905 パプア法により、元英領ニューギニアのオーストラリア政府が設立
1906 連邦国勢調査統計局が設立
1906 最初の保護的な連邦関税であるオーストラリア産業保護法が可決
6代
1906.12.12 –
1908.11.13
6代
アンドリュー・フィッシャー
Andrew Fisher
7代
1908.11.13 –
1909.6.2
少数与党政権
1908 政府議席法を可決
新しい連邦首都をヤス-キャンベラ地域に置くことを規定
製造業者奨励法を可決
1909.5 より保守的な保護主義者と自由貿易主義者が合併して連邦自由党を結成
7代
アルフレッド・ディーキン
Alfred William Deakin
8代
1909.6.2 –
1910.4.29
1909 財政協定を州政府と交渉、連邦政府の余剰歳入を 1 人当たりの助成金として各州に分配
ノーザン テリトリーの支配権を南オーストラリア州から連邦に移管する法案を可決、1911年に発効
1908 歳入剰余法により海軍へ支出
1910 オーストラリア・ポンドの発行許可の法案可決
8代
アンドリュー・フィッシャー
Andrew Fisher
9代
1910.4.29 –
1913.6.24
1910.4 連邦選挙で労働党が歴史上初めて過半数を獲得、首相に復帰
老齢年金と障害年金、新しい労働者の権利を法律に盛り込む
1911.1 正式に現在のオーストラリア首都特別地域(ACT)を確立
1911.7 オーストラリア海軍の設立
1911.7 オーストラリア横断鉄道の建設を開始
1911.12 国有のコモンウェルス銀行設立
1913.3 キャンベラ(新首都)命名
9代
10代
1913.6.24 –
1914.9.17
10代
アンドリュー・フィッシャー
Andrew Fisher
11代
1914.9.17 –
1915.10.27
1914 遺産税査定法、遺産税法、戦争予防法、敵国法、国勢調査法、犯罪法、ベルギー贈与法、敵契約無効法
1915 マレー川水域法、貨物手配法、砂糖購入法
1915.4 アンザック軍団がガリポリに上陸(初の本格的な海外遠征)
11代
ビリー・ヒューズ
William Morris “Billy” Hughes
15代
1917.5.5 –
1920.2.3
1917.12 徴兵制を第2回国民投票でも否決
1918 連邦選挙法即時決選投票の導入)
1919 ヴェルサイユ条約により、ドイツ領ニューギニアが信託統治領となる(オーストラリアが初めて国際条約に署名)
1920.1 第3政党の地方党が正式に発足
12代
スタンリー・ブルース
Stanley Melbourne Bruce
オーストラリアナショナリスト党(国民党)
17代
1923.2.9 –
1925.11.14
18代
1925.11.14 –
1928.11.29
1926 バルフォア宣言
1927.5 キャンベラへ首都移転
1927 金融協定(州の借入権を制限、国家融資評議会/ローン・カウンシルが調整)
1928.9 輸送労働者法(犬の首輪法)
13代
ジェームズ・スカリン
James Henry Scullin
20代
1929.10.22 –
1932.1.6
1929 世界恐慌の結果、オーストラリアへの資本流入が停止
1931.1 ニューサウスウェールズ、標準労働時間を週44時間とする
1931.2 セオドア・プラン
1931.6 プレミアーズ・プラン合意(デフレ経済政策)
4.19 統一オーストラリア党が結成
14代
ジョゼフ・ライオンズ
Joseph Aloysius Lyons
21代
1932.1.6 –
1934.10.12
1932 公営放送ABCによるラジオ全国放送開始
1932.3 シドニーのハーバーブリッジ開通
1932.7-8 オタワで帝国経済会議が開催(オタワ協定:帝国特恵関税)
1933.4 西オーストラリア州が圧倒的多数で連邦からの脱退を決定
1933.7 連邦補助金委員会を設立
1934.9 連邦総選挙で縮退、地方党と連立政権へ
24代
1937.11.29 –
1939.4.7
15代
アール・ペイジ
Sir Earle Christmas Grafton Page
25代
1939.4.7 –
