- ウクライナ大統領について
- ウクライナ独立(1991年)
- 最高議会議長による代行(1991年8月)
- レオニード・クラフチュク
Леонід Макарович Кравчук
Leonid Makarovych Kravchuk - 選挙による大統領府(1991年12月)
- レオニード・クラフチュク
Леонід Макарович Кравчук
Leonid Makarovych Kravchuk - レオニード・クチマ
Леонід Данилович Кучма
Leonid Danylovych Kuchma - ヴィクトル・ユシチェンコ
Віктор Андрійович Ющенко
Viktor Andriyovych Yushchenko - ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
Віктор Федорович Янукович
Viktor Fedorovych Yanukovych - オレクサンドル・トゥルチノフ
Олександр Валентинович Турчинов
Oleksandr Valentynovych Turchynov - ペトロ・ポロシェンコ
Петро Олексійович Порошенко
Petro Oleksiyovych Poroshenko - ウォロディミル・ゼレンスキー
Володимир Олександрович Зеленський
Volodymyr Oleksandrovych Zelensky
- 参考リンク
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ウクライナ大統領について
1991年7月5日にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の最高議会によってウクライナ・ソビエト社会主義共和国大統領( Президент Української РСР )の職が設立された。大統領選挙までの移行期間中、最高議会議長に大統領権限が与えられた。ソ連からのウクライナの独立宣言に伴い、8月24日に同職の正式な称号はウクライナ大統領に変更された。
ウクライナ政府は半大統領制を採用している。大統領は国家元首であり、首相が政府の長である。大統領が首相の任命を承認しなければならないが、議会(最高会議)が採択した内閣総辞職に関する決議は、大統領に対して強制力を有する。議会(最高会議)の解散権は事実上有していない。
大統領は18歳以上のウクライナ国民による直接選挙で選ばれ、任期は5年、連続2期までである。2回投票制を採用しており一回目の投票で過半数を獲得した者が居なかった場合は上位2名による決選投票が行われる。
ウクライナ独立(1991年)
- 1991.8.24 ウクライナ独立宣言
最高議会議長による代行(1991年8月)
代
氏名
期
在任期間
事績
–
レオニード・クラフチュク
Леонід Макарович Кравчук
Leonid Makarovych Kravchuk
無所属
–
1991.8.24
–
1991.12.5
フォーキン内閣(1990.4.18–92.2.25)
1991.9.19 キエフ・モヒラ・アカデミー再建
10.18 ウクライナ政府、経済共同体条約署名拒否
12.1 独立を問う国民投票・大統領選挙、クラフチュク当選
選挙による大統領府(1991年12月)
- 2004.11-2005.1 オレンジ革命
- 2014.2.18-23 マイダン革命による親ロシア政権打倒
- 2014.3.18 ロシアのクリミア併合
- 2014.5.12 ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国の独立宣言
- 2021.3 ロシア・ウクライナ危機の発生
- 2022.2.21 ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国をロシアが承認
- 2022.2.24 ロシアによるウクライナ侵攻開始
代
氏名
期
在任期間
事績
1
レオニード・クラフチュク
Леонід Макарович Кравчук
Leonid Makarovych Kravchuk
無所属
1
1991.12.5
–
1994.7.19
1991.12.8 ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの大統領がビャウォヴィエジャの森で会談、ソ連憲法に従って正式に連邦を解散し、ソ連は正式に消滅(ベロヴェーシ合意)
12.10 議会、独立国家共同体(CIS)結成を承認
12.13 クラフチュク大統領、黒海艦隊保有を宣言
1992.5.15 最高会議(議会)、クリミア最高会議の独立決議(5.5)を無効と宣言
クラフチュク、CIS集団安全保障協定署名を拒否
5.21 ロシア議会、1954年のクリミアのウクライナへの譲渡を違法と決議
7. ロシアとのダゴムイス会談
