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歴代イギリス首相 Prime Ministers of the United Kingdom

歴代イギリス首相 Prime Ministers of the United Kingdom リベラルアーツ
「ウォルポール」「チャーチル」「サッチャー」歴代イギリス首相 Prime Ministers of the UK
  1. グレートブリテン王国 (1707年–1801年)
    1. サー・ロバート・ウォルポール
      Sir Robert Walpole
    2. 初代ウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトン
      Spencer Compton, 1st Earl of Wilmington
    3. ヘンリー・ペラム
      Henry Pelham
    4. 初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズ
      Thomas Pelham-Holles, 1st Duke of Newcastle
    5. 第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ
      William Cavendish, 4th Duke of Devonshire
    6. 初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホールズ
      Thomas Pelham-Holles, 1st Duke of Newcastle
    7. 第3代ビュート伯爵ジョン・ステュアート
      John Stuart, 3rd Earl of Bute
    8. ジョージ・グレンヴィル
      George Grenville
    9. 第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース
      Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham
    10. 初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(大ピット)
      William Pitt ‘the Elder’, 1st Earl of Chatham
    11. 第3代グラフトン公爵オーガスタス・フィッツロイ
      Augustus FitzRoy, 3rd Duke of Grafton
    12. ノース男爵フレデリック・ノース
      Frederick North, Lord North
    13. 第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース
      Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham
    14. 第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ
      William Petty, 2nd Earl of Shelburne
    15. 第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
      William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland
    16. ウィリアム・ピット(小ピット)
      William Pitt ‘the Younger’
  2. グレートブリテン及びアイルランド連合王国 (1801年–1922年)
    1. ヘンリー・アディントン
      Henry Addington
    2. ウィリアム・ピット(小ピット)
      William Pitt ‘the Younger’
    3. 初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル
      William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville
    4. 第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
      William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland
    5. スペンサー・パーシヴァル
      Spencer Perceval
    6. 第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソン
      Robert Banks Jenkinson, 2nd Earl of Liverpool
    7. ジョージ・カニング
      George Canning
    8. 初代ゴドリッチ子爵フレデリック・ジョン・ロビンソン
      Frederick John Robinson, 1st Viscount Goderich
    9. 初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
      Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington
    10. 第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイ
      Charles Grey, 2nd Earl Grey
    11. 第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム
      William Lamb, 2nd Viscount Melbourne
    12. 初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
      Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington
    13. サー・ロバート・ピール
      Sir Robert Peel, Bt
    14. 第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラム
      William Lamb, 2nd Viscount Melbourne
    15. サー・ロバート・ピール
      Sir Robert Peel, Bt
    16. ジョン・ラッセル卿
      Lord John Russell
    17. 第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
      Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby
    18. 第4代アバディーン伯爵ジョージ・ハミルトン=ゴードン
      George Hamilton-Gordon, 4th Earl of Aberdeen
    19. 第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
      Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston
    20. 第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
      Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby
    21. 第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
      Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston
    22. ジョン・ラッセル卿
      Lord John Russell
    23. 第14代ダービー伯爵エドワード・スミス=スタンリー
      Edward Smith-Stanley, 14th Earl of Derby
    24. ベンジャミン・ディズレーリ
      Benjamin Disraeli
    25. ウィリアム・ユワート・グラッドストン
      William Ewart Gladstone
    26. ベンジャミン・ディズレーリ
      Benjamin Disraeli
    27. ウィリアム・ユワート・グラッドストン
      William Ewart Gladstone
    28. 第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
      Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
    29. ウィリアム・ユワート・グラッドストン
      William Ewart Gladstone
    30. 第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
      Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
    31. ウィリアム・ユワート・グラッドストン
      William Ewart Gladstone
    32. 第5代ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ
      Archibald Primrose, 5th Earl of Rosebery
    33. 第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシル
      Robert Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury
    34. アーサー・バルフォア
      Arthur Balfour
    35. サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン
      Sir Henry Campbell-Bannerman
    36. ハーバート・ヘンリー・アスキス
      Herbert Henry Asquith
    37. デイヴィッド・ロイド・ジョージ
      David Lloyd George
  3. グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (1922年–)
    1. アンドルー・ボナー・ロー
      Andrew Bonar Law
    2. スタンリー・ボールドウィン
      Stanley Baldwin
    3. ラムゼイ・マクドナルド
      Ramsay MacDonald
    4. スタンリー・ボールドウィン
      Stanley Baldwin
    5. ラムゼイ・マクドナルド
      Ramsay MacDonald
    6. スタンリー・ボールドウィン
      Stanley Baldwin
    7. ネヴィル・チェンバレン
      Neville Chamberlain
    8. ウィンストン・チャーチル
      Winston Churchill
    9. クレメント・アトリー
      Clement Attlee
    10. サー・ウィンストン・チャーチル
      Sir Winston Churchill
  4. 女王エリザベス2世時代 (1952年–2022年)
    1. サー・アンソニー・イーデン
      Sir Anthony Eden
    2. ハロルド・マクミラン
      Harold Macmillan
    3. サー・アレック・ダグラス=ヒューム
      Sir Alec Douglas-Home
    4. ハロルド・ウィルソン
      Harold Wilson
    5. エドワード・ヒース
      Edward Heath
    6. ハロルド・ウィルソン
      Harold Wilson
    7. ジェームズ・キャラハン
      James Callaghan
    8. マーガレット・サッチャー
      Margaret Thatcher
    9. ジョン・メージャー
      John Major
    10. トニー・ブレア
      Tony Blair
    11. ゴードン・ブラウン
      Gordon Brown
    12. デーヴィッド・キャメロン
      David Cameron
    13. テリーザ・メイ
      Theresa May
    14. ボリス・ジョンソン
      Boris Johnson
    15. メアリー・エリザベス・トラス
      Mary Elizabeth Truss
  5. チャールズ3世時代 (2022年–現在)
    1. リシ・スナク
      Rishi Sunak
    2. キア・スターマー
      Sir Keir Rodney Starmer
  6. 参考リンク
  7. あわせて読みたい

