- グレートブリテン王国 (1707年–1801年)
- サー・ロバート・ウォルポール
Sir Robert Walpole - 初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトン
Spencer Compton, 1st Earl of Wilmington - ヘンリー・ペラム
Henry Pelham - 初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズ
Thomas Pelham-Holles, 1st Duke of Newcastle - 第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ
William Cavendish, 4th Duke of Devonshire - 初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズ
Thomas Pelham-Holles, 1st Duke of Newcastle - 第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアート
John Stuart, 3rd Earl of Bute - ジョージ・グレンヴィル
George Grenville - 第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース
Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham - 初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(大ピット)
William Pitt ‘the Elder’, 1st Earl of Chatham - 第3代グラフトン公爵オーガスタス・フィッツロイ
Augustus FitzRoy, 3rd Duke of Grafton - ノース男爵フレデリック・ノース
Frederick North, Lord North - 第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース
Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham - 第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ
William Petty, 2nd Earl of Shelburne - 第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland - ウィリアム・ピット(小ピット)
William Pitt ‘the Younger’
- サー・ロバート・ウォルポール
- グレートブリテン及びアイルランド連合王国 (1801年–1922年)
- ヘンリー・アディントン
Henry Addington - ウィリアム・ピット(小ピット)
William Pitt ‘the Younger’ - 初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル
William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville - 第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland - スペンサー・パーシヴァル
Spencer Perceval - 第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン
Robert Banks Jenkinson, 2nd Earl of Liverpool - ジョージ・カニング
George Canning - 初代ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソン
Frederick John Robinson, 1st Viscount Goderich - 初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington - 第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ
Charles Grey, 2nd Earl Grey - 第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム
William Lamb, 2nd Viscount Melbourne - 初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington - サー・ロバート・ピール
Sir Robert Peel, Bt - 第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム
William Lamb, 2nd Viscount Melbourne - サー・ロバート・ピール
Sir Robert Peel, Bt - ジョン・ラッセル卿
Lord John Russell - 第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby - 第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードン
George Hamilton-Gordon, 4th Earl of Aberdeen - 第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston - 第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby - 第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston - ジョン・ラッセル卿
Lord John Russell - 第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby - ベンジャミン・ディズレーリ
Benjamin Disraeli - ウィリアム・ユワート・グラッドストン
William Ewart Gladstone - ベンジャミン・ディズレーリ
Benjamin Disraeli - ウィリアム・ユワート・グラッドストン
William Ewart Gladstone - 第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury - ウィリアム・ユワート・グラッドストン
William Ewart Gladstone - 第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury - ウィリアム・ユワート・グラッドストン
William Ewart Gladstone - 第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ
Archibald Primrose, 5th Earl of Rosebery - 第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury - アーサー・バルフォア
Arthur Balfour - サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン
Sir Henry Campbell-Bannerman - ハーバート・ヘンリー・アスキス
Herbert Henry Asquith - デイヴィッド・ロイド・ジョージ
David Lloyd George
- ヘンリー・アディントン
- グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (1922年–)
- 女王エリザベス2世時代 (1952年–2022年)
- サー・アンソニー・イーデン
Sir Anthony Eden - ハロルド・マクミラン
Harold Macmillan - サー・アレック・ダグラス=ヒューム
Sir Alec Douglas-Home - ハロルド・ウィルソン
Harold Wilson - エドワード・ヒース
Edward Heath - ハロルド・ウィルソン
Harold Wilson - ジェームズ・キャラハン
James Callaghan - マーガレット・サッチャー
Margaret Thatcher - ジョン・メージャー
John Major - トニー・ブレア
Tony Blair - ゴードン・ブラウン
Gordon Brown - デーヴィッド・キャメロン
David Cameron - テリーザ・メイ
Theresa May - ボリス・ジョンソン
Boris Johnson - メアリー・エリザベス・トラス
Mary Elizabeth Truss
- サー・アンソニー・イーデン
- チャールズ3世時代 (2022年–現在)
- 参考リンク
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グレートブリテン王国 (1707年–1801年)
代:首相就任(Prime Minister の用語成立前に責任内閣を最初に組閣したウォルポールを初代とする)
内閣:内閣の組閣代(1707年のグレートブリテン王国の建国後、責任内閣制成立前に6代が既成立)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
2代
初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトン
Spencer Compton, 1st Earl of Wilmington
9代
1742.2.16 – 1743.7.2
ウォルポールの政敵で、 健康を害し短期政権に終わる
3代
4代
初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズ
Thomas Pelham-Holles, 1st Duke of Newcastle
12代
1754.3.16 – 1756.11.16
1754: フレンチ・インディアン戦争勃発
1755に始まるヘッセン=カッセル方伯領およびロシア帝国と条約に世論から批判
1756: 七年戦争勃発
ミノルカ島の海戦での敗戦が引き金となって総辞職
7代
第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアート
John Stuart, 3rd Earl of Bute
16代
