- 初期キリスト教美術
- ビザンチン美術(ビザンツ美術)
- 初期中世美術
- 初期イスラム美術
- 南アジア
- 東南アジア
- 東アジア
- 中央・南アメリカ
- ロマネスク美術
- ゴシック美術
- 初期イタリア美術
- 父:ニコラ・ピサーノ Nicola Pisano(1220年代頃 – 1280年代頃)
子:ジョヴァンニ・ピサーノ Giovanni Pisano(1250頃 – 1315頃) - チマブーエ Cimabue(1240頃 – 1302頃)
- アンブロージョ・ロレンツェッティ Ambrogio Lorenzetti/Ambruogio Laurati(1290頃 – 1348)
- ピエトロ・ロレンツェッティ Pietro Lorenzetti/Pietro Laurati(1280頃 – 1348)
- ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ Duccio di Buoninsegna(1255/1260頃 – 1319頃)
- ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone(1267頃 – 1337)
- シモーネ・マルティーニ Simone Martini(1284頃 – 1344)
- 父:ニコラ・ピサーノ Nicola Pisano(1220年代頃 – 1280年代頃)
- 国際ゴシック美術
- 美術史 Art History
- 参考リンク
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初期キリスト教美術
初期キリスト教美術は、キリスト教初期段階の美術で、313年のミラノ勅令による信仰の自由が認められる(キリスト教公認)に先立って300年頃から制作が始まり、ローマ帝国勢力圏内で発生し、604年、教皇グレゴリウス1世の死まで続いたとされる。
初期の傑作はローマ郊外のカタコンベで見ることができる。図像は非常にシンプルで、キリスト教のシンボルの域を出ず、魚・鳩・錨・十字架がその典型例である。アポロン、ヘルメス、オルフェウスの彫像をヒントにしたギリシャ美術の影響から、当初は髭のない青年としてキリストを描くことが多かった。キリストはまた、博愛を象徴する“よき羊飼い”や、英知の象徴としての“オランス(両手を広げて祈る人)”という図像でも表現された。
- “ひげのないキリスト” コンスタンティナ廟堂モザイク(4世紀半ば)
- ”よき羊飼い”の図像 プリシッラのカタコンベ(3世紀後半)
ビザンチン美術(ビザンツ美術)
330年、コンスタンティヌス1世により帝都がコンスタンティノポリス(現イスタンブール)へ移されたことがきっかけで美術活動の重心も東方へと移っていった。これによって初期キリスト教美術に古代アジアやサーサーン朝ペルシアの美術的要素が融合し、古代のギリシア美術、ヘレニズム美術、ローマ美術を継承しつつ、東方的、キリスト教的要素を含んだ独特な体系を持ったビザンティン美術が確立された。
ビザンチン(ビザンツ帝国)の国境線は絶えず変動したが、この都市がオスマン帝国に占領された1453年までの長い間ビザンチン美術は栄えた。日本ではビザンツ美術とも呼ばれる。
聖人のイコンや皇帝の像が崇められ、その外見は厳しく統制された。やがてそれらの外見は記号化・様式化され、個性的な美術表現は認められなくなった。
- ラヴェンナのモザイク
アンドレイ・ルブリョフ作と言われる
- フレスコ画イコン『復活』(キリストの地獄への降下、主の復活、冥府降下)
ビザンティン建築(ビザンツ建築)の特色は正方形またはギリシャ十字形の平面、ドーム、アーチ、アーチ型天井、金地の華麗なモザイク、大理石の張石などである。ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達したが、発展することも急速に衰退することもなく存続した。ローマ市とその周辺ではなく、新しい首都コンスタンティノープル (現イスタンブール) を中心とした独特の芸術的および文化的存在として発展した中世ローマ帝国を指すために現代の歴史家によって命名された。ヨーロッパおよび近東全域の中世後期の建築に劇的な影響を与えた。
初期中世美術