グレートブリテン王国 (1707年–1801年)

代:首相就任(Prime Minister の用語成立前に責任内閣を最初に組閣したウォルポールを初代とする)
内閣:内閣の組閣代(1707年のグレートブリテン王国の建国後、責任内閣制成立前に6代が既成立)

氏名

内閣

在任期間

事績

1代

7代

1721.4.4 – 1742.2.11

ウォルポール=タウンゼンド内閣

南海泡沫事件の事後処理にあたり政権確立

1722: アタベリー陰謀事件が露見

1727-29: 英西戦争

8代

1730 – 1742.2.12

ウォルポール内閣

1737: 演劇検閲法

1739.10: ジェンキンスの耳の戦争

1740.12: オーストリア継承戦争が勃発

2代

9代

1742.2.16 – 1743.7.2

カートレット内閣

ウォルポールの政敵で、 健康を害し短期政権に終わる

3代

10代

1743.8.27 – 1744

第1次ペラム内閣(カートレット内閣)

11代

1744 – 1754.3.6

第2次ペラム内閣(ブロード・ボトム内閣)

1745: ジャコバイトの反乱を鎮圧

1748: アーヘンの和約を締結してオーストリア継承戦争を終結させる

1753: 結婚法の制定

4代

12代

1754.3.16 – 1756.11.16

第1次ニューカッスル公爵内閣

1754: フレンチ・インディアン戦争勃発

1755に始まるヘッセン=カッセル方伯領およびロシア帝国と条約に世論から批判

1756: 七年戦争勃発

ミノルカ島の海戦での敗戦が引き金となって総辞職

5代

13代

1756.11.16 – 1757

第1次デヴォンシャー公爵内閣

大ピットとニューカッスル公爵が和解するためのつなぎ役として登板

14代

1757 – 1757.6.25

第2次デヴォンシャー公爵内閣

七年戦争遂行のための暫定内閣

大ピットを閣内に迎えるための交渉期間

庶民院の主要会派からの支持が得られなかった

6代

15代

1757.7.2 – 1762.5.26

第2次ニューカッスル公爵内閣

大ピットと協力して七年戦争を遂行

大ピットがスペインへの宣戦布告問題で国王ジョージ3世と対立して閣内を去り、影響力を失い総辞職

7代

16代

1762.5.26 – 1763.4.8

ビュート伯爵内閣

初のスコットランド人首相

ジョージ3世の家庭教師を務めて、ジョージ3世からの強い信任を背景に政権運営

ホイッグ党の支配を終焉させた

1763.2: パリ条約締結、七年戦争を終結

1763.3: リンゴ酒消費税導入

8代

ジョージ・グレンヴィル
George Grenville

ジョージ・グレンヴィル George Grenville

ホイッグ党

初代グレンヴィル男爵ウィリアム・グレンヴィルは三男

17代

1763.4.16 – 1765.7.13

グレンヴィル内閣

1763: ウィルクス事件

1764: 砂糖法1765年印紙法の制定で、アメリカ植民地の反感が強まる

1765: 摂政法の制定で国王が強く反発し罷免される

9代

18代

1765.7.13 – 1766.7.30

第1次ロッキンガム侯爵内閣

1765年印紙法の廃止と、宣言法(議会の植民地に対する統治権を宣言した法律)をセットで可決

10代

初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(大ピット)
William Pitt ‘the Elder’, 1st Earl of Chatham

初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット(大ピット) William Pitt ‘the Elder’, 1st Earl of Chatham

ホイッグ党

小ピットは次男

19代

1766.7.30 – 1768.10.14

チャタム伯爵内閣

1767夏: 財務大臣チャールズ・タウンゼンドの主導でタウンゼンド諸法を制定して植民地支配機構を強化、アメリカ植民地の状況がさらに悪化

11代

20代

1768.10.14 – 1770.1.28

グラフトン公爵内閣

イギリス本国とアメリカ植民地住民との間の緊張状態を解き、アメリカ植民地との和解を試みた

大陸亡命中だったジョン・ウィルクスが帰国し度々庶民院選挙に当選するも妨害

12代

21代

1770.1.28 – 1782.3.22

ノース内閣

1770: フォークランド危機で戦争回避

1775: アメリカ独立戦争勃発

1780: ゴードン暴動

ジョン・ウィルクスを釈放

アイルランドにおける改革

不信任決議案が可決され、辞任

13代

22代

1782.3.27 – 1782.7.1

第2次ロッキンガム侯爵内閣

アメリカ合衆国の独立を事実上承認(1782.2.22: 戦争終結を求める動議可決、行政機構改革法が成立)

経済改革の手続きに入る

首相在職中に死去

14代

第2代シェルバーン伯爵ウィリアム・ペティ
William Petty, 2nd Earl of Shelburne

第2代ロッキンガム侯爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース Charles Watson-Wentworth, 2nd Marquess of Rockingham

ホイッグ党

初のアイルランド生まれの首相

23代

1782.7.4 – 1783.4.2

シェルバーン伯爵内閣

1782.11: 講和仮条約を英米間で締結

これが庶民院で否決され、辞職

アメリカ合衆国、フランス、スペインとの間で平和を実現

15代

第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland

第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland

ホイッグ党

デヴォンシャー公爵元首相の義理の息子

24代

1783.4.2 – 1783.12.19

第1次ポートランド公爵内閣

フォックス=ノース連立政権の名目上の首班

1783: アメリカ独立戦争の講和条約として、アメリカ合衆国との間のパリ条約、フランスとスペインとの間のヴェルサイユ条約に正式に調印

1783.12.17: 東インド会社の改革法案が貴族院で否決、ジョージ3世に罷免される

16代

ウィリアム・ピット(小ピット)
William Pitt ‘the Younger’

