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歴代天皇 Emperors of Japan

歴代天皇 Emperors of Japan リベラルアーツ
「神武天皇」「昭和天皇」「後醍醐天皇」歴代天皇 Emperors of Japan
  1. 天皇の称号について
  2. 神代
    1. 神武天皇
      じんむ
    2. 綏靖天皇
      すいぜい
    3. 安寧天皇
      あんねい
    4. 懿徳天皇
      いとく
    5. 孝昭天皇
      こうしょう
    6. 孝安天皇
      こうあん
    7. 孝霊天皇
      こうれい
    8. 孝元天皇
      こうげん
    9. 開化天皇
      かいか
    10. 崇神天皇
      すじん
  3. 古墳時代
    1. 垂仁天皇
      すいにん
    2. 景行天皇
      けいこう
    3. 成務天皇
      せいむ
    4. 仲哀天皇
      ちゅうあい
    5. 神功皇后
      じんぐうこうごう
    6. 応神天皇
      おうじん
    7. 仁徳天皇
      にんとく
    8. 履中天皇
      りちゅう
    9. 反正天皇
      はんぜい
    10. 允恭天皇
      いんぎょう
    11. 安康天皇
      あんこう
    12. 雄略天皇
      ゆうりゃく
    13. 清寧天皇
      せいねい
    14. 顕宗天皇
      けんぞう
    15. 仁賢天皇
      にんけん
    16. 武烈天皇
      ぶれつ
    17. 継体天皇
      けいたい
    18. 安閑天皇
      あんかん
    19. 宣化天皇
      せんか
    20. 欽明天皇
      きんめい
    21. 敏達天皇
      びだつ
    22. 用明天皇
      ようめい
    23. 崇峻天皇
      すしゅん
  4. 飛鳥時代
    1. 推古天皇
      すいこ
    2. 舒明天皇
      じょめい
    3. 皇極天皇
      こうぎょく
    4. 孝徳天皇
      こうとく
    5. 斉明天皇
      さいめい
    6. 中大兄皇子称制
      なかのおおえのおうじ
    7. 天智天皇
      てんじ
    8. 弘文天皇
      こうぶん
    9. 天武天皇
      てんむ
    10. 持統天皇
      じとう
    11. 文武天皇
      もんむ
  5. 奈良時代
    1. 元明天皇
      げんめい
    2. 元正天皇
      げんしょう
    3. 聖武天皇
      しょうむ
    4. 孝謙天皇
      こうけん
    5. 淳仁天皇
      じゅんにん
    6. 称徳天皇
      しょうとく
    7. 光仁天皇
      こうにん
  6. 平安時代
    1. 摂関政治(藤原頼道まで)
    2. 院政(承久の乱まで)
    3. 桓武天皇
      かんむ
    4. 平城天皇
      へいぜい
    5. 嵯峨天皇
      さが
    6. 淳和天皇
      じゅんな
    7. 仁明天皇
      にんみょう
    8. 文徳天皇
      もんとく
    9. 清和天皇
      せいわ
    10. 陽成天皇
      ようぜい
    11. 光孝天皇
      こうこう
    12. 宇多天皇
      うだ
    13. 醍醐天皇
      だいご
    14. 朱雀天皇
      すざく
    15. 村上天皇
      むらかみ
    16. 冷泉天皇
      れいぜい
    17. 円融天皇
      えんゆう
    18. 花山天皇
      かざん
    19. 一条天皇
      いちじょう
    20. 三条天皇
      さんじょう
    21. 後一条天皇
      ごいちじょう
    22. 後朱雀天皇
      ごすざく
    23. 後冷泉天皇
      ごれいぜい
    24. 後三条天皇
      ごさんじょう
    25. 白河天皇
      しらかわ
    26. 堀河天皇
      ほりかわ
    27. 鳥羽天皇
      とば
    28. 崇徳天皇
      すとく
    29. 近衛天皇
      このえ
    30. 後白河天皇
      ごしらかわ
    31. 二条天皇
      にじょう
    32. 六条天皇
      ろくじょう
    33. 高倉天皇
      たかくら
    34. 安徳天皇
      あんとく
  7. 鎌倉時代
    1. 後鳥羽天皇
      ごとば
    2. 土御門天皇
      つちみかど
    3. 順徳天皇
      じゅんとく
    4. 仲恭天皇
      ちゅうきょう
    5. 後堀河天皇
      ごほりかわ
    6. 四条天皇
      しじょう
    7. 後嵯峨天皇
      ごさが
    8. 後深草天皇
      ごふかくさ
    9. 亀山天皇
      かめやま
    10. 後宇多天皇
      ごうだ
    11. 伏見天皇
      ふしみ
    12. 後伏見天皇
      ごふしみ
    13. 後二条天皇
      ごにじょう
    14. 花園天皇
      はなぞの
    15. 後醍醐天皇
      ごだいご
  8. 南北朝時代
    1. 南朝
    2. 後村上天皇
      ごむらかみ
    3. 長慶天皇
      ちょうけい
    4. 後亀山天皇
      ごかめやま
    5. 北朝
    6. 光厳天皇
      こうごん
    7. 光明天皇
      こうみょう
    8. 崇光天皇
      すこう
    9. 後光厳天皇
      ごこうごん
    10. 後円融天皇
      ごえんゆう
  9. 室町時代
    1. 後小松天皇
      ごこまつ
    2. 称光天皇
      しょうこう
    3. 後花園天皇
      ごはなぞの
    4. 後土御門天皇
      ごつちみかど
  10. 戦国時代
    1. 後柏原天皇
      ごかしわばら
    2. 後奈良天皇
      ごなら
    3. 正親町天皇
      おおぎまち
  11. 安土桃山時代(織豊時代)
    1. 後陽成天皇
      ごようぜい
  12. 江戸時代
    1. 後水尾天皇
      ごみずのお
    2. 明正天皇
      めいしょう
    3. 後光明天皇
      ごこうみょう
    4. 後西天皇
      ごさい
    5. 霊元天皇
      れいげん
    6. 東山天皇
      ひがしやま
    7. 中御門天皇
      なかみかど
    8. 桜町天皇
      さくらまち
    9. 桃園天皇
      ももぞの
    10. 後桜町天皇
      ごさくらまち
    11. 後桃園天皇
      ごももぞの
    12. 光格天皇
      こうかく
    13. 仁孝天皇
      にんこう
    14. 孝明天皇
      こうめい
  13. 近代
    1. 明治天皇
      めいじ
    2. 大正天皇
      たいしょう
    3. 昭和天皇
      しょうわ
    4. 上皇(平成)
      へいせい
    5. 今上天皇(令和)
      れいわ
  14. 参考リンク
  15. あわせて読みたい

天皇の称号について

古代の日本では、ヤマト王権の首長を「大王」(オオキミ)といった。天武朝ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになった。「天皇」号が成立したのは7世紀後半、大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇または持統天皇の時代とするのが通説である。10世紀以降、1000年近く「天皇」号の使用は廃れたが、19世紀初頭に再び使用されるようになり、現在に至っている。