1939.4.26
オーストラリア総督の ゴーリー卿は、統一オーストラリア党が新しい指導者を選ぶまでの間、ペイジを暫定首相に任命
16代
ウェストミンスター憲章批准(1942年-)
- 1975 連邦高等裁の英国枢密院への上訴権を放棄
- 1986 オーストラリア法制定(州裁判断の上訴権を放棄する等英国からの司法上の完全独立を獲得)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
18代
ジョン・カーティン
John Joseph Curtin
30代
1941.10.7 –
1943.9.21
31代
1943.9.21 –
1945.7.5
1944.8 カウラ収容所の日本人暴動
1944 グロスター公爵(英国王室)が総督に就任
1945.4 病から財務大臣のベン・チフリーを首相代行に任命
1945.7 在職のまま死去、グロスター総督がフランク フォードを後継首相に任命したため労働党内が混乱
19代
32代
1945.7.6 –
1945.7.13
党首投票でチフリーに敗れて下野
20代
ベン・チフリー
Joseph Benedict Chifley
34代
1946.11.1 –
1949.12.19
1947.7 ニューサウスウェールズ、週40時間労働制が導入
1947 社会サービス統合法
1948.2-4 クイーンズランド鉄道ストライキ
1948.7 輸出からの収益を安定させる目的で乳業基金が設立
1949.1 国民及び市民権法が施行、オーストラリア国民の地位が確立
1949.3.16 ASIO設立
1949.6-8 石炭ストライキ(軍隊の出動)
1949.8 スノーウィー・マウンテンズ開発計画始まる
1949 パプア・ニューギニア準州が成立
21代
ロバート・メンジーズ
Sir Robert Gordon Menzies
35代
1949.12.19 –
1951.5.11
1950.10 共産党解散法が成立
1950 コロンボ プランを推進、アジア諸国の学生がオーストラリアの大学で学ぶことを認める
1951.3 最高裁判所、共産党解散法を無効と宣言
36代
1951.5.11 –
1954.7.9
1951.9 アメリカ、ニュージーランドとの3国間で、相互安全保障条約(アンザス条約)締結
1951 コモンウェルス奨学金制度を導入
1954.4 ペトロフ事件(キャンベラのソビエト大使館からKGB将校のウラジーミル・ペトロフが亡命)
37代
1954.7.9 –
1956.1.11
1954.9 東南アジア条約機構(SEATO)に加盟
1954.12 労働党の内部分裂が決定的になる(1955 労働党右派が反共産主義労働党を結成、1956 民主労働党となって分裂)
38代
1956.1.11 –
1958.12.10
1956.11 メルボルン・オリンピック大会
1957 日本と通商条約締結
1957 オーストラリアに 15 年間居住していた非ヨーロッパ人が市民になることを許可
1957 キャンベラの計画と開発を監督する独立した法定機関として、国家資本開発委員会を設立
1958 白豪主義の根幹である移民へのディクティション・テストを廃止(移民制限法廃止)
39代
1958.12.10 –
1961.12.22
22代
ハロルド・ホルト
Harold Edward Holt
42代
1966.1.26 –
1966.12.14
1966.2 十進法に基づくオーストラリア・ドルの導入
1966.3-67.10 順次南ベトナムに増兵
1966.6 アーサー・コールウェル、ベトナム反戦運動中に狙撃される
1966.10 ジョンソンが現職アメリカ大統領として初めてオーストラリアを訪問
1966.12 アジア開発銀行の創設メンバーとなる
43代
1966.12.14 –
1967.12.19
1967.5 国民投票によりアボリジニに対する差別撤廃が決定、連邦政府にアボリジニ問題の管轄が移る
1967.10 VIP航空機事件
1967.11 オーストラリア国立美術館とオーストラリア芸術評議会の設立を発表
1967.11 英国政府がポンドの14%切り下げ発表→スターリング ブロックからオーストラリアが事実上撤退