1762.5.26 – 1763.4.8
初のスコットランド人首相
ジョージ3世の家庭教師を務めて、ジョージ3世からの強い信任を背景に政権運営
ホイッグ党の支配を終焉させた
1763.2: パリ条約締結、七年戦争を終結
1763.3: リンゴ酒消費税導入
8代
17代
1763.4.16 – 1765.7.13
9代
第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース
Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham
18代
1765.7.13 – 1766.7.30
1765年印紙法の廃止と、宣言法(議会の植民地に対する統治権を宣言した法律)をセットで可決
10代
19代
1766.7.30 – 1768.10.14
1767夏: 財務大臣チャールズ・タウンゼンドの主導でタウンゼンド諸法を制定して植民地支配機構を強化、アメリカ植民地の状況がさらに悪化
13代
第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース
Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham
22代
1782.3.27 – 1782.7.1
14代
23代
1782.7.4 – 1783.4.2
15代
第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland
デヴォンシャー公爵元首相の義理の息子
24代
1783.4.2 – 1783.12.19
フォックス=ノース連立政権の名目上の首班
1783: アメリカ独立戦争の講和条約として、アメリカ合衆国との間のパリ条約、フランスとスペインとの間のヴェルサイユ条約に正式に調印
1783.12.17: 東インド会社の改革法案が貴族院で否決、ジョージ3世に罷免される
16代
25代
1783.12.19 – 1801.3.14
1784: インド法 (Pitt’s India Act)
1785: 腐敗選挙区の解消を試みるも否決
個人的に奴隷貿易には反対
1786: 国債減額のために減債基金(シンキング・ファンド)を設立
1788: オランダ及びプロイセンと三国同盟を結ぶ
1791: カナダ法を制定
ジョージ・マカートニーを団長とするマカートニー使節団(1792年–94年)がイギリスとして初めて中国を訪問
1793: フランスとの戦争が始まる
1795: ケープ植民地を占領
1797: 世界初の所得税を導入
1798-1800: 結社禁止法(コンビネーション・アクト)を制定し労働組合と対立
1800: 合同法(翌年アイルランド王国とグレートブリテン王国との連合王国が成立)
1801.3: 第1回国勢調査を実施
カトリック解放政策に対してジョージ3世が強く反対したため、辞任
グレートブリテン及びアイルランド連合王国 (1801年–1922年)
代
氏名
内閣
在任期間
事績
18代
27代
1804.5.10 – 1806.1.23
1805.4.11: フランスに対抗するために、ロシア、オーストリア及びスウェーデンと第三次対仏大同盟を結成
1805.10: ウルムの戦い、12月のアウステルリッツの戦いで大敗
1805.10: トラファルガーの海戦
首相在職中に死去
19代
初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル
William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville
ジョージ・グレンヴィルの三男
小ピットの従兄弟
28代
1806.2.11 – 1807.3.31
グレンヴィル卿内閣(全人材内閣)
1807.3.25: 奴隷貿易を廃止(ただし、大英帝国植民地においては奴隷貿易が合法のまま)
フォックスの急死、カトリック解放問題をめぐって国王ジョージ3世と対立を深めたことで辞職
20代
第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland
トーリー党(事実上)
29代
1807.3.31 – 1809.10.4
ポートランド公爵はホイッグ党員を自称していたが、実際にはトーリー党政権を指揮するために招かれた
老齢と痛風のため、外務大臣のカニングと陸軍・植民地大臣のカースルレーが権力を掌握、第一大蔵卿としての職務も財務大臣のスペンサー・パーシヴァルが担当
カースルレーとカニングが決闘後に2人とも辞任、この結果ポートランド公爵も辞任
21代
30代
1809.10.4 – 1812.5.11
政権内に経験豊富な政治家が存在しなかったことで知られる
1808: イギリス軍が半島戦争に参戦
1811: ラッダイト運動
1811年摂政法: ジョージ3世が回復不可能な精神障害に陥ると、ジョージ摂政王太子による摂政時代の始まりとなった
イギリス史上唯一の暗殺された首相となった
22代
第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン
Robert Banks Jenkinson, 2nd Earl of Liverpool
31代
1812.6.8 – 1827.4.9
ナポレオン戦争が終結
1814-15: ウィーン会議
1815: 四国同盟
1812: 米英戦争勃発、2年後にガン条約で講和、1818の英米条約(1818年条約)で国境を定めてアメリカとの紛争は一旦終結