在位中の天皇は、帝、御門(みかど)、禁裏(きんり)、内裏(だいり)、禁中(きんちゅう)、御所(ごしょ)などと呼ばれた。当代の天皇は「当今の帝(とうぎんのみかど)」などとも呼ばれ、譲位した太上天皇は「上皇」と略称され、「仙洞」や「院」などともいった。

皇室の当主として政務の実権を握った天皇または太上天皇(上皇)を指す用語として「治天の君」がある。

話題にする際の呼称については、一般的に、「皇上」「聖上」「聖主」「主上」「天子」などが用いられてきたが、明治中期頃になり、「天皇(陛下)」という呼称が定着してくる。

特に外交においては、古代から、「日本国皇帝」も用いられる。

神代

氏名

在位期間

事績

1代

神武天皇
じんむ

神武天皇

天照大御神の五世孫

660 B.C. – 585 B.C.

神武天皇元年1月1日 – 神武天皇76年3月11日

神武東征

神武天皇東征之図

2代

綏靖天皇
すいぜい

綏靖天皇

神武天皇の第三皇子

581 B.C. – 549 B.C.

綏靖天皇元年1月8日 – 綏靖天皇33年5月10日

欠史八代の1人

タギシミミの反逆

3代

安寧天皇
あんねい

安寧天皇

綏靖天皇の皇子

549 B.C. – 511 B.C.

綏靖天皇33年7月15日 – 安寧天皇38年12月6日

欠史八代の1人

磯城県主クロハヤの館で生まれる

片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)に都を移す

4代

懿徳天皇
いとく

懿徳天皇

安寧天皇の第二皇子

510 B.C. – 477 B.C.

懿徳天皇元年2月4日 – 懿徳天皇34年9月8日

欠史八代の1人

食国政申大夫の出雲色命を大臣とする

5代

孝昭天皇
こうしょう

孝昭天皇

懿徳天皇の皇子

475 B.C. – 393 B.C.

孝昭天皇元年1月9日 – 孝昭天皇83年8月5日

欠史八代の1人

6代

孝安天皇
こうあん

孝安天皇

孝昭天皇の第二皇子

392 B.C. – 291 B.C.

孝安天皇元年1月7日 – 孝安天皇102年1月9日

欠史八代の1人

7代

孝霊天皇
こうれい

孝霊天皇

孝安天皇の皇子

290 B.C. – 215 B.C.

孝霊天皇元年1月12日 – 孝霊天皇76年2月8日

欠史八代の1人

8代

孝元天皇
こうげん

孝元天皇

孝霊天皇の皇子

214 B.C. – 158 B.C.

孝元天皇元年1月14日 – 孝元天皇57年9月2日

欠史八代の1人

9代

開化天皇
かいか

開化天皇

孝元天皇の第二皇子

158 B.C. – 98 B.C.

孝元天皇57年11月12日 – 開化天皇60年4月9日

欠史八代の1人

10代

崇神天皇
すじん

崇神天皇

開化天皇の第二皇子

97 B.C. – 30 B.C.

崇神天皇元年1月13日 – 同68年12月5日

詔を発して万世一系を謳った

四道将軍を派遣して全国を教化すると宣言

戸口を調査して初めて課役を課した

任那が使者として蘇那曷叱知(そなかしち)を遣わしてきた

古墳時代

3世紀中頃 – 7世紀頃
『日本書紀』や『古事記』による文献上の大和時代
推定・比定される天皇在位期間と記紀の記述には不一致があるため、便宜的に垂仁天皇以降を古墳時代とする

氏名

在位期間

事績

11代

垂仁天皇
すいにん

垂仁天皇

崇神天皇の第三皇子

29 B.C. – A.D. 70

垂仁天皇元年1月2日 – 垂仁天皇99年7月1日

狭穂彦の謀反

12代

景行天皇
けいこう

景行天皇

垂仁天皇の第三皇子
日本武尊(ヤマトタケル)の父

71 – 130

景行天皇元年7月11日 – 同60年11月7日

美濃行幸

美濃行幸

13代

成務天皇
せいむ

成務天皇

景行天皇の第四皇子

131 – 190

成務天皇元年1月5日 – 同60年6月11日

諸国に国造と稲城を置き山河で国境を定めた

14代

仲哀天皇
ちゅうあい

仲哀天皇

日本武尊の第二子

192 – 200

仲哀天皇元年1月11日 – 同9年2月6日

熊襲討伐

神功皇后
じんぐうこうごう

神功皇后

仲哀天皇の皇后

201 – 269

神功皇后元年10月2日 – 神功皇后69年4月17日

初めての摂政

15代

応神天皇
おうじん

応神天皇

仲哀天皇の第四皇子
母は神功皇后

270 – 310

応神天皇元年1月1日 – 同41年2月15日

和邇吉師(王仁)によって論語(儒教)と千字文(漢字)が伝わった

16代

仁徳天皇
にんとく

仁徳天皇

応神天皇の第四皇子

313 – 399

仁徳天皇元年1月3日 – 同87年1月16日

聖帝の治世

17代

履中天皇
りちゅう

履中天皇

仁徳天皇の第一皇子

400 – 405

履中天皇元年2月1日 – 同6年3月15日

諸国に国史(ふみひと)と呼ばれる書記官を設置

18代

反正天皇
はんぜい

反正天皇

仁徳天皇の第三皇子
履中天皇の同母弟

406 – 411

反正天皇元年1月2日 – 同5年1月23日

兄弟継承した初の天皇

19代

允恭天皇
いんぎょう

允恭天皇

仁徳天皇の第四皇子
反正天皇の同母弟

412 – 453

允恭天皇元年12月 – 同42年1月14日

氏姓制度の改革

20代

安康天皇
あんこう

安康天皇

允恭天皇の第二皇子

453 – 456

允恭天皇42年12月14日 – 安康天皇3年8月9日

暗殺されたと明確に記された最初の天皇

21代

雄略天皇
ゆうりゃく

雄略天皇

允恭天皇の第五皇子

456 – 479

安康天皇3年11月13日 – 雄略天皇23年8月7日

考古学で存在が確認された最古の天皇

地方豪族を武力でねじ伏せて帝権を飛躍的に拡大、強力な専制君主として君臨

吉備氏の乱

養蚕の推奨

新羅への出兵

呉(南朝)への遣使(倭王武?)

