
ボルボン朝:フェリペ2世からイサベル2世まで

第一共和政からボルボン王政復古まで

歴代首相の総括(名称/政体の変遷、1705-現在)
- スペイン首相について
- スペイン共和国(第二共和政)
- 臨時政府大統領(1931年)
- ニセート・アルカラ=サモーラ
Niceto Alcalá-Zamora y Torres - マヌエル・アサーニャ
Manuel Azaña Díaz - 閣僚評議会議長(1931年 – 1939年)
- マヌエル・アサーニャ
Manuel Azaña Díaz - アレハンドロ・レルー
Alejandro Lerroux García - ディエゴ・マルティネス・バリオ
Diego Martínez Barrio - アレハンドロ・レルー
Alejandro Lerroux García - リカルド・サンペール・エ・イバニェス
Ricardo Samper e Ibáñez - アレハンドロ・レルー
Alejandro Lerroux García - ホアキン・チャパプリエータ
Joaquín Chapaprieta y Torregrosa - マヌエル・ポルテーラ
Manuel Portela Valladares - マヌエル・ポルテーラ
Manuel Portela Valladares - マヌエル・アサーニャ
Manuel Azaña Díaz - アウグスト・バルシア・トレージェス
Augusto Barcia Trelles - サンティアゴ・カサーレス・キローガ
Santiago Casares Quiroga - ディエゴ・マルティネス・バリオ
Diego Martínez Barrio - ホセ・ヒラル・ペレイラ
José Giral Pereira - フランシスコ・ラルゴ・カバジェーロ
Francisco Largo Caballero - フアン・ネグリン・ロペス
Juan Negrín López
- スペイン国(フランコ独裁体制)
- スペイン王国
- 民主化移行期(1975-1977)
- カルロス・アリアス・ナバーロ
Carlos Arias Navarro - フェルナンド・デ・サンティアゴ・イ・ディエス
Fernando de Santiago y Díaz de Mendívil - アドルフォ・スアレス
Adolfo Suárez González - 1978年憲法
- スアレス公爵グランデ アドルフォ・スアレス
Adolfo Suárez González, el duque de Suárez y grande de España - レオポルド・カルボ=ソテーロ
Leopoldo Calvo-Sotelo y Bustelo - フェリペ・ゴンサレス
Felipe González Márquez - ホセ・マリア・アスナール
José María Alfredo Aznar López - ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ
José Luis Rodríguez Zapatero - マリアーノ・ラホイ・ブレイ
Mariano Rajoy Brey - ペドロ・サンチェス
Pedro Sánchez Pérez-Castejón
まとめ
- 参考リンク
- あわせて読みたい
スペイン首相について
正式名称の主な変遷は以下の通り。
- Secretario de Estado(国務長官)(1700-1833)-ボルボン家の初代国王フェリペ5世の治世から1833年のフェルナンド7世の治世、旧体制(Antiguo Régimen)崩壊まで
- Presidente del Consejo de Ministros de España(スペイン大臣会議議長)(1833-1977)-旧体制崩壊後のイサベル2世の治世から、フランコ体制終焉後、民主化移行期の制憲議会まで
- Presidente del Gobierno de España(スペイン政府首班)(1977-)-1977年の第一回立法議会以降
スペイン共和国(第二共和政)
臨時政府大統領(1931年)
代
氏名
期
在任期間
事績
1
1
1931.4.14
–
1931.10.14
2
2
1931.10.14
–
1931.12.11
閣僚評議会議長(1931年 – 1939年)
ニセート・アルカラ=サモーラ大統領(1931–1936)
代
氏名
期
在任期間
事績
2
3
1931.12.16
–
1933.6.12
「アサーニャの二年」始まる
スペイン社会労働党/急進社会主義共和党/共和行動党/カタルーニャ共和党左派/ガリシア共和国自治組織
1932.1.23 イエズス会に解散命令
8.10 サンフルホ将軍のクーデター失敗