ウィリアム・ピット(小ピット) William Pitt ‘the Younger’

トーリー党

大ピットの次男
史上最年少の24歳で首相に就任

25代

1783.12.19 – 1801.3.14

第1次ピット内閣

1784: インド法 (Pitt’s India Act)

1785: 腐敗選挙区の解消を試みるも否決

個人的に奴隷貿易には反対

1786: 国債減額のために減債基金(シンキング・ファンド)を設立

国債の新しい返済の仕方

1788: オランダ及びプロイセンと三国同盟を結ぶ

1791: カナダ法を制定

ジョージ・マカートニーを団長とするマカートニー使節団(1792年–94年)がイギリスとして初めて中国を訪問

1793: フランスとの戦争が始まる

1795: ケープ植民地を占領

1797: 世界初の所得税を導入

1798-1800: 結社禁止法(コンビネーション・アクト)を制定し労働組合と対立

1800: 合同法(翌年アイルランド王国とグレートブリテン王国との連合王国が成立)

1801.3: 第1回国勢調査を実施

カトリック解放政策に対してジョージ3世が強く反対したため、辞任

グレートブリテン及びアイルランド連合王国 (1801年–1922年)

氏名

内閣

在任期間

事績

17代

26代

1801.3.14 – 1804.5.10

アディントン内閣

1802: アミアンの和約を締結し、一時的にフランスとの間に平和を取り戻した

18代

ウィリアム・ピット(小ピット)
William Pitt ‘the Younger’

ウィリアム・ピット(小ピット) William Pitt ‘the Younger’

トーリー党

大ピットの次男

27代

1804.5.10 – 1806.1.23

第2次ピット内閣

1805.4.11: フランスに対抗するために、ロシア、オーストリア及びスウェーデンと第三次対仏大同盟を結成

1805.10: ウルムの戦い、12月のアウステルリッツの戦いで大敗

1805.10: トラファルガーの海戦

首相在職中に死去

19代

初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル
William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville

初代グレンヴィル男爵ウィリアム・ウィンダム・グレンヴィル William Wyndham Grenville, 1st Baron Grenville

ホイッグ党

ジョージ・グレンヴィルの三男
小ピットの従兄弟

28代

1806.2.11 – 1807.3.31

グレンヴィル卿内閣(全人材内閣)

1807.3.25: 奴隷貿易を廃止(ただし、大英帝国植民地においては奴隷貿易が合法のまま)

フォックスの急死、カトリック解放問題をめぐって国王ジョージ3世と対立を深めたことで辞職

20代

第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク
William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland

第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク William Cavendish-Bentinck, 3rd Duke of Portland

トーリー党(事実上)

29代

1807.3.31 – 1809.10.4

第2次ポートランド公爵内閣

ポートランド公爵はホイッグ党員を自称していたが、実際にはトーリー党政権を指揮するために招かれた

老齢と痛風のため、外務大臣のカニングと陸軍・植民地大臣のカースルレーが権力を掌握、第一大蔵卿としての職務も財務大臣のスペンサー・パーシヴァルが担当

カースルレーとカニングが決闘後に2人とも辞任、この結果ポートランド公爵も辞任

21代

スペンサー・パーシヴァル
Spencer Perceval

スペンサー・パーシヴァル Spencer Perceval

トーリー党

ウィルミントン伯爵の甥の息子

30代

1809.10.4 – 1812.5.11

パーシヴァル内閣

政権内に経験豊富な政治家が存在しなかったことで知られる

1808: イギリス軍が半島戦争に参戦

1811: ラッダイト運動

1811年摂政法: ジョージ3世が回復不可能な精神障害に陥ると、ジョージ摂政王太子による摂政時代の始まりとなった

イギリス史上唯一の暗殺された首相となった

22代

31代

1812.6.8 – 1827.4.9

リヴァプール伯爵内閣

ナポレオン戦争が終結

1814-15: ウィーン会議

ウィーン会議

1815: 四国同盟

1812: 米英戦争勃発、2年後にガン条約で講和、1818の英米条約(1818年条約)で国境を定めてアメリカとの紛争は一旦終結

1816: ラッダイト運動が再燃

1817: 経済が衰退

1819.8.16: ピータールーの虐殺

ピータールーの虐殺

1819: 治安六法

1821: 金本位制への回帰

1819: マラーター王国を巡る第三次マラーター戦争に勝利

第三次マラーター戦争

1820: ジョージ4世と王妃キャロラインの離婚を認めた内閣への支持率が低下、リヴァプール伯爵内閣の閣僚の暗殺を計画したカトー・ストリート陰謀が発覚

1827: 脳卒中で倒れ、退任

23代

32代

1827.4.10 – 1827.8.8

カニング内閣

在任期間が119日間と、最も短期在任であった首相

首相に就任したその年に、病のため死去

24代

33代

1827.4.10 – 1827.8.8

ゴドリッチ子爵内閣

国王ジョージ4世が固執したジョン・チャールズ・ヘリスの蔵相起用で支持が得られず、就任後すぐに辞任

25代

初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー
Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington

初代ウェリントン公爵 アーサー・ウェルズリー Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington

トーリー党

史上2人目のアイルランド生まれ

34代

1828.1.22 – 1830.11.16

第1次ウェリントン公爵内閣

1829: ローマ・カトリック信徒救済法を推進

1830.6: ウィリアム4世即位

1830.11: 政府提出の王室費に関する法案が否決され総辞職

26代

35代

1830.11.22 – 1834.7.16

グレイ伯爵内閣

1830: スウィング暴動を鎮圧

1832年改革法(第一次選挙法改正、腐敗選挙区を抑止)

1833: 工場法制定(児童雇用を制限)

1833: 大英帝国全土において奴隷制度を廃止

1834: 救貧法の改正(院外救済を廃止)