22代

清寧天皇
せいねい

清寧天皇

雄略天皇の第三皇子

480 – 484

清寧天皇元年1月15日 – 同5年1月16日

白髪山古墳

白髪山古墳

23代

顕宗天皇
けんぞう

顕宗天皇

履中天皇の孫

485 – 487

顕宗天皇元年1月1日 – 同3年4月25日

父の市辺押磐皇子が大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に殺されると兄の億計王(後の仁賢天皇)と共に地方に逃れる

24代

仁賢天皇
にんけん

仁賢天皇

履中天皇の孫
顕宗天皇の同母兄

488 – 498

仁賢天皇元年1月5日 – 同11年8月8日

父の市辺押磐皇子が大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に殺されると弟の弘計王(後の顕宗天皇)と共に地方に逃れる

25代

武烈天皇
ぶれつ

武烈天皇

仁賢天皇の子

488 – 498

仁賢天皇11年12月 – 武烈天皇8年12月8日

大伴金村を大連とする

法令を用いて厳正に訴訟を取り扱った

『日本書紀』では異常性癖(異常行動)が記されている

26代

継体天皇
けいたい

継体天皇

応神天皇の5世の子孫(来孫)

507.3.3 – 531.3.10

継体天皇元年2月4日 – 継体天皇25年2月7日

武烈天皇崩御後、越前国高向から迎えられる

527: 磐井の乱起る

27代

安閑天皇
あんかん

安閑天皇

継体天皇の長子

531.2.7 – 535.12.17

継体天皇25年2月7日 – 安閑天皇2年12月17日

66歳にして即位したが、わずか4年で崩御

531: 辛亥の変(継体・欽明朝の内乱)による2朝並立の説もあり

28代

宣化天皇
せんか

宣化天皇

継体天皇の第二子

536.1 – 539.3.15

宣化天皇元年12月 – 宣化天皇4年2月10日

満69歳にして即位

筑紫の官家の整備

大伴金村に命じて新羅に攻められている任那に援軍を送る

ca.536: 蘇我稲目を大臣に任命、子の蘇我馬子以降続く蘇我氏の全盛の礎が築かれる

29代

欽明天皇
きんめい

欽明天皇

継体天皇の嫡男

539.12.30 – 571.5.24

宣化天皇4年12月5日 – 欽明天皇32年4月15日

540: 大伴金村が失脚

552: 百済から仏像と経文が伝来(日本への本格的な仏教伝来)

562: 新羅が任那を滅ぼす

30代

敏達天皇
びだつ

敏達天皇

欽明天皇の第二皇子

572.4.30 – 585.9.14

敏達天皇元年4月3日 – 敏達天皇14年8月15日

ca.578: 金剛組が宮大工の集団として発足

ca.585: 物部守屋が天皇に働きかけ、仏教禁止令を出させ、仏像と仏殿を燃やさせる

31代

用明天皇
ようめい

用明天皇

欽明天皇の第四皇子

585.10.3 – 587.5.21

敏達天皇14年9月5日 – 用明天皇2年4月9日

崇仏派で仏法を重んじ、王朝において仏教を公認

587: 蘇我馬子・厩戸皇子ら、物部守屋を討滅

32代

崇峻天皇
すしゅん

崇峻天皇

欽明天皇の第十二皇子

587.9.9 – 592.12.12

用明天皇2年8月2日 – 崇峻天皇5年11月3日

588: 飛鳥寺が建立

591: 任那復興軍を筑紫に派遣

592: 蘇我馬子が東漢駒に崇峻天皇を暗殺させる

飛鳥時代

氏名

在位期間

事績

33代

推古天皇
すいこ

推古天皇

欽明天皇の皇女
敏達天皇の異母妹で妃
崇峻天皇の異母姉
(神功皇后を含まない)日本史上最初の女性天皇

593.1.15 – 628.4.15

崇峻天皇5年12月8日 – 推古天皇36年3月7日

593: 甥の厩戸皇子を皇太子・摂政とする

厩戸皇子 聖徳太子

603: 冠位十二階の制定

604: 十七条憲法

607: 小野妹子を隋に派遣

620: 『天皇記』『国記』を編纂

34代

舒明天皇
じょめい

舒明天皇

敏達天皇の孫

629.2.2 – 641.11.17

舒明天皇元年1月4日 – 舒明天皇13年10月9日

630: 第一回遣唐使

637: 蝦夷が反乱したため、上毛野形名を将軍として討たせる

35代

皇極天皇
こうぎょく

斉明天皇

敏達天皇の曾孫
舒明天皇の皇后
重祚して斉明天皇

642.2.19 – 645.7.12

皇極天皇元年1月15日 – 皇極天皇4年6月14日

643: 蘇我入鹿が山背大兄王を攻め自害させる

645: 乙巳の変・大化の改新

乙巳の変

中大兄皇子らが宮中で蘇我入鹿を討つ。翌日、入鹿の父の蘇我蝦夷が自害

日本史上初の天皇の譲位(退位)を行う

36代

孝徳天皇
こうとく

孝徳天皇

敏達天皇の曾孫
皇極天皇(斉明天皇)の同母弟

645.7.12 – 654.11.24

皇極天皇4年6月14日 – 白雉5年10月10日

645: 史上初めて元号を立て「大化」とする

鍾匱の制

646: 改新の詔

  • 公地公民
  • 班田収授法
  • 国郡里制

37代

斉明天皇
さいめい

斉明天皇

敏達天皇の曾孫
舒明天皇の皇后
皇極天皇が重祚

655.2.14 – 661.8.24

斉明天皇元年1月3日 – 斉明天皇7年7月24日

史上初の重祚

659: 阿倍比羅夫が粛慎 (みしはせ)を討つ

中大兄皇子称制
なかのおおえのおうじ

天智天皇

舒明天皇の第二皇子
皇極天皇(重祚して斉明天皇)の子

661 – 668.2.20

天智天皇元年 – 天智天皇7年1月3日

663: 白村江の戦い

白村江の戦い

667.4.17 近江大津宮へ遷都

38代

天智天皇
てんじ

天智天皇

舒明天皇の第二皇子
皇極天皇(重祚して斉明天皇)の子

668.2.20 – 672.1.7

天智天皇7年1月3日- 天智天皇10年12月3日

670: 庚午年籍(戸籍)を作成

39代

弘文天皇
こうぶん

弘文天皇

天智天皇の第一皇子

672.1.9 – 672.8.21

天智天皇10年12月5日 – 天武天皇元年7月23日

672: 壬申の乱

壬申の乱

40代

天武天皇
てんむ

天武天皇

舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子
天智天皇の同母弟

673.3.20 – 686.10.1

天武天皇2年2月27日 – 朱鳥元年9月9日

皇親政治

681: 飛鳥浄御原令の編纂を命じる

684: 八色の姓を定める

ca.685: 式年遷宮の制が立てられる(690とも)