5世紀にヨーロッパ諸地域に定着したゲルマン民族の美術や、イタリアとアイルランド、ブリティシュ諸島の美術に始まる。ローマ帝国の美術の伝統と初期キリスト教会の図像様式から生まれ、北ヨーロッパの「蛮族的な」美術文化と混ざって、注目すべき美術遺産を作り出した。
メロヴィング朝美術
メロヴィング朝美術(Merovingian art)は、5世紀末から8世紀なかばに至るフランク王国のメロビング朝における美術である。キリスト教の導入、古代末期文化の継承、東方からの文化の伝播のうえに成立し、中世キリスト教美術の基礎となった。
広義にはビザンティン美術によって継承された古代末期の美術の影響下にあるが、フランク王国を構成する二つの種族、南西のガロ・ロマン人と北東のゲルマン人によってそれぞれ異質の美術が芽生え、やがて融合に向かっていった。すでにキリスト教が普及していた南西部では修道院および教会が美術の推進力となったが、異教的な北東部ではゲルマンの王宮や貴族の館が美術の揺籃となった。やがて、フランク王国の次の王家、カロリング朝の美術に受け継がれていった。
この時代の美術の特色を最もよく表わしているのは金属工芸で、装身具・武具などすぐれた作品を多数残している。青銅(ブロンズ)の中にガラスを敷き詰めるクロワゾネ技法が特徴で、クロワゾネの技法と蛮族趣味を融合させたり、鳥獣や魚をモチーフにした「鳥魚文」の文字装飾をつかった写本が多く作りだされた。
またミニアチュールが聖書写本の装飾に表れ、色彩・文様に独自の発展をとげた。建築では移動民族の伝統から石造建築より木造建築が発展した。古代ローマ末期の建築技法も受継がれたがその遺構は少い。彫刻では、柱頭彫刻・石棺彫刻に古代末期の伝統が認められるものの、東方的影響を受けた装飾的で象徴性の強いものが多く残されている。
大聖堂全体は、12世紀から19世紀にかけて建設と再建が行われ、ロマネスク様式、ゴシック様式、ネオゴシック様式の各要素に溢れている
カロリング朝美術
カロリング朝美術とは、8世紀末から10世紀前半にかけての西フランク王国の美術様式で、フランス語ではシャルルマーニュ様式とも呼ばれる。
ローマ帝国の復活を夢みるカール(シャルルマーニュ)大帝(在位768-814)の意識的な努力によって招来されたもので、カロリング・ルネサンスとも呼ばれる。ゲルマン、ケルト両民族の土壌に古代文化とキリスト教とを摂取・融合した点に意義と特色があり、造形芸術では古代末期、ビザンティン様式への愛好が特徴的で、、キリスト教を主体として古代およびビザンチンの文化を復興させようとした形式は、ヨーロッパ芸術の始原をなしている。
ビザンチン風八角堂の大円蓋
ギリシア十字 (T字形) プラン
契約の箱のモザイク(806年)
バシリカ様式(再建)
彫刻と絵画では、金細工、象牙細工、彩飾写本のような小芸術が知られている。
福音書記者マタイ
オットー朝美術
オットー朝美術とは、10世紀中期から11世紀中期にかけてドイツで発展したロマネスク以前のドイツ美術における様式である。オットー帝3代とハインリヒ1世、2世の統治下で、皇帝の権力のプロパガンダとして貴族的豪華さ、超越性、観念性を追求する美術であった。
古代ローマ的な古典的な表現を受け継ぎつつ、色彩や人物の感情表現の自由度が増していった。
- キボリウムの漆喰レリーフ|サン・ピエトロ・アル・モンテ修道院
ヴァイキング美術
ヴァイキング美術とは、8世紀末から11世紀前半にかけてスカンジナビアを拠点に海洋や河川を利用して東西南方に広く進出し、各地との交易を通じて培われた北方ゲルマン人、ヴァイキングが残した美術である。スカンジナビアの船乗りはロシアやコンスタンティノープルまで定期航海をおこなったので、カロリング、ビザンチン、ケルト文化の影響を受けた。
最も典型的な様式は、絡み合った植物と動物の装飾である。年代順に、オーセベルク様式、ブローア様式、ボッレ様式、イェリング様式、マンネン様式、リンゲリーク様式、ウルネス様式があり、そのほとんどは重要な墓地遺跡に由来する命名である。
- スターヴ教会にある木彫り
- ペンリス宝庫から出土した銀製の円環状のブローチ
●様式の変遷
- オーセベルク様式:オーセベルグ船の詳細
- ブローア様式:ブローア手綱
- ボッレ様式:ヘーゼビューのブロンズ ペンダント
- イェリング様式:ゴームの杯
- マンネン様式:マンネンの斧頭
- リンゲリーク様式:ヴァン・ストーン