クチマ内閣 (1992.10.27–93.9.21)
経済危機を食い止められず一年後に辞任
11.12 ルーブルの流通を停止、カルボヴァネツ・クーポンを正式の通貨とする
12.4. ルーフ第4回大会で政党化
1993.1.22 ウクライナ政府、CIS憲章調印拒否
7.1 ロシア議会、セヴァストポリ領有決議
9. ロシアとのマサンドラ会談
10.3 ウクライナ共産党再登録
第2次マソル内閣(1994.6.16-95.4.4)
1994.1.30 メシコフ、クリミア共和国大統領に当選
1994.3.27 最高会議選挙でルーフが分裂、旧共産党系が躍進
5.18 社会党党首モロズ、最高会議議長に就任
5.20 クリミア議会、1992年憲法を復活
6.7 マソル、ズヴャヒルスキーに代わって再び首相職へ
クラフチュク辞任
7.10 クチマ、大統領に当選
2
レオニード・クチマ
Леонід Данилович Кучма
Leonid Danylovych Kuchma
無所属
2
1994.7.19
–
1999.11.14
1994.11.16 最高会議、核不拡散条約批准
マルチューク内閣(1995.6.8-96.5.27)
1995.6.7 憲法協約締結
1996 全核兵器のロシアへの移送が完了
第1次ラザレンコ内閣(1996.5.28-7.5)
1996.6. 新憲法が制定、クリミア自治共和国が成立
第2次ラザレンコ内閣(1996.7.11-97.7.2)
1996.9.1 新通貨フリヴニャ導入
1997.5. ロシアとの友好協力条約が調印
プストヴォイチェンコ内閣(1997.7.16-99.11.30)
1998.3. 最高会議選挙
3
1999.11.14
–
2005.1.23
ユシチェンコ内閣(1999.12.22-2001.4.28)
議会から不信任決議を突き付けられ解任
2000 チェルノブイリ原子力発電所が完全停止(→廃炉作業へ)
2000.11. カセット・スキャンダルが発生
キナフ内閣(2001.5.29-02.11.16)
2002.1. 10個の政党が合同した選挙ブロック「我らのウクライナ」を結成、ユシチェンコが代表となる
第1次ヤヌコーヴィチ内閣(2002.11.21-05.1.5)
3期目の任期を辞退
2004.11.22 – 2005.1.23 オレンジ革命
2004年の大統領選挙で、親露派の与党の現首相ヤヌコーヴィチと親欧州派の野党の前首相ユシチェンコが一騎打ち、選挙不正を巡り激しく対立、11.21の開票でヤヌコーヴィチが一旦当選するも、12.28の再投票でユシチェンコ大統領が誕生
3
ヴィクトル・ユシチェンコ
Віктор Андрійович Ющенко
Viktor Andriyovych Yushchenko
4
2005.1.23
–
2010.2.25
第1次ティモシェンコ内閣(2005.2.4-9.8)
2005.4. ロシア・ウクライナガス紛争が始まる(2006年、2008-2009年、2014年)
エハヌロフ内閣(2005.9.22-06.1.10)
2006.3. 最高会議選挙で、ヤヌコーヴィチ率いる地域党が比例区32.12%(450議席中186議席)を獲得して第一党となる
第2次ヤヌコーヴィチ内閣(2006.8.4-07.12.18)
2007.9. 最高会議選挙で、地域党が再び第一党の地位を確保したものの、連合工作で過半数に届かず野党に下る
第2次ティモシェンコ内閣(2007.12.18-10.3.11)
2008.9.16 天然ガスの供給を受けるロシアとの関係を巡って、我らのウクライナとティモシェンコ・ブロックの連立政権が解消
10.8 ウクライナ議会を解散して12月7日に総選挙を実施するという大統領令を公布
→ティモシェンコ側の抵抗と、リーマン危機による世界金融危機のため、紆余曲折の後、年内の選挙実施は取り下げ
2009.3.3 大統領側近で親欧米派のボロディミール・オグリスコ外相が、議会で解任決議が可決され退任
2010.1.17 大統領選挙で、現職のユシチェンコ大統領がティモシェンコ首相と決裂して分裂選挙となり、親露派のヤヌコーヴィチ元首相に敗れる
4
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ
Віктор Федорович Янукович
Viktor Fedorovych Yanukovych
無所属
(地域党が事実上の与党)
5
2010.2.25
–
2014.2.22
第1次アザロフ内閣(2010.3.11-12.12.3)
2010.4.21 ハリコフ合意(ウクライナ領上ロシア連邦黒海艦隊の駐留問題に関する条約)
2010.5 – 2014.2.28 ティモシェンコに対する刑事訴訟(無罪で終結)
第2次アザロフ内閣(2012.12.24-14.1.28 (事実上), 2.28(法定))
2013.11. ヤヌコビッチ大統領がウクライナ・欧州連合連合協定に署名せず
2013.11.21 ユーロマイダン
首都キーウにある独立広場におけるデモ活動が始まる
