概要
マクロ社会は、社会集団と地域社会から成る。地域社会は都市と農村に分かれるので、地域社会研究は、農村社会学と都市社会学に大別されることになる。
農村社会学は、伝統的に農村地域の社会構造と紛争の研究と関連付けられてきた。天然資源へのアクセスの問題は伝統的な農村の空間的境界を超えているが、食料と農業に関する社会学は農村社会学の焦点の1つであり、その分野の多くは農業生産の経済学に紐づけられている。
その他の研究分野には、農村移住およびその他の人口パターン、環境社会学、アメニティ主導の開発、公有地政策、ブームタウン開発、社会的混乱、農村文化、アイデンティティ、農村部の医療・教育政策などがある。
学問としての成立過程の地域差
1910年代のアメリカで農村社会学は誕生した。まだ南北戦争以前のアメリカは全くの農業国であり、20世紀に入ってからも中西部と南部は農業地域であったから、イリノイ大学やウィスコンシン大学にある農学部から農村社会学が発展していった。
ヨーロッパにおいて、19世紀半ばに社会学が起ったとき、コントやスペンサー、テンニース、デュルケームらの関心は、中世以来の農村社会が近代化と産業化によって変貌していく過程にあったため、過去のものとなっていく農村は社会経済史家の研究対象とはなり得ても、社会学者たちの主要な関心事ではなくなっていた。
戦前の日本はまだ基本的に農業社会であったため、欧米からの社会学説の輸入と並行して、地場の研究対象としては、都市社会学よりも農村社会学の方に重点が置かれた。ちなみに、当時の日本の社会学会の勢力図としては、家族社会学と農村社会学が大半を占めていた。
英語で「農村社会学」は「Rural Sociology」となる。この「rural」は、”都会に対していなかの”、”田園の”、”農業の” という意味になる。ラテン語の原義としては、”広い空間” であるから、”粗放的” である様を指すのであって、積極的に産業としての ”農業” を思わせる語彙ではない。
よって、都会ではない近郊集落という意味で ”農村の” という意訳をもって、”農村”社会学という語に落ち着いたのである。
であるから、”村落社会学” とでも訳しておけばよかったのではないかと個人的には思わざるを得ない。まあ、村落における主要産業は今も昔も ”農業” が中心に来る場合が多いのは間違いないのだが。
アメリカの農村社会学
アメリカの農村社会学はウィスコンシン大学に始まる。
ギャルピンは、中西部の農村コミュニティを生態学的に観察し、集落を形成していない散村形態をとる多数の農家が田舎町を中心としたタウン・センターと結びついた農村と田舎町の相互依存関係に着目して、これを都𨛗コミュニティ(rural community)と呼んだ。
ギャルピンの後継者コルブは、都𨛗コミュニティの内部に発達している第一次集団としての近隣集団に注目した。
シーウェルは、農村コミュニティ内部の社会階層構造を調査し、農家の階層的地位を測定する数量尺度を開発した。
日本の農村社会学
鈴木栄太郎
日本の農村社会学はアメリカ発祥の農村社会学からの影響を強く受けて始まった。
戦前の日本では、明治以後の急速な産業化にもかかわらず、近世(徳川幕藩体制時代)以来の豪村共同体がまだ解体していなかった。
日本の農村社会学の父と呼ばれる鈴木栄太郎は、この近世以来の村を「自然村」と呼んだ。この場合の「自然」とは、行政権力などによる「人為」が加わっていないという意味である。
鈴木はギャルピンの生態学的アプローチをもって、『日本農村社会学原理』(1940)にて、日本全国の農村を調査した結果から自然村の平均型を抽出しようと努力し、日本農村の内部における農民相互の間の社会関係の累積に着目した。
但し、日米農村の特徴の違いは明らかで、アメリカの場合は、散村なので「村」ではなく、ギャルピンのいう都鄙コミュニティは「村」ではなかったことには留意すべきである。
鈴木が1930年代に農村調査をした結果、農村の構造化を次のように考えた。
農村は、第一社会地区(小字、組)、第二社会地区(大字、自然村)、第三社会地区(行政村)という三重の地域的統一を持つものとした。
第一社会地区は、徳川時代の五人組を発祥とする最小で社会関係の最も密な集落である。第二社会地区は、五人組がいくつか集まって形成された、徳川時代以来の自然村である。第三社会地区は、1889年以降の町村合併によって人為的につくられた行政村である。当時の認識としては、そこには社会関係の集積はほぼ見られない。