- ウルネス様式:アップランドのルーン文字碑文 871
アングロ=サクソン美術
アングロ・サクソン美術は、6~11世紀にイギリスで広まった美術様式である。アングロサクソンの芸術は、主に装飾写本、アングロサクソン建築、数多くの非常に精巧な象牙彫刻、および金属やその他の素材で作られた作品の中に残っている。窓が少なく、外壁に細い筋のような壁柱を用いた素朴な様式はアングロ・サクソン様式と呼ばれる。
- サットン・フーのショルダークラスプ
- グリンバルド福音書に登場する福音伝道者の肖像画
11世紀初頭、後期ウィンチェスター様式
ケルト美術
ケルト美術は、緻密な装飾や独自の世界観を表現するケルト模様が特徴である。曲線や絡み合う線を好み、曖昧な表現を好みます。〈三つ巴〉〈トランペット〉〈渦巻〉〈パルメット〉など同類のモティーフに溢れている。
初期イスラム美術
初期イスラム美術は、7世紀から18世紀にかけて、西アジアや北アフリカを中心に制作された美術である。人物の彫像や壁画が発達しており、美術品の産出で知られる諸帝国に取り囲まれていたため、近隣諸国と同じ技法とモチーフを用いていた。
当初、ビザンチン、ローマ、初期キリスト教の各様式に影響を受けたが、すぐに独特なイスラム様式が生まれた。コーランではなく慣習により人物を描くことが禁止されていたため、イーゼルによる絵画の伝統は築かれず、美術表現は主に建築、装飾美術、カリグラフィー、美術書の分野に限られていた。
- 対峙するアイベックスを描いたイランのレリーフ銘板
スタッコ(化粧漆喰)
- メスキータの円柱の森
南アジア
仏教美術
最初期の仏教において、釈迦は人間の形で表されることはなく(不表現:aniconism)、仏教のシンボルによって描写された。伏し目がちで穏やかな容貌、長い耳、カタツムリの殻のように短く巻いた髪、頭蓋の隆起を特徴とするブッダ像が、宗教都市であると同時に、ガンジス川の支流ヤムナー川に面していたことから交易都市としても栄え、商業的に発展してマトゥラーの都市で創作された。マウリヤ朝以来の他宗派の芸術(ヤクシャ像、ヤクシー像[バラモン教]・ジナ像[ジャイナ教])からの流れが色濃く、インド土着の表現がなされている。
- マトゥーラ様式のブッダの立像
ヒンドゥー美術
ヒンドゥー美術は、インドの美術の特色である生命力、躍動感、官能性、建築物の内外を埋め尽くす装飾などを特徴としている。インドの後グプタ朝(5~6世紀)以降に建造されたヒンドゥー教の神々を祀る石窟、岩石、石積の諸寺院と、その内外の壁面を飾る神像および装飾彫刻などが含まれる。
チョーラ朝
東南アジア
ボロブドゥール美術
ボロブドゥール寺院は、8世紀半ばから9世紀にかけて興隆したシャイレーンドラ朝の治下、ダルマトゥンガ王がターラ(多羅菩薩)をまつるための寺院とシャイレンドラ王家を祀る仏僧のための僧院を建造するよう提案したことから造営された。
アンコール美術
アンコール・ワットは、クメール帝国(アンコール朝)でヒンドゥー寺院として建設されましたが、その後仏教寺院として用いられるようになったため、ヒンドゥー教と仏教の両方の要素が入り混じる状態で現在まで残っている。
パガン美術
パガン王朝は現在のミャンマーに位置するビルマ族最初の王朝である。11世紀、アノーヤター王の治世に仏教王国として急速に発展する。後継のチャンジッター王が北方系の大乗仏教の一派をパガンから追放し、南方系の上座部仏教を奨励して現在に至る。
ビルマの寺院の特徴は壁画とフレスコ画にある。広いアーナンダ寺院の内部を覆う壁画は、上座部仏教の教えを家臣に教え込むことを意図して描かれた。
スコータイ美術
スコータイ美術は、13~14世紀のタイ、スコータイ朝時代の仏教美術であり、青銅仏が中心で、半跏(はんか)像が多い。細長い顔や目、口等が特徴的である。
- ラームカムヘーン像|スコータイ遺跡
東アジア
唐代美術
唐代美術は、シルクロード経由でインドや中央アジアからの影響が顕著で、肉付けの立体感と写実性にその影響が見られる。唐の時代は、中国絵画の変革期とされ、それまで主流だった彩色画・人物画・花鳥画から、自然の風景を幽玄に表現する山水画・水墨画へと移り変わっていく。
- 八十七神仙図巻|呉道玄
- 歴代帝王図|閻立本
- 照夜白図|韓幹
宋代美術