41代

持統天皇
じとう

持統天皇

天智天皇の娘
天武天皇の皇后・姪

690.2.14 – 697.8.22

持統天皇4年1月1日 – 持統天皇11年8月1日

694: 藤原京に遷る

藤原京

42代

文武天皇
もんむ

文武天皇

天武天皇と持統天皇の孫

697.8.22 – 707.7.18

文武天皇元年8月1日 – 慶雲4年6月15日

701: 大宝律令が完成し、翌年公布

奈良時代

氏名

在位期間

事績

43代

元明天皇
げんめい

元明天皇

天智天皇第四皇女子
持統天皇は父方では異母姉、母方では従姉

707.8.18 – 715.10.3

慶雲4年7月17日 – 和銅8年9月2日

708: 和同開珎を鋳造

和同開珎

710: 平城京に遷都

平城京

712: 『古事記』完成

713: 『風土記』の編纂と好字令(「諸国郡郷名著好字令」)を詔勅

715: 郷里制が実施

44代

元正天皇
げんしょう

元正天皇

元明天皇の娘

715.10.3 – 724.3.3

霊亀元年9月2日 – 養老8年2月4日

718: 藤原不比等らが中心となって養老律令の編纂を始める

720: 『日本書紀』が完成

723: 三世一身法が制定

45代

聖武天皇
しょうむ

聖武天皇

文武天皇の第一皇子
元正天皇の甥

724.3.3 – 749.8.19

神亀元年2月4日 – 天平感宝元年7月2日

729: 長屋王の変

730: 悲田院・施薬院を創設

737: 天然痘の大流行が起こり、藤原四兄弟相次いで没

740: 藤原広嗣の乱が起る

743: 墾田永年私財法

752.5.30 東大寺大仏の開眼法要

東大寺盧舎那仏像

46代

孝謙天皇
こうけん

孝謙天皇

聖武天皇の娘
重祚して称徳天皇

749.8.19 – 758.9.7

天平勝宝元年7月2日 – 天平宝字2年8月1日

757: 橘奈良麻呂の乱

47代

淳仁天皇
じゅんにん

淳仁天皇

天武天皇の皇子・舎人親王の七男
淡路廃帝

758.9.7 – 764.11.6

天平宝字2年8月1日 – 天平宝字8年10月9日

758: 官職の唐風改称

759:『万葉集』成る

769: 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)

藤原仲麻呂の乱 恵美押勝の乱

48代

称徳天皇
しょうとく

孝謙天皇

聖武天皇の娘
孝謙天皇が重祚

764.11.6 – 770.8.28

天平宝字8年10月9日 – 神護景雲4年8月4日

769: 宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)

49代

光仁天皇
こうにん

光仁天皇

天智天皇の孫

770.10.23 – 781.4.30

和銅2年10月13日 – 天応元年12月23日

772: 皇后井上内親王、巫蠱の罪により廃される

平安時代

  • 794年 平安京に遷都
  • 866年 藤原良房が人臣初の摂政に任じられる
  • 887年 藤原基経が関白に任じられる
  • 1087年 堀河天皇に譲位した白河上皇が院政を始める

摂関政治(藤原頼道まで)

年代天皇摂政関白
858年清和
866年応天門の変
良房(外祖父)
876年陽成基経(外伯父)
887年宇多阿衡事件
基経(岳父)
891年寛平の治
897年醍醐
延喜の治
930年朱雀忠平(外伯父)
941年忠平(外伯父)
946年村上忠平(外伯父)
967年冷泉実頼(大伯父)
969年円融実頼(大伯父)
970年伊尹(外伯父)
973年兼通(外伯父)
977年頼忠
984年花山頼忠(岳父)
986年一条兼家(外祖父)寛和の変
990年兼家(外祖父)
道隆(外伯父)
道隆(外伯父)
993年道隆(外伯父)
995年道兼(外伯父)
996年長徳の変
1011年三条
1016年後一条道長(外祖父)
1017年頼通(外叔父)
1020年頼通(外叔父)
1036年後朱雀頼通(外叔父)
1045年後冷泉頼通(外叔父)

院政(承久の乱まで)

年代天皇上皇上皇上皇上皇上皇上皇上皇上皇上皇
1087年堀河白河
1107年鳥羽
1123年崇徳鳥羽
1129年
1142年近衛崇徳
1155年後白河
1156年保元の乱
1158年二条後白河
1165年六条二条
1168年高倉六条
1176年
1179年治承三年の政変
1180年安徳高倉
1181年院政を復活
1183年後鳥羽
1192年
1198年土御門後鳥羽
1210年順徳土御門
1221年仲恭承久の乱
隠岐に配流
承久の乱
土佐に配流

氏名

在位期間

事績

50代

桓武天皇
かんむ

桓武天皇

光仁天皇の第一皇子

781.4.30 – 806.4.9

天応元年4月3日 – 延暦25年3月17日

782: 氷上川継の乱

784: 長岡京を造営

792: 健児の制

794: 平安京へ改めて遷都

平安京

797: 坂上田村麻呂を征夷大将軍に任ずる

坂上田村麻呂

797: 勘解由使の設置

805: 藤原緒嗣と菅野真道による天徳政相論

51代

平城天皇
へいぜい

平城天皇

桓武天皇の第一皇子

806.4.9 – 809.5.18

延暦25年3月17日 – 大同4年4月1日

806: 六道観察使を初めて設置

807:『古語拾遺』成る

807: 伊予親王の変

52代

嵯峨天皇
さが

嵯峨天皇

桓武天皇の第二皇子
平城天皇の同母弟

809.5.18 – 823.5.29

大同4年4月1日 – 弘仁14年4月16日

810: 薬子の変(平城太上天皇の変)

814: 嵯峨天皇がその子女8人に源姓を賜い臣籍降下させる(嵯峨源氏、賜姓源氏の始まり)

53代

淳和天皇
じゅんな

淳和天皇

桓武天皇の第七皇子
嵯峨天皇の異母弟

823.5.29 – 833.3.22

弘仁14年4月16日 – 天長10年2月28日

825: 高棟王に平姓を賜う

831: 滋野貞主が日本最古の類書(百科事典)の『秘府略』1000巻を編纂する

833: 清原夏野ら『令義解』を撰集

54代

仁明天皇
にんみょう

仁明天皇

嵯峨天皇の第二皇子

833.3.22 – 850.5.4

天長10年2月28日 – 嘉祥3年3月19日

838: 小野篁を隠岐国に配流

838: 承和の遣唐使(事実上の最後の遣唐使)

842: 承和の変

55代

文徳天皇
もんとく

文徳天皇

仁明天皇の第一皇子

850.5.4 – 858.10.7

嘉祥3年3月19日 – 天安2年8月27日

ca.850: この頃から班田制の崩壊はじまる

850: 橘嘉智子没、嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)、学館院を設立

56代

清和天皇
せいわ

清和天皇

文徳天皇の第四皇子

858.10.7 – 876.12.18

天安2年8月27日 – 貞観18年11月29日

858: 藤原良房を臣下としては初の摂政に任じる(摂関政治の初め)

866: 応天門の変

応天門の変

57代

陽成天皇
ようぜい

陽成天皇

清和天皇の子

876.12.18 – 884.3.4

貞観18年11月29日 – 元慶8年2月4日

883: 源益の殴殺事件(宮中殺人事件)

