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歴代北条執権 – 鎌倉幕府

歴代北条執権 – 鎌倉幕府 リベラルアーツ
「北条 義時」「鎌倉大仏」「蒙古襲来絵詞」「北条 時宗」歴代北条執権 – 鎌倉幕府

鎌倉時代初期(1183年 – 1221年)

  • 1183年(寿永2年) 寿永二年十月宣旨(東国支配権の承認を得る)
  • 1185年(文治元年) 11月、文治の勅許に基づき守護・地頭を設置
  • 1189年(文治5年) 奥州合戦
  • 1192年(建久3年) 源頼朝、征夷大将軍に任命される

氏名

在職

事績

1代

北条時政
ほうじょう ときまさ

北条時政

建仁3年9月 – 元久2年閏7月

1203.9 – 1205.閏7

1203.9: 比企能員の変、源実朝が第3代征夷大将軍となる

源実朝

1204: 頼家暗殺される

1205: 畠山重忠の乱

1205: 牧氏事件で隠居させられる

2代

北条義時
ほうじょう よしとき

北条義時

時政の次男

1205.閏7 – 1224.6.13

元久2年閏7月 – 貞応3年6月13日

1213: 泉親衡の乱、和田合戦

1219: 実朝が頼家の子公暁によって暗殺される

鶴岡八幡宮の大銀杏

藤原頼経(三寅)を第4代征夷大将軍として迎え入れる

1221: 承久の乱

承久の乱

1221: 六波羅探題の設置

六波羅探題

鎌倉時代中期(1221年 – 1268年)

  • 1221年(承久3年) 承久の乱、六波羅探題の設置
  • 1232年(貞永元年) 御成敗式目の制定

3代

北条泰時
ほうじょう やすとき

北条泰時

義時の長男

1224.6.28 – 1242.6.15

貞応3年6月28日 – 仁治3年6月15日

1224: 伊賀氏の変

1224.閏7.29 内管領の前身となる家令に尾藤景綱を任じる

叔父の時房と「両執権」「連署」の複数執権体制を確立

1225: 評定衆の設置

1226: 九条頼経が元服して将軍に就任 (摂家将軍の開始)

1230-31: 寛喜の飢饉

1232.8: 御成敗式目を制定

4代

北条経時
ほうじょう つねとき

北条経時

泰時の嫡遜

1242.6.15 – 1246.3.23

仁治3年6月15日 – 寛元4年3月23日

1244.4: 頼経の将軍職を解任、子の頼嗣を5代将軍に就ける

5代

北条時頼
ほうじょう ときより

北条時頼

経時の弟

1246.3.23 – 1256.11.22

寛元4年3月23日 – 康元元年11月22日

1246: 宮騒動

1247: 宝治合戦

1248: 義時の3男である重時を連署に迎える

1249: 引付衆の設置

1252: 宗尊親王が第6代将軍に迎えられる(宮将軍/親王将軍の開始)

1256: 正村を連署に迎える

6代

北条長時
ほうじょう ながとき

北条長時

重時の嫡男/義時の孫

1256.11.22 – 1264.7.3

康元元年11月22日 – 文永元年7月3日

時頼の嫡男・北条時宗に執権職を譲るまでの中継ぎとして就任

1264: 病により執権職を辞任・出家

7代

北条政村
ほうじょう まさむら

北条政村

長時の叔父/泰時の異母弟/義時の五男

1264.8.11 – 1268.3.5

文永元年8月11日 – 文永5年3月5日

1264: 14歳の時宗を連署にする

1268.1: 蒙古国書が到来→執権職を18歳の時宗に譲り、64歳の政村は再び連署と侍所別当も務める

鎌倉時代後期(1268年 – 1324年)

  • 元寇
    • 1274年(文永11年) 文永の役
    • 1281年(弘安4年) 弘安の役

8代

北条時宗
ほうじょう ときむね

北条時宗

時頼の子

1268.3.5 – 1284.4.4

文永5年3月5日 – 弘安7年4月4日

1271: 異国警固番役を設置

1272.2: 二月騒動

1274: 日蓮を佐渡に配流

1274: 文永の役

文永の役

1281: 弘安の役

弘安の役

9代

北条貞時
ほうじょう さだとき

北条貞時

時宗の嫡男

1284.4.4 – 1301.8.22

弘安7年4月4日 – 正安3年8月22日

1285: 霜月騒動

1293: 平禅門の乱

引付衆を廃止し、執奏を新設

1296: 鎮西探題を新設

1297: 永仁の徳政令

10代

北条師時
ほうじょう もろとき

北条師時

貞時の従兄弟/時宗の甥

1301.8.22 1311.9.21

正安3年8月22日 – 応長元年9月21日

1301: 貞時の出家に伴い執権に就任

1305: 嘉元の乱

宗宣を連署に任ずる

11代

北条宗宣
ほうじょう むねのぶ

北条宗宣

時政の玄孫やしゃご

1311.10.3 – 1312.5.29

応長元年10月3日 – 応長2年5月29日

1311: 煕時を連署に任ずる

内管領・長崎円喜に実権を握られる

1312: 執権職を煕時に譲り出家

12代

北条煕時
ほうじょう ひろとき

北条煕時

政村の曾孫ひまご

1312.6.2 – 1315.7.12

応長2年6月2日 – 正和4年7月12日

内管領・長崎円喜に実権を握られる

1315: 病のため執権職を辞任

13代

北条基時
ほうじょう もととき

北条基時

義時の玄孫やしゃご

1315.7.12 – 1316.7.9

正和4年7月12日 – 正和5年7月9日

1316: 得宗の北条高時に執権職を譲り出家

14代

北条高時
ほうじょう たかとき

北条高時

貞時の三男

1316.7.10 – 1326.2.13

正和5年7月10日 – 正中3年2月13日

1317: 文保の和談

1318-19: 鎌倉殿中問答

1324: 正中の変

1325: 日野資朝が佐渡に流罪

日野資朝

1318-1328: 安藤氏の乱

鎌倉時代末期(1324年 – 1333年)

  • 1324年(正中元年) 正中の変

15代

北条貞顕
ほうじょう さだあき

北条貞顕

1326.3.16 – 3.26

正中3年3月16日 – 同3月26日

1326: 嘉暦の騒動

北条氏得宗家の家督継承を巡る内管領の長崎氏と、外戚安達氏の抗争による内紛

在職10日余りで執権を辞任

16代

北条守時
ほうじょう もりとき

北条守時

長時の曾孫ひまご

1326.4.24 – 1333.5.18

嘉暦元年4月24日 – 元弘3年5月18日

1331-33 元弘の乱

元弘の乱

1333.5: 妹婿の足利高氏(尊氏)が六波羅探題を攻め落とし、甥の千寿王丸(足利義詮)も鎌倉を脱出したため、咎を受けて高時から謹慎処分を受ける

鎌倉の戦いで新田義貞率いる討幕軍と巨福呂坂に拠り自刃

17代?

北条貞将
ほうじょう さだゆき

北条貞将

貞顕の嫡男

1333.5.22

元弘3年5月22日

異説も多いが、第17代執権に1日だけ任用されて、討ち死にしたと言われる

参考リンク

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