1967.12.17 チェビオット ビーチで失踪(後に水死と断定)
24代
26代
ゴフ・ホイットラム
Edward Gough Whitlam
49代
1972.12.19 –
1974.6.12
1972 平時勤務のための兵役を廃止
1972 中華人民共和国との国交回復交渉の開始(台湾と断交)
1972 下水道普及プログラム
1973.3 ライオネル・マーフィー検事総長の独断による保安情報機構(ASIO)への無令状捜査(マーフィー襲撃)が発覚
1973 北京に大使館が開設
1973.10 シドニー・オペラハウスのオープン
1974.3 ヴィン ゲイル問題(ヴィンス・ゲイル元クイーンズランド州首相の駐アイルランド大使任命を巡る紛糾)
1974.5.18 二重解散選挙を実施
50代
1974.6.12 –
1975.11.11
1974 日豪牛肉問題起る
1974.8 憲政史上初の両院合同会議が招集(上院と下院の議員が単一の立法機関を構成)
1974.8.7 国民皆健康保険(メディバンク)の導入
1974.9 インドネシアでスハルト大統領と会談、東ティモール問題でインドネシアを支持表明
1974.12 サイクロン トレーシーがダーウィン市を壊滅(その後に行った外遊が批判を受ける)
1975.9. パプアニューギニア独立国を承認
1975.11.11 連邦総督ジョン・カーにより罷免
28代
ボブ・ホーク
Robert James Lee Hawke
55代
1983.3.11 –
1984.12.13
1983 物価と所得協定(アコード)
職域年金の導入
タスマニアのフランクリン ダムの建設を個人的に拒否
1983-89 ユニバーサル・ヘルス ケアの恒久的な確立
1983.9 オーストラリアがヨットのアメリカズ・カップを獲得
1983.12 オーストラリア・ドルの金融自由化開始
1984 性差別法
1984.3 ブレイニーらによる移民論争
56代
1984.12.13 –
1987.7.24
57代
1987.7.24 –
1990.4.4
1987-88 クイーンズランド州の湿潤熱帯地域をユネスコの世界遺産に登録
1987.9 キーティング財務大臣が17年ぶりの均衡予算を作成
1988 自由党ハワード党首、アジア系移民制限を主張
1988.5 オーストラリア建国200周年記念式典、キャンベラ連邦議事堂公開式典にエリザベス2世女王を招致
1988.6 キリビリ協定
1989 高等教育拠出金制度(HECS)を設立
1989 経済閣僚が共通の懸念事項を議論するための東南アジア地域全体のフォーラムを提案→アジア太平洋経済協力(APEC)の創設へ
1989.12 ティモールギャップ条約に署名
1990.2 西オーストラリアでカーメン・ローレンスがオーストラリア発の女性州首相となる
1990-91 湾岸戦争に参加、駆逐艦とフリゲート艦を派遣する
30代
ジョン・ハワード
John Winston Howard
61代
1996.3.11 –
1998.10.21
1996 通称ウィック法により先住民の土地権の制限
1996.4.28 ポートアーサー事件→銃規制に乗り出す
1997.4 ポーリン・ハンソンのワンネイション党結成(白豪主義政党)
1998 ネイティブタイトル修正法(10 ポイント プラン)
1998.2 憲法制定協議会、共和制の是非を問う国民投票を決定
1998.10 連邦選挙で国民連合(自由党・国民党)が勝利
62代
1998.10.21 –
2001.11.26
1999.8.2 和解の動議が可決
1999.9 オーストラリア主導の東ティモール国際平和維持軍 (INTERFET) を組織
1999.11 共和制をめぐる国民投票を実施
2000.7 消費税(GST)導入
2000.9 シドニーオリンピック
2001.8 タンパ事件
アフガニスタン難民問題で移民政策を厳格化
2001.9.11 アメリカ同時多発テロ事件
2001.11.10 連邦選挙で国民連合(自由党・国民党)が勝利
64代
2004.10.22 –
2007.12.3
2004.12.26 スマトラ島沖地震
2005.5 職場関係修正法改正 (WorkChoices、労使関係の変更)