唐時代までの絵画の主流は人物画であり、着色画であったが、宋時代には山水画と花鳥画の様式が確立され、なかんずく山水画が中国絵画を代表するジャンルとなった。
- 瀟湘図|董源
- 早春図|郭煕
- 黄河逆流|馬遠
元代美術
元代は、中国絵画史の上では復古主義の時代であり、文人画の時代であった。モンゴルは中国人を下に見ていたため、皇帝の庇護を受けた芸術家は少なかった。元末四大家の黄公望、呉鎮、倪瓚、王蒙など文人はモンゴルの慣習に従わず、美術的影響も野卑として拒否し、代わりに中国伝統に基づいた風景画で寓意的な様式を確立していった。
- 天池石壁図|黄公望
- 洞庭漁隠図|呉鎮
- 容膝斎図|倪瓚
- 青卞隠居図|王蒙
中央・南アメリカ
モチェ美術
モチェ文化はペルー北海岸にそそぐモチェ川から名称を採った現在のトルヒーヨ近郊にあった都市モチェを中心に栄えた文明である。モチェは、美しく彩色され、写実的に人面、動物、作物などを象った鐙型注口土器と黄金やトゥンバガ(金、銀、銅、砒素の低カラット合金)細工などの副葬品で知られる。
マヤ美術
マヤ人は、コロンブス以前のアメリカで唯一、完全な文字と数学的思考を持つ文化を形成した。彼らは多くの都市国家に住んだが、最大級の都市がティカルで、石灰岩でできた高い神殿ピラミッドをつくり、表面をスタッコ(化粧漆喰)で塗り固め、彫刻で飾った。後期の建造物は横に広がり、列柱を備えている。壁画は色彩豊かで、細部は念入りに描かれ、公的な依頼を受けても、人物を描くときは慣習の範囲内で個々の画家の独創性が発揮された。
部屋1の北の壁の断片
ナスカ美術
ナスカ人はペルー南部沿岸の砂漠地帯に町と宗教施設に囲まれた中央集権的国家を築いた。宗教との関連が深いナスカ人の美術には精巧な彩文土器がある。当初は写実的なものが大半を占めていたが、伝説上の人物・動物もテーマに含まれるようになった。
最も特筆すべきなのは、ペルー南部にある砂漠地帯に描かれた巨大な地上絵(ナスカの地上絵)で、紀元前200年~紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたとされている。ナスカの地上絵は、直線、幾何学図形、動植物の図像が2,000点以上あり、「ナスカとパルパの地上絵」としてユネスコの世界遺産(文産)に登録されている。
- ハチドリ|ナスカの地上絵
テオティワカン美術
テオティワカンは、中米メキシコで紀元前1世紀から16世紀にかけて繁栄した古代文明である。ナワトル語で「神々の座所」を意味し、美術や建築様式がその後も受け継がれている。
ロマネスク美術
「ロマネスク」「ゴシック」という言葉は元来、建築用語であるが、現在ではそれぞれの時代の他の美術にも拡大適用されている。
ロマネスク美術は、10世紀後半から13世紀中ごろまで西欧各地で展開したキリスト教美術様式で、ゴシック美術に先行し、ローマ美術の伝統を受け継いだ。
建築様式としては、天井部分のアーチと、上部の石材の重みを支えるための太く分厚い壁が特徴である。天井の重さを支えるため、教会全体の高さが制限されている点や、壁の強度を落さないために窓が分厚くなっている点も、ロマネスクの建築上の特性である。
ロマネスク様式による建築は、純然たる覇気・壮大さを再現し、キリスト教世界が破滅の危機を乗り越えた時代の新たな自信を表現しているといわれる。
ノアを描いた壁画
保存状態の良好なロマネスク期の壁画36点が現存している
ニコラ・ド・ヴェルダン Nicholas de Verdun(1130頃 – 1205頃)
後期ロマネスクから初期ゴシックの代表的工芸家。ライン・マース(ムーズ)川流域(モザン地方)で活躍した金工家、エマイユ(七宝)師。
ゴシック美術
ゴシックという言葉は本来「ゴート人の、ゴート風の」という意味で、ゴシックとは12世紀の北西ヨーロッパに出現し、15世紀まで続いた建築様式を示す言葉である。ゴシック建築の最大の特徴は優雅さで、新たな骨格構造の採用によって壁の大部分に窓を取れるようになったことによる。絵画と彫刻においても、概して洗練されており、形態は引き伸ばしたようなプロポーションを持ち、流れるような気品を持つ。
フランス
「シャルトルの青」と呼ばれるステンドグラスが有名
14世紀作成の精巧な天文時計が有名
ドイツ圏
ポーランド
イギリス
イタリア
初期イタリア美術