1816: ラッダイト運動が再燃
1817: 経済が衰退
1819.8.16: ピータールーの虐殺
1819: 治安六法
1821: 金本位制への回帰
1819: マラーター王国を巡る第三次マラーター戦争に勝利
1820: ジョージ4世と王妃キャロラインの離婚を認めた内閣への支持率が低下、リヴァプール伯爵内閣の閣僚の暗殺を計画したカトー・ストリート陰謀が発覚
1827: 脳卒中で倒れ、退任
23代
32代
1827.4.10 – 1827.8.8
24代
初代ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソン
Frederick John Robinson, 1st Viscount Goderich
33代
1827.4.10 – 1827.8.8
国王ジョージ4世が固執したジョン・チャールズ・ヘリスの蔵相起用で支持が得られず、就任後すぐに辞任
25代
34代
1828.1.22 – 1830.11.16
26代
第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ
Charles Grey, 2nd Earl Grey
35代
1830.11.22 – 1834.7.16
1830: スウィング暴動を鎮圧
1832年改革法(第一次選挙法改正、腐敗選挙区を抑止)
1833: 工場法制定(児童雇用を制限)
1833: 大英帝国全土において奴隷制度を廃止
1834: 救貧法の改正(院外救済を廃止)
1834.5: アイルランド国教会に収められる教会税の転用問題をめぐって閣内分裂
1834.7: 総辞職
グレイ伯爵は国王ウィリアム4世に後任の首相としてメルバーン子爵を推挙
退任する首相が後任の首相を国王に推挙した初めての事例となる
27代
第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム
William Lamb, 2nd Viscount Melbourne
36代
1834.7.16 – 1834.11.14
ホイッグ左派のジョン・ラッセル卿を庶民院院内総務にすることに反対した国王ウィリアム4世との対立が深まり、国王が1834.11.14には罷免
国王(ウィリアム4世)に罷免された最後の首相
28代
初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington
37代
1834.11.17 – 1834.12.9
イタリア旅行中のピールが帰国するまでの暫定として首相を務める
29代
サー・ロバート・ピール
Sir Robert Peel, Bt
38代
1834.12.10 – 1835.4.8
1834.12.18: 自分の選挙区タムワースの有権者に対して公約として書簡「タムワース・マニフェスト」を発表
これが選挙公約としての「マニフェスト」の先駆けとなる
1835年初頭の総選挙で少数与党となる(ダービー派から支持を取り付ける)
1835.4: ホイッグ党が提出したアイルランド国教会の教会税の転用法案の採決で敗北して内閣総辞職
30代
第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム
William Lamb, 2nd Viscount Melbourne
39代
1835.4.18 – 1839.8
1835年都市法人法
1837.6.20: ヴィクトリア女王即位、若き女王の父親的存在となる
1839.1: 第一次アフガン戦争が勃発
1839.4: ロンドン条約でベルギーの独立と中立保障
1839.5: 寝室女官事件で、保守党党首ピールと女王の間で発生した、寝室女官の人事をめぐる対立により、ピールが組閣大命を拝辞
39代
1839.8 – 1841.8.30
1839-40: 500人のチャーティズム運動指導者を逮捕
1840.2.6: ワイタンギ条約により、ニュージーランドの主権を得る
1840.6: アヘン戦争が勃発
1840.7: ロンドン4国条約(第二次エジプト・トルコ戦争の講和)
1841.7: 解散総選挙で敗れて下野
31代
サー・ロバート・ピール
Sir Robert Peel, Bt
40代
1841.8.30 – 1846.6.29
自由貿易推進
1844年ピール銀行条例:イングランド銀行が中央銀行として銀行券の発券を独占
1845-47: アイルランドでジャガイモ飢饉
1846.1: 穀物法廃止
保守党の分裂:
- 庶民院保守党は自由貿易派がピールを支持
- 保護貿易派がジョージ・ベンティンク卿を支持
- 貴族院保守党は保護貿易派のスタンリー卿(後のダービー伯爵)を支持
32代
41代
1846.6.30 – 1852.2.23
少数派内閣のため、ピール派と連携
工場法の1847年改正(十時間労働法)
1848年公衆衛生法
1848: チャーティスト運動における第三次国民請願運動と政府弾圧
1850: ドン・パシフィコ事件
1850: ニューサウスウェールズ州の自治に関するオーストラリア植民地政府法
1851: 第1回万国博覧会をロンドンで開催
救貧法を改善
1851: 聖職者称号法
1851.12: フランス大統領ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)のクーデタを外務大臣パーマストンが勝手に支持表明をしたことで罷免、ホイッグ党が分裂
民兵法案に絡めて不信任決議案が可決され、内閣総辞職
33代