9.9 カタルーニャ自治憲章成立
9.15 農地改革法成立
1933.1.12 CNT蜂起によるカサス・ビエハス事件
2.28-3.5 スペイン独立右翼連合(CEDA)結成
4
1933.6.12
–
1933.9.12
アサーニャ第3次内閣
スペイン社会労働党/急進社会主義共和党/共和行動党/カタルーニャ共和党左派/ガリシア共和国自治組織/連邦民主共和党
1933.9. 市町村議員団を主たる選挙人とする最高裁判所判事選挙で反政府側が圧勝→大統領がレルーを首相に任命
3
5
1933.9.12
–
1933.10.8
急進共和党/急進社会主義共和党/カタルーニャ共和党左派/共和行動党/ガリシア共和国自治組織/イズキエルダ急進社会主義者– 急進社会主義左翼
反改革を鮮明にしたレルーは議会の信任を得られず辞任→大統領が議会を解散
4
6
1933.10.8
–
1933.12.16
急進共和党/急進社会主義共和党/カタルーニャ共和党左派/共和行動党/ガリシア共和国自治組織/自由共和党右派/イズキエルダ急進社会主義者– 急進社会主義左翼
1933.10.29 プリモ・デ・リベーラの子、ホセ・アントニオがファランヘを創立
11.5 バスク自治憲章案、住民投票で承認
5
6
9
1934.4.28
–
1934.10.4
7
8
13
1935.9.25
–
1935.10.29
14
1935.10.29
–
1935.12.14
チャパプリエータ第2次内閣
スペイン・デレカス自治州連合急進共和党/スペイン農業党/カタルーニャ地域主義者連盟
1935.11 ノンベラスキャンダル(ノンベラ事件)
財政赤字を5%から4%に削減
政治的に孤立し、CEDAが彼の税制改革を阻止したため辞任
9
15
1935.12.14
–
1935.12.30
9
16
1935.12.30
–
1936.2.19
10
17
1936.2.19
–
1936.5.10
マヌエル・アサーニャ大統領(1936–1939)
代
氏名
期
在任期間
事績
暫定
–
1936.5.10
–
1936.5.13
11
18
1936.5.13
–
1936.7.18
12
19
1936.7.18
–
1936.7.19
13
20
1936.7.19
–
1936.9.4
14
21
1936.9.4
–
1936.11.4
ラルゴ・カバジェーロ第1次内閣
スペイン社会労働党/共和党左派/スペイン共産党/共和党連合/カタルーニャ共和党左派/バスク民族主義党
1936.9.9 反乱軍がロンドンで不干渉委員会の初会合開催(39.5.19 解散)
9.27 反乱軍がトレード占領
10.1 バスク自治憲章を承認して、バスク・ナショナリストの協力を確保
反乱軍が「新国家」宣言、総司令官と政府首班(国家元首)にフランコ就任
10.7 ソ連が不干渉協定に拘束されないことを宣言、共和国政府に援助物資の輸送を開始
10.19 フランコがマドリード総攻撃を指令
11.18 ドイツ・イタリアが反乱軍政府を承認
10.23 国際旅団の創設承認
22
1936.11.4
–
1937.5.17
ラルゴ・カバジェーロ第2次内閣
スペイン社会主義労働者党/トラバホ国立連盟/共和党左派/スペイン共産党/共和党連合/カタルーニャ共和党左派/バスク民族主義党
1936.11.6 共和国政府をバレンシアに移転
1937.3.8-18 グアダラハーラの戦い
4.19 反乱軍、政党統一令で「伝統主義とJONSのファランヘ(新ファランヘ)」創立、党首はフランコ、それ以外の政党は禁止
4.26 ドイツ軍によるゲルニカ爆撃