当時のイタリアは統一国家ではなく多くの小国家が並立していた。自都市の教会・公共施設をライバル都市より大きくすぐれたものにしようと競い合い、可能な限り優秀な芸術家を集めて装飾させた。
1204年に十字軍がコンスタンティノープル(ビサンティウム)を占領したため、イタリアとビザンチン美術の接点が広がったが、14世紀末になると新たに芽生えた写実や人間への探求心がビザンチン美術の厳粛性・空想性を弱めていき、ルネサンスの到来を感じさせるようになる。
当時は主に宗教が創造の源であって、祭壇画と教会のフレスコ画が絵画の支配的な形態で、彫刻の形式は説教壇や聖人像が多数を占めたが、市庁舎など公共建築物には装飾を中心に世俗的な主題が台頭し始めた。
テンペラ(絵の具に卵を混ぜる)とフレスコという創作技法が確立されたのはこの頃である。彫刻では、名声のある作品はそのほとんどが大理石とブロンズを素材とした。ブロンズは金メッキを施されることもあったが、高価で手間暇のかかる作業であった。
父:ニコラ・ピサーノ Nicola Pisano(1220年代頃 – 1280年代頃)
子:ジョヴァンニ・ピサーノ Giovanni Pisano(1250頃 – 1315頃)
チマブーエ Cimabue(1240頃 – 1302頃)
チマブーエは、「雄牛の頭」という意味で、本名はチェンニ・デイ・ペーポ(Cenni di Pepo)。ジョットの師匠といわれている。
- 荘厳の聖母(6人の天使に囲まれた荘厳の聖母)(1280頃)
- 聖母子と二人の天使(1280頃)
- サンタ・トリニタの聖母(1283–1291)
アンブロージョ・ロレンツェッティ Ambrogio Lorenzetti/Ambruogio Laurati(1290頃 – 1348)
14世紀のシエナ派を代表するイタリアの画家で、ピエトロ・ロレンツェッティの弟。
- 善政の寓意(1338-1339)の一枚
- 都市における善政の影響(1338 – 1340)
- 神殿への贈呈 シエナ大聖堂 (1342)
ピエトロ・ロレンツェッティ Pietro Lorenzetti/Pietro Laurati(1280頃 – 1348)
アンブロージョ・ロレンツェッティの兄。
- 『最後の晩餐』アッシジのサン・フランチェスコ聖堂下堂(1310 – 1320)
ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ Duccio di Buoninsegna(1255/1260頃 – 1319頃)
ゴシック期のイタリアの画家で、13世紀末〜14世紀初頭にシエナで活動した。その様式はビザンティン絵画を基盤としながらも、人間描写や空間把握は現実感を増している。チマブーエ、ジョットとともにゴシックとルネサンスの橋渡しをした。
- 『ルチェッライの聖母』(1285)
- 『マエスタ(荘厳の聖母)』(玉座の聖母子と12人の天使、19人の聖人)(1308 – 1311)
ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone(1267頃 – 1337)
フィレンツェの画家・建築家で、チマブーエに師事した。ビザンチン様式に代わって一定の自然主義を取り入れた。古代ギリシアを最後に忘れられていた平面を三次元的に見せる方法を再発見した。
- サンタ マリア ノヴェッラの十字架(1290 – 1295)
- 『サンダミアーノの祈り』(十字架の奇跡)サン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画(1295 – 1299)
- スクロヴェーニ礼拝堂装飾絵画(1305)
- 『荘厳の聖母』(オンニサンティの聖母)(1310頃)
- 『聖フランシスコの嘆き』バルディ礼拝堂
- ステファネスキの三連祭壇画(1320)
シモーネ・マルティーニ Simone Martini(1284頃 – 1344)
ドゥッチョの弟子と推定されるシエナ派の一人。鮮やかな色彩を好んだ点はドゥッチオと同じだが、様式はビザンチンよりゴシック寄りで、国際ゴシック様式の先駆けとなった。
- 『ロベール・ダンジューに王冠を授けるトゥールーズの聖ルイ』(1317)
- 『アレクサンドリアの聖カタリナの多翼祭壇画』(1320頃)
- 『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』(1333)