1834.5: アイルランド国教会に収められる教会税の転用問題をめぐって閣内分裂

1834.7: 総辞職

グレイ伯爵は国王ウィリアム4世に後任の首相としてメルバーン子爵を推挙

退任する首相が後任の首相を国王に推挙した初めての事例となる

27代

36代

1834.7.16 – 1834.11.14

第1次メルバーン子爵内閣

ホイッグ左派のジョン・ラッセル卿を庶民院院内総務にすることに反対した国王ウィリアム4世との対立が深まり、国王が1834.11.14には罷免

国王(ウィリアム4世)に罷免された最後の首相

28代

37代

1834.11.17 – 1834.12.9

第2次ウェリントン公爵内閣

イタリア旅行中のピールが帰国するまでの暫定として首相を務める

29代

38代

1834.12.10 – 1835.4.8

第1次ピール内閣

1834.12.18: 自分の選挙区タムワースの有権者に対して公約として書簡「タムワース・マニフェスト」を発表

これが選挙公約としての「マニフェスト」の先駆けとなる

1835年初頭の総選挙で少数与党となる(ダービー派から支持を取り付ける)

1835.4: ホイッグ党が提出したアイルランド国教会の教会税の転用法案の採決で敗北して内閣総辞職

30代

39代

1835.4.18 – 1839.8

第2次メルバーン子爵内閣

1835年都市法人法

1837.6.20: ヴィクトリア女王即位、若き女王の父親的存在となる

若き日のヴィクトリア女王

1839.1: 第一次アフガン戦争が勃発

第一次アフガン戦争

1839.4: ロンドン条約でベルギーの独立と中立保障

1839.5: 寝室女官事件で、保守党党首ピールと女王の間で発生した、寝室女官の人事をめぐる対立により、ピールが組閣大命を拝辞

39代

1839.8 – 1841.8.30

1839-40: 500人のチャーティズム運動指導者を逮捕

チャーティスト暴動

1840.2.6: ワイタンギ条約により、ニュージーランドの主権を得る

1840.6: アヘン戦争が勃発

アヘン戦争

1840.7: ロンドン4国条約(第二次エジプト・トルコ戦争の講和)

1841.7: 解散総選挙で敗れて下野

31代

40代

1841.8.30 – 1846.6.29

第2次ピール内閣

自由貿易推進

1844年ピール銀行条例:イングランド銀行が中央銀行として銀行券の発券を独占

1845-47: アイルランドでジャガイモ飢饉

1846.1: 穀物法廃止

保守党の分裂:

  • 庶民院保守党は自由貿易派がピールを支持
  • 保護貿易派がジョージ・ベンティンク卿を支持
  • 貴族院保守党は保護貿易派のスタンリー卿(後のダービー伯爵)を支持

32代

41代

1846.6.30 – 1852.2.23

第1次ラッセル内閣

少数派内閣のため、ピール派と連携

工場法の1847年改正(十時間労働法)

1848年公衆衛生法

1848: チャーティスト運動における第三次国民請願運動と政府弾圧

ケニントン・コモン広場でのチャーティスト集会

1850: ドン・パシフィコ事件

1850: ニューサウスウェールズ州の自治に関するオーストラリア植民地政府法

1851: 第1回万国博覧会をロンドンで開催

救貧法を改善

1851: 聖職者称号法

1851.12: フランス大統領ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)のクーデタを外務大臣パーマストンが勝手に支持表明をしたことで罷免、ホイッグ党が分裂

民兵法案に絡めて不信任決議案が可決され、内閣総辞職

33代

42代

1852.2.23 – 1852.12.19

第1次ダービー伯爵内閣(誰?誰?内閣)

ディズレーリ財務大臣の予算案が庶民院で否決され、内閣総辞職

34代

43代

1852.12.19 – 1855.1.30

アバディーン伯爵内閣

1854.3: ロシア帝国に宣戦布告し、クリミア戦争に参戦

クリミア戦争

戦争長期化で国民の支持を失い、内閣が崩壊

35代

44代

1855.2.6 – 1858.2.19

第1次パーマストン子爵内閣

1856.3.14: パリ条約締結で、クリミア戦争終結

1856.6: アロー戦争勃発→1860: 北京条約

アロー戦争

1857.5: インド大反乱が勃発

インド大反乱

1858.8: 日英修好通商条約を締結

1858: インド法案を提出

1858.1: フランス皇帝ナポレオン3世暗殺未遂事件に起因する殺人共謀の重罰化の法案の修正案可決により総辞職

36代

45代

1858.2.20 – 1859.6.11

第2次ダービー伯爵内閣

1858: インド統治改善法、東インド会社の所有権を女王に移転

1858: ユダヤ教徒救済法、キリスト教徒としての宣誓を改めユダヤ教徒も議員になれるようにした

選挙法改正法案が否決、解散総選挙で過半数を取れず内閣総辞職

37代

46代

1859.6.12 – 1865.10.18

第2次パーマストン子爵内閣

在任期間中に自由党を結成

1860.1: 英仏通商条約で工業製品の輸出を伸ばす

1862.11: 閣議で南北戦争不介入の方針を改めて決定

ランカシャー綿花飢饉が引き起こした苦難を軽減しようと努めた

首相在職中に死去(在職中に死去した最後のイギリス首相であり、かつ最高齢で死去した首相でもある)

38代

47代

1865.10.29 – 1866.6.28

第2次ラッセル伯爵内閣

1866.6: 選挙権改正法案修正案が僅差で可決

党分裂を恐れて解散総選挙を避け総辞職

39代

48代

1866.6.28 – 1868.2.27

第3次ダービー伯爵内閣

1867: 第2次選挙法改正

カナダが大英帝国内で最初の自治領 (Dominion) となる。

痛風悪化で辞任

40代

ベンジャミン・ディズレーリ
Benjamin Disraeli

ベンジャミン・ディズレーリ Benjamin Disraeli

保守党

民族的にユダヤ人であった唯一の首相

49代

1868.2.27 – 1868.12.1

第1次ディズレーリ内閣

腐敗行為防止法

パブリック・スクール法

鉄道規制法

スコットランドの法制度を定めた法律

公開処刑を廃止する法律

電信法(郵便局に電報会社を買収する権限を与える)