5.3-8 バルセローナで銃撃事件(五月事件):CNT・POUMと治安部隊・PSUCとの武力衝突
15
23
1937.5.17
–
1938.4.5
24
1938.4.5
–
1939.3.31
ネグリン第2次内閣
スペイン社会労働党/共和党左派/共和党連合/スペイン共産党/バスク民族主義党/トラバホ国立連盟/カタルーニャ共和党左派(1938.8迄)/カタルーニャ統一社会党/バスク民族主義者の行動(1938.8以降)
1938.5.1 「ネグリンの13項目綱領」発表
6. ローマ教皇庁によるフランコ政権承認
10. 国際旅団を解散
1939.2 スペイン難民避難局(スペイン共和党移民局(SERE))設立
3.5 カサード、マドリードでクーデター、反ネグリン・反共産党諸派による「防衛評議会」を結成


スペイン国(フランコ独裁体制)
国家元首および政府大統領(1938年 – 1975年)
カウディージョ フランシスコ・フランコ(1936–1975)
代
氏名
期
在任期間
事績
1
1
1938.1.30
–
1939.8.9
1938.1.30 フランコ、臨時的性格を残す専門評議会を廃して、ブルゴスに最初の内閣樹立
1938.3.7 – 1938.4.19 アラゴン攻勢

3.9 労働憲章公布(反資本主義、反マルクス主義、カトリシズムの社会正義の実現、垂直組合の設立)
4.15 反乱軍、地中海岸に達し、共和国政府支配地域を二分する
4.22 セラーノ・スニェル出版法公布、新聞検閲を法制化
4.28 ポルトガル政府、反乱派政府(フランコ政府)を承認
7.25 -11.16 エブロ川の戦闘

1938.12.23 – 1939.2.10 カタルーニャ攻勢

1939.1.26 反乱軍、バルセローナ占領
2.9 政治的責任法 (LRP)公布、2.13に官報掲載
2.27 英仏両政府、反乱派政府(フランコ政府)を承認
3.18 スペイン・ポルトガル相互不可侵条約(イベリア同盟)調印
3.27 日独伊防共協定に加盟
3.28 反乱軍、マドリードを占領
3.31 スペイン・ドイツ友好条約締結
4.1 フランコ、内戦の終結宣言
合衆国政府がフランコ政権を承認
5.4 国際連盟を脱退
5.14 食糧配給制開始(-52.5.)
8.8 国家元首法が公布、緊急立法権が付与
2
1939.8.9
–
1945.7.20
1939.9.3 第二次世界大戦勃発
スペイン・ポルトガルは直ちに中立を宣言
1940.1.26 組合統一法公布(労使一体の「垂直組合」に統合)
3.1 フリーメイソンと共産主義者の弾圧法公布
6.12 枢軸国への接近を示す非交戦国宣言を発表
6.14 モロッコのタンジール占領(-45.9.)

10.23 スペインの大戦参戦に関し、ヒトラーとフランコのアンダーイ会談
1941.1.24 スペイン国有鉄道(RENFE)設立
2.12 ムッソリーニとフランコのボルディゲラ会談
6.24 「青い旅団(青師団)」結成

9.25 産業公社(INI)設立
1942.7.17 国会設立法制定(普通選挙制に基づくものではなくコーポラティブな有機体的議会)
10.1 労働基本法制定(国家が産業別・地域別に賃金を決定)
12.20 スペイン・ポルトガル間で諸外国の干渉に共同であたるための相互防衛協定締結
1943.3.8 アルフォンソ13世の息子ドン・フアン、フランコへ王政復古要請の書簡
10.3 「非交戦国」から「中立国」への復帰声明
12.12 「青い旅団」、独ソ戦線より撤兵開始
1944.1.28 スペインのドイツ支援に対し、アメリカ合衆国が石油輸出禁止を宣言
10.16 共産党の反フランコ・ゲリラ、アラン渓谷へ侵入、失敗
1945.4.12 日本軍がフィリピンで連合軍に劣勢になったマニラの戦いにより日本と国交断絶(-52)