第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby
42代
1852.2.23 – 1852.12.19
第1次ダービー伯爵内閣(誰?誰?内閣)
ディズレーリ財務大臣の予算案が庶民院で否決され、内閣総辞職
34代
第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードン
George Hamilton-Gordon, 4th Earl of Aberdeen
43代
1852.12.19 – 1855.1.30
35代
第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston
44代
1855.2.6 – 1858.2.19
1856.3.14: パリ条約締結で、クリミア戦争終結
1856.6: アロー戦争勃発→1860: 北京条約
1857.5: インド大反乱が勃発
1858.8: 日英修好通商条約を締結
1858: インド法案を提出
1858.1: フランス皇帝ナポレオン3世暗殺未遂事件に起因する殺人共謀の重罰化の法案の修正案可決により総辞職
36代
第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby
45代
1858.2.20 – 1859.6.11
1858: インド統治改善法、東インド会社の所有権を女王に移転
1858: ユダヤ教徒救済法、キリスト教徒としての宣誓を改めユダヤ教徒も議員になれるようにした
選挙法改正法案が否決、解散総選挙で過半数を取れず内閣総辞職
37代
第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston
46代
1859.6.12 – 1865.10.18
在任期間中に自由党を結成
1860.1: 英仏通商条約で工業製品の輸出を伸ばす
1862.11: 閣議で南北戦争不介入の方針を改めて決定
ランカシャー綿花飢饉が引き起こした苦難を軽減しようと努めた
首相在職中に死去(在職中に死去した最後のイギリス首相であり、かつ最高齢で死去した首相でもある)
38代
47代
1865.10.29 – 1866.6.28
40代
49代
1868.2.27 – 1868.12.1
腐敗行為防止法
パブリック・スクール法
鉄道規制法
スコットランドの法制度を定めた法律
公開処刑を廃止する法律
電信法(郵便局に電報会社を買収する権限を与える)
マグダラの戦いでエチオピア帝国軍を破り、皇帝テオドロス2世が自害
総選挙での敗北を直接の原因として首相が辞任する慣例をつくる
41代
ウィリアム・ユワート・グラッドストン
William Ewart Gladstone
50代
1868.12.3 – 1874.2.17
陸軍、公務員及び地方政府に対する改革を実行
平時の鞭打ちを違法化
1869年アイルランド教会法: アイルランド国教会を廃止
1870年アイルランド土地法
1870年初等教育法: 小学校教育の普及
1870.12: ロンドン会議でロシア帝国のパリ条約黒海艦隊保有禁止条項の一方的破棄などを阻止できず
1871年労働組合法: 賃金と労働時間以外のことを交渉するのを解禁
1872年投票法: 秘密投票制度の導入
1872年ライセンス法
普仏戦争の阻止に失敗
アラバマ号事件でアメリカに賠償金を支払
1873年から1874年にかけてのビハール飢饉の緩和
42代
ベンジャミン・ディズレーリ
Benjamin Disraeli
51代
1874.2.20 – 1880.4.21
在任中に庶民院から貴族院に移籍した最後の首相
社会政策「トーリー・デモクラシー」を推進
- 工場法改正(57時間労働制、最低雇用年齢を10歳に引き上げ)
- 職人及び労働者の住居改善法
- 煙突掃除夫法
- 使用者及び被使用者法
- 公衆衛生法
1876年から1878年にかけてインドで発生した大飢饉
1875: スエズ運河会社の株式を購入
1878: ベルリン会議に参加
女王ヴィクトリアにインド女帝の称号を授けることを含め、女王(国王)を再び公生活させる
1878-81: 第二次アフガン戦争
1878: 三帝同盟の解消
1879: ズールー戦争
長期間に及ぶ大不況の始まり
43代
ウィリアム・ユワート・グラッドストン
William Ewart Gladstone
52代
1880.4.23 – 1885.6.9
1880: 戸主責任法
1881: 第一次ボーア戦争
1882: 既婚女性財産法
1882: ウラービー革命へ介入(アレクサンドリア砲撃)
1883: 腐敗違法行為防止法
1883: スーダンでマフディーの乱
1884: 第三次選挙法改正
1885: 議席再分配法
1885: ハルツームで包囲されたゴードン将軍救出に失敗
44代
第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
53代
1885.6.23 – 1886.1.28
46代
第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
55代
1887.1 – 1892.8.11
第2次ソールズベリー侯爵改造内閣
1887: 労働者配分地法
1887.8: アイルランド強圧法
1887: 地中海協定
1888: 地方自治法(地方行政法)
1891: アフリカ分割、無償教育法
1892: 小農地保有法
新組合主義 (New Unionism) とロンドン・ドック・ストライキ