マグダラの戦いでエチオピア帝国軍を破り、皇帝テオドロス2世が自害

総選挙での敗北を直接の原因として首相が辞任する慣例をつくる

41代

50代

1868.12.3 – 1874.2.17

第1次グラッドストン内閣

陸軍、公務員及び地方政府に対する改革を実行

平時の鞭打ちを違法化

1869年アイルランド教会法: アイルランド国教会を廃止

1870年アイルランド土地法

1870年初等教育法: 小学校教育の普及

1870.12: ロンドン会議でロシア帝国のパリ条約黒海艦隊保有禁止条項の一方的破棄などを阻止できず

1871年労働組合法: 賃金と労働時間以外のことを交渉するのを解禁

1872年投票法: 秘密投票制度の導入

1872年ライセンス法

普仏戦争の阻止に失敗

アラバマ号事件でアメリカに賠償金を支払

1873年から1874年にかけてのビハール飢饉の緩和

42代

51代

1874.2.20 – 1880.4.21

第2次ディズレーリ内閣

在任中に庶民院から貴族院に移籍した最後の首相

社会政策「トーリー・デモクラシー」を推進

  • 工場法改正(57時間労働制、最低雇用年齢を10歳に引き上げ)
  • 職人及び労働者の住居改善法
  • 煙突掃除夫法
  • 使用者及び被使用者法
  • 公衆衛生法

1876年から1878年にかけてインドで発生した大飢饉

1875: スエズ運河会社の株式を購入

1878: ベルリン会議に参加

ベルリン会議

女王ヴィクトリアにインド女帝の称号を授けることを含め、女王(国王)を再び公生活させる

インド人の格好をしたディズレーリと王冠を交換するヴィクトリア女王

1878-81: 第二次アフガン戦争

1878: 三帝同盟の解消

1879: ズールー戦争

ズールー戦争

長期間に及ぶ大不況の始まり

43代

52代

1880.4.23 – 1885.6.9

第2次グラッドストン内閣

1880: 戸主責任法

1881: 第一次ボーア戦争

第一次ボーア戦争

1882: 既婚女性財産法

1882: ウラービー革命へ介入(アレクサンドリア砲撃)

アレクサンドリア砲撃

1883: 腐敗違法行為防止法

1883: スーダンでマフディーの乱

マフディーを名乗ったムハンマド・アフマド

1884: 第三次選挙法改正

1885: 議席再分配法

1885: ハルツームで包囲されたゴードン将軍救出に失敗

チャールズ・ゴードン

44代

53代

1885.6.23 – 1886.1.28

第1次ソールズベリー侯爵内閣

1885: アシュバーン法

1885: ビルマ侵攻・併合

45代

54代

1886.2.1 – 1886.7.20

第3次グラッドストン内閣

アイルランド自治法案失敗

自由党分裂

46代

55代

1886.7.25 – 1887.1

第2次ソールズベリー侯爵内閣

自由統一党の閣外協力

55代

1887.1 – 1892.8.11

第2次ソールズベリー侯爵改造内閣

1887: 労働者配分地法

1887.8: アイルランド強圧法

1887: 地中海協定

1888: 地方自治法(地方行政法)

1891: アフリカ分割、無償教育法

1892: 小農地保有法

新組合主義 (New Unionism) とロンドン・ドック・ストライキ

47代

56代

1892.8.15 – 1894.3.2

第4次グラッドストン内閣

アイルランド自治法案再提出も貴族院で否決

48代

57代

1894.3.5 – 1895.6.22

ローズベリー伯爵内閣

自由帝国主義者の領袖

1894: 累進性の相続税を導入

49代

58代

1895.6.25 – 1900.10

第3次ソールズベリー侯爵内閣

1895-96: ジェームソン侵入事件

1896: 労使調停法

1896.11: 英米協定

1897: 労働者災害補償法

1898: スーダン侵攻

1898: ファショダ事件

ファショダ事件

1899-1902: 第二次ボーア戦争

ボーア戦争

1900年カーキ選挙

58代

1900.10 – 1902.7.11

第3次ソールズベリー侯爵改造内閣

1900: タフ・ベール事件

1902: 日英同盟締結

50代

アーサー・バルフォア
Arthur Balfour

アーサー・バルフォア Arthur Balfour

保守党

ソールズベリー侯爵の甥

59代

1902.7.11 – 1905.12.5

バルフォア内閣

自由貿易に関する是非について閣内で意見が分裂

1902年教育法

1903: ウィンダム法(アイルランド土地購入法)

中国人奴隷問題

帝国国防委員会を設立

1903: チベット侵攻

1904.4: 英仏協商

1904.10: ドッガーバンク事件

ドッガーバンク事件

51代

サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン
Sir Henry Campbell-Bannerman

サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン Sir Henry Campbell-Bannerman

自由党

議会で制定された法律の中で公式に言及された点においては、歴史上最初の首相

60代

1905.12.5 – 1908.4.3

キャンベル=バナマン内閣

トランスヴァール及びオレンジ自由国に対する自治権を回復

英露協商

ホールデン子爵によるイギリス軍改革

1907年犯罪者保護観察法

健康状態の悪化を理由に辞任、辞任から19日後に死去

52代

61代

1908.4.5 – 1915.5

第1次アスキス内閣(自由党)

ハング・パーラメントとなるも、労働党が閣外協力

自由党の福祉改革

1908: 老齢年金法

1909: 職業紹介所設置法

1910: 人民予算の成立

1911: 国民保険法

1911: 議会法(貴族院の拒否権を制限し、庶民院の優越を確立)