58代

光孝天皇
こうこう

光孝天皇

仁明天皇の第三皇子

884.3.4 – 887.9.17

元慶8年2月4日 – 仁和3年8月26日

55歳で即位

59代

宇多天皇
うだ

宇多天皇

光孝天皇の第七皇子

887.9.17 – 897.8.4

仁和3年8月26日 – 寛平9年7月3日

887: 阿衡事件(阿衡の紛議)

藤原基経を関白に正式任命

891: 寛平の治

894: 遣唐使派遣が停止

60代

醍醐天皇
だいご

醍醐天皇

宇多天皇の皇子

897.8.4 – 930.10.16

寛平9年7月3日 – 延長8年9月22日

897: 延喜の治

901: 昌泰の変(菅原道真を大宰府へ左遷)

菅原道真

902: 延喜の荘園整理令

905:『古今和歌集』撰進を紀貫之らに命じる

61代

朱雀天皇
すざく

朱雀天皇

醍醐天皇の第十一皇子

930.10.16 – 946.5.23

延長8年9月22日 – 天慶9年4月20日

935-941 承平天慶の乱

62代

村上天皇
むらかみ

村上天皇

醍醐天皇の第十四皇子

946.5.23 – 967.7.5

天慶9年4月20日 – 康保4年5月25日

949: 天暦の治

951:『後撰和歌集』の編纂を下命

63代

冷泉天皇
れいぜい

冷泉天皇

村上天皇の第2皇子

967.7.5 – 969.9.27

康保4年5月25日 – 安和2年8月13日

969: 安和の変

64代

円融天皇
えんゆう

円融天皇

村上天皇の第五皇子

969.9.27 – 984.9.24

安和2年8月13日 – 永観2年8月27日

977: 外戚関係のない藤原頼忠を関白に任ずる

65代

花山天皇
かざん

花山天皇

冷泉天皇の第一皇子
円融天皇の甥

984.9.24 – 986.8.1

永観2年8月27日 – 寛和2年6月23日

985: 永観の荘園整理令

986: 寛和の変

66代

一条天皇
いちじょう

一条天皇

円融天皇の第1皇子

986.8.1 – 1011.7.16

寛和2年6月23日 – 寛弘8年6月13日

皇后定子清少納言が仕える

中宮彰子に紫式部・和泉式部が仕える

995: 長徳の変

67代

三条天皇
さんじょう

三条天皇

冷泉天皇の第二皇子

1011.7.16 – 1016.3.10

寛弘8年6月13日 – 長和5年1月29日

1014: 眼病を患い、視力を失う

68代

後一条天皇
ごいちじょう

後一条天皇

一条天皇の第二皇子

1016.3.10 – 1036.5.15

長和5年1月29日 – 長元9年4月17日

糖尿病により崩御

1017: 三条天皇の第一皇子敦明親王が藤原道長に無言の圧迫を掛けられ、自ら東宮を辞退

→冷泉・円融両系の両統迭立に終止符が打たれる

69代

後朱雀天皇
ごすざく

後朱雀天皇

一条天皇の第三皇子

1036.5.15 – 1045.2.5

長元9年4月17日 – 寛徳2年1月16日

1040: 長久の荘園整理令

70代

後冷泉天皇
ごれいぜい

後冷泉天皇

後朱雀天皇の第一皇子

1045.2.5 – 1068.5.22

寛徳2年1月16日 – 治暦4年4月19日

1045: 寛徳の荘園整理令

1051 – 1062 前九年の役

71代

後三条天皇
ごさんじょう

後三条天皇

後朱雀天皇の第二皇子

1068.5.22 – 1073.1.18

治暦4年4月19日 – 延久4年12月8日

宇多天皇以来170年ぶりの藤原氏を外戚としない天皇として即位

1069: 延久の荘園整理令、記録荘園券契所が設置

延久の善政

1070: 延久蝦夷合戦

72代

白河天皇
しらかわ

白河天皇

後三条天皇の第一皇子

1073.1.18 – 1087.1.3

延久4年12月8日 – 応徳3年11月26日

1083 – 1087 後三年の役

後三年の役

73代

堀河天皇
ほりかわ

堀河天皇

白河天皇の第三皇子

1087.1.3 – 1107.8.9

応徳3年11月26日 – 嘉承2年7月19日

白河上皇による院政の始まり

「末代の賢王」(『続古事談』)と評される

74代

鳥羽天皇
とば

鳥羽天皇

堀河天皇の皇子

1107.8.9 – 1123.2.25

嘉承2年7月19日 – 保安4年1月28日

5歳で即位

75代

崇徳天皇
すとく

崇徳天皇

鳥羽天皇の第一皇子

1123.2.25 – 1142.1.5

保安4年1月28日 – 永治元年12月7日

1129: 白河法皇崩御の後、鳥羽上皇が院政を敷く

76代

近衛天皇
このえ

近衛天皇

鳥羽天皇の第一皇子

1142.1.5 – 1155.8.22

永治元年12月7日 – 久寿2年7月23日

3歳で即位

77代

後白河天皇
ごしらかわ

後白河天皇

鳥羽天皇の第四皇子

1155.8.23 – 1158.9.5

久寿2年7月24日 – 保元3年8月11日

1156.5: 鳥羽法皇が崩御

1156.7: 保元の乱

保元の乱

→崇徳院が讃岐に配流

78代

二条天皇
にじょう

二条天皇

後白河天皇の第一皇子

1158.9.5 – 1165.8.3

保元3年8月11日 – 永万元年6月25日

「仏と仏との評定」により、後白河天皇からの譲位をうけ践祚(美福門院・信西)

1159: 平治の乱

平治の乱

79代

六条天皇
ろくじょう

六条天皇

後白河天皇の孫
二条天皇の皇子

1165.8.3 – 1168.4.9

永万元年6月25日 – 仁安3年2月19日

数え2歳(満7か月と11日)でに践祚(歴代最年少での皇位への即位)

80代

高倉天皇
たかくら

高倉天皇

後白河天皇の第7皇子
六条天皇の叔父

1168.4.9 – 1180.3.18

仁安3年2月19日 – 治承4年2月21日

8歳で践祚

1179: 治承三年の政変

81代

安徳天皇
あんとく

安徳天皇

高倉天皇の第一皇子

1180.3.18 – 1185.4.25

治承4年2月21日 – 寿永4年3月24日

数え年3歳(満1歳2か月)で践祚

1180: 福原行幸

1183: 源義仲の入京、平家一門に連れられ三種の神器とともに都落ち

1183.9.8 三種の神器が無いまま後鳥羽天皇が践祚

1185.4.25 壇ノ浦で入水し崩御

鎌倉時代

  • 1221年 承久の乱

氏名

在位期間

事績

82代

後鳥羽天皇
ごとば

後鳥羽天皇

高倉天皇の第四皇子

1183.9.8 – 1198.2.18

寿永2年8月20日 – 建久9年1月11日

正史上初めて同時に2人の天皇が擁立される(- 1185.4.25)