49代
第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
58代
1895.6.25 – 1900.10
1895-96: ジェームソン侵入事件
1896: 労使調停法
1896.11: 英米協定
1897: 労働者災害補償法
1898: スーダン侵攻
1898: ファショダ事件
1899-1902: 第二次ボーア戦争
1900年カーキ選挙
50代
59代
1902.7.11 – 1905.12.5
自由貿易に関する是非について閣内で意見が分裂
1902年教育法
1903: ウィンダム法(アイルランド土地購入法)
中国人奴隷問題
帝国国防委員会を設立
1903: チベット侵攻
1904.4: 英仏協商
1904.10: ドッガーバンク事件
51代
60代
1905.12.5 – 1908.4.3
トランスヴァール及びオレンジ自由国に対する自治権を回復
英露協商
ホールデン子爵によるイギリス軍改革
1907年犯罪者保護観察法
健康状態の悪化を理由に辞任、辞任から19日後に死去
52代
ハーバート・ヘンリー・アスキス
Herbert Henry Asquith
53代
63代
1916.12.7 – 1919
保守党と連立内閣を形成
1916: サイクス・ピコ協定
1917.11: バルフォア宣言
1918.2: 21歳以上の全ての男性及び30歳以上の全ての女性に選挙権が与えらる
1921.10: 英愛条約をもってアイルランド自由国を建国
63代
1919 – 1922.10.22
1919: パリ講和会議、ベルサイユ条約
1921: ソビエトと通商条約を締結
1921.12: 四カ国条約
1922.2: ワシントン海軍軍縮条約
1922.8-9: チャナク危機
1922.11: BBCの設立
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (1922年–)
54代
64代
1922.10.23 – 1923.5.22
56代
66代
1924.1.22 – 1924.11.4
ハング・パーラメントとなり、自由党の閣外協力を得て、少数派内閣を形成
第一次世界大戦を受けての賠償金の支払いを済ませてドイツと和解
1924: ジノヴィエフ書簡の影響で総選挙に敗れて退陣
57代
スタンリー・ボールドウィン
Stanley Baldwin
67代
1924.11.4 – 1929.6.5
1925.4: 戦前レートによる金本位制復帰
1925: ロカルノ条約
1926: ゼネスト鎮圧
1926: バルフォア報告書
1927: 労働争議・組合法
1928.8: ケロッグ=ブリアン条約(不戦条約)
1926: 年金法
1928.7: 第5次選挙法改正(男女平等選挙権)
58代
ラムゼイ・マクドナルド
Ramsay MacDonald
70代
1931.11 – 1935.6.7
第4次マクドナルド内閣(挙国一致内閣)
1931: 非常関税法
1931: 金本位制停止
1931.12: ウェストミンスター憲章を制定してイギリス連邦を発足
1932: 輸入関税法(保護関税法)
1932: 大英帝国経済会議で帝国特恵制度導入
61代
ウィンストン・チャーチル
Winston Churchill
74代
1940.5.10 – 1945.5.23
第1次チャーチル内閣(挙国一致内閣)
1940-45: 第二次世界大戦指導
防衛規則18Bの修正規則18(1a)を制定、言論弾圧
1941.8: 大西洋憲章
1942: ベヴァリッジ報告書
1943.11: カイロ会談
1943.11-12: テヘラン会談
1944: 教育法
1945.2: ヤルタ会談
74代
1945.5.23 – 1945.7.26
62代
クレメント・アトリー
Clement Attlee
女王エリザベス2世時代 (1952年–2022年)
65代
ハロルド・マクミラン
Harold Macmillan
79代
1957.1.11 – 1959.10
欧州経済共同体への加盟を申請するも、保守党内で意見が対立、フランスのシャルル・ド・ゴール大統領に加盟拒否
ケインズ主義を容認
1957年家賃法
1958: ノッティングヒル人種暴動
79代
1959.10 – 1963.10.19
1960: ウィンド・オブ・チェンジ演説
BBCテレビジョンセンターの開設
ビーチング・アックスの始まり
徴兵制の廃止
1962: ニュー・コモンウェルス移民法の特徴である雇用バウチャーの実施
キューバ危機
1963.10: プロヒューモ事件の後、責任をとって総辞職
67代
ハロルド・ウィルソン
Harold Wilson
81代
1964.10.16 – 1966.3.31
妊娠中絶の合法化
死刑制度の廃止(北アイルランドを除く)及び同性愛の非刑罰化を含む社会的改革
1965.11: ローデシアの一方的独立宣言
経済のための国家計画が採用された後、中止された
81代
1966.3.31 – 1970.6.19
1967: 政府白書「闘争に代えて」と価格・所得政策を巡る労働組合との論争
1967.11: ポンドの平価切り下げ
1967: 鉄鋼法で再国有化
1968: ディエゴガルシア島の全住民を違法に追放及び強制退去させる計画を了承
1968: Girobank設立
1969: オープン大学の設置
1969: 北アイルランド問題への対応として、北アイルランドに派兵
68代
82代
1970.6.1 – 1974.3.4
それまでの産業介入政策を180度転換