7.17 「国民憲章」公布
3
1945.7.20
–
1951.7.19
1945.7.17-8.2 ポツダム会談、最終日に反フランコ宣言発表
国際的孤立の影響によるアウタルキーア政策(自己充足的経済政策)
9. ファシスト的挨拶の禁止
10.22 国民投票法公布
1946.2.28 垂直組合第1回選挙
12.12 国連総会でスペイン排斥決議、各国に駐スペイン大使の召還を勧告
1947.1.16 国連決議を無視してアルゼンチン大使着任
4.19 反体制ゲリラ対策として匪賊・テロ取締法制定
5.1 バスクでメーデーに、労働条件の悪化と食糧不足に抗議するゼネスト
6.6 国家元首継承法(王位継承法)制定、7.6 国民投票で承認(スペインを王国とする、フランコが国家元首となり後継の国王の指名権が付与、「摂政」として終身の国家元首の地位を得る)

1948.8.25 フランコとドン・フアンの会見、ドン・フアンの息子フアン・カルロス王子をフランコの元で養育することを決定

10.22 共産党、武装闘争放棄を決定
12.2 ペセータの複合レート制定
1950.3.2 合衆国、駐スペイン大使を任命
INIの資本参加でスペイン自動車会社(SEAT)創立
8.1 合衆国上院、1億ドルの対スペイン援助決定
9.25 フランコ、サラザール会談
11.4 国連総会、スペイン排斥決議を撤回(ソ連・イスラエル・メキシコ反対、英仏棄権)
1951.3. バルセローナでストライキ(5月までにビルバオ、マドリードなどに波及)
4
1951.7.19
–
1957.2.25
1952.3.-4. 食料配給制度廃止
4.7 最初の地域開発計画「バダホス・プラン」公表
12.20 耕地整理法制定
1953.8.25 バチカンとコンコルダート調印
9.26 合衆国と相互防衛協定、経済援助協定、基地貸与協定締結
1954.2.10 英エリザベス2世のジブラルタル訪問に対し抗議運動
4.12 ソ連抑留者(旧「青い旅団」)の引き揚げ開始
1955.1.14 ヨーロッパ経済協力機構(OEEC、後にOECDに改組)に準加盟
10. オルテガ追悼デモ
11. ファランヘ内の純粋派が党創設者ホセ・アントニオ死去記念日に「フランコは裏切り者だ」と叫んでデモ
12. 国連に加盟
1956.1. 官製学生組織スペイン学生組合(SEU)代表選挙の自由化要求
2. マドリード大学で学生運動高揚
4.7 フランス領モロッコが独立、スペイン領モロッコを併合

5.28 国際労働機関(ILO)に加盟
6. 賃金に関する規制緩和
8. 国外で開催された共産党中央委員会総会で、内戦で二分された国民の和解を呼びかけ、平和的手段による独裁打破へ路線変更
10.28 国営テレビ放送開始
1957.1.25 国連でジブラルタル返還を要求
5
1957.2.25
–
1962.7.11
1957.2.25 オプス・デイのテクノクラートが参加した新内閣成立
4.5 ペセータの単一為替レート制採用
11.23-12.9 スペイン領モロッコのイフニをめぐってモロッコと軍事衝突
1958.4.24 団体労働契約法制定(労働条件の決定を労使の協議に委ねる)
5.17 国民運動原則法制定
国際通貨基金と世界銀行に加盟
1959.4.1 修道院兼霊廟「戦没者の谷」完成

7.31 「バスク祖国と自由(ETA)」結成
6.18 共産党を中心とする全国ゼネストが失敗
7.20 経済安定化計画の開始(IMFとOEECから支払猶予と経済支援と引き換えに、財政健全化と金融引き締めによるインフレ抑制、貿易と資本の自由化を受け入れる→アウタルキーア政策が完全に破綻)
1960.9.21 反体制運動を対象とした反乱・匪賊・テロ取締法制定
12.14 モロッコ、国連でセウタとメリーリャのスペイン領有に関し初めて講義
1961.7.28 ETA、鉄道を爆破
1962.2.7 アストゥリアスで長期ストライキ開始(-4.)→非常事態宣言を発令して弾圧
2.9 ヨーロッパ経済共同体(EEC)加盟申請
4.14 スペイン銀行の国有化などを規定した銀行組織基本法公布
6.5-8 ヨーロッパ統一運動ミュンヘン会議開催、反体制派政治家参加、帰国後弾圧
6
1962.7.11
–
1965.7.8
新設の副首相にムニョス・グランデス将軍が任命