サフラジェット及びネコとネズミ法

サフラジェット

1914年アイルランド統治法

1914.8.4: ドイツに宣戦布告(第一次世界大戦に参戦)

62代

1915.5.17 – 1916.12.5

第2次アスキス内閣(挙国一致内閣)

1916.1: 兵員の枯渇で徴兵制を導入

1916.4: イースター蜂起

イースター蜂起

53代

デイヴィッド・ロイド・ジョージ
David Lloyd George

デイヴィッド・ロイド・ジョージ David Lloyd George

自由党

ウェールズ語を話し、英語が母語でなかった唯一の首相

63代

1916.12.7 – 1919

ロイド・ジョージ内閣

保守党と連立内閣を形成

1916: サイクス・ピコ協定

サイクス・ピコ協定

1917.11: バルフォア宣言

1918.2: 21歳以上の全ての男性及び30歳以上の全ての女性に選挙権が与えらる

1921.10: 英愛条約をもってアイルランド自由国を建国

63代

1919 – 1922.10.22

ロイド・ジョージ改造内閣

1919: パリ講和会議、ベルサイユ条約

1921: ソビエトと通商条約を締結

1921.12: 四カ国条約

1922.2: ワシントン海軍軍縮条約

1922.8-9: チャナク危機

1922.11: BBCの設立

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国 (1922年–)

54代

アンドルー・ボナー・ロー
Andrew Bonar Law

アンドルー・ボナー・ロー Andrew Bonar Law

保守党

カナダ生まれ

64代

1922.10.23 – 1923.5.22

ボナー・ロー内閣

20世紀中に首相を務めた人物の中で最も在任期間が短かった(211日間)

健康状態の悪化により、辞任

55代

65代

1923.5.23 – 1924.1.16

第1次ボールドウィン内閣

帝国特恵関税制度(保護主義的関税政策)をとるための信任を得るために総選挙に踏み切るも、議会で多数の議席を獲得するのに失敗

その後、内閣の信任を失って辞任

56代

ラムゼイ・マクドナルド
Ramsay MacDonald

ラムゼイ・マクドナルド Ramsay MacDonald

労働党

史上初の労働党政権の首相

66代

1924.1.22 – 1924.11.4

第1次マクドナルド内閣

ハング・パーラメントとなり、自由党の閣外協力を得て、少数派内閣を形成

第一次世界大戦を受けての賠償金の支払いを済ませてドイツと和解

1924: ジノヴィエフ書簡の影響で総選挙に敗れて退陣

57代

67代

1924.11.4 – 1929.6.5

第2次ボールドウィン内閣

1925.4: 戦前レートによる金本位制復帰

1925: ロカルノ条約

1926: ゼネスト鎮圧

1926: バルフォア報告書

ジョージ5世と帝国会議の首相たち

1927: 労働争議・組合法

1928.8: ケロッグ=ブリアン条約(不戦条約)

1926: 年金法

1928.7: 第5次選挙法改正(男女平等選挙権)

58代

68代

1929.6.5 – 1931.8.24

第2次マクドナルド内閣

1929: ウォール街大暴落で経済危機

1930.4: ロンドン海軍軍縮条約

ロンドン海軍軍縮条約

1931: 失業手当切り下げで労働党分裂

69代

1931.8.24 – 1931.11

第3次マクドナルド内閣(挙国一致内閣)

労働党を除名され、保守党・自由党と挙国一致内閣樹立

70代

1931.11 – 1935.6.7

第4次マクドナルド内閣(挙国一致内閣)

1931: 非常関税法

1931: 金本位制停止

1931.12: ウェストミンスター憲章を制定してイギリス連邦を発足

1932: 輸入関税法(保護関税法)

1932: 大英帝国経済会議で帝国特恵制度導入

59代

71代

1935.6.7 – 1937.5.28

第3次ボールドウィン内閣(挙国一致内閣)

1935: インド統治法

1936: エドワード8世の退位騒動

1937: ジョージ6世戴冠式

対独宥和政策

60代

72代

1937.5.28 – 1939.9.3

第1次チェンバレン内閣(挙国一致内閣)

1937: 工場法改正(女性・子供の労働時間を制限)

1938: 有給休暇関連法

1938: 住宅法(家賃統制)

対独宥和政策

73代

1939.9.3 – 1940.5.10

第2次チェンバレン内閣(挙国一致内閣)

1938.9: ミュンヘン協定

1939-40: 第二次世界大戦開戦・指導

61代

74代

1940.5.10 – 1945.5.23

第1次チャーチル内閣(挙国一致内閣)

1940-45: 第二次世界大戦指導

防衛規則18Bの修正規則18(1a)を制定、言論弾圧

1941.8: 大西洋憲章

大西洋憲章

1942: ベヴァリッジ報告書

1943.11: カイロ会談

カイロ会談

1943.11-12: テヘラン会談

テヘラン会談

1944: 教育法

1945.2: ヤルタ会談

ヤルタ会談

74代

1945.5.23 – 1945.7.26

第1次チャーチル改造内閣(挙国一致内閣)

1945.5: 挙国一致内閣解消、暫定内閣発足

1945.7.26迄: ポツダム会談

ポツダム会談 ウィンストン・チャーチル

1945.7: 選挙敗北で辞職

62代

75代

1945.7.27 – 1950.2

第1次アトリー内閣

1945.7.27から: ポツダム会談

ポツダム会談 クレメント・アトリー

1946.3: イングランド銀行国有化

1946.8: 国民保険法

1947.2: パレスチナ委任統治権放棄

1948.8: インド独立

76代

1950.2 – 1951.10.26

第2次アトリー内閣

1950.1.6: 西側諸国で最も早く中華人民共和国を国家承認

1950.6: 朝鮮戦争参戦

1951.2: 鉄鋼国有化

63代

77代

1951.10.26 – 1955.4.7

第2次チャーチル内閣

鉄鋼再民営化

1952.10: オーストラリア沖で核実験(ハリケーン作戦)