1971: 薬物乱用法
1973: 欧州共同体(EC)に加盟
1972.1.30: 北アイルランド紛争が激化して血の日曜日事件が起こる
1973.12: サニングデール協定に同意
炭鉱労働者によるストライキが頻発して電力不足に陥る (Three-day Week)
付加価値税を導入
北アイルランドでの死刑廃止
69代
ハロルド・ウィルソン
Harold Wilson
83代
1974.3.4 – 1974.10.10
ハング・パーラメント
鉱山労働者との争議が終結
経済に関して労働組合との「社会契約」 (Social Contract) 政策を推進
1974年労働安全衛生法
欧州諸共同体の加盟国入りするための条件について再交渉、1975年にEEC加盟残留の是非を問う国民投票を実施して残留への賛成を確認
北海油田
70代
ジェームズ・キャラハン
James Callaghan
84代
1976.4..5 – 1979.5.4
IMFから融資を受けてポンドを支える
1976: 人種関係法
労働党・自由党協定
スコットランドとウェールズに国の権限の一部を移譲する法律が制定、住民投票により差し止め
労働組合との関係が破綻、不満の冬が到来
内閣不信任決議案が1票差で可決、解散総選挙に大敗を喫して辞任
71代
85代
1979.5.4 – 1981.9
86代
1983.6.9 – 1987.6.11
1984.10.12: IRAによるブライトンホテル爆破事件
1984.12.19: 香港返還に関する英中共同声明
1984-85: 鉱山労働者のストライキ
1985: アングロ・アイリッシュ協定
1986.1: ウェストランド事件
1986.2: EECを強化するための単一欧州議定書に署名
1986: グレーター・ロンドン・カウンシルの廃止
72代
88代
1990.11.28 – 1992.4
1990年代初頭の景気後退
1991.1.17: 湾岸戦争が勃発
1991: ダウニング街に迫撃砲が撃ち込まれる事件
1991年危険犬種法
1991.12: マーストリヒト条約の批准、その過程で保守党議員の造反
1991: 市民憲章
Back to Basics政策
89代
1992.4 – 1993.5
73代
90代
1997.5.2 – 2001.6.8
1997.7.1: 中華人民共和国への香港返還
8.31: ダイアナ元王太子妃の死
イングランド銀行の独立
1997: タバコのスポンサーシップを巡るエクレストンから労働党への献金スキャンダル
1998.4.10: ベルファスト合意
1998年人権法
死刑制度の完全廃止
スコットランドとウェールズへの権限移譲
1999: 貴族院改革
NATOによるコソボ空爆
1999.4: 最低賃金の導入
燃料費の高騰に対する抗議
2000: グレーター・ロンドン・オーソリティーとロンドン市長職の創設
2000年情報自由法
2000.5.19: シエラレオネ内戦へのイギリス軍の介入
2001: 口蹄疫の流行
91代
2001.6.8 – 2005.5
2001.9.11: アメリカ同時多発テロ事件
2001.10-:アフガニスタン紛争
2003.3.20-2011.12.15: イラク戦争
大学授業料に対して裁量制授業料制度を導入
2004年シビル・パートナーシップ法
2005年憲法改革法
74代
93代
2007.6.27 – 2008.1.24
グラスゴー国際空港でのテロ事件
児童手当データ漏洩事件
労働党への無申告での政治献金疑惑
2007.11: ノーザン・ロック銀行及びその他の銀行の国有化
2007.12: リスボン条約を批准
個人所得税の10%の最低税率を廃止
2007年から2008年にかけての世界金融危機
93代
2009.6.5 – 2010.5.11
75代
デーヴィッド・キャメロン
David Cameron
94代
2010.5.11 – 2012.9.4
第1次キャメロン内閣(自由民主党との連立)
2010.6: 血の日曜日事件の謝罪
10: 歳出と戦略的国防・安全保障政策の見直し(公共サービスの予算を削ったことにより、緊縮財政政策反対運動が起こる)
2010: 学生の抗議活動
2011: リビアへの軍事介入(エラミー作戦)
2011.5.5: 選挙方法を代替投票制 (Alternative Vote) に変更する是非を問う国民投票
2011.8.6: イングランド暴動
2012年福祉改革法
2012年保健・高齢者ケア法
欧州財政協定 (European Fiscal Compact) を拒否
ロンドンオリンピックの開催
94代
2012.9.4 – 2014.7.14
94代
2014.7.14 – 2015.5.11
2014.9.18: スコットランドの独立の是非を問う住民投票
2014.7: 政治家による児童虐待疑惑告発関連文書の紛失
2015: ロイヤルメールの民営化
イラクとシリアで活動する過激派テロ組織「イスラム国」に対する軍事介入(シェイダー作戦)
2015年欧州難民危機
76代
77代
99代
2019.12.13 – 2022.9.5
78代
100代
2022.9.5 – 2022.10.25
チャールズ3世時代 (2022年–現在)
79代
101代
2022.10.25 –
2024.7.5
80代
102代
2024.7.5 –
現任
2024.7.4 総選挙で保守党に対して250議席以上の歴史的大差で圧勝して首相に就任
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