1963.3.9 映画検閲に関する法律制定
4.20 共産党幹部フリアン・グリマウ銃殺刑、内外で抗議運動

6.28 GATTに正式加盟
12.27 経済・社会発展計画を議会が承認(1962.8の世界銀行報告に基づいて産業基盤整備、輸出産業育成、開発拠点を指定した地域開発を内容とする)
12.28 社会保障基本法の制定
1964.9.30 知識人が報道制限とストライキ弾圧に対する抗議書簡を政府に提出
10.16 国連非植民地化委員会、ジブラルタル問題をスペイン・イギリス両政府の交渉に委託
1965 刑法改正で経済目的のストライキは反乱罪対象から外される
1965.4 官製学生組織スペイン学生組合(SEU)が廃止
7
1965.7.8
–
1969.10.30
1966.1.17 アルメリア県パロマーレス海岸に米軍水爆搭載機墜落、放射能汚染問題発生

3.18 情報観光相フラガ作成の出版法制定
5.11 バルセローナで反体制派司祭のデモ
6. 労働者委員会が11か条の要求を提出(賃金引上げ、スト権の承認、組合選挙の自由化など)
9. 組合選挙で共産党系「労働者委員会」勝利
12.14 国家組織法が国民投票で承認(国家元首が全権掌握、フランコが病気の場合は王位継承者が臨時元首となる、フランコ後の国王が国民運動の最高指導者となる)
1967.3.1 最高裁、労働者委員会を非合法とする判決
6.28 信教の自由を規定する法律制定
9.10 ジブラルタルで住民投票、圧倒的多数でイギリス領に留まることを選択、スペイン政府が国境封鎖(68.5.-82.12.)
1968.6.7 ETA、治安警察隊員殺害
10.12 スペイン領ギニア、赤道ギニア共和国として独立

1969.1.4 フェズ協定によりモロッコへのイフニ返還合意

1.24-3.21 頻発する学生運動・労働運動に対し全国に非常事態宣言発令
7.19 「マテサ事件」発覚
7.22 ファン・カルロスを国家元首後継者に指名
2
9
1973.6.9
–
1973.12.20
代理
–
1973.12.20
–
1973.12.31
副首相として首相代理を務めた
摂政評議会(1975)
代
氏名
期
在任期間
事績
3
10
1973.12.31
–
1975.12.5
保守派であるオプス・デイを排除、開放派グループを結集して組閣
1974.2.12 アリアス・ナバーロ新首相、開放政策を表明する「2月12日の精神」発表
3.2 カタルーニャのアナーキスト、サルバドール・プッチ・アンティックを絞首刑

4.25 カーネーション革命(ポルトガル革命):エスタド・ノヴォ体制の終結

7.12 フランコの病状悪化により、フアン・カルロスが暫定的に国家元首就任
7.29 共産党を中心に、反体制派がパリ民主評議会結成
10.11-13 パリ郊外で社会労働党大会開催、フェリペ・ゴンザレスが書記長に選出
12.23 部分的自由化を定めた結社法
1975.6.11 社会労働党を中心に反体制勢力がパリで「民主勢力結集綱領」結成
9.27 ETAと反ファシズム愛国革命戦線活動家5人に死刑執行、国内外で非難の声、14か国の大使が本国召還、EEC加盟交渉中断
11. モロッコ王ハッサン2世、スペイン領西サハラで35万人の「緑の行進」を呼びかけ