1183: 寿永二年十月宣旨を源頼朝に下す(頼朝の東国支配権を承認する)

1185: 文治の勅許を源頼朝に与える(頼朝が守護・地頭を設置することを許す)

1192: 源頼朝を征夷大将軍に任ずる

1196: 建久七年の政変

83代

土御門天皇
つちみかど

土御門天皇

後鳥羽天皇の第一皇子

1198.2.18 – 1210.12.12

建久9年1月11日 – 承元4年11月25日

3歳で践祚

84代

順徳天皇
じゅんとく

順徳天皇

後鳥羽天皇の皇子

1210.12.12 – 1221.5.13

承元4年11月25日 – 承久3年4月20日

1219: 鎌倉幕府3代将軍・源実朝の暗殺後、皇族将軍の上奏を後鳥羽上皇が拒否

1221:『禁秘抄』を著す

85代

仲恭天皇
ちゅうきょう

仲恭天皇

順徳天皇の第四皇子
九条廃帝

1221.5.13 – 1221.7.29

承久3年4月20日 – 7月9日

1221: 承久の乱

承久の乱

→後鳥羽上皇、隠岐に配流
→土御門上皇、土佐(後に阿波)に配流
→順徳上皇、佐渡に配流

86代

後堀河天皇
ごほりかわ

後堀河天皇

高倉天皇の孫

1221.7.29 – 1232.11.17

承久3年7月9日 – 貞永元年10月4日

10歳で践祚

1226: 将軍宣下により藤原頼経が鎌倉幕府の4代将軍となる

1229: 安貞二年の政変

87代

四条天皇
しじょう

四条天皇

高倉天皇の孫

1232.11.17 – 1242.2.10

貞永元年10月4日 – 仁治3年1月9日

12歳のとき御所で転倒して崩御

88代

後嵯峨天皇
ごさが

後嵯峨天皇

土御門天皇の皇子

1242.2.21 – 1246.2.16

仁治3年1月20日 – 寛元4年1月29日

1242: 仁治三年の政変(京洛政変)を経て即位

89代

後深草天皇
ごふかくさ

後深草天皇

後嵯峨天皇の皇子
北朝(持明院統)の祖

1246.2.16 – 1260.1.9

寛元4年1月29日 – 正元2年11月26日

1246: 宮騒動

1252: 異母兄の宗尊親王が第6代将軍として鎌倉に迎え入れられる(親王将軍の成立)

90代

亀山天皇
かめやま

亀山天皇

後嵯峨天皇の皇子
南朝(大覚寺統)の祖

1260.1.9 – 1274.3.6

正元元年11月26日 – 文永11年1月26日

1272: 後嵯峨法皇が崩御、鎌倉幕府の内諾を得て、亀山天皇親政が始まる(両統迭立の起り)

91代

後宇多天皇
ごうだ

後宇多天皇

亀山天皇の第二皇子

1274.3.6 – 1287.11.27

文永11年1月26日 – 弘安10年10月21日

1274: 文永の役(元寇)

文永の役

1281: 弘安の役(元寇)

弘安の役

92代

伏見天皇
ふしみ

伏見天皇

後深草天皇の第二皇子

1287.11.27 – 1298.8.30

弘安10年10月21日 – 永仁6年7月22日

1290: 浅原事件(伏見天皇暗殺未遂事件)

93代

後伏見天皇
ごふしみ

後伏見天皇

伏見天皇の第一皇子

1298.8.30 – 1301.3.2

永仁6年7月22日 – 正安3年1月21日

11歳で即位、父の伏見上皇が院政を始める

94代

後二条天皇
ごにじょう

後二条天皇

後宇多天皇の第一皇子

1301.3.2 – 1308.9.10

正安3年1月21日 – 徳治3年8月25日

鎌倉幕府が朝廷に治天と天皇の交代を要求した結果即位

95代

花園天皇
はなぞの

花園天皇

伏見天皇の第四皇子

1308.9.11 – 1318.3.29

延慶元年8月26日 – 文保2年2月26日

1317: 文保の和談

96代

南1

後醍醐天皇
ごだいご

後醍醐天皇

後宇多天皇の第二皇子

1318.3.29 – 1339.9.18

文保2年2月26日 – 延元4年8月15日

1324: 正中の変

1331: 元弘の乱(元弘の変)→隠岐に配流

1333: 建武の新政

建武の新政 後醍醐天皇図

1335: 中先代の乱

1337: 吉野へ逃れて朝廷を開く(南朝の成立)

南北朝時代

年代南朝北朝室町幕府
1318年後醍醐(96)①
1331年元弘の乱光厳❶
1333年建武の新政
1336年光明❷
1338年尊氏1⃣
1339年後村上(97)②
1348年崇光❸
1350年観応の擾乱
1351年正平一統
1352年後光厳❹
1359年義詮2⃣
1368年長慶(98)③
1369年義満3⃣
1371年後円融❺
1382年後小松❻
1383年後亀山(99)④
1392年南北朝合一後小松(100)

南朝

氏名

在位期間

事績

97代

南2

後村上天皇
ごむらかみ

後村上天皇

後醍醐天皇の七男

1339.9.18 – 1368.3.29

延元4年8月15日 – 正平23年3月11日

1350: 観応の擾乱、足利直義が南朝に降伏

1351: 次いで、足利尊氏も南朝に降伏し正平一統が成立

尊氏に対して直義・直冬追討の綸旨を与える

北朝崇光天皇を廃位、北朝が一次的に消滅

三種の神器(後醍醐天皇は偽器と主張していた)を接収

98代

南3

長慶天皇
ちょうけい

金剛寺摩尼院

後村上天皇の子

1368.3 – 1383.冬

正平23年3月 – 弘和3年冬

1373: 吉野へ還幸

1381:『仙源抄』を著す

99代

南4

後亀山天皇
ごかめやま

後亀山天皇

後村上天皇の子
長慶天皇の弟

1383.冬 – 1392.11.19

弘和3年冬 – 元中9年閏10月5日

1392: 三種の神器を北朝の後小松天皇に伝えて譲位、南北朝合一を実現(明徳の和約)

