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自由民主党の派閥の系譜

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自由民主党の派閥

1955年11月、前月に左右に分裂していた日本社会党が再統一を果たし、これに対抗するため、それまで激しく政権をめぐって争っていた保守政党である日本民主党と自由党が保守合同を果たし、自由民主党が結成された(55年体制)。

旧自由党・旧民主党(旧改進党)や戦前(立憲政友会系・立憲民政党系)の人脈に加えて、経歴(官僚派・党人派)・信条(タカ派・ハト派)・政策(自由主義・ケインズ主義)などにおいて比較的近い議員が集まることで形成された議員集団である。

主義主張の似通った議員同士の集まりというゲマインシャフト的性格から、やがて、夏は「氷代」、冬は「餅代」などと称して所属議員に政治活動のための資金を援助し、総理総裁をはじめとする閣僚や党内の執行部(幹部)ポストを斡旋するゲゼルシャフト的な機能集団の性質が強まっていく。

カネとポストの見返りに、所属議員からは総理総裁を目指すための多数派形成の協力を取り付ける集団として、中選挙区制の時代に、その結束力が最も強まり、政治資金問題を度々起こす温床になったと批判されることになる。

その一方で、まだ当選回数の浅い新人議員が陣笠議員として入った派閥を通して国会内外の情報収集が容易になったり、派内の各種政策勉強会で政権運営能力・政策実行能力を磨きながら人脈を作っていくといった教育的効果が評価されることもある。

また、55年体制の固定化により、社会党との政権交代が実質的に置きにくい状況が続いたため、派閥争いを通して総理総裁ポストが派閥領袖の間で争われることで、疑似政権交代による緊張感とダイナミズムを戦後政治に与えた側面もある。

しかし、長老支配・密室政治・金権政治の原因として批判の声が次第に大きくなり、派閥政治を支えた中選挙区制が小選挙区比例代表並立制に変わった以降、首相官邸の権限が強くなり、近年では派閥の影響力は低下している。

自由民主党の派閥の流れ

保守合同

保守合同前に所属していた保守政党の分類から、自由党(吉田自由党)の流れを汲む保守本流と、日本民主党(改進党含む)の流れを汲む保守傍流という区分がある。

また、出身属性の違いから、官僚派党人派という区分もあった。

これらは、本人がそう名乗るわけではなく、世間やマスコミが勝手に区分しているだけなので、論者によっては異論が多いところである。

例:本人は官僚出身だが、属した派閥領袖が党人出身だった場合など

保守本流保守傍流以後
官僚派吉田茂、池田勇人、佐藤栄作岸信介、福田赳夫
党人派田中角栄、竹下登鳩山一郎、三木武夫、石井光次郎、
松村謙三、河野一郎、大野伴睦、
川島正次郎、中曽根康弘
菅義偉、
二階俊博

8個師団

保守合同直後は11程度のグループが存在したが、1956年12月に行われ、石橋湛山が選出された第2回の総裁選挙を通して、おおよそ8つの派閥が形成され、8個師団(あるいは7個師団1旅団※)と呼ばれるようになった。

石橋派は規模が小さく、旅団と称されることもあった

派閥名派閥領袖系譜
宏池会池田勇人吉田学校
水曜会石井光次郎緒方竹虎
木曜研究会/
周山会
佐藤栄作吉田学校
睦政会大野伴睦鳩山一郎
十日会岸信介日本民主党
春秋会河野一郎鳩山一郎
火曜会石橋湛山鳩山一郎
政策研究会松村謙三
三木武夫
改進党

三角大福中

デュヴェルジェの法則(各選挙区ごとにM人を選出する場合、候補者数が次第に各選挙区ごとにM+1人に収束していく)により、中選挙区制(3~5人)で選挙を勝ち抜くために、やがて5大派閥に収斂していった。

佐藤内閣の次の総理総裁の座を争った三角大福を加え、当時の派閥領袖の名前から、「三角大福中」と称した。

派閥名派閥領袖系譜
政策研究会木武夫改進党
七日会田中佐藤派
宏池会平正芳前尾派
紀尾井会田赳夫岸派
新政同志会曽根康弘河野派

ニューリーダー(安竹宮)