11.14 スペイン領西サハラ返還に関しスペイン、モロッコ、モーリタニアがマドリード協定締結

11.20 フランコ死去
11.22 フアン・カルロス1世即位

スペイン王国
フアン カルロス1世(1975–2014)
民主化移行期(1975-1977)
代
氏名
期
在任期間
事績
3
11
1975.12.5
–
1976.7.1
政治的安定を重視して大物政治家を登用したためイニシアティヴを発揮できず、積極的な民主化を期待する国王との関係が悪化
1976.3.26 パリで反体制勢力合同(民主評議会と結集綱領)
5.31 集会法制定
6.9 政治結社法制定、共産党を除く政党の合法化法承認
辞任
代理
–
1976.7.1
–
1976.7.3
第一副首相として首相代理を務めた
4
12
1976.7.5
–
1977.6.17
1976.7.30 政治犯に対する恩赦
9.10 スアレス首相、1977年選挙実施を含む政治改革案発表
10.9 「国民同盟(AP)」創設
12.15 政治改革法(二院制議会設置を骨子とする)、国民投票で承認
12.22 共産党書記長サンティアゴ・カリーリョ逮捕

12.30 治安裁判所廃止
1977.1. 共産党系弁護士殺害事件
3.3 マドリードでフランス・イタリア・スペインの共産党書記長会談
4. 国民運動(ファランヘ党)を解散
4.4 労働組結成の自由を認める労働組合法公布
4.9 共産党合法化
5.27 「スペイン経営者団体連合会(CEOE)」結成
6. 垂直組合を解散
6.15 41年ぶりの総選挙実施、与党「民主中道連合(UCD)」が勝利
1978年憲法
代
氏名
期
在任期間
事績
1
1
1977.6.17
–
1979.4.2
2
1979.4.2
–
1981.2.26
1979 – 1980 第2次オイルショック

1979.4.3 市町村議会選挙で左派系政党躍進
9.28-29 社会労働党大会で綱領からマルクス主義削除、フェリペ・ゴンザレス書記長選出
10.25 カタルーニャとバスクで、住民投票による自治憲章承認
1980.2.26 国会で労働者憲章承認
2.28 アンダルシーア自治憲章、住民投票で承認されず
3.9 バスク議会選挙、バスク・ナショナリスト党(PNV)が勝利
3.20 カタルーニャ議会選挙、「集中と統一(CiU)」が勝利
6.28 社会労働党がNATO加盟に関し国民投票を要求
12.20 ガリシアで住民投票による自治憲章承認
1981.1.29 スアレス首相辞任表明
2.23-24 テヘーロ中佐ら治安警察による国会占拠事件(23-F事件)が失敗

2
3
1981.2.26
–
1982.12.2
1981.2.27 民主主義と憲法体制擁護を訴える300万人の全国デモ
4.1 IAEA保障措置条項に署名、イスレロ計画を中止

5.1 有毒油症候群(有毒症候群/菜種病)発生

6.22 離婚法制定

9.10 ピカソの『ゲルニカ』がスペインに返還

10. アンダルシーアで自治憲章が住民投票で承認
10.20 ガリシア議会選挙、国民同盟勝利
1982.5.30 NATOに正式加盟
7.28 スアレス、民主中道連合脱党(翌月、社会民主中道(CDS)を結成)
7.29 自治州へ権限移譲に関する「自治プロセス調整組織法(LOAPA)」制定
10.初 1982年10月27日のクーデター計画を未然に防止
10.28 総選挙で社会労働党が圧勝、第2党は国民同盟
11.5 共産党書記長カリーリョ辞任、以後党分裂激化
3
4
1982.12.2
–
1986.7.24
1983.2.17 マドリード等の自治憲章を国会が承認、これにより全国17自治州の設置完了
2.23 ルマーサ財閥グループの国有化
7.6 製鉄業再編成政令公布、産業再編成政策の開始
1984.1.10 フランス政府、ETAメンバの国外追放処分
4.29 カタルーニャ議会選挙で「集中と統一」勝利(翌月、プジョル自治政府首班就任)
10.9 政府、CEOE、UGTによる経済社会協定(AES)
12.13-15 社会労働党大会、党の方針をNATO残留に転換
1985.2.4 ジブラルタル国境再開
6.12 ポルトガルと共にヨーロッパ共同体(EC)加盟条約に調印
12.27 NATO残留を国会が承認
1986.1.1 EC加盟発効