北朝

氏名

在位期間

事績

北1

光厳天皇
こうごん

光厳天皇

後伏見天皇の第三皇子

1331.10.22 – 1333.7.7

元弘元年9月20日 – 正慶2年5月25日

鎌倉幕府の後ろ盾もあり即位

1333: 建武の新政により廃される

北2

光明天皇
こうみょう

光明天皇

光厳天皇の弟

1336.9.20 – 1348.11.18

建武3年8月15日 – 貞和4年10月27日

足利尊氏から治天の君に推戴された光厳上皇の院宣により即位

1338: 足利尊氏を征夷大将軍に任命し、室町幕府が成立

足利尊氏

北3

崇光天皇
すこう

崇光天皇

光厳天皇の第一皇子

1348.11.18 – 1351.11.26

貞和4年10月27日 – 観応3年11月7日

1350: 観応の擾乱、足利直義が南朝に降伏

1351: 次いで、足利尊氏も南朝に降伏し正平一統が成立、北朝の一次的消滅により廃位

1352: 光厳・光明・崇光の3上皇及び廃太子直仁が南朝に拉致される

北4

後光厳天皇
ごこうごん

後光厳天皇

光厳天皇の第一皇子

1352.9.25 – 1371.4.9

観応3年8月17日 – 応安4年3月23日

足利義詮の意を受け即位

1371: 第二皇子の緒仁親王に譲位

北5

後円融天皇
ごえんゆう

後円融天皇

光厳天皇の第一皇子

1371.4.9 – 1382.5.24

応安4年3月23日 – 永徳2年4月11日

管領細川頼之の支持で即位

1375:『新後拾遺和歌集』を義満の執奏により下命

1379: 興福寺内紛を巡る春日神木の入洛(康暦の強訴)

室町時代

  • 1392年11月19日 南北朝合一(明徳の和約)

氏名

在位期間

事績

北6

100代

後小松天皇
ごこまつ

後小松天皇

後円融天皇の子

1382.5.24 – 1392.11.19

永徳2年4月11日 – 明徳3年閏10月5日

1392.11.19 – 1412.10.5

明徳3年閏10月5日 – 応永19年8月29日

皇子の實仁親王(称光天皇)に譲位し、院政を開始→これは、南北朝合一の際の条件である両統迭立に反しており、以後、南朝方の武装蜂起が頻発する

101代

称光天皇
しょうこう

称光天皇

後小松天皇の子

1412.10.5 – 1428.8.30

応永19年8月29日 – 正長元年7月20日

生来病気がちで、嗣子に恵まれなかった

102代

後花園天皇
ごはなぞの

後花園天皇

称光天皇の三従兄弟(曾祖父母の兄弟姉妹の曽孫)

1428.9.7 – 1464.8.21

正長元年7月28日 – 寛正5年7月19日

1439:『新続古今和歌集』が成立

1438年永享の乱、1441年嘉吉の乱などでは治罰綸旨を発給

1443: 禁闕の変、後南朝が御所に乱入、三種の神器のうち剣璽の二つを奪い比叡山へ逃れる

1457-1458: 長禄の変、後南朝の行宮を襲い、神璽を嘉吉の乱により滅亡した赤松家の遺臣が奪い返す

1462: 皇子の成仁親王に天皇としての心得を説いた『後花園院御消息』を与える

103代

後土御門天皇
ごつちみかど

後土御門天皇

後花園天皇の子

1464.8.21 – 1500.10.21

寛正5年7月19日 – 明応9年9月29日

1467 – 1477: 応仁・文明の乱起る

応仁・文明の乱 真如堂縁起絵巻

政権の正統性を得ようとした足利将軍家に譲位を5回拒否される

戦国時代

  • 1467年 – 1477年:応仁・文明の乱

氏名

在位期間

事績

104代

後柏原天皇
ごかしわばら

後柏原天皇

後土御門天皇の子

1500.11.16 – 1526.5.18

明応9年10月25日 – 大永6年4月7日

財政難により、即位の礼をあげるまで21年待つ

105代

後奈良天皇
ごなら

後奈良天皇

後柏原天皇の第二皇子

1526.6.9 – 1557.9.27

大永6年4月29日 – 弘治3年9月5日

財政難により、即位の礼をあげるまで10年待つ

106代

正親町天皇
おおぎまち

正親町天皇

後奈良天皇の第一皇子

1557.11.17 – 1586.12.17

弘治3年10月27日 – 天正14年11月7日

1570年の朝倉義景・浅井長政との戦い、1573年の足利義昭との戦い、1580年の石山本願寺と織田信長の戦いにおける講和は、いずれも正親町天皇の勅命による

安土桃山時代(織豊時代)

  • 1573年:足利義昭が京都から放逐されて室町幕府が事実上の滅亡

氏名

在位期間

事績

107代

後陽成天皇
ごようぜい

後陽成天皇

正親町天皇の孫

1586.12.17 – 1611.5.9

天正14年11月7日 – 慶長16年3月27日

1588.1: 室町将軍・足利義昭が征夷大将軍職を朝廷に返上、義昭に准三宮の待遇を与える

1588.4: 豊臣秀吉の招きにより、聚楽第行幸

1609: 猪熊事件

江戸時代

氏名

在位期間

事績

108代

後水尾天皇
ごみずのお

後水尾天皇

後陽成天皇の第三皇子

1611年5月9日 – 1629年12月22

慶長16年3月27日 – 寛永6年11月8日

1619: およつ御寮人事件(万里小路事件)

1627: 紫衣事件

1629: 金杯事件(家光乳母が無位無官でありながら拝謁し、「春日局」の名号及び天酌御盃を賜る)

109代

明正天皇
めいしょう

明正天皇

後水尾天皇の第二皇女

1629.12.22 – 1643.11.14

寛永6年11月8日 – 寛永20年10月3日

5歳で即位

母は徳川秀忠の娘で、徳川将軍家を外戚とした唯一の天皇

110代

後光明天皇
ごこうみょう

後光明天皇

後水尾天皇の第四皇子
後光明天皇の異母弟

1643.11.14 – 1654.10.30

寛永20年10月3日 – 承応3年9月20日

痘瘡により22歳で崩御

111代

後西天皇
ごさい

後西天皇

後水尾天皇の第八皇子
明正天皇の異母弟

1655.1.5 – 1663.3.5

承応3年11月28日 – 寛文3年1月26日

実弟識仁親王(霊元天皇)はまだ生後間もなく他の兄弟は全て出家の身であったため、ワンポイントリリーフとして即位

112代

霊元天皇
れいげん

霊元天皇

後水尾天皇の第十九皇子
後西天皇の弟

1663.3.5 – 1687.5.2

寛文3年1月26日 – 貞享4年3月21日

禁闕騒動(皇継をめぐる幕府・後水尾院・東福門院と天皇の争い)

1681: 小倉事件

1683: 300年ぶりの立太子礼を経て朝仁親王(五宮)を皇太子とする

113代

東山天皇
ひがしやま

東山天皇

霊元天皇の第四皇子

1687.5.6 – 1709.7.27

貞享4年3月25日 – 宝永6年6月21日

父から譲位されて践祚、霊元上皇の院政はじまる

長く廃絶していた大嘗祭の儀式を復活

1701: 松之大廊下の刃傷事件(江戸へ派遣した勅使の柳原資廉・高野保春の接待をめぐり、接待役の赤穂藩主浅野長矩が指南役の高家吉良義央に斬りかかる)