ハリケーン作戦

1952-60: マウマウ団の乱の鎮圧

1953: 女王エリザベス2世の戴冠式

エリザベス2世戴冠時の女王夫妻

女王エリザベス2世時代 (1952年–2022年)

64代

78代

1955.4.7 – 1957.1.10

イーデン内閣

1956.7.26: エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化(スエズ危機)

65代

79代

1957.1.11 – 1959.10

第1次マクミラン内閣

欧州経済共同体への加盟を申請するも、保守党内で意見が対立、フランスのシャルル・ド・ゴール大統領に加盟拒否

ケインズ主義を容認

1957年家賃法

1958: ノッティングヒル人種暴動

79代

1959.10 – 1963.10.19

第2次マクミラン内閣

1960: ウィンド・オブ・チェンジ演説

BBCテレビジョンセンターの開設

ビーチング・アックスの始まり

徴兵制の廃止

1962: ニュー・コモンウェルス移民法の特徴である雇用バウチャーの実施

キューバ危機

1963.10: プロヒューモ事件の後、責任をとって総辞職

66代

80代

1955.4.7 – 1957.1.10

ダグラス=ヒューム内閣

再販売価格維持の廃止

67代

81代

1964.10.16 – 1966.3.31

第1次ウィルソン内閣

妊娠中絶の合法化

死刑制度の廃止(北アイルランドを除く)及び同性愛の非刑罰化を含む社会的改革

1965.11: ローデシアの一方的独立宣言

経済のための国家計画が採用された後、中止された

81代

1966.3.31 – 1970.6.19

第2次ウィルソン内閣

1967: 政府白書「闘争に代えて」と価格・所得政策を巡る労働組合との論争

1967.11: ポンドの平価切り下げ

1967: 鉄鋼法で再国有化

1968: ディエゴガルシア島の全住民を違法に追放及び強制退去させる計画を了承

ディエゴガルシア島

1968: Girobank設立

1969: オープン大学の設置

1969: 北アイルランド問題への対応として、北アイルランドに派兵

68代

82代

1970.6.1 – 1974.3.4

ヒース内閣

それまでの産業介入政策を180度転換

1971: 薬物乱用法

1973: 欧州共同体(EC)に加盟

1972.1.30: 北アイルランド紛争が激化して血の日曜日事件が起こる

1973.12: サニングデール協定に同意

炭鉱労働者によるストライキが頻発して電力不足に陥る (Three-day Week)

付加価値税を導入

北アイルランドでの死刑廃止

69代

83代

1974.3.4 – 1974.10.10

第3次ウィルソン内閣

ハング・パーラメント

鉱山労働者との争議が終結

経済に関して労働組合との「社会契約」 (Social Contract) 政策を推進

1974年労働安全衛生法

欧州諸共同体の加盟国入りするための条件について再交渉、1975年にEEC加盟残留の是非を問う国民投票を実施して残留への賛成を確認

欧州経済共同体

北海油田

北海油田

83代

1974.10.10 – 1976.4.5

第4次ウィルソン内閣

1976.6: タラ戦争終結(1958-)

タラ戦争

70代

84代

1976.4..5 – 1979.5.4

キャラハン内閣

IMFから融資を受けてポンドを支える

1976: 人種関係法

労働党・自由党協定

スコットランドとウェールズに国の権限の一部を移譲する法律が制定、住民投票により差し止め

労働組合との関係が破綻、不満の冬が到来

内閣不信任決議案が1票差で可決、解散総選挙に大敗を喫して辞任

71代

マーガレット・サッチャー
Margaret Thatcher

マーガレット・サッチャー Margaret Thatcher

保守党

初の女性首相

85代

1979.5.4 – 1981.9

第1次サッチャー内閣

多くの国有企業を民営化

労働組合の権限を縮小

1980: 公営住宅を売却して賃借させる(Right to Buy政策)

1981: アイルランドでのハンガー・ストライキ

85代

1981.9 – 1983.6.9

第1次サッチャー改造内閣

1982.3: フォークランド紛争

86代

1983.6.9 – 1987.6.11

第2次サッチャー内閣

1984.10.12: IRAによるブライトンホテル爆破事件

1984.12.19: 香港返還に関する英中共同声明

1984-85: 鉱山労働者のストライキ

1985: アングロ・アイリッシュ協定

1986.1: ウェストランド事件

1986.2: EECを強化するための単一欧州議定書に署名

1986: グレーター・ロンドン・カウンシルの廃止

87代

1987.6.11 – 1989.7

第3次サッチャー内閣

1988.7: 教育法を改定

1988年地方自治法28条

1988.12.21: ロッカビー事件

ロッカビー事件

87代

1989.7 – 1990.11.28

第3次サッチャー改造内閣

1989.12: 冷戦の終結

1989-1991: 人頭税(地方負担金)と人頭税暴動

72代

88代

1990.11.28 – 1992.4

第1次メージャー内閣

1990年代初頭の景気後退

1991.1.17: 湾岸戦争が勃発

湾岸戦争

1991: ダウニング街に迫撃砲が撃ち込まれる事件

1991年危険犬種法

1991.12: マーストリヒト条約の批准、その過程で保守党議員の造反

1991: 市民憲章

Back to Basics政策

89代

1992.4 – 1993.5

第2次メージャー内閣

1992: プライベート・ファイナンス・イニシアティブ(PFI)を実施

1992.9.16: 欧州為替相場メカニズムからの離脱を強行(暗黒の水曜日)