3.16 国民投票でNATO残留承認
4.29 共産党などが緩やかな政党連合「統一左翼(IU)」を結成
6.22 総選挙で社会労働党が過半数獲得
5
1986.7.24
–
1989.12.6
1987.1.30 ETAがサラゴーサで軍用バスに爆弾テロ
6.10 スペイン初の欧州議会選挙実施
1988.11.11 スペインとポルトガルが西欧同盟(WEU)加盟
12.14 政府の経済政策に対するゼネスト(社会労働党政権とUGTの対立)
12. 合衆国と基地協定、スペイン駐留米軍基地の再編
政府、ETAとの交渉開始を発表
1989.1.28 国民同盟、他の保守勢力も吸収して「国民党(PP)」に再編
6. 欧州通貨制度(EMS)加入
10.19 カミーロ・ホセ・セラ、ノーベル文学賞受賞

10.29 総選挙で社会労働党辛勝、過半数確保(UGTが社会労働党支持を停止)
11.12 共産党のシンボル的古参党員ドローレス・イバルリ死去

6
1989.12.6
–
1993.7.14
1990.8 湾岸戦争で多国籍軍に艦船3隻派遣
10. 教育制度総合整備法公布
1991.5.25 国営企業労働者約35万人がストライキ
10.30-11.1 マドリードで中東和平会議開催

1992.4.-10. セビーリャで万博開催

7.-8. バルセローナでオリンピック開催

10.27 国連の安全保障委員会非常任理事国に選出
11. 不正調達疑惑(フィレサ事件)で社会労働党本部を捜索
11.14 国会、マーストリヒト条約批准を可決
1993.1 EC統一市場発足
3. 社会労働党幹部の不正政治資金疑惑が発覚、政党内部の内紛に発展
6.6 総選挙で社会労働党辛勝、「集中と統一」の閣外協力を得て政権を維持
4
8
1996.5.5
–
2000.4.27
1996.5.5 「集中と統一」の閣外協力を得て国民党政権誕生
10.15 政府の緊縮予算案に対し公務員組合が全国で抗議スト(次いで 12.11)
11.14 国会がNATO軍事機構参加を承認
1997.1.28 イギリス政府、スペイン政府のジブラルタル共同統治案を拒否
4. アルバニアへの多国籍軍部隊にスペイン軍参加
5. 経済収斂新計画策定
7.14 ブランコ議員射殺事件に対し、全国主要都市で大規模なETA非難デモ
1998.2 – 1999.6.11 コソボ紛争

7.24 政府が「反テロリズム解放グループ(GAL)」に関与しETAメンバを暗殺したとされる「汚れた戦争」疑惑で、バリオヌエボ元内相に禁固10年の実刑判決
9.12 エステラ協定(バスク語でリザラコ・アコルディオ)
9.16 ETA、無期限全面停戦を一方的に宣言
10.16 ロンドン入院中のピノチェト元チリ大統領、在職中にスペイン市民を殺害した人権抑圧容疑で逮捕、翌月チリ政府は駐スペイン大使を召還
10.25 バスク自治州で議会選挙、国民党が第2党に躍進
11.3 アスナール首相、政府関係者とETA関係者との接触を許可
1999.1.1 EUで新通貨「ユーロ」導入(紙幣・硬貨流通は2002年1月から)、固定レート:1ユーロ=166.386ペセータ