田中内閣から中曽根内閣の間に、次の派閥領袖候補として、名が挙げられるようになった、安倍晋太郎竹下登宮澤喜一の三人の名前からとって「安竹宮」と呼ばれるようになった。

この3人に加えて、中川一郎渡辺美智雄らを含めて、この世代の実力者をニューリーダーと呼ぶようになった。

派閥名派閥領袖系譜
清和会倍晋太郎福田派
経世会下登田中派
宏池会澤喜一鈴木派
自由革新同友会中川一郎水田派
政策科学研究所渡辺美智雄中曽根派

経世会一極支配(竹下派七奉行)

リクルート事件(1988年)、東京佐川急便事件(1992年)と、贈収賄事件(政治とカネ問題)に政局が揺れた時代、竹下派内の有力者の勢力争いで政局が動く時代が続いた。

竹下、金丸の後継者と目された7人の有力政治家を指して、「竹下派七奉行」もしくは、小渕・橋本・奥田の3人のうちいずれか1人を入れないで「六奉行」と呼ぶこともある。

羽田・小沢が主導で自民党離党→新生党→細川連立政権→新進党という55年体制を初めて崩壊させた原動力となった。

系譜七奉行顛末
竹下系小渕恵三竹下派継承
総理就任
梶山静六総裁選出馬
橋本龍太郎小渕派継承
総理就任
金丸系羽田孜民進党
総理就任
渡部恒三国民民主党
衆議院副議長
奥田敬和民主党
小沢一郎民主党代表
立憲民主党

なお、ニューリーダーに続く、次々世代指導者を評した造語として、「ネオ・ニューリーダー」という呼称も使われていた。

派閥 ネオ・ニューリーダー顛末
竹下派小渕恵三竹下派継承
総理就任
小沢一郎民主党代表
羽田孜総理就任
橋本龍太郎小渕派継承
総理就任
渡部恒三衆議院副議長
安倍派加藤紘一宮澤派継承
加藤の乱→失脚
河野洋平自民党総裁
衆議院議長
中曽根派藤波孝生リクルート事件
で失脚
河本派海部俊樹総理就任

YKKトリオ

竹下派(経世会)に対抗する政治勢力として、結集された山崎拓加藤紘一小泉純一郎による盟友関係を、三人の名字のイニシャルから「YKK」と呼ぶようになった。

この頃から、必ずしも派閥領袖とはならずに総理の座に就いたり、敢えて派閥領袖の座に就かずに政局を動かす実力者(キーマン)となる動きが目立つようになる。

「古い自民党をぶっ壊す」というワンフレーズ政治や「郵政解散」で小泉旋風を起こし、2001年参議院選挙、2005年衆議院総選挙で大勝利した小泉の首相就任は、その後の派閥領袖にならずに首相官邸への権力集中で小選挙区に勝利する新しい形態を生み出す契機を作った。

それと並行して、森→小泉→安倍→福田(康)→安倍(2次)と、「清和政策研究会」の強い政権への求心力をもたらすことになった。

YKKの3人の内、山崎拓は旧渡辺派から独立し「近未来政治研究会(山崎派)」を結成し、加藤紘一は宮澤から「宏池会(加藤派)」を継承したが、2人とも総理総裁の座に就くことはなかった。

麻垣康三

政治評論家の有馬晴海が命名したポスト小泉を目指す有力候補者である4人(麻生太郎谷垣禎一福田康夫安倍晋三)を指す言葉。

派閥 候補者顛末
河野グループ
(大勇会)
生太郎総理就任
谷垣派
(宏池会)
禎一自民党総裁
森派
(清和政策研究会)
福田総理就任
森派
(清和政策研究会)
安倍晋総理就任

後に、麻生は河野グループを継承して自派を起こす(為公会→志公会)が、福田・安倍は、森派を継承した町村派・細田派に属したままだった。

自由民主党の派閥の系譜

下記は、Excelファイルでまとめた自由民主党の派閥に関する2D年表になる。

なお、写真を Wikimedia Commons から参照できない場合は割愛している。

このExcelファイルは、スクロールで全体を確認することができる。全体を俯瞰したい場合は、上記からExcelファイルをダウンロードされることをお勧めする。

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