2006.4 1996年に政権を握ったときに継承された960億ドルの連邦純債務の最後の部分を完全に返済したと発表
2007.9 APECオーストラリア2007がシドニーで開催
2007.11 連邦選挙で自由党と国民党の保守連合が敗北、ハワード自身も落選
31代
ケビン・ラッド
Kevin Michael Rudd
65代
2007.12.3 –
2010.6.24
2007 全国ブロードバンド ネットワークの展開開始
2007.12 京都議定書に調印
2007.12 イラク駐留のオーストラリア軍部隊撤収の交渉開始
2008.2.13 連邦議会で先住民児童政策「盗まれた世代」への謝罪演説
2008.3 職場関係修正 (公正な前進への移行) 法が承認
2008.4 独立した全国カリキュラム委員会を設立(オーストラリア カリキュラムの開発)
2008.4 北京大学で北京語で講演し「チベットには顕著な人権問題がある」と発言
2008.9.3 キャンベラで自身が発案し記念日制定した第2次世界大戦下での対日戦勝記念式に出席
2008.9.5 クエンティン・ブライスが総督に就任
2009.7 フェアワーク法が施行
2009.8-12 上院は炭素汚染削減計画(CPRS)の可決を2度拒否→2010.4 政府がCPRSを撤回
2009.10 オセアニック・バイキング事件
32代
ジュリア・ギラード
Julia Eileen Gillard
34代
トニー・アボット
Anthony John “Tony” Abbott
69代
2013.9.18 –
2015.9.15
2013.10 炭素税を廃止する法案を提出
亡命希望者の海上到着を阻止する連合の政策ソブリン・ボーダーズ作戦を開始
2014.7.17 炭素税廃止法案が両院を通過
2014.9.2 鉱業税廃止法案が両院を通過
2015.1 旧宗主国に当たるイギリスのエディンバラ公フィリップへの勲章授与を独断で決めたことで批判を受ける
2015.8.2 チョッパーゲートによりブロンウィン・ビショップが下院議長を辞任
2015.9.14 党首選でターンブルに敗北、首相を辞任
35代
マルコム・ターンブル
Malcolm Bligh Turnbull
70代
2015.9.15 –
2016.7.19
71代
2016.7.19 –
2018.8.24
2017.4 液化天然ガス(LNG) 産業に輸出制限を課すと発表
2017.12.7 同性婚は下院による議会投票を通じて合法化
2017–18 オーストラリア議会の資格危機(憲法第44条による二重国籍者の被選挙権停止)
2018.8 党首選で一度は勝利するも、求心力低下により辞任
36代
スコット・モリソン
Scott John Morrison
73代
2019.5.29 –
2022.5.23
2019-20の森林火災(ブラック サマー)中に予告なしの休暇でハワイに滞在していたことで批判を受ける
2020.3.13 COVID-19 のパンデミックに対応してナショナル キャビネットが設立(連邦首相、州/準州首相で構成)
2021.2-3 議会と連邦政治家が関与する女性に対するレイプやその他の性的違法行為に関する多くの申し立てが提起されモリソン政府に論争が起る
2021.9.15 オーストラリア、英国、および米国の間の三国間安全保障協定(AUKUS)が発表
2022.2-4 東部の洪水対応の不手際で批判を受ける
2022.5 連邦選挙で労働党に敗れる
37代
アンソニー・アルバニージー
Anthony Norman Albanese
74代
2022.5.23 – 現任
2022.5 公正労働委員会に書簡を送り、最低賃金の引き上げの支持を表明
2022.6.30 パリでフランスのエマニュエル マクロン大統領と会談、前政権による潜水艦協定の取り消しにより損なわれていたオーストラリアとフランスの関係を修復
2022.8.15 モリソン前首相がCOVID-19 パンデミックの際に5閣僚の権限を非公表のまま掌握していたことを公表
2022.11.30 国家反汚職委員会を制定
2022.12.2 安定した雇用、より良い賃金法案が議会を通過
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