日米の農村形成の生態学違いから、都鄙コミュニティの概念をそのまま日本の農村社会に当てはめることはできなかった。しかし、鈴木は、「都市結節機関」という概念を用いて、都市と農村の関係は、多数の農村が都市結節機関を中心に、人と物資と貨幣の流れによって結びついている関係にあると定義づけ、都鄙コミュニティの拡大版であると認識した。
福武直
福武は、マルクス経済学の観点から、鈴木栄太郎の村落の捉え方を社会科学的ではないと断じた。
福武は、村落の社会構造を、「経済構造を基礎として成り立つところの村落の全体的社会構造、すなわち政治構造をも含む村落社会の全体的なしくみ」と定義した。
福武が当時研究対象とした村落では、戦後の農地改革の影響により、従来の地主小作関係が霧消しており、村落における経済構造を寄生地主による小作への支配構造ではもはや捉えることができなかった。
そこで、福武は、村落の社会構造を、「家を構成単位として形成される家々の結合形態」であるとした。
しかし、この論法にはもはや土地所有を含む経済構造を含まず、家族社会学で論じた有賀喜左衛門の「同族」関係に対する議論と相違ないものと考えてもおかしくないものとなった。さらに、福武は有賀の同族論から一線を画し、日本の農村は、「同族結合」から「講請結合」へと発展してきたという観点から、同族への過剰な評価を否定し、その議論から経済構造をベースとする理論的枠組みを全く見えなくしてしまった。
以後、福武は理論的研究を回避し、農村調査の方へ軸足を移すこととなる。
蓮見音彦
福武の農村調査を引き継いだ蓮見は、当時の日本の村落の問題を「資本主義の矛盾の内攻的深化による「村落の社会的連帯の解体」にあるとし、「国家独占資本主義段階における農民統治」による末端機構の再編成が、村落の完全な解体を食い止めていると断じた。これを、「上からの組織化」と呼んで、「農民的な組織化」と対比化させた。
辛うじて、「上からの組織化」は、農林省による農業保護政策であろうと推察できるが、「農民的な組織化」の正体は明らかにされないままであった。
マルクス経済学に侵食された日本の農村社会学は、その後の再建を果たせないまま現在に至っている。
社会学の構造 The Structure of Sociology
理論 | 経験 | 歴史 | 政策 | ||||
総論 | 社会学原理 | 経験社会学 | 社会史 社会学史 (学説史) 第一世代 第二世代 (マクロ社会学) (ミクロ社会学) | 社会問題 社会政策 | |||
社会調査 統計的調査 計量社会学 | |||||||
ミクロ社会学 | 行為者の内部分析 | 自我理論 社会意識論 | ミクロ社会 調査・解析 | ミクロ 社会史 | ミクロ 社会政策 | ||
社会システム内の相互行為 と社会関係分析 | 相互行為論 役割理論 社会関係論 社会的交換論 | ||||||
マクロ社会学 | 社会システム 構造論 | マクロ社会 調査・解析 | マクロ 社会史 | マクロ 社会政策 | |||
社会システム 変動論 | |||||||
領域社会学 | 内包的領域 社会学 | 基礎集団 | 家族 | 家族社会学 | 家族調査 | 家族史 | 家族政策 |
機能集団 | 企業 | 組織社会学 産業社会学 | 組織調査・ モラール調査 | 組織史 労働史 | 経営社会政策 労働政策 | ||
全体社会 ×社会集団 | 国家 | 国家社会学 | 国勢調査 | 国家史 | 福祉国家政策 | ||
地域社会 | 農村 | 農村社会学 | 農村調査 | 農村史 | 農村政策 | ||
都市 | 都市社会学 | 都市調査 | 都市史 | 都市政策 | |||
準社会 | 社会階層 | 社会階層理論 | 社会階層調査 | 社会階層史 | 不平等問題 | ||
外延的領域 社会学 | 経済 | 経済社会学 | 経済行動・ 市場調査 | (経済史) | (経済政策) | ||
政治 | 政治社会学 | 投票行動・ 政治意識調査 | (政治史) | (政治政策) | |||
法 | 法社会学 | 法行為・ 法意識調査 | (法制史) | (法政策) | |||
宗教 | 宗教社会学 | 宗教行為・ 宗教意識調査 | (宗教史) | (宗教政策) | |||
教育 | 教育社会学 | 教育行為・ 教育意識調査 | (教育史) | (教育政策) |
コメント