- 『オルシーニ多翼祭壇画』(1333 – 1340)
国際ゴシック美術
国際ゴシックは、ゴシック美術のうち、14世紀後半から15世紀前半にかけてブルゴーニュ、フランス、北イタリアで発達した、様々な国の美術に影響を与えた流行様式の寄せ集めである。宝石のように輝く色彩、凝った衣装に身を包んだスマートな人物、詳細に観察・記録された自然が特徴である。
北欧のゴシック様式に見られる姿勢や仕草の型の優雅さと、新たに芽生えた写実的な精密さの融合は、芸術家達の往来が増えたこと、各王室が芸術に大金を投じて富や権力の誇示を競い合った影響で普及した。
国際ゴシック美術は、著しく豪華な傾向が強い。見事な職人の手腕を評価できる教養深いパトロンのために制作されることが多いからである。
ピサネロ Pisanello(1395頃 – 1455頃)
本名は、アントニオ・ディ・プッチョ・ピサーノ(Antonio di Puccio Pisano)、またはアントニオ・ディ・プッチョ・ダ・チェレート(Antonio di Puccio da Cereto)。大規模なフレスコ(壁面の漆喰が生乾きのうちに仕上げる壁画の技法)、優雅な肖像画、小型の板絵などさまざまな作品を手掛け、多くの優れた素描も残した。記念メダルの作家としても知られる。
- 『公女の肖像』(エステ家の公女の肖像)(1435 – 1445)
- 『聖エウスタキウスの幻視』(1438 – 1442)
- 『聖ゲオルギウスと王女』(1433 – 1438)
- ジャンフランチェスコ1世ゴンザーガ勲章(1439 – 1440)
- 『馬の頭』のデッザン(1433 – 1438)
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ Gentile da Fabriano(1360/1370頃 – 1427)
優美な人体表現、金彩を含む華やかな色彩表現、衣服や草花などの細密表現を特色とする。
- 『東方三博士の礼拝』(1423)
ロレンツォ・モナコ Lorenzo Monaco(1370頃 – 1425)
本名はピエロ・ディ・ジョヴァンニ(Piero di Giovanni)で、フィレンツェの画家。
- 『受胎告知の三連祭壇画』(1410 – 1415)
ベルナト・マルトレル Bernat Martorell(1390頃 – 1452)
カタルーニャのバルセロナの画家。祭壇の背障や写本の挿絵を描いた上、彫刻の制作や、刺繍品のためのデザインも行っていた。
- 『ドラゴンを倒す聖ゲオルギオス』 (1430 – 1435)
ランブール兄弟(リンブルク兄弟)
フランドルのミニアチュール画家の兄弟。ヘルマン(Herman)、ポル(Pol)、ヨハン(Johan、Hennequinまたはjanとの記述も)の3人。
- 『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1412 – 1416)
コラール・ド・ラン Colart de Laon(活動期1377 – 1411)
フランスの画家。
- 『寄進者オルレアン公ルイ1世のいるゲツセマネの祈り』(1405 – 1408)
『ウィルトンの二連祭壇画』(1395 – 1399頃)
作者不明。イングランドのペンブローク伯が収集品のひとつとしてウィルトシャー州のウィルトン・ハウスに2世紀以上も保管していたことから命名。
シュテファン・ロッホナー Stefan Lochner(1400頃 – 1451)
ゴシック後期のドイツの画家。作風はゴシックの鮮やかな色彩を伴う流れるような線と、フランドル派の影響を受けた写実描写ならびにディテールへの繊細なこだわりを融合させたものである。
- 『薔薇垣の聖母』(1450頃)
美術史 Art History
先史美術 | Prehistoric Art |
古代美術 | Ancient Art |
中世美術 5-14世紀 | Medieval Art |
近世美術 15‐18世紀 | Early Modern Art |
近代美術 19世紀 | Modern Art |
現代美術 20世紀 | Contemporary Art |
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