2013.12.6 中華人民共和国を公式訪問、中国ウクライナ友好協力条約を調印
2013.12.17 ウクライナ–ロシア間協定の締結
2014.2.18 – 23 尊厳の革命(マイダン革命、ユーロ・マイダン革命)
ヤヌコーヴィチ大統領が失脚、隣国ロシアへ亡命、退任後タイトルを剥奪
代行
オレクサンドル・トゥルチノフ
Олександр Валентинович Турчинов
Oleksandr Valentynovych Turchynov
–
2014.2.23
–
2014.6.7
ヤヌコーヴィチ支持者のヴォロディミル・ルイバクが最高会議議長を辞任、後任にティモシェンコ支持者のオレクサンドル・トゥルチノフ氏が暫定大統領に就任
第1次ヤツェニュク内閣(2014.2.27-14.11.27)
2014.3.18 ロシアによるクリミアの併合
2014.3.21 ウクライナ・欧州連合連合協定に署名
2014.4.6 ドンバス戦争始まる
2014.4.7 ドネツク人民共和国建国宣言
2014.4.27 ルガンスク人民共和国建国宣言
5.12 ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国が独立宣言
5.24 ノヴォロシア人民共和国連邦の設立宣言
2014.5.25 大統領選挙で、親欧米派でウクライナ南部・クリミア半島の編入を認めない元外相のペトロ・ポロシェンコが決選投票を待たずして、過半数の票を得て当選
2014.10.14 ウクライナ国家汚職防止局(NABU)が設立
5
ペトロ・ポロシェンコ
Петро Олексійович Порошенко
Petro Oleksiyovych Poroshenko
無所属
(ペトロ・ポロシェンコ・ブロックが事実上の与党)
6
2014.6.7
–
2019.5.20
第2次ヤツェニュク内閣(2014.12.2-16.4.14)
2014.9.5 ミンスク議定書に署名(ドンバス戦争の停止について合意)
2015.1.12 国際刑事警察機構(ICPO)がヤヌコーヴィチを公金横領などの容疑で国際手配
2.12 ミンスク2(ミンスク合意の実施のための措置のパッケージ)を調印
2016.1.1 EUとのDCFTAに加盟
フロイスマン内閣(2016.4.14-19.8.29)
2016 国家汚職防止庁(NACP)始動
2018.5.19 独立国家共同体(CIS)の法定機関へのウクライナの参加終了の法令に署名
11.25 ケルチ海峡事件
12.15 ウクライナ正教会・キエフ総主教庁と、少数教派であったウクライナ独立正教会が統合して、新生「ウクライナ正教会」として発足
2019.2 独立国家共同体(CIS)への参加が実質終了
2019.2.21 ウクライナ憲法改正、欧州連合およびNATO加盟に向けたウクライナの戦略的進路に関する規範を明記
2019.4.21 大統領選挙(2回目の決選投票)で、ゼレンスキーが対露強硬派として知られた現職大統領のポロシェンコを破り当選
6
ウォロディミル・ゼレンスキー
Володимир Олександрович Зеленський
Volodymyr Oleksandrovych Zelensky
7
2019.5.20
–
現職
2019.7.21 最高会議選挙にてゼレンスキー率いる国民の僕が254議席を獲得、独立後ウクライナ初の完全過半数を獲得
ホンチャルク内閣(2019.8.29-20.3.4)
シュミハリ内閣(2020.3.4-現職)
2020.7.28 ルブリン・トライアングル(リトアニア、ポーランド、ウクライナ間の地域連合)設立
2021.2.2 大統領令により、親ロシア派テレビチャンネル112ウクライナ、ニュースワン、ZIKのテレビ放送が禁止
2.19 大統領令により、親露派政治家ヴィクトル・メドヴェチュクとその妻オクサナ・マルチェンコを含む8人の個人と19の法人に制裁
3.5 アメリカ合衆国国務省はゼレンスキーの政治支援を行っていたウクライナのオリガルヒであるイーホル・コロモイスキーとその家族を知事時代の不正蓄財容疑で入国禁止処分とする
5.17 アソシエーション・トリオ(ジョージア、モルドバ、ウクライナ)設立
2022.2.21 ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国がロシアより国家承認
2.24 ロシアの特別軍事作戦が開始(ウクライナ侵攻)
同日、ゼレンスキーは国民総動員令に署名、18~60歳の男性の出国を禁止
2.27 – 3.30 ブチャの虐殺
2.28 欧州連合(EU)への加盟申請
9.30 ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国がロシア編入条約に調印
10.5 ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国のロシア併合手続き完了
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