1993年鉄道法: 国鉄分割民営化が決定

89代

1993.5 – 1994.7

第2次メージャー改造内閣

1993.12: ダウニング・ストリート宣言

89代

1994.7 – 1995.7

89代

1995.7 – 1997.5.2

73代

90代

1997.5.2 – 2001.6.8

第1次ブレア内閣

1997.7.1: 中華人民共和国への香港返還

8.31: ダイアナ元王太子妃の死

ダイアナ元妃

イングランド銀行の独立

イングランド銀行

1997: タバコのスポンサーシップを巡るエクレストンから労働党への献金スキャンダル

1998.4.10: ベルファスト合意

1998年人権法

死刑制度の完全廃止

スコットランドとウェールズへの権限移譲

1999: 貴族院改革

NATOによるコソボ空爆

コソボ空爆

1999.4: 最低賃金の導入

燃料費の高騰に対する抗議

2000: グレーター・ロンドン・オーソリティーとロンドン市長職の創設

2000年情報自由法

2000.5.19: シエラレオネ内戦へのイギリス軍の介入

2001: 口蹄疫の流行

91代

2001.6.8 – 2005.5

第2次ブレア内閣

2001.9.11: アメリカ同時多発テロ事件

2001.10-:アフガニスタン紛争

アフガニスタン紛争

2003.3.20-2011.12.15: イラク戦争

大学授業料に対して裁量制授業料制度を導入

2004年シビル・パートナーシップ法

2005年憲法改革法

92代

2005.5 – 2006.5.5

第3次ブレア内閣

2005.7.7: ロンドン同時爆破事件

2006年IDカード法

2006.3: 一代貴族売買疑惑

92代

2006.5.5 – 2007.6.27

74代

93代

2007.6.27 – 2008.1.24

ブラウン内閣

グラスゴー国際空港でのテロ事件

児童手当データ漏洩事件

労働党への無申告での政治献金疑惑

2007.11: ノーザン・ロック銀行及びその他の銀行の国有化

2007.12: リスボン条約を批准

リスボン条約

個人所得税の10%の最低税率を廃止

2007年から2008年にかけての世界金融危機

93代

2008.1.24 – 2008.10.3

93代

2008.10.3 – 2009.6.5

ブラウン第2次改造内閣

2008.10: 大麻の分類をクラスBに移動

庶民院議員経費スキャンダル

2008.11: ダミアン・グリーン議員の逮捕

93代

2009.6.5 – 2010.5.11

ブラウン第3次改造内閣

2009.8: ロッカビー事件の実行犯アブデルバセット・アル=メグラヒの釈放

2009.7: イラク戦争に関する独立調査委員会(チルコット委員会)を設置

75代

94代

2010.5.11 – 2012.9.4

第1次キャメロン内閣(自由民主党との連立)

2010.6: 血の日曜日事件の謝罪

10: 歳出と戦略的国防・安全保障政策の見直し(公共サービスの予算を削ったことにより、緊縮財政政策反対運動が起こる)

2010: 学生の抗議活動

2011: リビアへの軍事介入(エラミー作戦)

エラミー作戦

2011.5.5: 選挙方法を代替投票制 (Alternative Vote) に変更する是非を問う国民投票

2011.8.6: イングランド暴動

イングランド暴動

2012年福祉改革法

2012年保健・高齢者ケア法

欧州財政協定 (European Fiscal Compact) を拒否

ロンドンオリンピックの開催

ロンドンオリンピック

94代

2012.9.4 – 2014.7.14

第1次キャメロン改造内閣

2012.12: ベルファスト市庁舎での国旗掲揚を巡る抗議

2013.7: 同性婚の合法化

国家犯罪対策庁の設置

イギリス軍兵士刺殺事件

94代

2014.7.14 – 2015.5.11

第1次キャメロン第2次改造内閣

2014.9.18: スコットランドの独立の是非を問う住民投票

2014.7: 政治家による児童虐待疑惑告発関連文書の紛失

2015: ロイヤルメールの民営化

イラクとシリアで活動する過激派テロ組織「イスラム国」に対する軍事介入(シェイダー作戦)

2015年欧州難民危機

95代

2015.5.11 – 2016.7.13

第2次キャメロン内閣

イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票を実施、52%の国民がEU離脱に投票したため、EU残留を訴えていた首相は辞任

76代

テリーザ・メイ
Theresa May

テリーザ・メイ Theresa May

保守党

史上2人目の女性首相

96代

2016.7.13 – 2017.6.11

第1次メイ内閣

ブレグジットに関する事項を定めた欧州連合条約(リスボン条約)第50条の最終的な援用を取り扱うEU離脱省を設置

97代

2017.6.11 – 2018.1.9

第2次メイ内閣

民主統一党の閣外協力

97代

2018.1.9 – 2019.7.24

第2次メイ改造内閣

2019.1.15: ブレグジット(EU離脱)に関する協定案が庶民院で否決

77代

98代

2019.7.24 – 2019.12.13

第1次ジョンソン内閣

モダン英国内閣

99代

2019.12.13 – 2022.9.5

第2次ジョンソン内閣

2020.1: イギリスの欧州連合離脱(ブレグジット)実行

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の流行拡大

2022: パーティーゲート事件

78代

メアリー・エリザベス・トラス
Mary Elizabeth Truss

メアリー・エリザベス・トラス Mary Elizabeth Truss

保守党

史上3人目の女性首相

100代

2022.9.5 – 2022.10.25

トラス内閣

2022.9.8 エリザベス2世没

エリザベス2世

2022.10.20 減税政策他の経済政策に対する金融市場の反発から、就任後わずか1か月半で党首退任を表明

チャールズ3世時代 (2022年–現在)

79代

リシ・スナク
Rishi Sunak

リシ・スナク Rishi Sunak

保守党

同国史上で初の非白人・アジア系の首相

101代

2022.10.25 –
2024.7.5

スナク内閣

チャールズ3世から任命

チャールズ3世

2024.7.4 総選挙で保守党が労働党に敗れ下野

80代

キア・スターマー
Sir Keir Rodney Starmer

キア・スターマー Sir Keir Rodney Starmer

労働党

102代

2024.7.5 –
現任

スターマー内閣

2024.7.4 総選挙で保守党に対して250議席以上の歴史的大差で圧勝して首相に就任

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