10.8 ロンドン治安裁判所、ピノチェト元チリ大統領のスペインへの身柄引き渡しを適法と判断、弁護団は上訴
12. ETA、全面停戦宣言を撤回
2000.3.12 総選挙で国民党が勝利
9
2000.4.27
–
2004.4.17
2000.12.8 自由と反テロのための協定(国民党(PP) とスペイン社会労働党(PSOE)が署名)
2001.6.12 アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュがスペインを訪問
6.14 ゲスカルテラ事件

2001.9.11 アメリカ同時多発テロ事件

9.15 フランス警察が民間警備隊と共にETAナンバーワンのイグナシオ・グラシア・アレギ、別名イニャキ・デ・レンテリアをビダール(バイヨンヌ)で逮捕
2001.10.7 – 2021.8.30 アフガニスタン紛争

10.21 ガリシア州で地方選挙、国民党が再び絶対多数で勝利、マヌエル・フラガが4期目のガリシア州政府大統領となる
12.1 UGT,CCの呼びかけにより、マドリードで大学の組織法に反対する行進
2002.1.1 ユーロ硬貨と紙幣がスペインと欧州連合の他の11か国の両方で流通開始
1. 最初のスペイン軍派遣団が国連の後援の下、平和任務のためアフガニスタンに到着
6.29「政治的にテロを保護・支援する」団体の違法化を認める政党基本法が発効
11.19 プレステージ原油流出事故(石油タンカー「プレステージ」がガリシア沖約100キロで沈没)
2003.3.20 – 2011.12.15 イラク戦争、非常任理事国として国連安全保障理事会では米国、イギリスに同調し賛成に回る

2004.3.11 マドリード列車爆破テロ事件

5
10
2004.4.17
–
2008.4.12
イギリスのブレア首相が掲げる「第三の道」に影響を受けた「新たな道」 (Nueva Vía) を提唱する党内新世代の代表
2004.4.18 イラクからの撤兵を指示
6.13 欧州議会選挙でPSOEは43.3%の票を獲得し、25議席を獲得
6.18 エブロ移転、国家水文計画(PHN)を廃止
7.4 ロドリゲス・サパテロがPSOEの第36回連邦議会で投票の95%を獲得してPSOE書記長に再選
7.20 選挙におけるPSOEリストのトップであるホセ・ボレルが欧州議会議長に選出
10.29 欧州連合の25の国家元首と政府首脳は、欧州憲法を制定するためのローマ条約に署名

2005.2.20 欧州憲法の受け入れ国民投票で賛成76.30%
2.21 下院議会はバスク自治法改革プロジェクト(イバレチェ計画)を否決
2008.3 総選挙で経済の退潮から右派勢力の伸長を許したが接戦を制する
フェリペ6世(2014-現在)
6
12
2011.12.20
–
2016.11.3
13
2016.11.4
–
2018.6.2
7
14
2018.6.2
–
2020.1.8
女性閣僚は11名を数え、スペインの歴史上もっとも女性の多い内閣
2019.4.28 2019年予算案が否決され前倒しで解散総選挙を実施、社会労働党は過半数には届かなかったものの、改選前を上回る議席数を獲得
15
2020.1.8
–
2023.11.21
1978年のスペイン民政復帰後はじめて連立政権が発足
2021.6.22 カタルーニャ独立派との関係正常化のため、ウリオル・ジュンケラスら9人に対する恩赦を決定
2023.5.28 統一地方選挙で社会労働党が敗北→総選挙の前倒し発表
7.23 総選挙 どの党も過半数に届かず
10.3 サンチェスが国王より組閣を要請され連立政権樹立に向けた調整を開始
11.16 ポデモスを含む急進左派連合スマールや地域少数政党などとの協力関係により下院議会における首相信任投票が可決、首相続投が決まる
まとめ

ボルボン朝:フェリペ2世からイサベル2世まで

第一共和政からボルボン王政復古まで

第二共和政からブランコ独裁を経て現在まで
参考リンク

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