御料(皇室領)が1万石から3万石となり、朝廷の財政面が著しく好転する

114代

中御門天皇
なかみかど

中御門天皇

東山天皇の第五皇子

1709.7.27 – 1735.4.13

宝永6年6月21日 – 享保20年3月21日

1729: 交趾(ベトナム)広南産の象の「拝謁」を霊元上皇とともに受ける(広南従四位白象)

広南従四位白象

115代

桜町天皇
さくらまち

桜町天皇

中御門天皇の第一皇子

1735.4.13 – 1747.6.9

享保20年3月21日 – 延享4年5月2日

脚気衝心により31歳で崩御

116代

桃園天皇
ももぞの

桃園天皇

桜町天皇の第一皇子

1747.6.9 – 1762.8.31

延享4年5月2日 – 宝暦12年7月12日

宝暦事件(尊王論者の若い公卿が幕府により大量に処罰される)

117代

後桜町天皇
ごさくらまち

後桜町天皇

桜町天皇の嫡出腹の皇女
桃園天皇の異母姉

1747.6.9 – 1762.8.31

延享4年5月2日 – 宝暦12年7月12日

太上天皇として後の尊号一件(1789年-)を収め、国母と呼ばれる

118代

後桃園天皇
ごももぞの

後桃園天皇

桃園天皇の第一皇子
後桜町天皇の甥

1771.1.9 – 1779.12.16

明和7年11月24日 – 安永8年11月9日

1773 – 1774: 安永の御所騒動(口向役人の不正が江戸幕府によって摘発)

119代

光格天皇
こうかく

光格天皇

東山天皇の曾孫
桃園天皇・後桜町天皇の再従姉弟

1780.1.1 – 1817.5.7

安永8年11月25日 – 文化14年3月22日

1789 – 1793: 尊号一件(父・典仁親王に太上天皇号を贈ろうとして幕府の反対に遇い断念)

一世一元の制導入以前に譲位した最後の天皇

120代

仁孝天皇
にんこう

仁孝天皇

光格天皇の第4皇子

1817.5.7 – 1846.2.21

文化14年3月22日 – 弘化3年1月26日

崩御後に実現する皇族や公家の子弟のための教育機関の設置に尽力→「学習院(京都学習院)」

121代

孝明天皇
こうめい

孝明天皇

光格天皇の第4皇子

1846.3.10 – 1867.1.30

弘化3年2月13日 – 慶応2年12月25日

1847: 石清水臨時祭にあたり外夷を打ち払い四海静謐を祈る

1858: 日米修好通商条約の調印勅許について衆議するも「定見なし」

1858.4.25: 廷臣八十八卿列参事件

1858.9.14: 戊午の密勅

1862.3.11: 皇妹和宮親子内親王の降嫁

1862.5.14: 公武合体推進のため島津久光が兵を率いて入京 朝廷、幕府に三事策を求める

1863.4.21: 徳川家茂上洛

1863.6.6: 攘夷実行の勅命

攘夷実行の勅命 攘夷勅命

1863.9.29: 天誅組の変

1863.9.30: 八月十八日の政変(七卿落ち)

1863.11.22: 生野の変

1864.2.7-4.14: 一橋慶喜・雄藩諸侯(松平慶永、山内豊信、伊達宗城、松平容保、島津久光)ら朝議参預に任じられる(参預会議)

1864.5.2: 天狗党の乱

1864.7.8: 池田屋事件

1864.8.20: 禁門の変(蛤御門の変)

禁門の変 蛤御門の変

1866: 廷臣二十二卿列参事件

近代

氏名

在位期間

事績

122代

明治天皇
めいじ

明治天皇

孝明天皇の第二皇子

1867.2.13 – 1912.7.30

慶応3年1月9日 – 明治45年7月30日

1867.6.6: 四侯会議

1867.11.9: 大政奉還

大政奉還

1869.3.28: 東京奠都

1869.7.25: 版籍奉還

1871.8.29: 廃藩置県

廃藩置県

1877: 西南戦争

西南戦争

1881: 国会開設の勅諭

1889.2.11: 大日本帝国憲法を公布

1890.11.29: 開会の第1回帝国議会

1894-95: 日清戦争

日清戦争

1904-05: 日露戦争

日露戦争

1910: 韓国併合

123代

大正天皇
たいしょう

大正天皇

明治天皇の第三皇子

1912.7.30 – 1926.12.25

明治45年7月30日 – 大正15年12月25日

1913: 大正政変

1914.8.23: 第一次世界大戦に参戦(ドイツに宣戦布告)

1918-22: シベリア出兵

シベリア出兵

1920.1: 国際連盟が成立

1920-21: 宮中某重大事件

1921.11.16 皇太子裕仁親王の摂政就任

1923.9.1: 関東大震災

1923.12.27 虎ノ門事件

124代

昭和天皇
しょうわ

昭和天皇

大正天皇の第1男子

1926.12.25 – 1989.1.7

大正15年12月25日 – 昭和64年1月7日

1927.2.7 北原二等卒直訴事件

1929.10-1931: 昭和恐慌(世界恐慌)

1931.9.18: 満洲事変

1932.1.8 桜田門外を馬車で走行中に手榴弾を投げつけられる(桜田門事件)

1932: 五・一五事件

1933.3: 国際連盟脱退

1936: 二・二六事件

1937.11.30 日中戦争起る

1939.9.1 第二次世界大戦勃発

1941.12.8 太平洋戦争勃発(真珠湾攻撃)

太平洋戦争

1945.8.15: ポツダム宣言受諾(玉音放送)

1946.1.1: 天皇人間宣言

昭和天皇・マッカーサー会見

1946.2.19-1954.8 昭和天皇の戦後巡幸

1947.5.3: 日本国憲法施行

1952.4.28 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効

1964.10: 東京五輪開会式で開会宣言を行う

1971.6.17: 沖縄返還協定

1972.2: 札幌五輪開会式で開会宣言を行う

125代

上皇(平成)
へいせい

明仁

大正天皇の第1男子

1989.1.7 – 2019.4.30

昭和64年1月7日 – 平成31年4月30日

1992.10: 中華人民共和国政府の招待で同国を訪問

1998年長野オリンピックの開会式で開会宣言を行う

2009.12.15 習近平中華人民共和国副主席と会見(天皇特例会見、1ヶ月ルール)

2011.3.16 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生とそれに伴う被害に鑑み、ビデオメッセージを放送

2016.8.8 『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば』として表明(生前退位(譲位))

126代

今上天皇(令和)
れいわ

徳仁

昭和天皇の第1皇男子

2019.5.1 – 在位中

令和元年5月1日 – 在位中

59歳(数え60歳)での即位は、光仁天皇の61歳(数え62歳)に次ぐ、歴代で2番目となる高齢での即位

2021.7.23 2020年東京オリンピックの開会式で開会宣言を行う

参考リンク

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